23.覚醒

 そうだ。思い返せば、あの時、明らかに様子のおかしかったショーコの異常事態にもっと危機感を持っていれば。彼女が自分にしてくれたように、夜眠るときも傍を離れないでいてあげることが出来たなら、このような結果は避けられたのではないか。


 自分は、大切な親友に何もしてあげられなかった。行動を起こすのが遅すぎた。もう少し早く、ショーコに目を付けたエドワード・モーリスの存在に気が付いていれば、今目の前にある悲劇を回避することが出来たのではないか。


 アシュレイは押し寄せる自責の念に胸を引き裂かれる思いだった。肉体に受けるどんな痛みよりも痛い。後悔という刃が、何度も何度も、彼女の胸を貫くようだ。


「私はなんて馬鹿なんだ……! 私は……支えてくれたショーコちゃんの異変に気が付けないで――こんな、こんなことって……!」


 アシュレイは、血の涙を流さん勢いで闇に沈んだ天へ向かって咆哮すると、変わり果てたショーコにふらふらと近寄ろうとした。


「ショーコちゃん、ショーコちゃん! ごめんなさい、ごめんなさい……!」


「行くな、アシュレイ!」


 アルカードは彼女の肩を引いて、吸血鬼たちから距離を取らせた。瞳から滑り落ちた大粒の涙が乾いた砂の上をこの上ない暗黒に染め上げる。


「離して、どうか離してくださアルカードさん! 私はどうなっても構わない! ショーコちゃんを早くこっちに……!」


「だめだ、危ない。今行ったら殺されるぞ!」


「いい! 殺されたって構いません。今わの際にあいつの首を掻き切ってやる! 心臓を貫いてやる! 私の命を懸けてできることはそれだけです!」


 アシュレイは物凄い力でアルカードの制止を振り切ろうとした。剥き出しにした歯をガチガチと鳴らし、感情の昂りに伴って開いた瞳孔が、にやにやと薄ら寒い笑みを浮かべるエドワードを捉えて離さない。


「この野郎……」

 レオンは引き金にかける指に力を込めた。


「やめなよ、レオン・シェダール。彼女らを殺したいのか」

 エドワードは軽蔑したように言った。


「なに……」


「ここにいる彼女たちは俺の忠実な眷属なのさ。俺を守るためなら、躊躇いなくその命をなげうってくれる。アシュレイの目の前でこの子たちを殺す覚悟があるなら、その引き金を引くがいい」


 その言葉に従うように、ショーコたち三人の少女は前へ歩み出、エドワードを守る形で吸血鬼ハンターの構える銃口の前に立ちはだかった。恐怖の表情などはおくびにも出さない。真っ黒な銃口の奥から今にも銀の弾丸が発射されるというその瞬間さえも、ショーコたちの顔に恐れの色が浮かぶことはないのだろうと思わせた。


「やめて、ショーコちゃん! やめて、お願いだから!」


 レオンが悔しそうに唇を噛みしめて銃を下ろすと、その後ろでアルカードに抑えられたアシュレイが、獣のような唸り声をあげて、今にもエドワードに突撃せん勢いである。


「許さない……許さないからな、エドワード! お前だけは、絶対に許さない!」


 そう言った彼女の言葉には、目に見えない呪いが込められているようだった。許さないという言葉に、幽鬼のようなおどろおどろしい気配がまとわりつく。


 その時だ。涙の滲んだ灰色の瞳に、激しく燃え滾る怒気が揺らめく。それは、炎のように――否、透明な水に溶けゆく瞬間の血液のように、赤かった。


 あつい。目の奥が、頭の芯が、腹の底が――……アシュレイは、全身を駆け抜ける耐え難き熱い衝動に身を焼かれる思いだった。込み上げてくる怒りを押し留めることなど出来ず、彼女の腹の底で、憎しみの形を成したが、目に見える姿となり、アシュレイの身体に変化をもたらした。それは、彼女の切なる慟哭を合図に、外へと解き放たれた。


「返せ、返せ、返せ……返せよ! 私の大事な友達を返せ!」


 彼女の華奢な肩が、ぐぐ、と、しなるように固くなった。


「……アシュレイ?」


 アルカードは目の前で起こり始めた変化に目を丸くする。

 ただごとでない気配を感じたレオンも思わず彼女を振り返り、はっと息を呑む。

 それはエドワードも同じだったようで、いぶかし気に目を細めてアシュレイの方を見ている。


「……アシュレイ、君は――」


 なんということだ。レオンは己が目を疑わずにはいられなかった。


 周囲の空気がやにわに変化するや否や、アシュレイの滑らかな頬を、真っ白な毛並みが包み込んだ。頭髪までもが雪のような白に染まり、髪の中から犬の耳のようなものが出現する。細い首を、怒りに震えた小さな手を――服の中に隠れた背中を、胸を、脚を、美しい白い毛並みが徐々に覆ってゆくではないか。さわさわと逆立った毛の一筋一筋に、天から降り注ぐ銀の粒子が散り、息を呑むほどに洗練された優美さを描く。


 刃色の瞳の中には、地平線の彼方へと沈みゆく夕焼けを彷彿とさせる赤が混ざった。まるで、彼女の胸の底で爆発した怒りの炎のように、赤く、激しく燃えている。


 輪郭が変わる。口が耳元まで裂け、顎の形が人間のそれではなくなると、つん、と前に出た鼻の下、深い息を吐くように開かれた唇の奥には、肉を噛み切るために尖ったいくつもの牙と、沸騰した血のように赤い舌が見え隠れしている。


 それだけではない。服の袖から伸びた手も、元の大きさより一回り程も大きくなる。短く切り揃えられていた爪は四センチほど伸び、牙同様、ゾッとするような鋭利なものに変わった。


 そこには、少女アシュレイ・クレスウェルの面影など存在しなかった。

 アルカードの目に映るのは、まさしく、人の形をした獣である。


「そうか……やはりだ! アシュレイ、お前は――!」


 アルカードの中にあった朧気だった認識は、真実を目撃したことによって確信へと変貌を遂げた。


「お前、世にも珍しい狼女ウルフガールの血を引いているのか!」

「なんだって!? お前、いつから気が付いていやがった!」


 アルカードの言葉に度肝を抜かれた様子のレオンは、思わず素っ頓狂な声を上げて言った。


「ショーコ・Aの部屋でな。あの部屋には、吸血鬼おれダンピールおまえなら嗅ぎ分けられるだけの残り香があったけど、人間の嗅覚では、あの微かな香りは感じなかったはずだ。だけどアシュレイは違った。鼻が良い、なんて上手い言葉で隠していたが、この姿を見ておれは確信したぞ」


 ウルフガール。

 所謂、獣人。

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