第31話 傷だらけのエルフと正義の男・下
「が、くぁ……」
「GuBAAAAA!!」
喉に血が溜まり声も出ない。
巨大な棍棒の威力は伊達じゃない、腕も、肋も折れて肺に骨が刺さってるんじゃなかろうか。
息も苦しい、意識も遠くなってだんだん気持ちいいとすら感じられる。
「がァァぁはっ!?」
だがオークジェネラルがゼオを掴んだまま握り潰そうとすることでその激痛から意識が覚醒する。
ああ、自分はここで死ぬのか。
そんな事を考えていた。
正義は自分にある、だからと言って何でも思い通りになるなどと甘い事は思ってはいない。
寧ろ思い通りにならない事ばかりの人生だった。
ゼオは気付けば汚い薄汚れた街に一人だった。
落ちている廃油塗れの残飯を漁ったり、落ちて腐った木の実を食ったり、排ガスで汚れた雨水を啜りそれでも生きた。
理由は特にない。
生物の本能でただ生きながらえたにすぎないのだ。
そのうちに似たような環境で生きる、いや、自由もないまま誰かの言いなりになるような奴隷と言う存在がある事を知った。
彼女らは金で売られ、また金で買われ、身体を弄ばれ、酷使され、まともな食事も睡眠も与えられぬままいずれ死ぬ。
そんな人生だ。
好きな場所に行き、好きなように生きられる自分の方がよっぽど恵まれているのだとそう理解した。
いつからかそんな者達を自由へ解放してやりたいとそう思うようになった。
価値のない自分と言う存在、誰かを助ける事で初めてそんな自分に価値を見いだせた気がしたのだ。
誰かの為に自分を捧げる人生、そう言えば聞こえはいいがそれはある意味奴隷と同じかもしれない。
そんな気がしていた。
「ぅが、ぎ、いぎはおでに、あるんだ……」
ゼオは気付けば折れていない方の腕でポケットを弄っていた。
それはリタから貰った丸薬、万能薬。
怪我も一瞬で治してしまうような不思議な代物。
この期に及んでもゼオは生への執着を捨ててはいなかった。
それは生物の本能、正義が負けてはいけないと言うゼオの信念だった。
丸薬を摘み、そしてふと気付く。
あの時リタはどちらかが劇薬だと言っていなかったかと。
万が一、苦痛に喘ぐ事態に見舞われた時、苦しまずに死ねるようにと。
だが自分は生きたいのだ、間違えるわけにはいかない。
どっちだ、どっちが薬でどっちが劇薬?
だが更によくよく思い出せば自分の時だけロシアンルーレット的なもので選ばされたのではなかったか。
だとすればどちらも劇薬の可能性があるのではないか。
だがしかしリタは最後にそれでいいのかと慈悲を与え、もう一度選ばせた。
と言うことはやはり――――
「って、味方を殺そうと、すんじゃ、ねぇよ……ぐ、ああああ!!」
「CRUuuuAAAaa!!」
オークはゼオを握り潰すギリギリの所で調整し、ゼオの叫びを楽しんでいるようだった。
あまりの苦しさと痛みにゼオの手から取り出した丸薬が零れ落ちる。
「あ、が……」
もう限界だった。
ゼオはその意識が飛ぶ寸前、何かの声を聞いた気がした。
「BU!?」
「ぐっ、は! ごげほっ、げほ」
刹那ゼオの身体は地面に叩き落とされ、その拍子に肋の激痛で意識を覚醒させていた。
涙で視界が歪む。
霞む視界には天鵞絨色のローブを纏った、耳の長い白銀の髪の女が矢をリリースした態勢でそこに居た。
「アンタの……正義は、そ、そんなもんなの?」
「おまえ、なんで、戻って……げほ! げっほぉぇぇ」
器官に唾液が入った。
銀色の長い髪を靡かせ、そこに立つエルフ。だがその手はよく見れば恐怖からか震えていた。
それでも決死で放っただろう矢は、ゼオを夢中で甚振るオークの手に命中した。
ゼオは間一髪その意識を取り戻し身体を起こすが、当のオークジェネラルはその目を真紅に染め上げ怒り狂っている様子だ。
再三の咆哮が崩れ落ちるゼオと震えるリーファに向けられた。
「ぐ、わ、私は……負け、は!?」
「あ、ぶねぇ――」
震えるリーファの足はオークの魔力発動に反応出来なかった。
火炎放射のような炎の奔流が迫り、ゼオはボロボロの身体に鞭打ってリーファを突き飛ばす。
「ぐぉぁあああああ!!」
炎はゼオの背をまるで派手な料理のように焼き尽くす。
森中にゼオの絶叫が響き渡った。
「ゼ、オ……いや、やめてぇぇぇぇ!!」
数瞬の間の後、業火で焼かれ煤黒くなったゼオがその場に倒れる。
まるで燃え終わった薪のようなゼオを、リーファはただ泣きじゃくりながら見つめるしかなかった。
自分はまた犠牲してしまった。
何故私は助けられてしまう!?
私のせいでいつも誰かが。
もう嫌だった。
こんな自分も、こんな人生も、世界も、皆、全部が。
「もうやめてぇぇぇ!!」
「……あ、諦めてんじゃ、ねーよ」
「っ!? ゼオ!」
ふと、煤で真っ黒のゼオがリーファの腕を掴んでいた。
ゼオはまだ生きていた。
生にひたすらしがみついてきた男は、赤き正義の証をその火に焼かれようとも。
「正義は、俺、達にある」
そう言うとゼオはゆっくりとポケットから黒く焦げた何かを取り出し、リーファへと渡す。
「これを、ヤツの口にう、撃てるか?」
「何を、ゼオ、もう喋らないで……し、死んじゃうわ」
リーファはゼオをこれ以上動かないよう身体を支えるが、その手は身近になった死という恐怖に震えていた。
だがゼオはその手は止めない、最後の希望だった。
これはリタから渡された丸薬の一つ。
もう一つは何処かに落としてしまった。
最早どっちが劇薬でどっちが回復薬か等分からない。
どっちも回復薬でどっちも劇薬の可能性もある。劇薬がどれ程の効果があるのかも分からない。
それでも自分が回復薬を飲んだところで事態は好転しないのなら、一か八かの劇薬をオークに喰らわせてやるしか生き残る道はなかったのだ。
「う、撃て」
「でも、だめ、だよ。手が震えて……あ、当たらないかも」
「馬鹿野郎……正義は、こっちにあるって、言ってんだろ……上手く行く」
ゼオは「これでどうだ」と、リーファの腕を後ろから必死で支えた。
ボロボロで、真っ黒に焦げ爛れた腕はガサガサで、それでも温かみがあった。
リーファの震えは止まる。
それは力だけでなく、安心か。
これで最後にしよう。
すべての過去と自分への決着を、この一矢に賭ける。
「翔べ……
リタの丸薬を先端に付けたその矢が、否二人の正義が、咆哮するオークの口内目掛け飛ぶ。
オークは突然の出来事に目を丸くし、間一髪の所で口に飛び込んでくる矢をその歯で噛み砕いた。
だが鏃と丸薬は既にオークジェネラルの口の中だ。
さぁ凶と出るか、吉と出るか。
リタの丸薬は回復薬の方なのか、それとも劇薬か。
オークは矢を折り、半分をその手に、もう半分を食らいつくし咆哮したかと思われたその刹那。
とつぜん目を見開き口から泡を吹き出した。
身体をビクビクと痙攣させ、声を上げることも叶わぬままオークジェネラルは数秒後前のめりで地に伏していた。
「う、そ」
「ぅ、お、お……まじで仲間殺す気だったんかーい!!」
ゼオはオークジェネラルの対峙したことよりも、あのオークジェネラルを一粒で即死させるような薬を飲もうとしていた自分に震えた。
だがこれで危機を脱した事は間違いない、二人は極度の緊張感から開放され、その場に脱力した。
「はは……本当に、終わったの」
リーファが呆けた顔でそう呟く。
「正義は、こっちにあったからな」
「そればっかり」
リーファはそう言い笑い、小さな声で「ありがと」と言った気がした。
ふとゼオは足元に灰色の粒が落ちているのを目に留めた。
それは記憶にまだ新しいリタから貰った丸薬の一粒、オークに潰された拍子に手から落としてしまったものだ。
回復薬のつもりで当初は自分が飲もうとし、結果もう一つの方が劇薬であった。
と言うことは、本来であればこちらが回復薬で間違いない筈。今のゼオは身体中酷い火傷に切り傷、打撲、骨折、出血と下手すれば死にかねないレベル。
出来ればリタ特性万能薬を飲みたいところではあったが、先のオークの死に様を見た後では躊躇いのほうが大きかった。
もし、両方が劇薬だったら。
否そんな筈は無いだろうが、自分の場合はロシアンルーレットで丸薬を選ばされた。
本気で即死できるような薬を味方に渡すと言うその事実もある以上、簡単に信用する訳には――――
「さっきから何見てるの、それより、その……身体大丈夫? 私が、回復の魔法でも使えれば良かったのに。私、魔法苦手で、ごめんね」
「ん、あ!? ああいや、仲間がくれた回復薬があるから大丈夫だ。心配いらねぇ、正義は俺にある、筈、だ!!」
リーファに心配させまいと、ゼオは思わずもう一つのリタの丸薬を一気に飲み下していた。
正義は俺に、正義は俺にと内心ひたすらに唱えた。
死にたくない、死にたくないと強く。
だが次第に身体の痛みがみるみる引いていき、それどころか全く何も感じなくなっていた。
あちこちから血を流しすぎたせいか少し頭も朦朧とする。
まだ出血は止まっていないようだった。
「これ、応急処置しかできなくてごめんね。早く森を出て治療しないと」
リーファは自分のローブの裾を引き裂きゼオの足に巻くと、森を出ようとゼオに肩を貸した。
「おい……水、必要なんらろ」
何故だが喋りづらい。
舌が麻痺しているようだった。
「ううん、もういいの。過去に縋ってばかりじゃ、きっと前にも進めない……妹だったらこう言うわ。目の前の人をまずは助けろってね!」
リーファは力の入らないゼオに肩を貸し、そう言って微笑んだ。
そんなリーファは土で汚れた顔も美しく、サラサラと靡く銀色の髪はまるで天国にでも来てしまったように錯覚させた。
「はるぃは……らんか、ひからが」
ゼオは遂に全く身体に力が入らなくなり、リーファ共々その場へ崩れ落ちた。
「ちょっ、ちょっとゼオ!! 大丈夫、ねぇ!」
ゼオの意識はしっかりとそこに残り、リーファの心配する顔と自分の顔に時折触れるその髪がくすぐったいと思った。
と同時にああ、これ絶対回復薬じゃねぇわと。
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