12. 水くさいですわ
夏休みが終わり、いつもの日常が戻ってきていた。
久しぶりに会う級友たちはどこへ行ってきたの、珍しい舶来品を手に入れたの、と話題に事欠くことがない。
いつもなら楽しく聞く話でさえ、今は耳を素通りしていくばかりだった。
(……もう、前みたいに話せないのかな……)
去り際の弟の様子を思い出し、切なさがこみ上げる。
せっかく会えたのに、名前しか聞き出せなかった。しかも他言無用と言われてしまっては、誰かに相談することもできない。もちろん、両親にも言えるわけがない。
葵は六年前に行方不明になった家族で、月日が経ってもその傷はまだ癒えていない。両親も表面上は取り繕っていても、心の整理はできていないままなのだ。
実際に会った絃乃でさえ、いまだに夢見心地なのだから。
それに、一番の懸念事項は彼の姿だった。
(探していた書生は……葵なのかもしれない)
彼は、姉の様子を見に来たと言っていた。あれがフラグだった可能性が高い。本当なら、ヒロインが絃乃の家に遊びに来るシーンがあったのかもしれない。
(生きていた……本当に生きていたなんて。しかも、前世の弟だったなんて)
今でも信じられない。都合のいい夢でも見ていたんじゃないかと勘ぐってしまう。
このぐるぐると渦巻く気持ちと、どう折り合いをすればいいのか、まるでわからない。
さすがにこんな事態、予想だにしていない。自分で抱え込むには大きすぎる問題だ。叶うならば、どの選択肢が正しいのか、今すぐ攻略サイトで確認したかった。
◆◇◆
お昼休憩では、魂の抜けた状態のまま、食事を終えた。無意識に羊雲を数えていると、横から困ったような声がかかる。
「絃乃さん。さっきから上の空のようですけど……何か心配事かしら?」
「そうよ。絃乃ってば、心ここにあらずみたいな顔をして。わたくしたちがどれだけ心配していると思っているの」
すねたように雛菊が言い、百合子が慈愛に満ちた顔で見つめてくる。
「ご、ごめんなさい。ちょっと考え事をしていただけなの。大したことではないから……」
「大したことないですって? そんな噓が通じると思っているの」
責めるような口調にたじろいでいると、百合子が悲しげに目元を伏せた。
「わたくしたちじゃ頼りにならないかもしれないけど、少しは頼ってほしいですわ」
「まったく、水くさいですわ。級友が悩んでいるなら、話だけでも聞きたいと思うのは自然なのではありません?」
「雛菊……百合子……」
彼女の言い分ももっともだ。もし逆の立場なら、きっと自分も心配していただろう。
絃乃はしばらく悩み、彼女たちに隠し事はできないと思い直して、口を開いた。
「これは内密にしておいてほしいんだけど……弟を探しているの」
声を潜めて言うと、二人とも顔を近づけて、ひそひそ声で返す。
「まあ。絃乃さんに弟がいたなんて話、初めて聞きましたわ」
「ちょっと待ってちょうだい。それって、双子の弟君のことじゃないわよね?」
雛菊の指摘に肩がぴくりと震える。
「……その弟のことよ」
「雛菊さん、私にもわかるように説明してくださいませ」
「ああ、百合子は女学校からの付き合いだったわね。絃乃には双子の弟がいたの。だけど六年前、消息がわからなくなったって……」
彼女の的確な説明に、絃乃は顔を曇らせた。
結局、あれから弟が住んでいそうな場所を手当たり次第探してみたが、どれも空振りだった。手がかりは名前だけ。
けれど、狙われているといっている彼の名前を迂闊に出すわけにもいかない。
もう一度、会って話がしたい。それだけなのに、あの日以来、会えていない日が続いている。どこに行けば会えるのか、頼みの綱の詠介もつかまらず、途方に暮れていた。
絃乃は二人分の心配する視線を集め、無理やり笑おうとしたけど、失敗に終わる。ふっと息を吐き出し、真顔で説明を続ける。
「両親は
「過去形ということは、今は違うということよね?」
確信めいた響きに逡巡した末、頷き返す。
「弟は生きていたの。でも、今は帰れない事情があるみたいなの。たぶん、それが六年も行方をくらましていたことに関係していると思うのだけど。もう一度、会いたくて」
「……そうでしたの」
いつのまにか、強く握りしめていた拳を百合子がそっと包み込む。
目線を上げると、励ます言葉に悩んでいるような顔があった。
お互い言葉を詰まらせていると、不意に冷たい手が上に重なってくる。見れば、雛菊が何かを決心したように、両手で二人の手を握っている。
「一度は会えたのだもの。きっと、また会えるわよ」
力強い言葉に、心の重しが外されたように軽くなる。呼吸も楽になった。
(あんなに探していた書生だって見つけたんだもの。音夜――葵に聞きたいことはたくさんある。私は諦めない)
すぐに会えなくても、悲観しなくてもいい。
だって、もう軽口を叩くことすらできないと思っていた前世の弟とも、世界の境界を超えて、また巡り会うことができたのだから。
この縁がある限り、彼とは必ずどこかでまた会える。
さっきまでの不安が噓みたいになくなり、気力も戻ってくる。気遣ってくれた親友二人に絃乃は精一杯笑いかける。
「そうよね。もう二度と会えないわけじゃないんだもの。私がこんなに気弱になっていたら、弟も帰ってくるに帰ってこられないわ。だから、もう大丈夫。……だって、私はお姉さんなんだもの」
姉ならば、どーんと構えているぐらいがちょうどいい。
心配性な弟に安心してもらうには、気丈に振る舞うくらいでなくては。どこで見られているかもわからない。唇を引き締め、もう大丈夫、と自分に言い聞かせた。
【後書き】
※鬼籍に入(い)る……死んで亡者の籍に記入されること。死ぬことの婉曲表現。
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