あきらと慎二 3

「じゃあもう用が済んだら帰れよ、俺明日早いんだよ」

身の危険を感じなくもないので、早々に追い払おうと近すぎる身体を精一杯押した。

慎二は本当にそれ以上はするつもりないらしく、あっさりと離れていった。

明日早いのは本当だ。

今日だって最後は力仕事だったし、疲れてるから視界に入る敷きっぱなしの布団に今すぐにでも寝転がりたいが、とてもじゃないが今はそんなこと出来やしない。

布団畳んでおけばよかった。

布団と慎二のセットは完全危険要因だ。

早く帰れ。

「明日朝なんの仕事?」

「早朝6時から犬4匹連れて散歩」

「わーお」

「だから帰れって」

「はーい。……もうシカト、しないでな」

「……おう」




眠い目を擦りながらのんびり歩こうと思っていたのが間違いだった。

4匹が4匹とも力強ぇ!

ぐいぐい進む。

もはや走ってるこれ。

散歩なんだから歩いてくれよ頼むから。

2本ずつ握ったリードは両手首に痕がつきそうなくらい食い込んでいる。

散歩の躾くらいちゃんとしとけよあのデブババア飼い主め。

有り難いのは4匹とも散歩コースは覚えているらしいことだ。

これで全部別々の方向に向かおうものならどうなっていたことやら。


「っだあー!あちい!」

会社に戻るとやはり気が抜けて、事務所に入るなり堪らず叫んだ。

想像を軽く越えた汗の量は滴り落ちるほどだ。

肩に掛けていたタオルが臭い。

絞れそう。

日に日に8月が近づいてくる。

「おかえりー。ご苦労さん」

いつになく社長は優しさを見せて、冷蔵庫から冷えた麦茶のペットボトルを出して放ってくれた。

礼を言ってから未開封の蓋を力一杯回して飲めるだけ飲む。

そういやこの散歩、前に社長が一回行ってたような。

もしやその一回で懲りて俺に回したな。

糞オヤジめ。

「そういや慎二とはちゃんと仲直りしたんだな」

クリームソーダ飲みながら社長がぶくぶく言っている。

なんて言ってるのか分かるのは恐らく俺だけだろう。

慣れって恐い。

「はあ、まあ、一応。なんで知ってんすか」

ぷは。

最初から口離して喋れよ汚ぇな。

「いや、昨日慎二からなんか嬉しそうなライン来てたから」

「え?社長、慎二とラインしてんの?」

「そうだよ、仲良しだよ俺ら」

「なんでだよ」

いつからそんな友達みたいになってんだこの人ら。

俺の友達なんだけど。

「そんな焼きもち妬くなよー」

「妬かねぇわ」

焼きもちなんざ一切妬かねえが、こいつらが人の預かり知らぬところでどんな話しをしてんのかは気になる。

この人らの共通点って俺の存在だけだし。

要らんこと喋ってんじゃねえだろうな。

「あきらのあーんなことやそーんなことも聞いたり話したりしてるよん」

人が心配していることを、読んだかのように先回りして自慢してくる。

にやにや笑いしてる場合じゃねえぞオッサン。

あーんなことやそーんなことの辺りをもうちょっと具体的に……いや、聞くまい。

この人の半分は嘘と冗談で出来ている。

残り半分のほうだったら洒落にならないから恐いけど。

「はいはいそうですか」

あ、500ミリ飲み干しちゃった。

「けっ、湿気た反応しやがって。あ、あきら次10時から西原さんち行って」

「植木のやり替え?昼からじゃなかった?」

「時間が変わったんだよーん」

「あっそ」

いちいち憎たらしい口調しやがって。

しかも変わったら変わったときに言えよ、ったくこの人は。

「そんで、それが終わり次第慎二の店行って」

「なんで」

「仕事だからに決まってんだろ、ばーか」

くっそ腹立つその顔!


植木のやり替えが終わったのは昼過ぎだった。

お客さんはとても気の弱そうなおじいさんで、急に予定の時間を変えたことを何度も謝ってきた。

昼飯をどうしようか迷ったけど、社長に終わり次第次にって言われてるし、まだ仕事の内容分かってないしで、取り敢えずは空腹を耐えて慎二の働く服屋に向かった。

知ってる相手だし、話だけ先に聞いて、可能なら先にちょっと食べよう。

慎二の職場は、街中の大通りの角にある。

人の流れが交錯する、物売りには絶好の立地条件だ。

薄暗くした店内にポップな洋楽が流れていて、開きっぱなしの入り口に散らばるシルバーのアクセサリーが道行く人たちの目を惹き付ける。

俺は正直なところ、ここの店長が苦手だ。

大体見るときはいつも派手な色柄のシャツに茄子みたいなふざけた形の眼鏡をしている。

フレームも紫だから完全に茄子狙いだろう。

いや、良い人なんだけどただ、オーバーリアクションでぐいぐいくる。

朝の犬たちみたいに。

慎二よくあんな人についていけるなと、実はたまに感心しているくらいだ。

作業着のままだし、仕事で来てる訳だし、店の裏から入ろうと思っていると、通りに面した入り口の向こうに慎二が見えた。

おーい、慎二くーん。

店内の他の店員たちに気づかれないように、斜めの角度から手を振ってみる。

視界に入った動きに、店員慎二はすぐに気づいたみたいだった。

顔を上げて嬉しそうな顔になる。

それを見て俺はなんとも言えない気持ちになる。

あの嬉しそうな顔の理由を知ってしまったばっかりに。

作業を中断した慎二は、一瞬ぐるりと店内の様子を伺ってから、店の外まで出てきた。

「お疲れさん、遅かったな」

「すまん、無駄に世間話に付き合ってたら長くなった。今日何の依頼?俺先にちょっと飯食ってきてもいい?」

どうせ力仕事だろうし、と思いながら店内に目をやると、慎二は、え、駄目だし。と俺の昼飯を却下してきた。

「え、そんな急ぎ?」

「違う違う。先に飯食われたら依頼の意味ない」

「は?今日の依頼なに?」

なんだかちょっとよく分からない。

慎二は少しの身長差を利用するようにして顎を上げて、にやりと歯を見せた。


「俺とデート」


「……は?」

「店長ー、俺行くわー!」

慎二が店の奥に向かって声を投げると、奥のほうからはいよー、と返ってきた。

店長さんの声だ。

動く気はないらしい。

お客さんがいるのかもしれない。

「よし、じゃあ行くか」

慎二はそのまま店を出て歩き出そうとしている。

待て待て話が見えない。

「おう。いいけど、店どうすんだ」

「俺今日休みなんだよ。待ってる間暇だから手伝ってただけ」

「はあ?」

ちょっと待ってくれ。

何がなにやらよく分からない。

慎二は混乱した顔丸出しであろう俺に、にっこりと笑ってみせた。

「あきら勘違いしてるんだよ。依頼主、俺」

まさか。

「社長さんと共謀してみた」

そういうことか。

俺はそこまで言われてようやく理解する。

店は待ち合わせ場所だっただけってことか。

俺が絶対嫌がると読んで騙したな。

あの糞オヤジ。

そういやラインがどうとか言ってたな。

「あきらの今からの仕事は、今日の残りの時間、俺とデートすることです」

言っとくけど俺より背の高い男がどんだけ頑張っても一切可愛くはないからな。

「すいませんお客さん、うち性的なサービスに於いては堅くお断りしております」

「違うから違うから!」

努めて真顔で注意すると、慎二は店の前ということもあってか、猛烈に狼狽えた。

「性的なこと要求してないから!仲直りに遊びに行こうやってだけだよ!」

慎二は慌てたように店から離れていく。

仕方がないから後をついて歩いた。


「ったく、あほか。しょうもない依頼しやがって。金額いくらにしたんだよ、っていうかどこ行く訳?俺この格好でこの辺歩くの嫌なんだけど」

謀られたのが自分で思っている以上に不服だったみたいで、そんなつもりはあまりないのに声が尖ってしまう。

でも取り敢えずこの汚い作業着でこんな街中を歩くのは嫌だ。

慎二は俺の不機嫌についてはさっぱり気にしないみたいだった。

「金額については社長さんとの秘密。服買う?ごはん行こ」

「いやいや一旦帰って着替えようや」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る