、どうしてゼバルドゥス司祭と深い親交があるなどと嘘付いたんだ?」


 普段の彼の、穏やかさの中に隠しきれない狂気を内包させた喋り方とは全く違う。

 鋭くて、触れたら傷付いてしまいそうで、脆くて、触れたら壊してしまいそうな。

 そのことに即座に気付き、レイナードはハッとガーブリエルの方を向いた。

 しかしその時には、ガーブリエルの表情は張り付いた満面の笑みだった。


「アナタと皇子の会話はずっと聞かせてもらいましたけどねー。どうにかしてあの皇子を味方に付けたくて必死だったんでしょ? だから、あんな嘘を」


「……そう、だな。私はゼバルドゥスの事など名前しか知らぬ。そうでなければ、どうしてあの男をことなどできようか……」


 レイナードは肩を震わせながら言った。

 全ては自身の目的の為に。無辜むこの司祭を一人、あの従士たち二人と引き合わせた。

 ガーブリエルは自身のくすんだ金髪を大きく掻き揚げながら、更に問う。笑みを浮かべるのは忘れずに、しかし薄っすらと怒気を纏っている。


「僕には分からないんですよー。アナタの目的の為に、あの皇子が何の役に立つというんです? 僕が長い間、陰から監視して。副従士長のゲオルクに、皇子がよく訪れるのはあの聖堂だと教えてやった。そして今日……この日。従士二人は司祭を殺し、それに激昂した皇子は従士共を殺した……。全てがアナタの計画通りです」


 ガーブリエルは、割に合わないと言いたいのだろう。レイナードが故郷のルードリンゲン地方から魔導士団を連れて来る以前から、彼の野望は始まっていた。

 ゼバルドゥスの死は偶然に非ず。全ては、レイナードの目的を果たす為に。

 老爺は応えない。青年はそれでも語り続けた。


「あの皇子が異常な力を持っているということは分かります。油断していたとはいえ、魔術を扱える騎士二人を相手取って、一方的になぶり殺して見せた。非力な子供ですが、を以てすれば確かに容易いこと。ただ、あれ程までに熟練したものにするには相当のが必要だったに違いありません。そう、この屋敷の周りに幾らでも潜んでいる盗賊共が格好の相手になったでしょうねー」


 そう言って、ディアークの屋敷の周囲に建っている無数の廃屋はいおくを、ガーブリエルはわざとらしく眺め回した。最後に、馬車の中の盗賊共に目を落とす。

 皇子の屋敷が建っているこの街区には、公にはディアークと小間使いのユリア、この二人しか住んでいない。帝室が立ち退かせたのではなく、災厄を恐れた住民たちが蜘蛛の子を散らすように家を出て行ったためだ。そして誰も住んでいない住居の数々に代わりに住み着いたのは、災厄をも恐れぬ盗賊共というわけだ。

 ガーブリエルは皇子の力については認めつつ、それでも問い続けた。


「しかしどんなに強大な力を持とうとも、奴は所詮しょせん災厄の皇子なのですよ? 何の権力も、後ろ盾も無い。帝都から一歩出ることすら叶わない。そんな子供を、何故」


 全く以て理由が分からないという風に、ガーブリエルは矢継ぎ早に言葉を並べ立てる。余裕が無いことを示すように、語尾を伸ばす癖が消えてしまっている。

 そんな青年とは対照的に、レイナードは落ち着き払っていた。

 そして。たった一言と共に〈純白の賢者〉は口の端を大きく歪ませた。


「だからこそ、どんなうつわとなるか……楽しみではないか」


 ガーブリエルは老爺の初めて見た類の表情に、微睡んだ灰色の眼を覚醒させる。

 その表情は、狂喜ではない。自分でも分からない、言い表しようもない心の高揚が忽然と発現したかのような。笑みでは決してない、顔貌の大いなる歪み。

 レイナードは心の中で、ディアークとの会話を回想していた。


『私など、死んでしまえば――――』


『—―――なんと愚かなことかッ!』


 どうしてあの時、私はあんなにも強い怒りを覚えたのだろう。


『ゼバルドゥスの、あの言葉の真相を知るまでは。私は死ぬわけにはいかぬのだ』


 どうしてあの時、彼はあんなにも強い意志を抱いたのだろう。


 あの時から。あの皇子の従士長となることに。単なる協力者ではない、しかしまだ何なのか分からない関係になることに、言い知れぬ心の昂ぶりを感じていたのだ。

 レイナードの表情はいつの間にか平静のものに戻り、青年の方を向いていた。


「……なら、しょうがないですねー」


 まだ完全には納得していない様子のガーブリエルだったが、調子が狂ったとばかりに口調を戻して、掻き揚げたままになっていた髪をぐしゃぐしゃと元に戻した。

 

「じゃ、僕の質問も済んだんで。帰らせてもらいます。遅くともひと月後には馬車を返しに伺いますからー。それじゃあ、また遭う日まで。レイナードの旦那」


 もはや余計なことは何も言うことなく、青年はそそくさと必要なことだけを伝えて馬車の手綱を繰った。張り詰めた空気にいななきすら忘れていたかのように静かだった一頭の栗毛の馬は、ようやく解放されたとばかりに猛然と歩みを進める。

 

「ああ、また遭う日まで」


 老爺はそう返して、馬車が通りの奥の方へと消えていく様を眼差し続けていた。




 ルミエルド聖暦六百四十五年四月十四日 午前九時頃

 アルザーク帝国 〈帝都〉グラーフェンヴェルグ カイザーブルクKaiserburg


「……なるほど。レイナード殿たっての願いとあらば、無碍むげにはできまい。おぬしをディアークの従士長とすることを認めよう」


 帝都の北部・きゅう市街しがいに鎮座するカイザーブルク城。名の通り、アルザーク皇帝を始めとしたグリューネヴルム帝室が住まう、石造りの堅牢な城である。

 その玉座の間にて相対しているのは、玉座に座って大仰な装飾の付いた冠を頭に戴き、豪奢な衣服を身に纏った初老の男と。

 そして青藍のローブを纏い、立派な白髭を蓄えた老爺であった。

 老爺を見つめる男が戴く冠は、その主の面持ちを表しているかのように不思議と静謐せいひつに満ちた雰囲気を纏っている。仄かな、力の胎動と共に。


「有難き幸せ……皇帝陛下」


 膝まづき、深くこうべを垂れて謝意を述べるレイナード。

 頷くのは、当代のアルザーク皇帝にして〈賢帝けんてい〉の異名を持つ男〈エルンストErnstフォンvonグリューネヴルムGrunewurm〉。ディアークの実父である。しかしその金髪と青き瞳は実の息子とは似ても似つかないものだ。

 エルンストの近くには皇后のギーゼラGiselaが立って、同様にレイナードを見下ろしている。されど見下しているのではない。長らく魔導伯として帝国に貢献してきた老爺に対する最大限の慈愛を、その長く美しい茶髪と共に表現しているかのような視線だ。

 ディアーク従士であったダミアンとゲオルク、そしてゼバルドゥス司祭が争ったことによって三人が共に倒れた。何はともあれ、ディアーク従士団は空白の状態となってしまった。そこで老爺は、自身を皇帝に売り込んだのである。

 皇帝陛下、ならばこの老骨をお使いください、皇子に直接仕えることは貴族としてこれ以上ない名誉であります……と。

 それに対し、エルンスト帝はさしたる逡巡も無しに決断を下した。その真意は、実のところは分からない。しかし賢帝の異名に資する者として、ただ何も考え無しの判断ではなかったことだけは分かる。膝まづく老爺は、皇帝を信頼していた。

 しかし一方で、玉座の間の端に控えている宮廷貴族や騎士、召使や侍女たちは動揺している様子だ。七年前、ディアークを帝城から追い出した者達である。

 何故、レイナードともあろう者が〈災厄の皇子〉などに仕えるのか。

 何か企みでもあるのではないか、と。

 だが同時に、全員がこう思っているに違いない。

 〈災厄の皇子〉如きに何も為し得ることなどできぬ、と。

 ならばずっと、そう思っているが良い。

 ――――さあ、ここからだ。ここから私の野望は、また一歩前進する。


 〈純白の賢者〉は頭を垂れながら、またおのが相貌を歪ませた。


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