ナツフユ〜限りなく精巧な赤い糸〜

生々恋歌

その彼女は、1万円で売られていた。

 若さとは、この上ない特権だ。

 人生でたった一度きりの、通り過ぎたら二度と戻れない、淡く輝く時間。

 その時間の中にいる間、バカをして、どうしようもなく悩み悔やんで──そして。

 狭い世界の全てを彩る、ほんの一瞬のトキメキを楽しむ。

 そんな青春が送れたらと、きっと誰もが願うのだろう。


 高校2年生の夏休み。

 僕はその願いを、1万円を払って手に入れた。


***


 きっかけは友達との会話だった。

 男子高校生の夏の話題といえば、もっぱら女と海と祭りが定番だが。

 その時の会話は確か、一夏の恋がしたい、的な内容だったと思う。

 学校の教室で話していたから、僕はなるべく、下世話なワードを使わないように気をつけていた。

 もっとも友達はガンガン言いまくり、周りの女子を引かせていたのは、鮮明に覚えている──が。

 それ以上に僕の胸を突いたのは、友達の無意識な発言だった。


『そーいえばさぁ。夏貴なつきって顔良いのに、何でか女寄ってこないよなー』

『確かに! 勉強もできるし運動神経も悪くねぇのに、そういう話だけは聞いたことねぇわ』

『告られてもおかしくないのにな』

『女ってホントに分かんないわー』


 彼らはきっと、純粋に不思議だったのだろう。

 そう思わなければ心を保てなかった。

 大体のスペックが人並み以上で、しかし女っ気の一つもない──僕にとってそれは、コンプレックス以外の何物でもなく。

 一旦は笑って誤魔化したが、心の中がズキッと痛んだのは、どうしても誤魔化しきれなかった。


 僕だって彼女は欲しい。

 出来れば可愛くて優しい彼女が良い。

 これからが本番の夏休みだって、男友達とでは行けない場所にも、二人きりで行ってみたい。

 そしてあわよくば、甘い経験もしてみたい──。


 そんな人並みの願いを持っていることを、しかし友人たちは知らずに、


『なぁ夏貴ぃ。今度、海に引っ掛けに行かねぇ?』

『お前の甘いマスクがあれば、絶対女どもイチコロだぜ!』

『ていうか、俺らの顔面じゃ門前払いだもんなー』

『おい言うなってそれー!』

『ギャハハハハハハ!』


 あくまで僕をダシにして、青春を謳歌しようとする。

 彼らが悪いだなんて言わない。

 周りから高く評価してもらえるのは、とても幸せなことだ。

 それでも心の中で、モヤモヤとした感情が渦巻いて、晴れなくて。


『いや俺、そういうのやらねぇぞー?』

『えー、何でだよー? いーじゃん、絶対楽しいぜぇー?』

『そうだよ一緒に行こうぜー、なぁー』

『いやいや、俺そういうの必要ねぇもん』

『何で?』

『彼女欲しくねーの?』


 気がつけば僕は、つい口走ってしまったのだ。


『だって俺、彼女いるし』


 ──その後の騒ぎは言うまでもない。

 相手は誰だの、どこのクラスだの、いつから付き合ってるだの、どっちから告っただのと。

 とにかく質問責めに遭い、辟易とした。

 しかし本当に辟易としたのは、決してそんなことではなく。


「──どうしようかなぁ、ホントに……」


 初めて友達に嘘を吐いたこと。

 具体的に言えば、いない彼女をいると言い張ってしまったことだった。


「……今が20日。約束の日は28日……はぁー」


 家に帰ってラフな格好に着替えたあと、自室で一人ため息を吐く。

 勉強机に突っ伏して、終業式後の昼下がりの青空を見上げる。

 連日の清々しい快晴だった。

 夏本番を迎えようかという暑さと湿度が、セミの音とともに高まっていく。

 しかし僕の心は全く高まらず、逆に憂鬱で仕方なかった。

 その原因は、机に置かれたカレンダーに赤ペンで書き込まれていた。


『7月28日:彼女お披露目の日』


 これを書いたのは僕だが、本当は書かずに忘れてしまいたかった。女っ気一つない僕が、いきなり彼女など作れるわけないのだから。

 こんな約束、守れるわけがない。

 しかし守らなければ、友人たちのナンパ大作戦に付き合う羽目になる。

 まさに八方塞がりで、どうしようもなかった。


「このまま普通に過ごしてもダメだよなぁ……」


 だとすれば、もう僕には普通じゃない手しか残されていない、ということになる。

 普通じゃない手──そんなものが、果たして都合よく存在するのだろうか。

 全く打開策が思いつかない。

 再びため息を吐き、シングルベッドにごろんと寝転ぶ。


「……はぁ」


 ふと僕は、枕元に放り投げていたスマートフォンを手に取った。パスコードを打って起動し、検索エンジンのアプリを開く。

 自分一人では思いつかない妙案。

 インターネットになら、転がっているかもしれない。

 藁をも縋る思いで、『彼女 作る方法 最短』で検索する。

 そして僕は、何千万件もの結果の中で、あるサイト名に目を惹かれた。


「『レンタル少女』……?」


 何とも怪しげな響きではある。

 少なくとも堅気なサイトではなさそうだ。

 普段の僕だったらタップすることなく、さっさと下にスクロールしていただろうが。


「……ちょっとだけ、入るだけなら……」


 夏休みの開放感。

 加えて若気の至りもあって、恐る恐るサイト名をタップした。

 瞬間、新しいページが映し出される。

 案の定ピンク系のサイトだったようで、ヘッダーには豊満な胸の写真が載せられていた。

 トップページには大量の女性の顔写真が縦に並べられていて、どれも美人めな女性ばかりが揃っている。

 下から上へと流れる、異様な数のハートマークに気圧されながら、スクロールしていく。


「……うわぁ」


 こういうサイトを見るのは初めてだった。

 世の中年おじさんは、こんな所で女性を買っているのだろうか。

 内心、少しだけ引く。

 しかしすぐに、自分も同じ穴の狢だということに気づき、苦笑する。


「レンタル料は1日1万円……高いなぁ。でも、女の子と直にチャットできるのは良いかも」


 連絡が取り合えれば、彼女役としてどう振る舞うかのプランを、一緒に組み立てやすくなる。

 そうなれば自然、友達の前でボロを出すこともなくなるはずだ。

 少しネックなのは、サイトに個人情報を登録しなければならないこと。

 それと、1万円というレンタル料の高さ。

 気になるのは、この2点ぐらいか。


「うーん……」


 僕は迷った。

 こういうサイトは大抵、ロクでもない人たちが絡んでいると聞く。

 登録するのはニックネームと性別、携帯の電話番号だけとはいえ──安易に情報を公開することに、やはり一抹の不安は覚えた。

 それでも、


「……他のサイトは、もっと危険だろうしなー」


 詳しい個人情報を教えなくてもいい、という謎の安心感。

 スマホ一本だけで犠牲が済むなら、さほど迷惑はかからないだろう、という軽い算段。

 それら2つの理由で、僕の行動に正当性をつけるには十分に事足りた。

 何より今の僕には、手段を選ぶ余裕はない。


 無料登録のボタンを押し、登録フォームに移行する。ニックネームと性別、操作中のスマホの電話番号を入力し、登録を終える。

 直後、特にメールや電話は来なかった。

 これから来るのかもしれないが、まぁ今は置いといておこう。


「さて、と」


 トップページに戻ると、女性のリストを物色し始めた。

『レンタル少女』と謳ってはいるが、その実映し出されているのは、明らかに年上だと分かる女性ばかりで、少女はほとんどいない。

 たまに幼めの顔が目に止まるが、それも大体ロリ寄りのお姉様──年上だ。

 これは騙されたかなぁと、ガッカリし、後悔しそうになる。

 果たして何回スクロールしたのか、もう分からなくなった──その時。


「おっ……」


 未レンタルのタグが付いた写真。

 古き良きブラウスとスカートがよく似合う、清楚系黒髪セミショートの、今どき風の女の子。

 大人の女性ではどうしても拭えない違和感が、写真からは全く感じられない。

 本物の女子高生──少女がまさに、そこにいた。


 気づけば僕は、彼女をレンタルしていた。

 1万円のコストとか、写真詐欺の可能性とか、そんな事は一切考えなかった。

 すぐにショートメッセージが来る。

 明日の正午に会いましょう、という簡潔な一文だけだった。

 トップページの彼女の写真には、レンタル中のタグが付いている。

 それを見てようやく、僕は女の子を買ったのだと実感した。


「……やっちゃったぁ……やっちゃったぁ……」


 ぶつぶつ呟く僕の頰は、しかしだらしなく緩み切っていた。

 ベッドの上をごろごろし、悶える。

 ショートメッセージのアプリを開き、じっとその一文を見つめる。


『明日の正午に会いましょう』


 何てことのない約束。

 しかし僕の心は、やってはいけないことをした背徳感と、これから訪れるであろうスリルに酔いしれていた。


 こうして僕の夏休みは始まった。

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