④
少し遠くから大きな物音と叫び声が聞こえて目を覚ましたのは、昼餐を終えてからしばらくしてのことだった。昼餐は十一時ごろに摂り終わり、それからまた裁縫を再開したのだが、いつの間にか眠りこけてしまったようだ。
食卓の椅子に背中をもたれていた少年は、紅い瞳を持つ目を覚醒させた。
そしてすぐさま振り返って、玄関の方を見る。視界には同じように屋敷の外に意識を向けている従士が一人。ラインハルトだ。左腰に提げた剣に手をかけている。
「……ユリア、ユリアはいるか!」
ディアークは平生より声を大きくして、屋敷中に聞こえるように言った。
しばらく続く沈黙に、少年の眉間に僅かな皺が寄ったが、それは杞憂であった。
「はい、ただいま……」
裏庭の方からいつもと変わり無い小間使いの声が聞こえて、ディアークは安堵する。恐らく洗濯物を見に行ったか、花壇に水をやりに行ったのだろう。
ともかく、外にいるにしても裏庭なら問題ない。物音と叫び声がしたのは、玄関に面した通りの方向だったからだ。正直なところ、少年はこういう時の対応に慣れていた。すぐにユリアの安否を確認してから、二人で離れないように屋敷の中で待つのが最善策だ。……こういう時、というのは。
「また盗賊共の内輪揉めであろう。どうせじきに終わる。屋敷の中に
裏口の扉から入ってきたユリアに、少年はそう声をかける。
ディアーク達が住む東市街のこの街区は、正式には少年の屋敷以外の住宅に誰も住んでいないことになっている。しかしそれは市参事会や教区教会が正確に把握していないというだけで、そこには確実に棲みついている。帝都中から、そして帝都の郊外からも流入した盗賊共が。帝都の中心部と周縁部とのちょうど中間あたりに位置しているという地理的条件も作用してか、この街区はまさに匪賊の吹き溜まりである。
しかし集まった彼らとて一枚岩ではない。昼夜問わず帝都の至る所に出向いて悪事を働く彼らだが、当然大勢での犯行を企てれば流石の騎士団も黙ってはいない。ディアークが住む街区でなければ、騎士団が盗賊如きに何を恐れることがあろうか。そのため盗賊共は少人数で徒党を組んで、属する盗賊団の利益の為に動く。ところが、盗賊団同士の利益がひょんなことから衝突したら? 例えば、ある盗賊団の失態で別の盗賊団の情報も芋づる式で市政に知られてしまったら? 市庁舎に赴いて、どちらが悪いか裁判でも開いてもらうだろうか? 本末転倒である。起こるのは争いのみ。
盗賊共の牙城には、常に内紛という火の粉が潜んでいる。そしてその牙城の一隅に凛と咲く一輪の花がディアークの屋敷。火の粉を振り払う術など心得ている。
「しかし、ディアーク様。様子が少しおかしくありませぬか」
ユリアは少年の傍に来て、少し不安そうにディアークを見ながら立つ。
ラインハルトの方は不安とは全く異なる緊張感を滲ませながら、少年に言った。
「どういうことだ、ラインハルト」
「内輪揉めなら、口論から武力行使へと移るはずです。しかし今の物音と叫び声は全くの予兆無しに起こりました。……突然、外部から攻撃されたかのように」
「ッ……。ラインハルト、付いてまいれ。外の様子を見る」
従士の冷静沈着な応えに、ディアークは何かに気付いたように席を立った。ラインハルトは「はっ」と短く返す。そのままずんずんと玄関に向かう少年を見て、ユリアは慌てて階段を上っていく。しばしお待ちを、しばしお待ちを、と呟きながら。
その呟きを無視して玄関の扉を開けて出ていくほど、ディアークは非情ではない。やがてユリアが階段を下りてくる。彼女の手には少年が見知ったものが握られ……。
いや、翻っていた。
「私のマントではないか。無くても困らぬだろう」
「ゼバルドゥス様が貴方様に下さった、今となっては形見の品ですから」
ラインハルトが付けているものと大して変わりが無い、純白のマント。他の騎士が持っているものとも殆ど見分けが付かないものだが、それでもディアークにとっては大事なものだった。二日前の朝、小間使いは少年の口からゼバルドゥスが亡くなったことを告げられた。表面上何でもないように振舞ってはいたが、マントを少年に差し出す彼女の顔は一つの強い意志のようなものを感じさせた。
ディアークは何も言わずにそれを受け取り、慣れた動作でマントを肩に付けた。そして玄関の木扉の前に立って、振り返らずに言った。
「ありがとう。ユリアはここで待っていてくれ。……行ってくる」
それ以上、余計な言葉は不要だった。ユリアの返事を待つことなく、少年は扉を開けて屋敷の外へ出ていった。それに続いてラインハルトも全身を陽光に照らされていく。春風に揺れた白きマントが、まるで二輪のスノードロップの花のように見えた。
ルミエルド聖教の言い伝えによれば、スノードロップは〈慰め〉と〈希望〉という二つの花言葉を持つという。少年が求めるのは、どちらか。
ゼバルドゥスを喪い、傷付いた自らの心を癒す……慰めか。
どんな不幸が襲おうとも、未来へと進み続ける……希望か。
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