十四.蒼竜の呪詛


 重傷のわりに早い目覚めだ。心配が高じて気絶してもいられない、といったところだろうか。

 親友の瞳が思っていたほどには生気を失っておらず、ユーキは内心で安堵する。


「……おはよう、スオウ」

「なに呑気に言ってンだ、オマエは」


 他に思いつかず、つい口をついた挨拶を聞いて、険しかったスオウの視線が一気にゆるむ。

 ざざざ、と地面を擦るような音につられて目を向ければ、いつの間にやら彼の身体は人のナリに戻っていた。ようやく両足を解放されたウヴァスがスオウから距離を取るように、腰をついたまま後退する。

 スオウは黙って彼を睨み、そして白蛇の神獣を見た。


「びゃくや、だろ?」


 ぴん、と張り詰める不思議な静寂。

 風が通り過ぎ、草の葉を揺らしてかすかな音を立てる。


あかつきの女神の使い。闇夜に道を示す、導きの灯籠とうろう。――生きてたのか」


 金の瞳が瞬いてスオウを見た。思慮深げに二、三度瞬き、白蛇はこたえた。


『知らぬ、おぼえていない』


 虚をつかれたようにスオウは沈黙し、そうか、と呟いて笑う。笑っているのにどこか泣いているような顔に見えて、ユーキは胸の内がしめつけられる気がした。


 びゃくや――〝白夜〟というのが、白蛇の本当の名前だろうか。

 彼がその名を記憶から失っていたのか、憶えていて黙っていたのかはどちらでも良かった。ただ、この重苦しい空気がひどく辛い。


 斜陽を受けて色を失いつつある森の片隅で、遺体が一つ、毒をまき散らす炎が一つ。みなひどく傷つき血を流し、無事なのは自分だけだ。

 ここにあるのは闘いの勝敗ではなく、急いで手当てすべき怪我人たちだけだ。


「あァ、火。消さねェと」


 はたと思いだしたようにスオウが呟き、立ちあがる。

 ふらつく足取りで焚火の側まで行き、鎮火のためにか冷たい霧を発生させる所作の一部始終を、ユーキはなんだかぼんやりと眺めていた。


 ユーキの隣で、ウヴァスが音も立てずに自分のすねに手を伸ばした。気配を察してスオウが振り向くより早く、彼の手が動く。

 ざ、と肉を裂く音。

 顔の横にかざしたスオウの左手に、ダガーが一本突き刺さっていた。異色の双眸は険しく細められてはいたが、怒りや憤りといった激しさはもう宿っていない。


 思わずとがめだてしそうになったユーキは、わずかに早くウヴァスの口から発せられた台詞に驚いて、言いかけの言葉を飲み込んだ。


緋尖ひせんは、双珠そうじゅを賜った」


 そう、歌でも詠むように彼は呟いた。

 スオウは無言でダガーを引き抜き、放り捨てる。瞳はじっとウヴァスを見ていて、次の言葉を待っているようだ。


「地上の太陽・豊穣ほうじょう朱雀すざく。森の大河・豊潤ほうじゅん蒼竜そうりゅう。神なき世にありて神の恩寵おんちょうを望む者は、緋尖ひせんの地に集え――と。……あんた、緋尖の双珠の片割れの、蒼竜なんだろ?」

「そんな古い歌を良く知ってンな。それは朱雀が掲げた、緋尖の建国是だ。国が滅びた今は何の意味も持たねェ、ただの神話だ」


 自分の衣服を裂いて腕の傷に巻きつけながら、スオウはまるで他人ごとのように答えた。瞳を動かし、黙り込んでいるウヴァスを見ながら低い声で言葉を加える。


「緋尖が賜ったついなる宝珠はもうない。一つは人がその手で砕き、もう一つは在るべき姿を失った。双珠は対でなければ祝福をさず、片方のみであれば転じて呪いに成り代わろう。大地を引き裂き雲を歪め、災禍さいかをこの地へもたらそう。――緋尖が滅びた際に、蒼竜が残したを。オマエも、信じてるのか」


 自嘲のように口角を引きあげ尋ねたスオウに、ウヴァスは無言のまま否定の意味で首を振った。

 ふらりと立ちあがり、投げ捨てられた小剣と弓を拾い、背を向けて、足を引きずりつつも歩きだす。


 誰も引き止めなかった。

 スオウも白夜も、彼の後ろ姿に何も言わず何もしないのは、それでいいと判断したからなのだろう。だからユーキも引き止めなかった。


 彼が仕事に失敗し失ったモノを埋め合わせる何かを、ユーキは持っていない。負った傷を完全に癒すことも、日々の糧を得るため新たな仕事を探すことも、自分の力が及ぶ領分ではない。

 同情のみでは動かしえない現実にどう向き合っていくのかは、彼自身が決めるしかないことなのだから。


 スオウの呼び寄せた白い霧が、炎を包み、薪を湿らせ、静かに煙を飲み込んでゆく。次第に冷えゆく森の空気を感じながら、ユーキは眠ったままのカナイを抱きあげた。


 霧に呼ばれたかのように濁った空から、ぽつ、ぽつと雨が降りはじめた。



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