八.悪意のカタチ


 原生の森は、悪意を持った侵入者に敏感だ。

 梢をざわざわ騒がせて過ぎゆく風や、耳につく警戒音で鳴き交わすカラス、さえずりを止めた小鳥と、姿を見せない獣たち。翼の付け根にぞくりと悪寒を感じつつ、白夜びゃくやは天窓から外の様子をうかがい見た。


 彼らが欲しているのは間違いなく自分の命だが、それは迷惑な要求だ。

 しかし自分が逃げ隠れたために別の何か、あるいは誰かに害がもたらされるのだとしたら、それもまた不本意だ。


(奪われるも庇護ひごされるも私の命など、双方ともあたう価値はなかろうに)


 視界内に火をつけた者の姿は見えないが、木々の間から立ちのぼる煙が見える。火のない場所に煙が立つはずもないので、追っ手がいるのはその辺りだろう。


 殺されるのは、本意でない。

 だが、人間たちにとっての境界線である国境を越えてまで、追って来た彼らのことだ。そう簡単にあきらめてもくれないだろう。


 天窓を頭の先でこじ開け隙間から外へと這いだすと、まといつくような煙の臭いを全身に感じた。不快さをあおる悪臭に、ゾクゾクとした嫌悪感がますます強くなる。

 これは、敵意をカタチにしたものだ。

 出てこなければ属する者を滅ぼしてやるという、脅しをともなう悪意だ。


(行くしかないのか)


 殺されるのがわかっていて行くのは気が進まないが、脅しの意図に気づいていながら知らぬフリを決め込むことも、白夜にはできなかった。人であればきっと朝からため息を吐きすぎて、酸欠になっているに違いない。

 こんなにあからさまな罠に乗るなど、愚かしいことだ。

 彼らの意図通り動いたからといって、なにかを守れる確証もないのに。

 それでも、希望してしまうのだ。


(私の命を差しだして済むのなら、簡単なのだが)


 自分自身の命に対し白夜は、足掻あがくほどの執着がない。

 死はあたりまえの摂理であり、だれの元にもいつかは訪れるもので避けることはできない。殺されなければならないのなら、それも運命なのだろうと受け入れる。

 ずっとそうやって世界や人と向き合い、生きてきたのだ。


 ――それでも、あの瞬間。

 自分は確かにと願ってしまったのだろう。

 全身の自由を奪われ、魔力を封じられ、望みを絶たれて。それでもあきらめきれなかった理由を、白夜は良くおぼえていなかった。


(初めからあきらめていれば、巻き込むこともなかったのだろうな)


 そう思ったとして、今さらである。時間は過去へは流れない。自分が災いを招いてしまったのなら、自分で決着をつけるしかない。

 痛む翼をゆっくりと動かし飛行を試してみたが、まだ上手くバランスが取れなかった。情けなさにまたもため息をつきながら、白夜は屋根から雨樋あまどいを伝い、滑り落ちないようゆっくり下へと移動する。

 なんとか地面にたどり着くと、バランスを取るため広げていた翼は畳む。侵入者の元へ向かうにしても、わざわざ目立つ理由はない。


 丈の高い草の間を音もなく這い、時間をかけてたどり着いた先に白夜が見たのは、不快臭を放つ煙を立ちのぼらせている二人の人間だった。

 ひとりは以前に自分の翼を砕いた〝神殺し〟の騎士だろう。もうひとりは見覚えのない若い男で、離れて見ている白夜にも伝わるほど感情が波立っている。


 前のときに自分を追い詰めたのも二人連れだったが、顔触れが違っていた。察するに、先のもう一人は呪いを恐れて戦線離脱といったところか。

 心の動揺が激しい新顔はただの雇われ者だろうけど、油断はできない。

 怯えがあるのなら心話で脅かせば逃げてくれないだろうかとも思ったが、雇い主である騎士にはもう知られているので、こちらの存在を気づかせてしまうだけのように思う。


 いろいろ考えたものの、体力も魔力も記憶も回復していない自分に打つ手はなさそうだ。

 向こうはまだこちらに気づいていないようで、若い男のほうは疲れた様子で構えていた弓矢を下ろし、騎士の方を睨みつけている。


「……ホントに来るのか? ずっとこんなことしてたら神経が参っちまう」

「黙っておれ。奴は人語を聞き分けるんだ」


 騎士の男がたしなめるが、時すでに遅し。確かに、見えない獲物を狙い続けるのは心理的負担が大きそうだ。まして恐れに気持ちを乱されていれば、なおさらだろう。

 もしかして持久戦に持ち込めれば、勝ち筋もあるだろうか。

 若い傭兵は口の中で不満を噛み潰したようで、再び短弓を構え直した。


「それだけ頭のイイ奴なら、罠だって気づいてとっくに逃げてるんじゃね?」


 遠慮のない物言いは不安と恐怖ゆえか、若者らしさか。騎士は眉をわずかに動かしただけで返答せず、代わりに足元の荷物から小袋を取りだして火の中に放り込む。

 火の粉が散って、煙に別の臭いが混じる。途端、白夜の傷ついた翼に痛みが走った。


 森を殺す気か。


 そう言葉を発しそうになって、ぎりぎり思い止まる。

 怪訝そうな顔で騎士を見ていた若い男もさすがに、奇妙な臭いに顔をしかめた。


 このひりつくような痛みの元凶は、毒を含んだ死の粉だ。微量であれば人体に深刻な影響を及ぼすようなことはないが、感覚の鋭い獣や鳥に対してなら、この量でも致死的な害をもたらしかねない。

 出て来いと言っているのだろう。

 さもなくば、森の小さくか弱き命から滅していく、と。


 人が人の間で定められた国境を越え森を焼くなど、普通であればありえない。まして、毒を撒くなどそれ以上だ。もしかしたら傭兵だけでなくあの騎士も、使えている国家に切り捨てられた人間なのかもしれない。

 そうまでして自分を殺さねばならない理由があるのか、いくら考えてもわからない。

 彼らに聞けば、答えてもらえるのだろうか。


 無駄だろうな――自嘲的な気分で思い、白夜は意を決した。

 自分がこの森へ逃れてきたことで彼らを呼び寄せてしまったのなら、自分には終わらせる義務がある。


 ――と。その決意は恐らく数秒、出遅れた。


 ひゅ、と勢い良く風を切る音を耳にした白夜は、目に見える脅威に気を取られすぎて音を拾うのを忘れていたことに、気がついたのだった。



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