第11話 贖罪のクリスマス・ソング

 電飾をきらめかせながら飛ぶ旧式のメタルクラッド飛行船を追い抜き、林立するビルと空中連絡路の間隙をすり抜ける。西日に輝く街並みは、いつもより賑やかだ。

『メリークリスマス!』

 空中投影された広告立体映像アド・ホロの叫びとクリスマス・キャロルのメロディが、ドップラー効果で歪んでいく。

 俺と真鍮飛蝗ブラスホッパーは、自動運転で郊外へと向かう浮遊自動車ホバー・カーの車内にいた。助手席に座る真鍮飛蝗の視線は、立体映像ホロと疑似ネオンに彩られた高層建造物群や、その谷間を飛び行く浮遊自動車、空中連絡路を歩く人ごみに向けられている。

「連続児童誘拐犯、シム・ベッカー。通称『サンタクロース』……。知ってるか?」

 俺は真鍮飛蝗ブラスホッパーに語り掛けた。

「今から、捕まえに行く男だよね。聞いたことないけど」

 真鍮飛蝗ブラスホッパーは窓ガラスにもたれかかりながら、素っ気なく言った。彼女の眼が、遥か下方を飛ぶ、無人浮遊ホバートラックを追いかける。無人浮遊ホバートラックの上面は赤と緑の縦じまに塗られていた。彼女は高い場所から街を見下ろすのが好みであるらしく、浮遊自動車ホバー・カーに乗っているときはいつも外の景色を眺めている。

「8年前、年末にローティーンの少年ばかりを誘拐して世間を騒がせた凶悪犯だ。立て続けに13人の少年を誘拐した後、突然、少年たちを解放して行方をくらませた。少年たちに誘拐されていた間の記憶はなかった。そこから、犯行には人間を催眠状態にできる特殊な低周波装置を使ってたことが判明。犯人の特定の決め手に。しかし、その後の捜査は難航。以来、迷宮入りの事件だったが……。やっとやつの足取りが掴めた」

「ふうん、大昔の事件の犯人がなんで今ごろになって? また、誘拐でもした?」

「いや、違う。サイバネだよ。このまえ、メンテに出かけたとき、ふと思い付いたんだ」

「どういうこと?」

 真鍮飛蝗ブラスホッパーが姿勢はそのままに、横目にこちらを見た。

「奴さん、元は都市間戦争に参加した兵隊だった。その時に件の低周波装置を埋め込まれたわけだが、それ以外にも全身いたるところを機械置換してた。特徴的なのは、液冷式代替脊椎アルター・スパインで、こいつには特殊な冷媒液が使われてる。数年に一度、その冷媒液の交換が必要でな。ツテを頼ったり、販売店を訪ねたりして、最近の購入者を洗っていたら……ビンゴだ。それらしい人物に行き着いた」

「ほう」

 ためのような相槌をうち、真鍮飛蝗ブラスホッパーが座席に深く座りなおした。

 空中道路の立体映像ホロ看板に、天気予定が表示される。日没後から夜遅くにかけて雪。市の天気予定課はホワイト・クリスマスを演出するつもりらしい。

「ジョン・バースって男で、孤児院の職員だ」

「孤児院ね……」

「ただの孤児院の職員が、軍用クラスの高速戦闘用サイバネなんてつけてるとは思えん。それで、経歴も軽く探ってみた。孤児院の職員としての採用されたときの書類はなにもかもデタラメ。両親は存在しない人物だったし、実家の住所とされる場所は、実際には最終処分場だった」

「でも、そんなやつ捕まえても、お金にならないんじゃ意味ないでしょ。このまえ、この浮遊自動車ホバー・カーに音響トラクタービームシステム乗せたおかげで、前の依頼金は吹っ飛んじゃったし」

 真鍮飛蝗ブラスホッパーは肩をすくめた。

「大丈夫だ、市警からたんまり懸賞金が出てる。俺たちは儲け、未解決事件がひとつ解決する。一石二鳥だな」

「まあ、それはいいんだけどさ。今日の犬面ドッグフェイス……妙にテンション高いよね。なんか理由があるの?」

 真鍮飛蝗ブラスホッパーがこちらに振り向いて言った。どこか責めるような視線。

「そうか? いつも、こんなもんだと思うが」

 俺はとぼけてそう答えた。

 真鍮飛蝗ブラスホッパーはよく人を見ている。つねに、他人の言動、一挙手一投足をそれとなく観察し、値踏みをするように静かな視線を向けている。それは俺に対しても例外ではない。おそらく、俺を信頼に値する人間かどうか見定めようとしているのだろう。

 一時はこちらに慣れすぎで、逆に心配になるくらいだったが、最近はまた距離を置くようになった。

「まあ、いいけどさ」

 真鍮飛蝗ブラスホッパーは窓ガラスにもたれかかり、ため息をついた。

 諦観と失望、そして、僅かな恐怖のにおい。なにに対する恐怖なのかは検討がつかないが、彼女に対する対応をしくじったのは確かだった。俺は彼女の期待を裏切ってしまったらしい。

 沈黙が車内を支配した。

 しばらくして、サイレンをけたたましく鳴らす市警の飛行哨戒艇パトロール・ボートが近距離ですれ違い、その余波にあおられて浮遊自動車が震える。相変わらず、市警にはクリスマスは関係ないらしい。

 クリスマス。そうだ、今日こそクリスマス当日なのだ。

「今日はすまなかったな。いきなり、仕事を入れて」

「……なにが?」

「確実にあいつを捕まえるには、今日動くしかなかったんだ。俺が冷媒液の購入者について嗅ぎまわっていたことを知られれば、高飛びされる可能性もある」

 真鍮飛蝗ブラスホッパーは身をよじり、すこしこちらの方を向いた。

「気が利いてなかった。今日はクリスマスだってのにな。なにか予定もあったんじゃないか?」

 つい、相棒としての真鍮飛蝗ブラスホッパーを意識してしまって、彼女が年ごろの娘であることを忘れてしまう。圧倒的な戦闘能力と強力なサイバネを持っていても、彼女はまだ大人ではない。気を回すのはこちらの義務だ。

「いや、いいよ。別に、これといった予定はないし」

 真鍮飛蝗ブラスホッパーはこちらに振り向いて言った。さきほどよりも、声色が柔らかい。

「そうか、それはよかった。実は、この数年、クリスマスを祝ったことも、誰かと一緒に過ごしたこともなくてな。仕事を入れないとか、そういうことが……頭の中から抜けてたんだ」

「へえ、そうなんだ」

 真鍮飛蝗ブラスホッパーは再び窓の外に目を向けた。そちらを見てみると、旧市街地特有の背の低い建物が建ち並んでいるのが見える。

「あたしもないよ」

「……そうか」

「あの『ウサギ穴』にそういうのあるわけないしね」

 素っ気なく、真鍮飛蝗ブラスホッパーは言った。しかし、彼女からは悲しみのにおいが漏れ出ていた。

「なあ、仕事が終わったら、ケーキを買いに行こう」

「えっ?」

 真鍮飛蝗ブラスホッパーが振り返る。

「俺は苺の乗ってるショートケーキが好みなんだが、お前はどうだ?」

「いいの? あたしもショートケーキは好きだけど……いや! ああ、そうじゃなくて」

 慌てたように、真鍮飛蝗ブラスホッパーが右手をぱたぱたと動かす。

「クリスマスどうこうじゃなくて、あたしが聞きたかったのは、犬面がなんでその『サンタクロース』ってやつを追ってたかってこと! 前々から、ずっとそいつのこと狙ってたんじゃないの? やたら、事件に詳しいし、そうでなきゃ、いきなり冷媒液うんぬんなんて思いつかない」

「ああ、そっちか」

 俺は思わず、 俺は思わず自分の電脳鼻口部サイバー・マズルを撫でた。

 えらく、勘違いしていたようだ。真鍮飛蝗ブラスホッパーの諦観と失望、恐怖。あれは不信感からくるものだったのだ。俺が『サンタクロース』について、なにか隠し事をしているのではないかという、まっとうな疑念だ。

 まったく、見当違いのことを言っていた自分が恥ずかしくなってきた。

「そうだな。以前、市警の組織犯罪対策部に居たことは話しただろ?」

「うん、聞いた」

「あの『サンタクロース』連続児童誘拐事件はな。当時、俺の同期——ギリィっていうんだが――が担当してた事件なんだよ」

「ほう」

「だが、犯人は結局捕まらなかった。それで、責任を押し付けられたギリィはすっかり気を病んで、市警を辞めちまった」

「なるほど、その仇をうちたいってわけね」

 真鍮飛蝗ブラスホッパーは深くうなづいた。

「まあ、そんなところだ。ジムは気のいい奴だったからな。『サンタクロース』のことはより許せん」

「わかった。じゃあ、ちゃっちゃと仕事を片付けて、ケーキを食べよう」

 そういって、真鍮飛蝗ブラスホッパーは両手を突き上げ、大きく伸びをした。

「その通りだな」

 ちょうどそう言い終わったとき、浮遊自動車が減速し始めた。


 目的の孤児院はズィンク旧市街地の片隅にあった。無用に警戒されないために、浮遊自動車ホバー・カーは孤児院からすこし離れたところに置き、そこから歩いた。

 ズィンク旧市街地は都市戦争以前につくられた古い区画で、一、二階建ての建物が多い。中心街セントラルの天突くような摩天楼スカイスクレーパーに慣れていると、建物の低さや地面との近さが奇妙な感じだ。それは、真鍮飛蝗ブラスホッパーも同じようで、彼女は落ち着かなさげにきょろきょろと周りを見まわしながら歩いていた。

「空が広いね」

 真鍮飛蝗ブラスホッパーが空を見上げながら言った。空が藍と赤の美しいグラデーションに染まり、赤い太陽がフラスコ・シティの外縁部のその外、果てなく続く荒野の地平線に沈んでいくのが見える。

「そうだな」

 俺はうなづいた。中心街セントラルではなかなか見れない光景だ。

 なんどかアスファルト製の路地を曲がると、孤児院が見えてきた。ズィンク西孤児院、もとは教会だった建物を改修したものらしい。三角屋根に付随した尖塔が印象的。なかなかの規模に見えるが、経営は企業ではなく、個人であり、私費と寄付金で成り立っているのは驚きだ。この街で善意に支えられている孤児院などというものが存在するとは。しかし、企業のような厳しい身元チェックがないからこそ、『サンタクロース』が潜り込めたのかもしれない。

 子どもたちの笑い声が聞こえてくる。孤児院の砂地の庭には、十人ほどの子どもたちが追いかけっこをしたり、砂の城をつくったりして遊んでいた。

 それを見守る孤児院の職員と思われる大人が二人。一人はARワイヤーグラスをかけた若い女性。もう一人は、杖を突いている初老の男性だった。

「あれだ、ジョン・バース」

 ふいに、孤児院の建物の方から、鐘の音が聞こえてきた。本物ではなく、スピーカーで再生された音だ。すると、子どもたちは遊びを辞め、我先にと孤児院の建物へと走っていった。

「夕食の前にちゃんと手は洗って!」

 若い女性が子どもたちを追いかけて建物の中へと消える。ジョンもそれに続くが、杖を突きながらのその歩みは遅い。サイバネがダメになりかけているのだろうか。

「ちょうどいい、いまだ。油断はするなよ」

「わかってるって」

 真鍮飛蝗ブラスホッパーは準備運動をするように、軽くなんどか跳ねる。それから、俺と真鍮飛蝗ブラスホッパーは孤児院の敷地に入り、ジョンに近づいた。

「すみません」

 俺はジョンに後ろから声をかけた。

「あっ、あなたたちは?」

 ジョンは振り向いていった。驚きの表情も隠そうとはしていない。

「私たちは犬面探偵事務所のものです。あなたに……『サンタクロース』についてお聞きしたいことがあって来ました」

 ジョンは『サンタクロース』という単語にびくりと反応した。これは、間違いないだろう。

「ついにこの時がきましたか」

 ジョンは天を仰いだ。日が沈み、空はすっかり藍に染まって、星がまたたき始めている。

「そうです。わたしが『サンタクロース』、シム・ベッカーです」

 ジョン――いや、シム・ベッカーは観念したようにそういった。


「すみません。新しい義足に慣れなくて」

 シムは庭に置いてあるタイヤの遊具に腰掛けながらいった。

「サイバネを変えたのか?」

「いや、そうではありません」

 そういいながら、シムはズボンの裾をまくり上げた。そこには、筋電義足でないシンプルな義足が、あった。

「このズィンク西孤児院は前代の院長が、かつてボイニクス社の社員だった頃に築いた資産によって運営されてきました。前代の院長が病気で亡くなった後、娘のシェニーさんが後を継ぎましたが、もう資産はつきかけ、寄付金も年々減っています。そこで、運営金の足しにと、私は自分のサイバネを売りました。腐っても軍用クラスの品ですから、いい値段で売れましたよ」

 シムはズボンの裾を元に戻した。驚くべきことに、シムは嘘をついていなかった。脈拍、汗、表情、体臭。どれをとっても、目の前の男が真実を語っているとしか思えない。

 孤児院のために、自らのサイバネを売る? かつての連続児童誘拐犯がそんなことをするとは思えなかった。

「なぜ、ここまでのことを」

「私の間違いを気づかせてくれたのは、前代の院長でした。以前の私は、自分のサイバネの力を自分のものだと勘違いしていた。院長は私が誘拐した少年の母親に頼まれて、彼らを捜索していました。そして……私にたどり着いた」

 日が完全に沈み、気温が一気に下がってくる。

「あ、雪」

 ふってきた雪を見て、遊具にもたれかかった真鍮飛蝗ブラスホッパーがつぶやいた。

「院長は私に説きました。博愛や慈愛の心について。戦場から帰ってきて以来、心を失くしていた私に、初めて優しい言葉をかけてくれたのが院長でした。私は諭されるままに少年たちを解放しました。そして……」

「この孤児院に匿われたと?」

「院長は私に己の罪に向き合い、再起する機会をくれました。陳腐な言い方ですが、私はそれ以来、心を入れ替えて、この孤児院に尽くしてきました。だがそれも、終わりなんですね。私には過ぎた……奇跡のような時間でした」

 シムは立ち上がった。

「市警に通報するなり、ご自由に。私は抵抗いたしませんので」

 孤児院からは明かりとともに、子どもたちの声が漏れ出してきた。楽し気な笑い声と口ずさまれるクリスマス・ソングの断片が、雪がちらつく寒空に消えていく。


「あれでよかったの?」

 真鍮飛蝗ブラスホッパーは客間のソファに陣取り、培養苺をまるまる頬張りながら言った。彼女は一番初めに苺を食べるのが流儀らしい。

「すまんな。無駄足になった」

 ショートケーキの先端をフォークの側面で切り、口に運ぶ。うまい。巡回する飛行船販売店に飛び込みで買ったケーキだったが、なかなかいける。

「そうじゃなくて。同期の仇をうたなくてよかったのかってこと」

「……まあ、いいだろう。別にギリィ本人に頼まれたわけじゃない」

「そっか」

 真鍮飛蝗ブラスホッパーは素っ気なくいい、黙々とケーキを食べ始めた。

「そうだった。お前に受けとってほしいものがあるんだ」

「病気と借金以外なら何でも」

 俺は、戸棚からラッピングされた箱を取り出した。今日がクリスマス当日であることが土壇場になって頭からすっぽ抜ける大ポカをやらかした訳だが、これを忘れていなかったのは、最低限の一線を守ったと言っていいだろう。余裕をもって、一か月前に前もって買っておいた甲斐があるというものだ。

「メリークリスマス」

 箱を真鍮飛蝗ブラスホッパーに差し出すと、彼女は目を見開いた。

「なに、これ」

「そりゃ、クリスマスプレゼントだろ。いい子にしてたからな」

「別にいい子じゃなかった。だって、私は……」

 真鍮飛蝗ブラスホッパーは言葉を詰まらせた。

「報いを受けただろう。お前は、家も仲間も失った」

「でも、それで償えるものでもないでしょ?」

「確かに、罰を受けたからと言って、罪は帳消しにできるものでもない。だが……人は誰でも罪を犯す。だからこそ、許しが必要なんだ。そう思ってる」

「……開けてもいい?」

「どうぞ」

 真鍮飛蝗ブラスホッパーはラッピングをビリビリに破き、箱を開けた。その中には、1/144スケールの戦闘機の模型が入っている。

 中身を見た真鍮飛蝗ブラスホッパーは、完全に動きを止めた。

「このまえ、空戦ゲームの試合を熱心に見てただろ。だから、好きなのかと思って」

「全然、好きじゃないよ」

 真鍮飛蝗ブラスホッパーは首を横に振った。

「んん、そうか。すまなかった。要らなかったら――」

 俺の手は空を切った。真鍮飛蝗ブラスホッパーが俺の手が届かないように、模型を持つ手をひっこめたのだ。

「でも、嬉しい」

 そういって、真鍮飛蝗ブラスホッパーは笑った。

「ありがとう」

 そういわれた瞬間、俺の胸に温かいものを感じた。血も涙もない、この義体に移る前。俺の心臓が、確かに鼓動していた時に感じたことのある温かみだった。

「どうも。それは、なによりだな」

 俺は今日がここ数年で、最高のクリスマスになったことを感じながら、また、ケーキを食べ始めた。

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