3話 ルシフル

「もう一人? あの子は隠れてるのよ。ワタシが代わりに戦ってるの」

「戦いじゃねぇよ。遊んでるの間違いだろ」


 南の国の腕の立つ魔術師達でさえ、手を焼くほどの性能を持つのが【天使】なのだ。余程の搦め手を持たない限り、正面からの勝ち目は皆無。


「じゃあ、遊ぼ♪」


 【天使】は笑う。その瞬間、シガはその場から横へ軽く跳んだ。


「?」


 シガの居た場所に斬撃が走る。瓦礫を縦に両断するほどの切れ味は、物質の重なりで威力が落ちるモノではない。


「エアカッターか」


 エアカッターは高速で放たれる粒子の飛礫によって物質を切断する【天使】専用の武器である。あまりに小さく、加えて高速であるため肉眼で捉えることが難しく躱す手段は皆無に等しい。


 しかし、無挙動ノーモーションで飛んできた攻撃をシガは先読みで躱していた。


「すごい! 避けた人は初めてだよ!」

「悪いな。秒で決める」


 シガは左腕で空間を掴むように指を閉じると、自分の方へ引っ張る様に腕を引く。

 途端、【天使】はロープで引っ張られるようにシガへ引き寄せられていく。


「アハハ」

「!」


 直感で死を感じ取ったシガはその場に屈む。上を横向きの斬撃が通り抜けると遅れたコートの丈が切断された。


「見えてるの?」


 バサッと【天使】の視界がシガの脱いだ耐熱コートで覆われた。シガは引き寄せた【天使】に左拳を構える。


「シールド♪」

「! 灼熱イグニッション!」


 耐熱コートが消滅するほどの熱と、シガの左腕に宿った熱がぶつかり合う。並大抵でないエネルギー同士のぶつかり合いは巨大な衝撃を生み、双方を吹き飛ばした。

 【天使】は宙でくるっと姿勢を整えると、体勢を整えて後ろに滑りながら着地するシガを追うように建物の間を飛行する。


「アハハ! こんなに楽しいのは久しぶり――」

「――『風を立つ剣スラスト』」


 その時、東の区画から疾走して来たジェイが横の建物から跳び出す。鋭い剣筋は【天使】を狙って振り下ろされた。

 魔力によって切れ味を増した剣は一時的に鋼鉄を両断する攻撃力を得る。

 ジェイの奇襲は完全に【天使】の虚を突く。加えて『風を立つ剣スラスト』は【天使】の首を完璧に捉え――


「――――なんだと!?」


 剣は柄から先が削られるように消滅していた。高出力の防御シールドは鋼鉄を両断する程度では破るどころか、触れた物質を一方的に消滅させるほどのエネルギー密度を持つ。


「なに? お姉さん――」


 奇襲が出来たとはいえ、迂闊だったとジェイは後悔するが【天使】のエアカッターが襲い掛かる


歪曲ワーム


 シガの言葉でエアカッターはジェイを避ける様に彼女の左右を切り刻む。更にシガは左腕でジェイを近くに引き寄せた。


「助かった」

「タイミングが悪かったな。シールドを張ってる間は殆ど攻撃が通らない」

「なんだ、二人居たのね。死なないでね? まだまだ遊び足りないから♪」


 【天使】の光の翼が大きくなり片腕を振り上げる。躱す隙間など無い程に無数のエアカッターをシガとジェイに向けるつもりでロックしていた。

 新たな剣を構えるジェイとは裏腹にシガは敵意なく前に出て言葉を放つ。


「ルシフル」


 その言葉に【天使】は反応したように振り下ろしかけた手を止める。


「居るんだろ? 出てきてくれないか?」

「何を言ってるの? ワタシはオグルよ」

「シズルからお前達のことは聞いている」


 すると【天使】は額に手を置くと混乱するように頭を抱え始めた。






「今更……どういうつもり……アナタは引っ込んで……いなさいよ……ワタシが全部……殺して……お母さんに褒めて……もらう……」


 ゆっくりと光の翼が小さくなり、それに比例して高度が下がって行く。頭上に存在していた光のリングも霧散していくと、【天使】は完全に地面に座り込み俯いていた。


「ジェイ、オレに任せてくれないか?」


 目の前に降りてきた戦意のない【天使】を警戒するジェイであったが、シガは歩いて近づいていく。


「気分はどうだ?」

「わたしが……殺してしまったのです……止められなかったのです……」


 シガの言葉も聞こえていないように【天使】は涙を流していた。


「ずっと……ずっと……見ていたのです……たくさんの人が……死んでいくのを……わたしだけが止められたのに……ごめんなさい……ごめんなさい……」


 これが先ほどまで圧倒的な戦闘力を見せつけた【天使】だというのか?

 別人のような様にジェイは困惑したが、同時に今の内に斬っておくことが最良であるのだと結論を出す。


「殺してください……わたしは……」


 顔を伏せたまま涙を流し懇願する【天使】にシガは近づくと、片膝をついて目線を低く合わせた。


「死にたいのか?」


 シガの問いに【天使】は縦に頷く。


「お前の言う通りだ。オグルの罪はお前の罪でもある。最も近くに居て止められなかったのはお前の責任だ。そして、責任は果たさなければならない」

「…………」


 【天使】は今までの罪を糾弾されることを覚悟し、眼を強く閉じて執行を待っていた。


「死ぬことはその責任を放棄するという事だ」

「……え?」

「命を奪った事……オグルを止められなかった事に責任を感じているのならオレも同じだ。オレが一番にお前達に会いに行くべきだった」


 すると【天使】は優しく頭を撫でる感覚に顔を上げた。その様子に後ろから見ていたジェイは剣を握る手に力がかかる。


「オレはシガ。シズルの兄だ。あいつから、お前たちの事はよく聞いているよ」


 その優しい表情は、よく頭を撫でてくれた母と同じ暖かさを感じた。その様子から抑え込んでいた感情が溢れ彼に抱き着く。


「伯父さん……お母さんが……お母さんが……」

「知っているよ、ルシフル。今は少し休め」






「シガ殿。それは本気ですか?」


 ジェイは眠った【天使】を背負ったシガに対して、剣から手を放さずに詰問する。


「本気も何も、こいつはオレの家族だ」

「最初からそのつもりでこの依頼を?」

「確証はなかったけどな。それでお前はどうする?」


 シガは【長老】からの命をジェイが受けていることを察していた。そして、状況によっては自分が始末されることも察している。


「あのジイさんの事だ。【ナンバーズ】との戦いにオレが使えるかどうか確かめたいんだろ?」

「…………」

「良い提案があるんだが聞くか?」

「……一応聞こう」

「今回の件はサンドワームの特殊個体って事にすればいい。幸いにも目撃者は少数だし、【天使】だという情報も広がってない」

「それだけでは師が納得するとは思えない」

「お前が納得してくれればオレからも話をする。いくらか手札はあってな。説得する自信はある。後はお前次第だ」


 シガの眼は真剣だった。もし、この場で自分が首を横に振った場合、中央の国に戻れないと悟っている。不自然に多かった荷物は……逃げ出す為の物資だったということか……

 今回の依頼でジェイが優先するのは師の命令、ただ一つだ。だとすれば――


「……分かった。今回はシガ殿の話に合わせる」


 戦力としてシガが戦えるかどうかを見極めるという事。それは、【天使】と戦い、正面から無傷でいる事が何よりも証明されたと言えよう。

 それに、彼が中央の国から消える事は相当な痛手にもなる。


「ありがとな、ジェイ」

「今回限りだ」


 ジェイは口笛を吹くと、自由に待機させていた砂竜サドンが走ってきた。

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