いざ、決戦へ!

 顔合わせの日が訪れた。

 天気は予報通り1週間連日の快晴で、この街では過去最高の真夏日になった。

 熱中症の警報も出ているなかで、それでもなお、白鷺運動公園には多くの人が集まっている。

 首に濡れたタオルを巻いたり、日傘を差す人もちらほらいるが、それにしても例年よりごった返している気がしてならない。

 やはり祭りの影響なのか。

 それとも、いつの日か千冬さんが言った、夏の魔法とやらの仕業なのか。


 どちらにしろ、こんなに人が多いと、


「……暑ぅ……」


 とにかく湿度の高さがヤバい。

 いくら街の中で一番広い敷地といえども、埋め尽くすぐらい来られては、まさに蒸し風呂と変わらなかった。

 事前に自販機で買っておいたスポーツドリンクも、すっかりぬるくなっている。

 噴水広場で待ち合わせてはいるが、人混みの圧といったら凄まじい。

 隙間を縫うことすら一苦労で、この波を千冬さんが、今ごろ一生懸命に乗り越えて来てくれるのだ──なんて思うと。

 一瞬健気に思ったが、すぐに申し訳なさと不安のほうが勝るのであった。


 時刻が午後1時半を過ぎる。

 昨夜のやり取りでは、大体今ぐらいの時間に来てくれるとのことで。

 僕はスポーツドリンクを飲み干すと、つま先立ちして辺りを見渡し始めた。

 そうして僕は、予想通り隙間を縫って来た彼女を見つけると、


「……千冬さーん!」


 軽く飛び跳ね、左手を頭の上でコンパクトに振った。

 僕の声に気づいてくれたのだろう、千冬さんもまた笑顔で手を振り、にこっと微笑みかけてくる。


「夏貴くーん! きゃっ……」

「今そっち行きますから、待っててくださいっ」


 千冬さんはどうやら、ヒールサンダルを履いているようだった。

 やたらと足元を気にして、ぐらぐらと揺れながら歩いている。

 素足を踏まれる前に急がなければ──少し強引に割って入ったりして、どうにか千冬さんと合流した。

 はぐれないように手を繋ぎ、すぐに人混みの外を指差す。


「一旦出ましょうっ」

「は、はいっ!」


 ──ガヤガヤ。ザワザワ。

 喧騒の中でか細い腕を離さず、あまり力を入れ過ぎないよう気をつけながら、引っ張っていく。

 後ろを振り向く余裕はなかった。

 だから千冬さんが痛がってないかどうか、上手く確認できなかった。

 程なくして人混みを抜ける。

 軽く切れた息を整え、ようやく後ろを振り向いた。


「千冬さん、大丈夫ですか?」

「な、何とか……ふぅー」

「ごめんなさい。もっと別の場所を選べばよかったですね」

「いえいえ。手を引かれるというのも、中々新鮮な体験でした。ありがとうございますっ」

「ど、どういたしまして?」


 少し疑問系っぽく答えると、千冬さんはふふっと笑った。

 何だか照れ臭くなって目を伏せる──咄嗟の行動とはいえ、ちょっとキザすぎたかもしれない。

 そんな僕の反省を、千冬さんは見通したように、


「夏貴くん、ちょっとカッコよかったですよ」

「えっ……」

「彼氏っぽくて、すごい素敵でした」


 ストレートに褒めてきた。

 思わず面食らい、心なしか顔が熱くなる。


「その調子ならきっと、ご両親の前でも大丈夫そうですね♪」

「……や、やめてください、千冬さん」


 今から顔合わせだというのに、ふやけた顔などしていられるものか。

 千冬さんの青色の瞳を見つめる。

 そして心の中で何度も深呼吸し、表情を普段通りに努めて戻すと、


「……さぁ、早く行きましょう。僕の実家に案内します」

「はいっ。お願いします♪」


 妙にルンルンとしている千冬さんの右手を引き、我が家のほうへ向かった。


***


 ウチは至って普通の一軒家だ。

 2階建てで屋根瓦、紫蘇色の小型車は小さな駐車スペースに停められていて、玄関は古きよき引き戸で出来ている。

 既に築数十年は経っているらしく、母から、


『老後はこの家を売ったお金で、グアム旅行に行ってみたいわねぇ』


 と、現実的な将来を聞かされたのは印象深い。

 それだけ年季の入った我が家に、これから僕は彼女(偽)を連れ込むのだ。

 僕が小さい頃、一緒に住んでいたという母方の祖父母を思う。

 ──どうか天国で怒りませんように。

 心の中で手を合わせながら、祈りを捧げる。


「……ここが俺の住んでいる家ですね」


 そして、とうとう着いてしまった。

 2階の辺りを仰ぎ見ると、緊張で胸の鼓動が高まっていく。

 千冬さんはわぁっと瞳を輝かせて、「すごい立派なお家ですね!」と、子どものようにはしゃいでいた。

 ──良くも悪くも緊張感が削がれる。

 自然と肩の力が抜けて、強張っていた顔が柔らかくなるのが分かる。


 ここまで来たら、もうやるしかないんだな、と。

 生唾を飲み、男らしく腹を括った。


「じゃあ、インターホン鳴らしますね」

「はいっ。お願いします」


 スイッチが切り替わったらしい、柔和な表情の千冬さんに頷く。

 玄関の前に立ち、ボタンを押して鳴らす。

 さほど時間はかからず、ガラガラガラと引き戸が開いた。

 出迎えてくれたのは、やはり母だった。


「わぁっ‼︎ この子が例の女の子ねぇ……うふふふふっ!」

「母さん」

「なぁによ夏貴ぃー。こんな可愛いの……あ、照れちゃってんのー? このこのーっ」

「母さん」

「……何ぃ」

「彼女の前だからやめて。普通に恥ずい」


 自分でも驚くほどの低い声だった。

 一瞬で詰め寄り、ぼそぼそと呟いてなければ、千冬さんが怯えたかもしれない。

 母はちぇっと拗ねながら、しかしめげずに千冬さんと目を合わせる。

 特に止める理由もなく、2人の立ち話が始まる。


「もう、ごめんなさいねぇ。ウチの息子、案外シャイな子だから」

「ちょっ……」

「はい。知ってます」

「……千冬さん?」

「こら夏貴! 女の子に威嚇するんじゃないの! 全くもう、がめついわねぇ」

「誰がだっ」

「そうですよ夏貴くん。お母さんの言うことは聞かないと♪」

「千冬さん。絶対楽しんでますよね?」


 薄々感じてはいたけれど。

 どうやら2人とも、かなり波長が合うようだった。

 母はまぁいつものことだが、あの穏やかな千冬さんが、まるで悪戯っ子のように振る舞っている。

 その姿がとても珍しくて可愛い、と思う半面。

 母が2人に増えたような錯覚に陥り、つい辟易しかけてしまった。


「千冬ちゃん、よく出来た子ねぇ! 私、千冬ちゃんのこと好きだわぁー」

「私もお母さんのこと、大好きになりましたっ」

「あぁ、こんな良い子が遊びに……ううっ」

「泣かないでよ母さん……」


 まるで僕が日頃、冷たく当たっているように思われるじゃないか。

 隣の千冬さんも何とも言えない表情で、僕のほうを見つめてくる。


 ──誤解です。反抗期じゃないですから、まだ。


 首を横に振り、その意図を伝えるが。

 意地を張ってると思われたのか、千冬さんは温かな目つきを返してきた。

 ダメだ、まるで通じ合っていない……!

 1週間のブランクが途方もなく長く感じた、そのとき。


「──その子が彼女か」


 玄関の奥から声がした。

 少ししゃがれた低調の声。間違いない。

 青いポロシャツにカーキ色のジーンズを履いた父が、ゆっくりと現れる。

 その眼光は妙に鋭かった。

 それこそ、威嚇していると勘違いできるぶんには。


「初めまして。夏貴の父です」

「……初めまして。越藤千冬と申します」


 千冬さんの声が硬くなる。

 さっきまでの和やかな雰囲気は、陽炎のように消えてなくなっていた。

 母のように、いきなりフレンドリー過ぎるのもどうかと思うが。

 父は逆に威圧的過ぎる──初対面の相手に、何ともやり過ぎだ。


 とりあえず、まずは場の空気を変えなければ。

 そう思い、間に割って入ると、


「待って父さん。一旦家に入れてから、ゆっくり話すほうがいいんじゃない?」

「……夏貴」

「ほら、俺たち暑い中歩いてきたからさ。出来れば冷たいお茶で一服しながら、色々話すのが良いと思うんだけど」


 面と向かって提案する。

 つい怯んでしまいそうになるが、いつまでも立ち話というわけにはいくまい。

 父もすぐ理解してくれたようで、


「……入りなさい。麦茶でも淹れてあげよう」


 踵を返し、リビングのほうへと歩いていった。

 はぁーっ、と母がため息をこぼす。

 千冬さんのほうも、ほっとしたように小さく息を漏らす。


「ごめんなさいね。主人、怖そうだろうけど、根はすごく良い人だから」

「何となく分かります。職人みたいな感じですよね」

「そうなの! 良かったわ、理解してくれて」

「いえいえ」


 冷静な対応だった。

 同い年の高校生ということを忘れるぐらいには、大人びて見える。

 いつもは可愛いと思う笑顔も、この時は何だか凛々しく感じた。

 ──大丈夫な気がする。

 ふと、この山場を乗り越えるための勇気が湧いてくる。


 母に招かれ、ようやく家の中に入ろうかというとき。

 千冬さんと目が合い、ほんの数秒見つめ合う。

 蒼色の瞳はいつになく澄んでいた。

 そして緊張の中で、千冬さんは穏やかな微笑を浮かべたかと思うと、


「お邪魔します」

「はいどうぞー!」


 すぐにスイッチを切り替え、父が向かったリビングへと歩いていった。

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