第二章 何も知らないままの僕③

「健ちゃん、やめてくれるかな」

 翌日の昼休み、弁当食べずにボーっとしていたら、なぜか健ちゃんが無言で僕の頬をつねってきた。僕はその手を雑に振り払う。

「わたるっちが物思いにふけってるからだろー? メシ食おうぜメシ」

 と、健ちゃんが俺の隣の席に座った。健ちゃんのこういうところ、ほんと楽天的だよな、と思う。

 健ちゃんはいつもお昼に大量のパンを食べる。今日もいつもと同じように、さまざまな種類のパンが机の上に並べられているけど、ソースたっぷりコロッケパンとイチゴジャムパンの組合せだけは解せなかった。

 両手に持った異なる種類のパンにかぶりつく健ちゃんの姿を見て、思わずため息が出た。大量のドーナツにかぶりついていた大垣を思い出したからだ。

 昨日の夜からずっと大垣の幸せについて考えているけど、どうしたらいいかは全然わからない。

 今日も数学の授業中に、答えと全然関係ないのに『十二』と書いてしまったりしてるから、僕はだいぶまいっているのかもしれない。

「わたるっち、今度はなにに悩んでんの?」

「んー……どうしたら大垣のこと幸せにできるのかなって」

 そう言ったあと、思わず箸でつまんでいた玉子焼きを弁当箱に落とした。しまったと思って健ちゃんを見ると、やっぱり――すごいニヤニヤしている。絶対になにか勘違いしている。

「なーるーほーどーなー! そういうことならもっと早く言ってくれよ」

「いや、健ちゃん今のは違くて」

「いいからいいから」

「よくないんだよ!」

「オレにまかせとけって! あ、はるちゃーん!」

 健ちゃんの暴走に、クラクラして思わず頭を抱えた。

 もうほんと、なんなんだ。人の話は最後まで聞けと小さい頃に教えられなかったのか、健ちゃんは。

 廊下側の席で友達とご飯を食べていた大垣が、律儀りちぎにこちらへ向かってくる。

 もう僕は流れに身を任せようと思った。

「健ちゃんどうしたの?」

「んーそれがさ、わたるっちがはるちゃんに話あるんだって!」

「はぁ!?」

 予想外のパスに、言葉のボールは僕の頭上を通り過ぎていく。

 僕は本当に腹が立って、健ちゃんの胸ぐらを掴んだ。そのまま彼の身体を前後に揺さぶりながら、静かな声で言う。

「健ちゃんふざけないでよほんと。さっきまかせてって言ったじゃんか。丸投げにしないでよ。僕ほんと心底嫌いになるよ健ちゃんのこと」

「くるし、苦しいってわたるっち! ギブギブギブッ」

 これ以上はかわいそうだと思って手を緩めると、健ちゃんはフーフーと深呼吸した。

「どうしたの? 大丈夫?」

 なにが起きているかは理解していないけど、とりあえず大垣が健ちゃんを気にかける。その必要は全くない。悪いのは明らかに健ちゃんだ。

「なんでもないよ。ところで大垣、この中で好きなパンとかある?」

 そう言って僕は、健ちゃんのお昼ご飯であるパンたちを指さす。大垣は、急な質問に戸惑いながらも、「んーそうだなー」とパンの山を見つめた。

「このイチゴジャムパンかな」

「じゃあこれあげるよ」

「え!?」と困ったような声を上げる健ちゃんを無視して、僕は大垣にパンを手渡した。

「いいの?」

「うん。健ちゃんパン買いすぎたみたいだからもらってって。ごめんね、突然呼んじゃって」

「ううん、全然。気にしなくて大丈夫だよ」

「パン、ありがとうね」と大垣が友達の方へと戻っていく。健ちゃんが、イチゴジャンパンが消えたパンの山を見つめて肩を落とした。

「イチゴジャムパン……今日のラインナップの中でいちばん楽しみにしてたのに…………わたるっちのバカ野郎!」

「バカはどっちだよバカ野郎! 話最後まで聞かない健ちゃんが悪いんじゃん。別に僕、大垣のことなんとも思ってないし」

「えっそうなの!?」

 食べながらしゃべるから、健ちゃんの口の中からパンのカスが飛ぶ。汚い。

「違うって、ちゃんと言ったのに、健ちゃんが無計画に突っ走ったんじゃん」

「ごめん…………」

 明らかに落ち込む健ちゃん。心なしか、パンをかじるその口がとても小さくなったように見える。――健ちゃんは少しずるい。前もそうだったけど、健ちゃんが本当に落ち込むと、僕の方が申し訳なくなってくる。

 まるで自分が悪いことをしちゃったんじゃないかって錯覚してくる。

「……うまく誤魔化せたからもういいよ」

 だから結局、こうしてすぐに許してしまうんだ。

「でも、そうなると、ますますわかんねーなー」

 健ちゃんが片眉を下げて言う。

「なにが?」

「わたるっちがさっき言ってたことだよ。好きでもないなら、なんでその人の幸せを考えるんだ? いや、ただの友達でも幸せを願うかもしれないけど、わたるっちのはそういうんじゃなくて、鬼気迫る感じだったからさ。どうでもいい人を幸せにしたいって真剣に悩むなんて、その方がおかしいだろ」

 健ちゃんの言とおりだと思って、僕はなにも言えなかった。

 でも本当の事を言ったところで、おかしいことには変わりない。

 自分が死なないために大垣を幸せにしたい――なんて、全然普通じゃない。

 昼休みの終わりを知らせるチャイムが鳴る。健ちゃんが自分の席に戻る前に、何気なく僕に言った。

「オレには、わたるっちがなんではるちゃんを幸せにしたいかわかんないけどさ。女の子幸せにするなら、とにかくいろいろ試してみたらいいじゃね? 甘いもの食べさせるとか、どっかに連れて行くとかさ。幸せにしたいって思ってるだけじゃ絶対にできないし、行動しないと意味ないだろ? 考えてもいいから、ちゃんと行動もしないとな。何事もトライアンドエラーだよ」

 健ちゃんが「ガンバレよ」と言って、自分の席へと戻っていく。

 何気ないその言葉は、僕の堂々巡りを止めるには十分だった。

 たしかに、そうだ。

 母さんもおじいちゃんも、僕が考えて行動したからこそ幸せにすることができた。

 こうしてあれこれ考えている間にも時間はどんどん進んでいって、その分だけ自分の死期が近づいてると思ったら、こうして立ち止まっている暇なんてない。

 それなら健ちゃんが言ったとおり、『トライアンドエラー』した方がいい。

 前の席に大垣が戻ってきた。僕は意を決して、彼女の背中をトントンと叩いて言った。

「大垣、今週の日曜とか、空いてる?」

「空いてるけど」

 突然のことに、本当に驚いたように「どうして?」と大垣が目をパチパチとさせる。

 そりゃそうだよなと思いつつ、でももう引き下がれないから。僕は生まれて初めての言葉を口にした。

「あのさ、もしよかったらなんだけど……日曜日、僕とどこかに行かないか?」

 大垣が、僕の言葉を理解するまで少しのがあったような気がする。その一瞬の間が僕を不安にさせた。もし断られたらどうしよう、どうしたらいいんだろう。

 でも、それは杞憂だった。

「はいっ」

 そう返事をした後、大垣はなぜか僕から目を逸らしてギュっと唇を結んだ。――勢いのまま言ってから気付いた。

 傍から見たら、これはただのデートのお誘いだ。


 その日の放課後、今まで漫画しか買ったことのなかった本屋さんで、僕は初めてイマドキの雑誌を買った。最新オススメデートランキングが載っている高校生向けのものだ。

 家に帰ってから、すぐに自分の部屋に駆けこんだ。いつものようにベッドに寝転がって、雑誌を熱心に読み込む。

 ――なるほど。雑誌によると、初めてのデートで失敗しないためには、天気を気にしなくて済むように屋内の施設を選ぶといいらしい。さまざまな施設が紹介されている中で、僕は『水族館デート』と『映画デート』の二つに絞った。もちろんどちらも失敗しない条件はちゃんとクリアしている。

 んー、と唸りながら、二つの候補とにらめあっているときだった。

「わたくしのオススメは、映画デートですかねぇ」

「びっくりしたー!」

 いつの間にか自分の顔の真横にセンドさんの顔があって、心臓が止まるかと思った。

 もしこの前触れのない登場が続いたら、僕はもっと早く死ぬんじゃないかと思う。

 そのせいで本当に死んだら? ――そのときは遠慮なくセンドさんに責任をとってもらう。

「なんで映画デートがオススメなんですか?」

「映画は会話に困りませんからね。映画を観ている間はもちろん会話の必要はありませんし、見終わってからカフェに入ったとしても、映画という共通の話題があるので沈黙になることはありません。以上の理由から、映画は初めてのデートにはもってこいです」

 センドさんがテンション高めにウィンクしながらサムアップする。ちょっと、いや、かなりウザいけど、言っていることは正しいと思う。

「なるほど……いいですね、映画デート」

 センドさんのプレゼンテーションを聞いて、二択だった僕のデートプランは『映画デート』一択となった。

 会話に困らないというのはかなりポイントが高い。

「デートのお相手は大垣さまですか?」

「はい……って別に、デートじゃないですけどね」

 そうだ。別に、デートじゃない。

 自分に言い聞かせるためにも言った。

 それより、ただ出かけるだけなのにデート特集の雑誌なんて買ってしまったから、なんかすごく気合いを入れている人みたいだ。

 途端に恥ずかしくなって雑誌をポンと放り投げる。

「自分が死なないために大垣を幸せにするだけです。そのためにもがいているだけで、別にデートとかそんなんじゃなんですよ」

 ――って、どうして僕はこんなにも言いわけっぽく話しているのだろう。

「そうですか。まあ条件を気にするのは大前提ですが、純粋に毎日を楽しむことも忘れないでください」

「それでは」と急いだようにセンドさんが消える。

「……初日と言ってること違うじゃないですか、センドさん」

 ひとりごとは、もちろんセンドさんには届かなかった。

 先ほど放り投げた雑誌を拾い上げて、再び目を通す。映画デートの部分を、穴があきそうなほど読み込んだ。

 日曜日、僕は生まれて初めて休日に女の子と二人で遊ぶ。――あれ? なんか急に、心臓が速くなってきた。

 いやいやいや。別に、ただ友達と遊ぶだけだ。緊張する必要なんてない。それに、自分から誘っておいてこの有り様って、ただの自意識過剰みたいでなんか嫌だ。

 再び雑誌を閉じて、部屋のクローゼットを開ける。

 ゾッとした。

 日曜日に着られそうな、いわゆるまともな服が一枚もない。明日の放課後にでも、どこかで調達しようかと考えて止まる。

 ――だから、別にデートじゃないって! 服なんかいつも着ているものでいいじゃないか。安定のTシャツにジーンズ。それにチェック柄のシャツを羽織れば気温の変化にも対応できるから安心だ。

 オールオッケー。それでいい、それがいい。

 そう思ってベッドに飛び込む。

 再び手に取った雑誌は、無意識にメンズの流行ファッションが載っているページを開いていた。

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