顔合わせ決定⁉︎

 元々『レンタル彼女』を利用したのは、何のためだっただろう、と振り返る。

 性欲を満たすためか。学生らしい青春の思い出を作るためか。

 どちらも違う。

 いないはずの彼女を『いる』と言った、僕の嘘をごまかすために使ったのだ。


 そのために、僕は何度も彼女──越藤千冬さんに会って。

 打ち合わせやデートを何回も重ねて。

 その結果、僕は7月28日の山場を、どうにか乗り越えることが出来た。

 そして最後には千冬さんに、ささやかな贈り物を渡せたのだ。


 これでもう、強制的に千冬さんを呼ぶ理由もなくなり。

 お財布の中身的にも、会う回数は減っていってしまうのかなぁ、なんて。

 僕は寂しく思っていた。


 この一時の平穏が、突然終わることも知らずに。


***


 インドア派な僕は、友人に誘われて外出することはあれど、自発的に自室を出ることはない。

 スマホを触っているか、勉強に勤しむか──基本的に選択肢はこの2つだけだ。

 積極的に汗を流す性分でもない。流行を追って自撮りしに行くミーハーは苦手だ。そういう意味ではこの間のチャラ男は、まさに苦手なタイプの人間だと言える。

 もっとも、チャラ男には彼なりの良さがあるから、親しくしているのだが。

 ともあれ僕は、決してアクティブな若者ではないのだ。


 そんな僕が、なぜ平日の真っ昼間に、白鷺運動公園の例のカフェに来ているのか。

 理由はとっても明白で、


「……突然なんですが、千冬さん」

「は、はい」

「また……俺の彼女役を演じてくれませんか」

「……えっ?」


 まだレンタル期間中の千冬さんに、再び嘘のための依頼をするためだった。


 あの日から実に1週間ぶりに呼ばれ、いきなり僕に頭を下げられた千冬さんは、当然心配そうな視線を送ってくる。

 今日はゆったりめのシャツではないから、胸の谷間は覗けないが──今はそんなこと、気にしている状況ではない。

 事は急を要する。

 僕はすぐに、戸惑う千冬さんに打ち明けた。


「実は昨日、この前のチャラ男が遊びに来て、モールでのデートのことを話し始めたんです」

「へ、へぇー」

「初めはよかったんです。誇張した自慢話ばかりで、いつもの癖が始まったなと思って。あまり気に留めていなかったんですけど……」

「けど……?」

「……最悪なことに、僕に彼女がいると、両親に伝えてしまって」

「……あぁー」


 大体のあらましを察する。

 千冬さんが困ったように微笑む。

 僕はただ、ため息をこぼして結果を言った。


「それで両親が、彼女に会いたいって……そういう流れになってしまったんです」


 流れ、とは言ったが。

 実際の空気としては、もう顔合わせは確定のような感じだった。

 母は色恋系の話が大好物のため、超乗り気で顔合わせを熱望し──あの物静かな父すら、


『一度、家に連れてきなさい』


 まるで母をアシストするように呟いて、完全に僕の逃げ道を塞いできた。

 もうその瞬間、僕は悟ったのだ。

 あ、これは千冬さん案件だな──と。


「……あはは。それは災難でしたね」

「うぅっ……すいません」

「いえいえ。話を聞く限り、これは不可抗力ですから。夏貴くんのせいじゃないですよ」

「……そう言ってもらえると、すっごくありがたいです」


 千冬さんの丁寧口調が、相変わらず耳に優しい。

 1週間ぶりというのもあって、何だかヒーリング効果まで感じる。

 昨日、チャラ男の騒ぎ声を至近距離で聞いたため、それが尚更のことだった。

 事態を飲み込むやすぐに、千冬さんも臨戦モードに入る。


「両親との顔合わせは確定事項、なんですよね?」

「そうですね」

「大体いつぐらいなんですか?」

「それが、その……大変申し上げにくいんだけど」

「大丈夫ですよ。最悪レンタル期間外になっても、アフターケア的なもので何とかしますから」


 その力強い気遣いに甘え、僕は告げた。


「……明日」

「えっ?」

「明日のお昼ぐらいに会いたいって。ウチの母がそう言いまして……」


 珍しく千冬さんが驚いた。

 しかし無理もない。僕だって同じ立場なら驚く。

 何せ突如訪れた次の山場は、これまた急なことに明日の昼だというのだから。

 千冬さん側の予定もへったくれもない、あまりに余裕のない申し出だった。


「明日、ですか」

「……どうしても都合が合わないなら、言ってくれればいいよ。僕から親に伝えとくから」

「いえ、別に予定はないのですが……すごい急な日にちに決めましたね?」

「ねっ。聞かされた俺も驚いてますよ、本当に」


 自分の親にとやかく言うのもあれだが、もう少しゆとりのある日程は組めなかったのか、と思う。

 特に父なんて高校の教員なのだから、日頃生徒に指導しているように、自分もスケジュール管理をキッチリとしてほしいものだ。

 面と向かって吐き出さないぶん、心の中で愚痴が止まらない。

 そんな僕の心情を読み取ってか、千冬さんは小さく笑って言った。


「でも、私は全然いいですよ。夏貴くんのお家は一度行ってみたかったですから」

「……えっ」

「これはとても良い機会です。夏貴くんがどんな家で過ごしているのか、考えるだけでワクワクしてきますね♪」

「えぇー……」

「ふふっ」


 かなり現状を楽しんでいた。

 他人事とは思ってないだろうが、あまり悲観的にも捉えていないようだ。

 むしろ言葉通り頰を綻ばせて、顔の周りに向日葵を咲かせるような、眩しい笑顔を浮かべてくる。

 僕はその表情を、困りながら見つめた。


 千冬さんが明るく告げる。


「大丈夫です。ちゃんと夏貴くんの彼女として、恥ずかしくない振る舞いをしますから」

「……千冬さん」

「だから夏貴くんも、堂々としていてください。私の恋人として」


 ふふっ、と千冬さんは微笑んだ。

 僕はドギマギして、つい俯く。

 恋人として──その言葉が脳裏で、何度もリピートされる。

 仮にも彼女にここまで言わせては、男子の僕としては後に引けまい。


 腹を括り、改めて千冬さんのほうを向くと、


「明日はよろしくお願いします」

「はいっ♪」


 互いに微笑み合い、頭を下げた。


***


 カフェを出たとき、大時計の針は午後4時半を指していた。

 入店したのが午後4時ぐらいだったから、さほど長居はしていない。

 僕はもちろん、あのデザート大好きな千冬さんも、夕食までのスパンが短いということで、カフェでは何も頼まなかった。

 故に早く店を出たのも、別に不思議なことではなかった。


 もはや恒例と化した園内一周。

 しかし1週間も会わないと、手繋ぎで歩くことに妙な緊張を覚える。

 ちらっと隣を垣間見た。

 端麗な横顔はやや俯きがちで、頰が若干赤く見える。

 決して太陽の光のせいではないだろう。

 きっと千冬さんも、僕と同じ心情なのだ。


 園内は活気で溢れている。

 ここ最近、雨雲も北風も訪れていないから、絶好の遊び日和ではある。

 それにしても多すぎだろう、というぐらいには。

 普段よりも人が集まって、大いに賑わっていた。


「……今日は人が多いですねぇ」

「そうですね。多分、近々夏祭りがあるから、それで増えてるんじゃないですかねー」

「夏祭り……この間、モールまでの道で見たチラシのやつですか?」

「はい。あの時も言いましたけど、ここの夏祭りは中々の規模で行われますから。街の観光名物としても宣伝されてるんで、意外と他県からも人が来るんですよ」

「へぇー! それはすごいですね!」

「まぁ、人が一気に増えるぶん、課題も出てくるんですけど……賑わうのは間違いないですよね」


 祭りとは元来、騒がしくあるべきだと思う。

 うるさいからこその行事というか、一緒に盛り上がれるというか。

 そういう意味では、人が来てくれること自体、とてもありがたいことである。

 千冬さんも同じ考えのようで、


「いいですねぇ。夏の風物詩、って感じがします」

「ですよねー」


 息を合わせて頷く。

 やはり夏の代名詞は、海と祭りだ。

 四季折々の日本の中でも、これだけは絶対に変わらないだろう。

 改めて僕は、謎の確信を覚えた。


 夜が近づいてきたとはいえ、暑いものは暑いし、汗だって出る。

 僕と千冬さんは休憩所に入り、たまたま空いていたベンチに座った。

 隣でふぅーと息を漏らす千冬さん。

 かいた汗は艶やかにシャツを濡らし、シミを作っている。

 下手したらもう少しで、下着が浮かんできてしまいそうだった。

 それに気づくとドキッとして、即座にハンカチを手渡す。


「汗、拭いたほうがいいですよ」

「あ……ありがとうございます」

「……その、ブラも見えそうなので」

「えっ、あっ──」


 ──かあっ。

 まるで熟したリンゴのように、顔全体がすぐに赤くなった。

 僕はふいっと目を逸らし、


「の、飲み物買ってきますねっ」


 そう言って、早歩きで自販機のほうへ向かった。

 胸の高鳴りがヤバいことになっている。

 ああいうときって、素直に教えてあげたほうが良いのか? ──ダメだ、全く分からない!

 頭の中はパニック寸前だった。

 適当にスポーツドリンクを2本買って、自販機から離れる。


 そして、ベンチへ戻る途中で。

 僕はうっ、と顔を引きつらせた。


「──やっちゃった、やっちゃった、やっちゃったぁぁ……ううーっ……」


 視線の先で、両足をバタバタさせる千冬さん。

 よほど赤面しているのだろう、両手で顔を覆い、ぶんぶんと黒髪をなびかせている。

 それだけならまだ、可愛い! と思えたのだが。


 今日の千冬さんの服装は、袖がピンクフリル状の半袖白シャツに、黒白のチェック柄スカート。

 そう──スカートを履いているのである。

 そんな格好で足をバタバタさせたら、一体何が起こるのか。


 僕は慌てて駆け寄り、千冬さんに言った。


「ち、千冬さんっ。そのえっと、見えてますっ見えてますっ」

「な、何がですかぁっ」

「パン……下着が!」

「ふぇぇっ⁉︎」


 初めて聞いた悲鳴とともに、瞬時にスカートを押さえる。

 今まで赤かった顔がますます濃くなり、ぷるぷると唇が震え出した。

 ──あ、これはヤバいぞ。

 パニック状態ながらに察知し、どうにか宥めようとしたが。


「……ぐすっ……」

「千冬さ……っ!」


 既に向こうのキャパは、羞恥の限界を超えてしまったらしく、


「……見ないでくださぁぁぁぁぁいっ!」


 休憩所に響き渡る叫びとともに。

 僕は周りから、白い目で見られるのであった。

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