第5話 一夜の過ちとかき氷


 「本当にいいのか?」

 「はい。先輩となら、覚悟できてますから」

 「……お前、初めてだろ?」

 「はい……」

 「怖くないのか?」

 「なんでそんなこと聞くんですか?」

 「いや、その……」

 「怖くないわけ、ないじゃないですか」

 小石川は涙目で答えた。

 「そうだな。悪かった」

 「でも、信じてますから」

 「え?」

 「先輩のこと、信じてますから」

 「……そんなに信じられると困るんだけどな」

 「先輩とじゃなきゃ、こんな恥ずかしいことできるわけないじゃないですか」

 「……ま、誰もが通る道、だしな」

 「……覚悟できました。お願いします」

 「よしっいくぞ……!!」

 「あっ」

 「なんだよ」

 「……ちょっと、やっぱり、まだ、怖い、かもです」

 「ここまできて、何言ってんだ。もう、やるしかないだろ」

 「え、ちょっ、先輩、強引じゃ」

 「いいんだよ、こういうのは、結構勢いでなんとかなっちゃうもんだから」

 「だめっ。いやっ。だめ!」

 小石川の腕を強引につかみ、俺は中に入る。

 取引先の会社の中に……。

 

 取引先に謝るのは、本当につらい仕事だ。

 特に、新人の時は、俺もこの仕事が一番つらかった。

 相手がただ単に言いがかりをつけている時なら、まだ、内心は「クソ野郎が」などと思いながらも何も考えず平謝りすることができる。

 しかし、自分たちが悪い時は、失敗の原因、対応策、謝罪、これらのことを全て説明しつつ、申し訳ない気持ちを精一杯相手に伝えなければいけないので、ただただ気が重い。

 今回は、小石川の担当していた会社から、発注した商品に一桁違う額を請求されていると連絡があり発覚した。結論としては、小石川のミスなのだが、それをチェックする人間が誰も彼も、そのことをスルーしたのもよくなかった。

 まあ、つまり俺も悪いのだ。

 そういうわけで、謝罪に来たのはいいが、先方の会社の前で「私、怖いです」という小石川を励まし疲れて、逆に本番の謝罪では、俺は気が抜けてしまった。

 小石川は、最初はうじうじとしていたわりに、本番になると、練習どおりに、しっかりと謝罪の言葉を伝えた。

 先方も小石川のような女性から真摯に謝られれば、何も言えないといったかたちで、穏便にことはすんだ。

 

 帰り道は、行きと同様のうだるような蒸し暑さだったが、重責を終えた解放感のほうが大きかった。

 「はあっ。超緊張したー」

 「初めてにしちゃ、よくできてたよ」

 「ほんとですか?やった。なんかおごってください」

 「いや、おまっ。もとはと言えば、お前のミスだからな?」

 「えーっ。先輩だって、私のミスに気が付かなかったじゃないですか」

 「たしかに。いや、たしかにだけど。だから、こうやって一緒に来てやってるんだろ」

 「へっへー。怒られ仲間ですね私たち」

 「すんなすんな、そんな仲間に。ったく、すっかり元気になりやがって」

 「……先輩」

 「なに?」

 「聞きたいことがあるんですけど」

 「なんだよ、なんでも言っていいぞ?」

 「……ちょっと、恥ずかしいな」

 「いいから言えっての。『聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥』ってことわざも……」

 「聞く?聞かぬ?一生??何言ってんですか?」

 「ごめん、悪かった。続けて」

 小石川は突然立ち止まり、「あの後、私でエッチなこととか考えましたか?」と俺の耳元でささやく。

 「はあ?つうか、耳元でささやくなって!」

 「……どうなんですか?」

 「どうって……」

 「考えてないんですか?」

 「あの後、」それは、当然、あの「ラブホテル」の一件のことだろう。

 俺達は、あの日、朝方、一緒にラブホテルを出た。

 小石川が眠るまで一緒にいる、という話だったが、問題が起きたのだ。

 それは、当然、俺が小石川を襲ったとか、そんな話ではない。

 俺の方が、小石川より先に寝てしまったのだ。

 あまりの疲労と緊張からの解放から、小石川がシャワーを浴びた後、出てきたときには、俺は熟睡していたらしい。

 小石川に「先輩、朝です」と起こされて、初めて俺はそのことを知った。

 結果として、俺たちは、朝、一緒にホテルを出ることになったのだ。

 それから別れた後、あの日の諸々を思い出さないと言ったらウソになる。

 それこそ、リアル『やれたかも委員会』案件なのだ。

 「やれたかもしれない夜は人生の宝です」って、佐藤二郎も言ってたし。

 しかし、「男ってそういう生き物じゃん!」と、熱弁したら、引かれるだろう。

 「……そりゃな、あんなことがあったんだから、ちょっとくらいはな」

 これくらいが、俺の限界である。

 「……ちょっとですか?」

 「あーあー、考えたよ。考えた。悪いかよ!」

 ばつが悪くて、ちょっと、逆ギレしてみた。

 「悪くないですよ。朝まで一緒に過ごした仲間でもありますしね、私たち」

 「ちょっ。やめろ。本当に、それは、やめてください」

 「大丈夫です。私は、先輩に襲われませんでした。そのことを私は法廷で証言したいと思います」

 「なんで、法廷に行った?どういう状況!?訴えられるのか俺は!?」

 「エロエロセクハラ先輩に無理やりホテルに連れていかれて、恥ずかしいところを見られちゃって……って泣いたらいいですか?」

 「よくねえよ。それが、一番よくねえよ。事実を織り交ぜるのやめよう?ね?」

 「へへ。先輩って、なんか、かわいいですね。先に寝ちゃうし」

 「お前が言うなっての。……まあ、先に寝たのは悪かったよ」

 「これが、一夜の過ちってやつですか?」

 「……ちげえよ!してないから。過ち!!頼むから日本語覚えてくれ」

 「あ、かき氷」

 小石川の指さす先に、おしゃれなかき氷屋があった。

 この暑さに、行列ができている。女子ってホントああいう(インスタにアップして喜べそうな)もの好きだよねって言ったら怒られそうだからやめた。

 「話、ぜんぜん聞いてねーのな、お前」

 「おごってください。あれで許してあげますから」

 「何をだよ?」

 「何がでしょう?ほっぺたのこととか」

 「……!あれは、お前が勝手に!!」

 と、思わず、右頬をおさえてしまう。

 というか、あんなことされたから、思い出しちゃうんだろ!

 「あ、流れ星」

 適当に空を指さす小石川。

 青空とかんかんでりの太陽以外に何が見えるというのか。

 「見ねえよ!ひっかからねえよ!」

 「やっぱり、かわいい(笑)」

 30代なのに、10代にからかわれる中年。

 『からわかれ上手の三寿さん』というタイトルで漫画にしたら売れるのだろうか。売れねえよ……。


 その後、小石川と食べた特盛かき氷に入っていたイチゴはやたらに甘かった。

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