「それと関わる話なんだが……。アンタ、災厄の皇子って知ってるか?」


「災厄の、皇子? ……ああ、帝都のどこかに住んでるっていう。クローステンが私の傭兵団の拠点なんだけど、ザリエルン大公のお膝元ってこともあって、住民は随分と嫌ってるみたいだね。皇族なんて会ったことも無いし、私はよく知らないけどさ」 


 ジグムントの口から唐突に飛び出した単語にヘルガは困惑しながらも自分が知っている限りのことを話していく。言葉は違うものの、同じ質問をゲルトにした時とほぼ同じような答えだ。拠点こそあれ一か所に長く留まらない風来坊が如き傭兵たちは、良くも悪くも土地に染まらない。その土地の領主にも、だ。

 彼女が言った通り、クローステンKlostenは帝国南部に大所領を持つザリエルン大公が居城を構える大都市である。ザリエルン大公家は数百年前にグリューネヴルム帝室から分派した家門であるが故に、家長は帝国唯一の大公位を戴いている。そんな事情があるため、帝室から追放された〈災厄の皇子〉に対する風当たりは帝都と遜色ないほど強い。帝都からそう遠くない土地柄もあって、ヘルガの耳にも入ったのだろう。

 彼女の口ぶりからは、そもそも知識が無いということもあってかあまり〈災厄の皇子〉に対する敵愾心が感じられなかった。恐らくジグムントが帝都で出会った時と同じように、彼女も大して抵抗無く〈災厄の皇子〉と話ができるだろう。

 それはともかく、青年の話の切り口があまりにも想像の斜め上だったので、ヘルガは再び本題へと戻ろうとして言葉を紡ぐ。


「けど、それが今の話と何の関係が……」


 が、青年は女傭兵が言い終わるのを待たず、ぽつりぽつりと語り出した。


「俺は一週間前、ゲルトと一緒に災厄の皇子が住む街区へと足を踏み入れた。街区に棲み着いた盗賊狩りのため……そういうでな」


「……は? 一体、何を」


「俺はその日の朝、市庁舎に呼び出しを食らった。するとある筆頭役人が、団員共の酒乱騒ぎのツケを払うために盗賊狩りをしろなんて命令してきやがった。俺はそんなダルいことは御免だと突っぱねたが、付け加えてアイツはこう言ったんだ。

 『盗賊狩りの騒ぎを大きくして〈災厄の皇子〉をおびき寄せ、ヤツと共闘しろ。それで油断したヤツの口から、を引き出してこい』ってな」


 ジグムントは無表情のまま、自らが盗賊狩りに行った経緯を淡々と話していく。その黒き瞳は眼前のヘルガを映し出してはいたが、どこか遠いところに意識が向いているようだった。その姿はまるで自分の過去を追想しながらも、それに対して沸き上がる感情を押さえつけているような印象を与えた。

 ただ、急に押し寄せた情報の濁流に、女傭兵の困惑は更に深まった。


「ま、待ちなよ。何が何だか……。だいたい、その言質ってのは何なのさ?」


 そこまで詳しくは知らんが、と前置いてからジグムントは長く語り出した。口の端は全く動くことなく、後頭部を掻くような挙動も見せず。段々と、ヘルガは彼が時折見せるその癖の意味が分かってきたような気がした。


 十日前のことだ。

 〈災厄の皇子〉の従士二人と司祭一人が、帝都の教会堂にて口論の末に刺し違えて命を落とした。だが、市の役人共はその真偽を疑っていた。何たって、死体を発見したとある貴族が、損壊の激しかった死骸をそのまま教会の墓地に埋めたなんて怪しい話さ。市当局はすぐに死骸の調査をしようとしたが、その時はもう帝国軍の出陣が間近でそれどころじゃなかった。帝都やその近郊に住む帝国下級騎士ミニステリアーレの多くが帝国騎士団の一員として出征するから、より多くの人員を治安維持に割かなくちゃならない。戦となれば、ただでさえ人手はいくらあっても足らねぇ。宮廷に呼び出しを食らう役人も多く、何にしてもたかが殺人事件の調査なんて後回しさ。

 ただ、あの役人……ホルストって男は、最初からそれが〈災厄の皇子〉の仕業だと決めつけているかのようだった。さしずめ、騎士と僧侶殺しの罪をヤツに被せてにでもしようとしてるんだろうさ。〈災厄の皇子〉がいくら嫌われてるからって、それはやり過ぎじゃねぇかって思ったがな。ともかく、ホルストは自分たち役人が動けない代わりに、俺に依頼をしてきた。盗賊狩りのついでにヤツと接触し、ヤツのを引き出してこいってな。治安維持にも一役買えて、一石二鳥ってわけさ。役人共の好きに使われるのは癪だったが、ホルストは破格の条件を提示してきやがった。多額の報奨金と……この戦いにおける〈紅の狼グラナヴォルフ〉傭兵団の後方配置。

 ついでに帝国軍全体の布陣図や、大まかな聖王国軍の数も教えてもらったってわけだ。なんせ出征前だ、敵の具体的な数は分からずじまいだったがな。それにしたって、どうして市の筆頭役人如きがそんな情報を握ってたのかは分からんが、そこまで都合の良い話なら呑まないワケにはいかねぇ。俺は事情を知らないゲルトに盗賊狩りとだけ伝え、ヤツが住まう街区に赴いた。そして命令通り騒ぎを大きくして〈災厄の皇子〉を釣り出して共闘した。その後、俺はヤツの同情を引くために自分の身の上話をした。そしたらヤツは自分の凶器をポロッと白状したのさ。


『あれは、禁忌魔術。聖教会から異端認定されている、私が唯一扱える魔術だ』


 なるほど、と腹の中で合点がいったね。あんなガキがどうして魔術を扱える聖職者や騎士を殺せたのか分からなかったが、俺は盗賊狩りの時にその魔術の威力を目の当たりにしていた。殺意に関しては微妙なところだったが、そこらへんは魔族の血が流れた呪われし廃太子のことだ、内なる狂気に駆られて身近な人間にでもしたんだろうさ。そこまで辻褄を合わせときゃ、俺の仕事は終わり。

 後は適当に皇子との会話を繋いで、ホルストたち役人共が死体を回収しに来ることを待った。幸いなことに禁忌魔術を食らいたての死骸を回収できたから、次はそれと教会に埋められてる騎士共の死骸の外傷を見比べりゃ良い。それらが一致すれば〈災厄の皇子〉は紛うことなく三人の上流階級を殺した大罪人。八つ裂きだか火刑だか知らねぇが、そりゃあ群衆の前で盛大に処刑されるんだろうさ。


 ジグムントは帝都で自分がやったことの一部始終を語り終えた。その表情は、誰かに事の真相を吐き出すことができて清々としているようにも見えた。

 だが、ヘルガはそれとは反対の神妙な面持ちで、青年に問うた。


「……それじゃ。あんたは、その皇子をの為に売ったってことかい?」


 青年の体が、一瞬だけ完全に静止した。

 ふっ、と表情も強張って、無となった。

 しかしすぐに肩を震わせながら顔貌を酷く歪め、低く告げた。


「そうさ。全ては自分の為、金の為なら何だってやる。それが、傭兵だろ?」


 ジグムントは力無く、そう告げたのだ。

 その、刹那。


 ――――——二つの刃が、交錯した。

 

「……どこから現れやがった、爺さん」


 咄嗟にジグムントが鞘から振り抜いたナイフと。

 疾風の如く現れた一振りの刃剣メッサーが、火花を散らしたのである。

 一瞬の内に繰り広げられた攻防に、遅れて土埃が舞い上がった。

 いったん後方へ退き、ジグムントが自身の敵がいる方を力強く見据える。

 平原を吹き荒ぶ西風に土煙が晴れていくと、敵の姿が露わになった。

 青藍のローブに、純白の髪と髭。老いを感じさせない、引き締まった体躯。

 その男はジグムントを鋭く睨みつけながら、堂々と名乗りを上げた。


「我が名は、レイナード・フォン・ヴァルトブルク。傭兵よ、名を名乗れ。我が主君を亡き者にせんとする輩を、私は決して逃がしはしない……!」


 〈純白の賢者〉レイナード。この戦場では傭兵軍と共に、後詰に配置されていた百のルードリンゲン魔導伯軍を率いる高名な魔導士。距離を取って二人の様子を窺っているヘルガにも、その名は重みを持って受け止められた。


「俺は、ジグムント・ウィルクスキ。紅の狼グラナヴォルフ傭兵団長だ。……我が主君? なるほど、アンタが災厄の皇子の新しい従士ってワケか。で、俺たちの話を盗み聞きしてたってことかよ。どう嗅ぎ付けてきたか知らんが、それで俺をどうする気だ? 殺して、俺の首を主君の墓前にでも手向けんのかよ?」


 青年は名乗りながらも、冷静にレイナードの意図を類推する。それから軽薄で余裕そうな表情を浮かべた。たとえ今、老爺が自分を殺したとしても何の意味も無いことを知っていたから。すると、レイナードは低い声音のまま言った。


「ディアーク様はまだ死罪になったわけではない。戦時の治安維持に腐心している今、役人は死骸の調査に乗り出すことはできぬ。それは、貴様も知っているだろう」


「まあな。だが、それならすぐにでも帝都に戻って、危機にある皇子をお護りしなくちゃならないんじゃねぇか? 俺なんか相手にしてないでよ」


 ジグムントは薄く笑った表情を崩さないままだ。

 それに対して、老爺は真剣な面持ちで刃剣を構え直した。


「私はディアーク様の従士である前に、皇帝陛下の従順なるしもべ。戦いが終わるまで、陛下より与えられしこの陣地を離れることはできぬ。しかし今の話を聞いた以上、貴様をタダで帰すわけにはいかぬのだ。捕縛し、貴様のを問いたださねばならぬ」


「はぁ? 真意だと? 俺の話に嘘があるってのか?」


 青年は困惑の表情を浮かべたかと思うと、すぐさま捕縛という言葉に警戒心を強めた。殺意は無いらしいが、何にしても戦いは避けられないらしい。


「そうではない。……貴様が皇子に初めて接触し、言葉を交わし、そして抱いた印象。本当にそれは『災厄の皇子』だったのか。私は、ただ……それを知りたいのだ」


 レイナードが悲痛そうに、呟くように発した言葉。ジグムントはすぐにはその意味に見当が付かなかった。完全に部外者となって傍観しているヘルガにとっては、当然分かるわけも無い話だ。しかしそんな彼女にも分かることがあった。

 〈純白の賢者〉は明らかに青年へと刃を向け、それに呼応して青年も背負っている大剣ツヴァイヘンダーに手が伸びているということ。二人の決闘が、間近であるということ。


「何を言ってるのかさっぱり分からんが……。話より、決闘が先らしいな」


 ふと、ヘルガは両者が睨み合っているはざまに焦点を合わせた。

 傾き続ける太陽によって微かに茜色を帯びた西空。その様は、ここからでは分からない。西方では戦闘が続き、黒煤と褐色土が混ざり合った煙が昇り続けているから。そんな前線から遠く離れたこの地でも、新たな戦火が生まれようとしているのだ。

 すると、心なしか吹き続けていた風が少しずつ止んでいくように思えた。

 それに合わせて二人の間に走る緊張も高まっていく。

 得物を握る両者の腕により力が入る。そして。

 遂に、風が止んだ――――。


 ところが、二人は全く動かない。

 二人、そしてヘルガの耳にも思わぬ情報が飛び込んできたからである。


! 敵襲ーーーーッ!』


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