1-11 安息

 堂島どうじまさん、一颯いぶきさんに続き、僕もスタンガンによる電流で意識を失った。意識を失ったはずなんだ。でも、こうして考えている時点で意識があるんだ。もしや。

 はっ! 目を開くと案の定、僕はクアルトにいた。


「よっ! おつかれー」


 呑気な声が聞こえた。僕の目の前では、信じ難い光景が広がっていた。姉はなんと晩酌をしていたのだ。いつもの3人掛けソファで横になりビールを飲んでいた。卓の上にはワインも置いてある。

 そして、服装もさっきまでのワンピースではなく、白いタンクトップにピンクのショートパンツ。

 髪型は前髪をピンで止め、おでこを出し、後髪はポニーテールにして縛っている。完全に寛いでいる。いや、生前では毎日こうしていたし、見慣れた姿なのだ。そうなのだが……。


「おつかれ姉さん! 何してるんだよ!? なんでこんな時に呑気に酒なんか飲んでるんだよ!?」


 つい、僕も取り乱してしまった。姉は、まぁまぁまぁまぁと僕をソファに座るよう促した。よく見れば前髪さんは前髪さんで読書をしている。こいつら……人が決死の戦いをしていた時に……。


「いや、愛する我が弟の勝利を祝って祝杯を上げていたんだよ? そのついでに晩酌を兼ねてだね」


 祝杯の方がついでなんだろうな。ローテーブルの上には、つまみのナッツ類が入った皿も置いてあり、姉はそれに手を伸ばしていた。


「初戦にしては上出来だろう。この調子じゃ、なんの問題もない。百々丸どどまるくん懐かしいねー! かなり大きくなってた。昔なんかひょろっひょろだったんだよ?」


 なんだか上手く姉のペースに乗せられつつある気もするが、もういいか。この部屋は現実世界とは時間のスピードが違うし。


「堂島さんのこと覚えてるんだ? ひょろひょろ? 本当に? あの人が?」


 俄に信じられないが、いじめられていた過去もあったそうだし、姉が言うのだからそうなのだろうな。


「あれは相当鍛えたね。ちょっと格闘技研究したレベルじゃないよ。あの警官の不意打ちには流石に対処できなかったんだろうけど、恐らくドドくんはまだ本気を出していない」


 姉は堂島さんを「ドドくん」と呼ぶようだ。あれで本気じゃないのか。彼でさえも、あの時油断してたせいなのか、警官のスタンガンに反応できなかったのか。

 あの警官は本物だったのか。それとも偽物だったのか。本物だった場合は、警察とあのクラブが内通していて、非道な行いが黙認されていたことになるのか。


 そして偽物だった場合。あのクラブの関係者が警官に変装して、僕らを待ち構えていたことになる。しかし、僕らを捕まえるためだけにわざわざ変装するのは少々手間がかかっている。恐らく、日頃から警官に扮して街を監視していたのではないか。そして連絡を受けて僕らを捕らえたのか。

 いずれにせよ、現段階ではどちらの可能性も充分に有り得るため、どちらかに決定づける事はできない。


「少し落ち着いた。僕らは、スタンガンで気絶してしまったんだ。今どうなってるの? 大丈夫なの?」


 この部屋から現在の僕の状況を確認することができるはずだ。姉は体を起こし、ソファの上で胡座あぐらをかいた。そして、僕と姉の間にある壁を指差す。何もない壁だったが、そこにプロジェクターのように映像が浮かび上がる。反対側に機器などは見当たらない。


「そーくんは今気絶してるから目を開けることはできないんだけど、こうやってそーくんの周囲を見ることはできるよ。どうやら車に乗せられてどこかに運ばれているようだね」


 壁面の映像には、確かに車の後部座席で倒れている僕が、その車の窓ガラスごしに映っている。手錠をかけられ、口はガムテープで塞がれている。生きていただけましだが、これは非常に危険な状況じゃないか。


「一颯さんは? 堂島さんもいないの?」


 映像を見ている限りではどこにも見当たらない。


「ドドくんは同じ車のもう1つ後ろの席に寝かされてるよ。ミモザちゃんは別の車だ。無事だから安心していいよ」


 姉さんはそう言ってビールを飲み干した。幽霊になった今は昔よりも酒に強いのかな。次はワイングラスにワインを注いでいる。呆れることしかできず、溜め息が出てしまう。


「随分、余裕だよね? 大事な弟が殺されるかもしれないんだよ? これから海に沈められるのかな……?」


 そう言うと姉は目を細め、悪そうな笑みを浮かべた。


「おやー? そーくんはお姉ちゃんに心配してほしいのかなぁ? 甘えたくなっちゃったのかなぁ?」


 この姉は酒豪だから酔うわけがないのだが、酔ってるフリを演出しているのだろうか。職場の塩見さんと同じくらいか、それ以上にタチが悪い。


「そんなわけないだろ」


 僕は努めて真顔で冷ややかに否定した。それこそ害虫を見るような目つきで。しかし、姉はそれを気にする素振りも見せず、どこか安心しているような笑みを浮かべている。


「わかってるさ。いつでも甘えていいのは本当だ。けどそれ以上に、あたしはそーくんを信じている」


 いきなり真面目な発言をするし、相変わらず心理が読めないな。


「想くんは思ってた以上に身体も動かせてましたね。日頃運動不足だとは思えない。この調子ならまだまだいけます。大丈夫ですよ」


 前髪さんはいつの間にか読んでいた本を置き、紅茶を持ってきてくれた。


「師匠にそう言われると自信もてます。ありがとうございます」


「師匠ではないですから。私とした事が反応を鍛えるトレーニングばかりやっていて、パンチやキックについては全く教えてませんでしたね。それでもあの短時間で身につけた事には感嘆しかありません」


 いやいや。まだ2回しか前髪さんと組手をやってないが、彼の多彩な攻撃をよく見ていたおかげか、動きを作るということができた。

 そして、堂島さんの教え、過去に姉から教わったこと、それらが僕の中にあったからこそだと思える。3人のおかげだ。


「しかし、こんなに早く実戦になるとは思ってなかったよねー。もう少し時間があると踏んでいたから、攻撃についてはあたしもまだ先だなーって考えてたし。あの横沢? あいつ殴った時のパンチはひどかったもんねー。しかも、本当にあいつを殴る時がくるとはねー」


 真剣な言葉とは裏腹に、姉はまたソファに寝そべっている。今度は仰向けだ。長い脚はソファからはみ出ている。


「あのパンチの事は言わないでくれよ。初めてで緊張してたし」


 ふと、気づいたことがある。音楽が流れている。部屋の壁際には、戸棚に並んでジュークボックスが置かれていたのだが、あれで再生しているのだろうか。しかし、スピーカーらしきものは見当たらない。それでも部屋全体から音楽は聞こえる。

 これは、ジャズだ。すごくいい曲だ。さっきの耳障りなヒップホップとは大違い。


「姉さん、ジャズなんか聴いてたっけ?」


 僕の記憶では、姉がよく聴いていた音楽はもっとアップテンポでハイテンションな曲調だったはずだ。僕の質問に姉は片眉を動かすような表情をし、


「あたしがジャズなんて聴くと思う? 前髪さんの趣味だよ。でも、実際、ちゃんと聴いてみるといいよねー。特に夜とお酒には」


 そう言ってから目を瞑って曲を聴き入った。


「はい、私はジャズが好きなんです。先ほどのあのお店の曲はとても耳障りで聞くに耐えなかったので、こうしてジャズを聴いて忘れようと思いまして。ジョン・コルトレーンという御方の曲です。素晴らしいですよね」


 前髪さんはどこか嬉しそうだった。演奏者の名前は聞いた事がなかったが、僕もこれを機に聴いてみようかなと決心するくらいに心地いい。

 3人でこうしてジャズを聴き入っている時間は、何気ない日常の一部のようで、なんだか僕はそこに幸せを感じてしまう。現実では危機が迫っているというのに、今はいいやと思えてしまうくらいに。


 正直言うと僕は不安だったんだ。口には出せないが、怖いんだ。わけのわからない事態に巻き込まれ、慣れない格闘をして、自分を奮い立たせて頑張っていたが、この先もまだ戦いが続くと思うと不安がまた蓄積していく心地だった。

 でも、こうしてこの部屋で3人でいるとどうでもよくなる。いや、現実の状況がどうでもいいわけではなく、自分が抱えてる不安や恐怖はとても些細な事だと思えた。

 この2人が僕の背中を押してくれて、僕の心を安らいでくれている。それだけで、何でもできる気がしてしまうんだ。


「姉さん、寝ちゃだめだよ? 風邪ひくよ?」


 姉は横になって目を閉じているせいで、寝ているのか起きているのかわからない。


「そーくーん、幽霊は寝ないし、風邪もひかないんだよ? 便利だろー?」


 ちゃんと起きていたようだ。そうか、言われてみれば睡眠も必要ないし、病気になることもないのか。しかし、それが便利かどうかは判別できないな。

 そもそも、思い返せば姉は生前も病気はおろか、風邪を引いた事すらなかったな。常に健康状態を維持していた。逆に僕は小学生くらいまでは病弱で、姉がよく看病してくれたものだ。


「あのクラブ、いったいどうなってるんだろ? あんな非情な殺人が日常的に行われてるのかな?」


 姉の意見が聞いてみたくて口に出してみた。


「あぁ、そうだ。常連になった客にドラッグを売りさばいて、その客が支払えなくなると、ああやって薬の売人にしたり、用済みと判断したら躊躇ちゅうちょなく殺す。いかれてるだろ? こんなシステムが世界の到るところに存在するんだ」


 姉は目を開き、天井を見つめている。あんな奴ら狂ってる。どうせ初めから殺すつもりでドラッグを売っているに違いない。

 薬に手を出す人間も許せないが、さらにそれを悪用しているやつらを放置してはおけない。こんなことがまかり通っている世の中なんておかしい。


「僕らは最後警官に襲われたんだ。あのクラブは警察が黙認していたの?」


「そういうことになる。けど、あの警官2人は偽物だ。偽造した警察手帳も持ってる。ああやって夜の街を巡回して、逃げた客を探したり、新しい客になりそうなやつを探してる。今回はたまたま、あそこのオーナーが連絡して手を回したみたいだね」


 僕の予想では二択のどちらかと思っていたが、その両方だったわけだ。


「じゃあ、これから戦う敵って、すごく危険な相手なのかな?」


 少し不安が再発してしまった。僕は自分が思っている以上に、大きな事件に首を突っ込んでしまっているのだろうか。


「あぁ、なんたって世界の敵だからな。それでも、そーくんは既に勝てる要素をいくつも持っている。ドドくんが味方についてくれたのは本当に幸運と言っていい」


 姉は少し微笑みながら答えた。


「そーくん、この先には想像を越える敵が待ってるかもしれない。でも、どんな巨大で巨悪な奴が相手だろうと君は絶対に負けない。絶対に勝つ。あたしは断言するよ。だから絶対に諦めないで」


 姉の言葉はこの世の何よりも強く感じた。絶対的な権力や、社会に潜む理不尽な制度よりも勝る、不思議な力を秘めた言葉だった。

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