六、サウィンの夜

 霧に包まれた木立の上に、ぼんやりと月が昇る。

 深い森の闇の中、古木に囲まれた一角には宿り木の枝を立てた祭壇が設えられ、霧がかった木々の間には無数の光の粒が飛び交う。

 白いドルイドの衣をまとって向かい合った、ドルイド大導師なる大コナル老人と少女クルト。そして賢者コナル氏とエルフの竪琴を抱えた少年リアン。各々の手にしたカラスウリのランタンには、光の精霊の灯りが点っている。

「古の大賢者コナル=グレンケオの嫡裔コナル家クラン・コナルの娘、クレントーナ・ニ・ホナル――この賢き者に……」

 儀式の最後に二人の賢者の手によって、宿り木の枝を編んだ冠が少年と少女の頭に載せられた。

「ダナンの神々の加護と祝福があらんことを――」


 深い闇に閉ざされた森の際で、クルトは立ち止まる。

「精霊の泉へ……!」

 クルトが杖で指すのに従うように、あたりの無数の精霊達が、森の奥へ向かって流れを作り出す。

 木立の間を流れる光の小川と、手にした杖やハープに提げたカラスウリの灯明を頼りに、小さなドルイドとバルドは森の奥へと分け入っていった。


 昼間とは違った深い静謐の中に、泉はせせらいでいた。

 立ちこめる霧に軌道を描いて月明かりが降り注ぎ、泉の水面で揺らめく。石碑はそれを映し返し、氷塊かステンドグラスのように闇の中に浮かび上がっていた。

 そしておびただしい数の光の粒が、銀河のように夜空や木々の間を舞っている。

 しばし吸い込まれるようにあたりを眺めていた二人だが、気を取り戻すと、石碑に向かって泉の畔に並んだ。

「始めるよ――」

「ん……」

 宿り木の枝を手にしたクルトが、一歩進み出る。

 切株に据えた竪琴を奏で始めるリアン。

 それに聴き入るように、気ままに舞っていた辺りの精霊たちは、ぴたりと動きを止める。

 そして、次第に石碑の周りに集まり出す。

 やがておびただしい数の光の粒が石碑を包み込み、泉の周りはまばゆいばかりの光に包まれていった――



 泉の光は、森を越え麓の里まで届いていた。里を見下ろす丘の中腹あたり、山肌にかかった霧が白い光を放っているのが、里からもよく見える。

 集まってきた人々の驚き声でひしめく神殿前の広場。それを見下ろす神殿の塔の上で、グレン氏は誰よりも目を凝らして丘の様子を眺めていた。

「異界との扉が開いたか――!」

 つぶやくと、グレン氏はローブを翻してらせん階段を下り、神官たちに言った。

「鐘を鳴らせ! 神殿に物見台、全てだ!」

 闇に舞う無数の光のかけらを揺るがすように、いくつもの鐘が真夜中の谷に鳴り渡る――

 時ならぬ鐘の音に、人々ははたとざわめきを止めた。

「怖れおののくなかれ、ホイル・ウォアの谷の兄弟達よ。時はまさに廻り来たった!」

 神殿脇に組まれた祭りの壇上、手にした杖を掲げローブを翻し、群衆を前にして威厳に満ちた声を上げる賢者――ドルイド導師グレン氏の姿があった。

「諸君も案ずるように、里の平穏は昨今ますます勢いを増す時の波に揺らいでいる……。このまま無常の時に身を委ねれば、祖先から受け継いだ我々の愛するこの地、古の神々を讃える最後の灯火ともしびは――遅からず濁流に飲まれて吹き消えるであろう」

 群衆は水を打ったように静まりかえった。

「怖れずに聞いて欲しい。エルフの魔法を覚めさせれば、この地は抜けることのできぬ森と霧によって外界から閉ざされ、幻となる。ちょうどかつてのエルフの里のように――これが、我々に残された最後の救いの道だ」

 嘆きと諦めの混ざった沈黙が訪れた。

「今宵、若きドルイドとバルドが誕まれた。闇の訪れに、彼らは希望の光を点したのだ――この地を滅びの運命から救う、一つの道を手にするために」

 さざ波のようなざわめきが起こる。

「子供達は行った。我々に出来ることは何か⁉」

 夜空に振り上げられた杖が、丘の方を指した。

「友よ、嘆きにくれず手を取り合おう。灯明は点った、宴の時は今ぞ。終わりではない、始まりの時ぞ。地を踏み鳴らし、この尊き夜を歌おう。去る者はとわに思いを留めるために、残る者はこの地の永遠のために――!」

 にわかに歓声の渦が巻き起こる。

 やがてその中から、誰からともなく太鼓やバグパイプが鳴りだし、歓声のうねりは一つの大きな音楽となった。

  いざ集え、いざ灯火を――!



 まばゆい光のドームが、泉の上を覆っていた。

 吸い寄せられるように、クルトは手を伸ばしていった。

 光の壁に触れた指先から、光の流れが全身を包む。

 白く翻る衣とともにふわりと舞い上がった少女。

 翠に透き通った髪から覗く、左右に尖った耳――

 それは、神話に詠われた森の妖精、エルフの姿だった。

     :

     :

 白い光の中で、少女は懐かしい声を聞いた。

  クレントーナ――

  お母……さん

 カラスウリの灯明と、暖炉の火が揺れている。

  お母さん……

  クルトは寂しがりやさんね

 ぬくもりに包まれていた。

 ずっとずっと、こうしていたい――

 遠くから、かすかに竪琴の調が聞こえてくる。

  お祭りが始まったわ

  あ……わたし行かなきゃ

  もう大きくなったから、一人で行けるわね?

  うん……

  それじゃあ、これはあなたにあげましょう

 両の掌に触れた、優しい手の温もり。

  気をつけて行ってらっしゃい――

 手に触れる温かい感覚が、ゆっくりと遠ざかってゆく。

 白い光の中に、長い翠の髪をなびかせた女の姿を見たような気がした。

  あ、待って……

     :

     :

 降り注ぐ月明かりに、泉は静かに揺れていた。

 しだいに散ってゆくように泉の上を漂う光の粒を、クルトは見つめて立っていた。

 胸元で握った両の掌をそっと開くと、透き通って淡く光を帯びた三つの石粒が握られていた。

「お母さんに会えたんだね?」

「ん……」

 その横でそっと見守るように、リアンは微笑んだ。

「さっきまでずっと『精神の強さを高める』とかいう呪歌を弾いてたんだけど、応援になったかな……」

 額の汗をぬぐいながら、竪琴を置き直すリアン。

「ありがと、リアン……!」

 クルトは、初めて自らリアンを正面に見据え、屈託のない微笑みを見せた。

 苔の上に転がったカラスウリのランタンから、ひょこりとピクシーのミルが顔を出した。

 漂う光の粒を一つ捕まえてランタンの穴へ押し込むと、へたの蔓をつかんで森の際の方へ飛び上がり、二人の方を振り向いて羽を揺らした。

「そうだね、行こ!」

「ん……!」

 ミルに続いて歩き出しながら、クルトは一瞬振り返った。泉は静かに揺れていた。


 里の灯りが見えると、賑やかな音色が聞こえてきた。

「お帰り、よく頑張ったね」

 コナル氏の微笑みが出迎えた。優しく腕に抱えた胸元の二人を眺めて、コナル氏はゆっくりと頷いた。


 月明かりとかがり火に照らされた広場には、人々が大きな輪を作って歌い踊っていた。

 うねり絡み合う笛やフィドル、バグパイプの旋律、そして太鼓の刻むリズムに合わせ、足を踏み鳴らして回り踊る人々。

 樹や家々の軒には大小さまざまな瓜、カボチャのランタンが下がり、光の粒が星のように舞う。

「若きドルイドとバルドだ!」

「帰ってきたぞ!」「何だって⁉」「こら押すな!」

 二人の姿を見つけ、歓声を上げ群がってくる人々。

「え、ええ?? わあっと……!」

 クルトは素早く脱いだ白いマントと杖をリアンに押し渡し、群衆を振り切るように駆けていった。

「ああっ、逃げた⁉ ――ちょ、助け……!」

 広場へ出たクルトは、群衆にもまれながら這い出てきたリアンを振り向きくすりと微笑むと、軽やかなステップを踏んで祭りの輪の中に躍り出た。

 その姿を眺めて、やれやれ、というように息をつき、そしてほっとしたように微笑むリアン。

 コナル氏はリアンのライアーを差し出した。

 リアンは微笑んでそれを受け取ると、輪の中に進み出てクルトに並んだ。


 フルートとライアーを奏で始めた二人の子供に、人々の注目が集まってゆく。


   移りゆくものと永遠なるものと

   神々のと人の地と

   めぐり廻る風 廻り来る時

   響き合う夜 サウィンの夜イーハ・ハウナ


 穏やかなリズムから、曲は次第に速く――

 おおかた鳴り止めていた回りの楽器達も、それにつられるように、そして応援するように加わってゆく。


   この世とあの世 儚きものと永遠なるものと

   廻り廻る風に乗せて 宴の調しらべ響け


   時の交わりあうこの夜

   森はざわめき 土は鳴り

   宴の音が夜空に響き

   そして時は廻ってゆく


 手拍子の渦も加わって盛り上がりが頂点に達したところで、ぱっとフルートを吹き止めておじぎをするクルト。とたんに拍手と歓声、そして大合奏がそれを包む。


   いざ集え いざ燈明ともしびを 魂の灯火を

   廻り廻る旋律 廻り廻る輪舞

   紡がれゆく調に 紡がれゆく運命

   サウィンの夜に祝福あれ!イーハ・ハウナ ホナ・グィチ 廻り来たる時よ!


 クルトはたすき掛けに巻いていたタータンのショールをほどくと、伸ばした両手に持って羽のようになびかせ、くるくる回りながら軽やかなステップを踏む。

 リアンもライアーをかき鳴らしながら、その横で足を踏み鳴らす。

 互い違いに回って踊りながら、二人は微笑みを交わした。

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