8. それは困りましたね

 百合子は無事、八尋と婚約をした。

 恥ずかしそうに報告してくる彼女に、雛菊とともにお祝いの言葉を贈った。雪之丞には八尋が話をつけたらしく、もう接触してくることもなくなったらしい。

 すべてが順調――そう思っていたのは、どうやら思い違いだったらしい。

 河川敷に下りてみると、数日ぶりに会った詠介は曇った表情で、川のせせらぎを見つめていた。横には帳面があるが、閉じたまま置かれている。


「詠介さん、何か悩み事ですか?」


 彼の前でかがむと、詠介は覇気のない声で答えた。


「……わかります?」

「どことなく元気がなさそうです。私でよかったら、悩みを聞くことぐらいはできますよ」


 心の負担を少しでも和らげようと微笑みかけると、夏の風が二人の間を通り抜けていった。さわさわと草がこすれる音と、誰かが川の水面に石を投げ入れた音がした後、詠介が口を開く。


「実は……百合子さんが思いのほか奥手で、藤永さんと恋をうまく育めていないようなんです……」

「どういうことですか?」

「選択肢……いえ、言葉を迷った結果、自分の気持ちと違った言葉を返してしまったらしく、藤永さんと距離ができてしまったようで……」


 選択肢ミスは、往々にしてよくある。乙女ゲーム初心者であれば、なおさらだ。しかし、距離ができてしまうほどのミスというのは珍しい。


(察するに、連続で間違ったということかしら)


 ゲーム案内役である詠介が悩むほどに事態が深刻だとすると、エンディングにも悪影響があるかもしれない。

 絃乃は詠介の横に座り、まだ明るい東の空を見上げる。


「それは困りましたね」

「そうなんです。このままだと、本来起こるイベント……仲を深める機会を失ってしまいかねません。僕としても、二人には歩み寄ってもらいたい。ですから、今の状況は見過ごせないのです」

「でも……手助けするとしても、実際には難しくないですか?」

「だから困っているんです……。絃乃さん、何かいい方法はないでしょうか」

「そ、そうですね……」


 バレーボールのパスのように跳ね返ってきた問題に、渋面になる。


(本来起こるイベントって……時期的に蛍を見に行くやつよね……)


 好感度上げが順調なら、夏休み前に蛍の森へ行くイベントがある。暗い森を歩いていくと、無数の光が点滅した場所に出て、幻想的な光景が広がるという内容だ。


(あのスチル、好きだったなあ……)


 驚くヒロインに作戦が成功したように笑いかける八尋の構図は、なかなか胸に来るものがあった。あのシーンがあるのとないのとでは、ラストの感慨も違う。


「わかりました! 私も知恵を絞ります!」

「今回も協力してくださるのですか?」

「もちろんです。友達の未来のためですから!」


 好きな人のために、ない知恵を絞るというのもやぶさかではない。

 どうせならば、トゥルーエンドのためにも、イベントはすべて回収してもらいたい。


「一番の問題は、二人の仲がぎくしゃくしていることなんですよね?」

「ええ、そうなります」

「正攻法で失敗したなら、別の手段で仲を取り持ったらいいのでは? 例えば、手紙とか」

「手紙……ですか?」

「直接話すことで緊張してしまうなら、相手の顔を見ずに思いを伝えられる手紙が一番だと思います。口では言いにくいことも、文章なら気負いなく書けるかもしれません。何より手紙のやり取りをすることで、お互いの気持ちがもっと理解できると……」


 そこまで言ったところで、詠介が興奮したように声を被せてくる。


「絃乃さん、さすがです!」

「え……」

「素晴らしい解決法です。僕一人だけでは思いつきませんでした。やりましょう。手紙の交換! この方法なら、きっと挽回できますよ!」


 水を得た魚のように生き生きと語る顔に、先ほどの陰りはない。

 とりあえず役には立てたらしい。そう安堵した絃乃は、どういった文面だと効果的かを一緒に考えることにした。


     ◆◇◆


 手紙で仲を深めよう作戦は、詠介がアドバイスするということで話がまとった。

 女学校では百合子はいつもどおりで、どうなったかはわからなかったが、思い悩んではいないようなので、悪い結果にはなっていないのだろう。

 用事があって商店街を歩いていた絃乃は、ふと足を止めた。女物の小物を扱う店の前で、軍服姿の男が一人立ち止まっていたからだ。

 気になって近づくと、見覚えのあるシルエットにもしや、と声をかける。


「……あの。藤永様ですよね? 贈り物ですか?」


 振り返ったのは涼しげな瞳。短く刈り揃えた髪に、皺一つないオーダーメイドの軍服を着込んだ八尋だった。

 店先には、数種類のかんざしが陳列している。

 八尋は突然呼びかけられ、驚いたような表情で見つめてくる。


「あなたは……」

「百合子の級友です。白椿絃乃と申します」

「ああ、絃乃さんですか。百合子さんと親しくされている方ですね。女学校の話でよくお名前を聞きますよ」


 品のいい笑みを浮かべていた八尋だったが、次の瞬間には顔をうつむけてしまう。


「どうしました?」

「ああいえ……その。ご友人に、こんなことを相談してもよいものか……」

「何か悩みがあるんですね? 解決できる保証はありませんけれど、よかったら話してみていただけませんか?」


 その言葉で吹っ切れたのか、八尋は顔を上げた。


「実は……百合子さんから手紙をいただいたんです」

「まあ。よかったですね」


 詠介の助言により、百合子も素直な気持ちを手紙でしたためたのだろう。

 これで心の距離が縮まれば、無事にイベントも完遂できるだろう。期待を寄せて顔色を窺うと、なぜか彼の表情はこわばっていた。


「……素直な文章がきれいな文字でしたためられていて……手紙をいただけるとは思っていなかったので、嬉しかったです」

「返事はなさいましたの?」

「…………」

「藤永様?」


 まさか、まだ返事をしていないのだろうか。

 その予感は的中していたようで、八尋は気まずいように視線をそらした。


「……私は筆無精なんです。なんと書けばいいのか、まったく思いつかなくて」

「つまり、文章を書くのが苦手ということですか?」

「恥ずかしながら。日報や始末書などの定型文なら問題ないのですが、個人的な手紙になると、駄目なんです。文才がないんですよ」


 諦観の境地で語る瞳は、はるか遠くを見つめるばかりで、心ここにあらずのようだった。


(これは、よっぽど自分の文章に自信がないのね……)


 もしかしたら、過去に誰かに心ないことを言われたのかもしれない。そうだとすると、これ以上、傷を深くさせるのも悪い気がした。

 八尋は、手慰めに桃の花びらをあしらったかんざしを手に取る。


「ここ一週間、返事の文章をずっと考えているのですが、気の利いた言葉がわからず……どうしたものかと」

「なるほど、それで思い悩まれていたのですね」

「ちゃんとした文章でお返事したいんです。ただ、私が書くと、子どもの作文のような書き方になってしまいまして。それだとガッカリされるでしょう。愛想を尽かされてしまうかもと思うと、余計言葉が出てこなくなってしまって」


 手のひらに載せたかんざしを見つめていた八尋は、そっと商品を元に戻す。


「ですから、手紙の代わりに贈り物をしようかと」

「……そういうことでしたの」

「情けない男だと思われたでしょう?」


 自嘲するような声に、絃乃はすかさず否定した。


「いいえ、私は誠実な方だと思いました。……ここまで悩んでくださる方を婚約者にできて、百合子は幸せ者ですわ」

「……そう、でしょうか」

「ええ。ただ、もし返事がもらえたら、百合子はきっと喜びます」


 乙女ゲームではいつも余裕のある男だと思っていたが、彼本来の性格はこっちなのかもしれない。だが、嫌われないように努力をする姿勢は評価したい。

 八尋は悩むような間を置いて、そっと問いかける。


「……幼稚な文章でも?」

「はい。長文が難しいなら、一文だけでもいいんです。気持ちがこもっていれば」

「一文だけでも、ですか」

「あなたが真心を返したいと思うのでしたら。文字を見るだけでも、気持ちはいくらか伝わります。もちろん、贈り物もすてきですが、藤永様の言葉を文字にすることが大事だと思いますわ」


 言葉を重ねると、八尋は力なく頷いた。気持ちは伝わったらしい。


「……手紙を書くのが苦手だということは、次に会ったときに打ち明けたらいいと思います。そのうえで、どうしたいかは百合子が決めることでしょう」

「決めました。返事を書きます。……一文だけでも、心を込めて」


 その瞳にもう迷いの色はなかった。

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