サンゼンセカイヲイヌクナハ(8)
肉を爆ぜさせ、骨を打ち砕くほどの剛槍。
それを刀でただ受け止めては、刀身ごと我が身が砕かれるだろう。
躱して間合いを詰める?
難しかろう。敵の得物の方が圧倒的に長く、間合いは遠い。
仮に届いても、放たれた追撃を受けて相打ちだ。仮に一撃で絶命させたとしても、相手の動きが瞬時に停止するわけではない。
ならば受け流しか?
否、片手持ちでの受け流しは、受けても流すことができない。
刀身を精妙に踊らせ、衝撃を殺すことは叶わない。
できるのは膂力で衝撃を受け、膂力でその筋を逸らす剛の受けだ。自分の剛では、真田の剛には及べない。
飛び退くしかないか?
もう遅い。考えあぐねている内に、すでに銃槍は至近に迫っていた。
では、今まさに自分を薙ぎ払わんと迫る剛槍をいかに
……まあ、何事もまずは試しだ。
受け流しの要点は刀を振るう左の握りたる〝力点〟と、それを制御する右の握りたる〝支点〟……で、あるならば!
草薙ぐように下段を走ってくる銃槍の刃を、小刀の
薙ぎ払いを斜め下に逸らす……否、落とす角度で構えた小刀と左脚。小刀をひねる左手の握りを力点に、添えた脚の力を支点に、膝間接の揺らしを緩衝にして、槍の衝撃を殺して下方に流す。
現代の格闘術において、下段の蹴り当てを受け流す防御法。
この肉体の知識から得たそれは、なるほど、確かに薙ぎ払いの衝撃を大きく減衰させた。
が────。
二メートルに迫る長柄の重圧を逸らしきるその前に、自分の身体は文字通りに薙ぎ払われて空転する。風車の羽根よろしく、自分の身体はグルリと宙を舞った。
まあ、概ね想定内だ。流し切れぬと判断して半ば自分で飛んだ。そうしなければ左脚を持っていかれただろう。
右手の大刀を振り払いながら、双手の引き金を絞る。
重なり響いた銃声と、大刀に返った手応え。
「ぐむッ!」
真田の呻きを背後に聞きながら、着地した自分の左脚はガクリとつんのめった。
不安定な姿勢からの大刀の斬撃をカラクリで後押しし、崩れた体勢を小刀のカラクリで補正した……のだが、さすがに左脚は無傷ではなかったようだ。
やはり、受けようとすること自体が愚策か────。
「……痛みがないというのも、厄介なものだな」
自分は双剣の引き金を絞る。半ばひざまづいた低い姿勢のまま、双剣のガス噴射を推力にして
甲高い剣戟音を奏でて、床に突き立てられた銃槍が双剣を受け止める。
「……傷が瞬時に癒えるのもな……おかげですぐに捨て身に走る」
「……違いない」
真田は右脇腹と右太腿から蒼炎を噴きながら、自分もまた左脇と左臑から蒼く火花を散らしながら、互いに浅い溜め息でぼやいた。
ふと、真田の眼光が冷えた直後、銃槍が双剣を打ち上げる。
自分は真田の右手側に前転する形で回り込みつつ起き上がり、右の大刀を赤備えの腕に、左の小刀を蒼く燃える右腿に突き入れた。
槍をひるがえしながら飛び退き躱す真田。
その動きを追って踏み込みながら、こちらも双剣を振るう。
槍を操る腕を、握る手を、執拗に狙いつけながら、甲冑の隙間を目掛けて刃をねじ込んで行く。
対する真田もまた銃槍の捌きを豪快に振るって牽制を躱し、殺撃を打ち払いながら、両手で広く握った銃身の刃と石突き……ストック部で、左右に上下に細かく畳み掛けるようにして打ち込んで来る。
二刀の基本は躱し続けて斬り込むこと。
結局のところ、そこに関しては揺るがないようだ。
元より、二刀に限らず剣術がそうである。
打たれる前に打つのが最上。
打たれたなら躱すのが
躱せぬなら流すのが上々。
流せぬなら弾くのが常道。
受け止めるのは未熟の始末。そうして動きを止めた先にあるのは、大抵は敵に主導を取られて敗北へと転げる末路。
いかに受けるかではなく、いかに斬るか、それが要。
イタズラに刃を打ち合うことは太刀筋を滞らせ、刀身を傷めるだけ。
しかし、多くの剣士は履き違える。
精妙に相手の斬撃を受け流し、崩した上での斬撃があまりに美しく鋭利に決まるものだから、すぐに履き違えてしまうのだ。
敵の斬撃をいかに受け流すか……と、そう履き違え、あえて自らスキを作り、相手に先手を赦すという〝後の先〟などという術理を尊ぶ。
もちろん、それは優れた技であり、素晴らしき術だ。しかし、それは本来は先手を取られた時に応じる法である。
闘いにあっては、そもそもから敵の攻め手を見切って封じ、打たせる前に討ち果たすべきだ。それが剣術の理想であるはずだ。
しかし、それこそが至難にして過酷な剣の極み。
だからこそ剣士は太刀筋を凝らし、技を磨き、それを駆使する型を練り上げ覚え込む。
それが剣の〝コトワリ〟であるならば、つまり二刀流の要点は、ふた振りの刀を同時に振るう妙……そこに尽きるというのは確かなのだろう。
人の頭はひとつ、ひとつの頭でふたつを考えるのは道理に反する。
だが、どうにかしてそれが叶わぬものか?
頭がふたつにならぬものか?
無理だろう。人の頭はひとつだけだ。
だが、ひとつをふたつに増やすが叶わぬとも、逆は可能ではないか?
ああ、だから、それはいったい────。
甲高い剣戟の音色が
眼前で斜めに構えた小刀と、大きく右に振り抜いた形の大刀。
自分の右側で仰け反るように槍を踊らせている真田の姿。それは、今まさに打ち込んだ長柄の一撃を、自分の小刀で受け流され、大刀で打ち払われた姿。
互いに躱し続け、避け続けながら、斬り結び続けたその果てに、久しく刃が打ち合った瞬間である。
剛槍の重圧は流し切れず、自分もまた大きく体勢を崩しながらも、両足を踏み締めて体幹を維持する。
「……ハッ! ハハ……何なのだ……貴様は……!」
息を荒げながら、真田は疑念を叫ぶ。
繰り広げた死闘。
そんなギリギリの死線の境界で立ち回りながらも、なぜ────。
「ククク……ハハ……なぜ貴様は笑うのだ!? ああ、何がそんなに楽しいのだ!? なぜ、こんなことが、それがしは……!」
理解できぬと、わけがわからぬと、赤備えの武者は頭を振った。
笑いながら、疑念を叫んでいた。
だから、自分は静かに問い返す。
「……真田殿、オヌシは、なぜ最後まで
それはあの天下分け目とは名ばかりの大戦のこと。
世の
「愚問だな。それがしは元より豊臣に与し、西軍の将であった。その義を貫いたに過ぎぬ」
「それこそ愚答だろう。オヌシは言うたではないか……〝要のひとつを貫くために、あらゆる全てを拒まず厭わぬ〟と。そんなオヌシが、何ゆえに戦場の志と義を貫いたのだ? よもや地獄絵図と断じた戦場が、オヌシの要であったわけではあるまい」
「…………」
「戦は終わる。東の勝利で地獄が終わる。ならば、オヌシはいかなる汚名を受けてでも生き延びて、守るべき者たちにこそ尽くして殉ずるべきだったのではないのか? そうする為に、戦を終わらせるために、嫌々戦っていたのではないのか? まして、オヌシは東軍より厚遇にて誘いを受けていたはずだ」
「……ああ、そうだな。叔父上の面目を潰したのは、まあ、申し訳なくはあったな……」
東軍から使者としてつかわされた叔父の真田
なぜ、そうまでして忌避すべき戦場に留まり、忌むべき戦いに身を置き続けたのか?
なぜ────。
「なぜ、オヌシは因果を巡り、銃を取ったのだ?」
「それは……」
そんなことは、当に明らかなことだ。
無念だった。
大軍を前に、誰もが勝てるわけがないと断じた戦況の中で、それでも大将首に眼前まで迫りながら、ギリギリで逃したあの最後が、無念だったからだ。
だから、それは当に明らかなことだ。
「……それがしは、勝ちたかった。天下分け目の大戦。誰もが勝敗は明らかと嘆きながらも、これぞ最後の晴れ舞台と狂い咲く。
……そんな命を捨て去ることこそ美徳と吼える愚か者どもを、見返してやりたかった。
寡兵で大軍を征し、生き抜くこれこそ
だが……ああ、それこそ愚かな言い訳に過ぎぬな」
真田源二郎信繁は、あんなに厭い忌避した戦場での槍働きが、追い詰められ、ギリギリの境界にて死力を駆使する鬩ぎ合いが────。
「ああ、そうだな。それがしは……どうやら楽しかったのだ。戦場で先陣に立ち、兵を率いて勝利を勝ち取ることが……楽しかった」
だから、今、ここで打ち交わし斬り結ぶ死闘が、同じく楽しくて、笑わずにはいられない。
「……我ながら……まったくもって、理解に苦しむ……」
「……ああ、それは自分も、そう思う」
こぼれた笑声は互いに軽く────。
されど、続いた踏み込みは重く、互いの得物が空を裂く。
真っ直ぐに突き出されてきた剛槍の刺突撃。大気を穿つようなその軌道から、自分はすでに身を移していた。
右の大刀は大上段に振り上げ、左の小刀を逆手持ちにひるがえす。
刺突を躱された真田が、突き出した銃槍をそのまま横に薙ぎ払う。応じて振り下ろした大刀は純然たる牽制であり、主は振り下ろした腕で銃槍の銃身を挟み抱え込んで押さえること。
銃身を受け止めた右脇に響いた、重い衝撃と明確な破砕音。左の肋が癒えたそばから、今度は右が砕けたか。
……にしても、我ながら長柄に対する術に進歩がない。
自嘲とともに銃槍を押さえ、大きく踏み込んだ。逆手持った左の小刀を真田の首筋へ叩き込もうとして────。
「おおおおおぉぉーッ!」
気合いの怒号を張り上げて、真田が銃槍を振り上げる。
押さえ抱え込まれたまま、その抱え込んだ自分の身体を旗揚げるように頭上に振り上げた。
自分は踏み締める足場を失い、姿勢が泳ぐ。右で押さえた銃槍を支点に、小刀の引き金を絞ろうとしたが……。
「ぉーーーーーーーーぁぁぁあッ!!!」
張り上げ続けた真田の雄叫び。
そのまま、振り上げた銃槍を大きく薙ぎ払いながら駆け出した。屋上の縁の外へ、斜めにかしいだ壁面へと、赤備えが躍り出る。
遠心力のままに叩きつけられた衝撃に、自分はたまらず銃槍を手放してしまった。
起き上がろうとしたそこはビルの壁面。傾いているとはいえ、あまりにも急角度なそこは、踏ん張る以前に立ち上がることも叶わないまま。
徐々に、そして急速に地上へと滑り落ちる中で、傍らに並び滑る真田の銃槍が、唸りを上げて突き出されてきた。
自分は壁面を転げるように身を逸らして躱しつつ、ともかくも斬撃を返す。真田もまた無理矢理に身をひるがえしながら迎撃する。
互いに体幹は乱れ、体勢は崩れ、加速と摩擦に翻弄されながら、それでも眼光だけは真っ直ぐに、ブレることなく睨み合う。
周囲を高速で流れているであろう景色、滑り抜けて行く足場、だが、そんなものに意識を向けている余裕はない。
眼前の敵がどこを狙っているのかすら関係ない。
同じく、自分がどこを狙おうとも意味がない。
どうせ互いの太刀筋は乱れて舞い跳ね、デタラメに閃き走る。
突き出された切っ先が壁面を抉り、肉を抉る。放った斬撃が空を裂き、肉を裂く。
とにかく互いの得物の行く先を、その刃の挙動を読み取ることに専念する。振るい放つ自身にも読めぬ太刀筋なのだから、そうするしかない。
そう思っていたのだが……!
グンッと、真田が両足を踏ん張ったかと思ったその直後、そのまま全力で身をたわめて壁面を蹴りつけた。
跳躍したのだ。
この状況で、制御も踏ん張りも利かぬ中空に身を躍らせた。そんなことをすれば無抵抗のままに斬り刻まれるか、そのまま転落して地面に叩きつけられるかの二択だ。
何を考えている!?
疑念を問う間にも、自分は手にした二刀を振り放ち、宙に投げ出された赤備えを斬りつけようとして、
ドゥンッ! と、重い銃声が轟いた。
同時に、金属が砕け散る音。
真田が長銃の引き金を絞った。すなわち、射撃したのだと悟る。
元より砕けていた銃身は、その負荷に耐えきれずにさらに砕け散り、弾丸はその意を成せずにあらぬ方向に飛び去った。
そもそもが空中に向けられた無意味な射撃。
だが、その反動は構えた銃身を急速にひるがえらせた。
壁面を滑る自分を掬い上げるように薙いだ長銃のストック。跳躍と銃撃とに加速されたそれは獄卒の金棒もかくやの威力。反動と衝撃に、打ち据えた真田と打ち据えられた自分の位置が入れ替わる。
真田が壁面へ、自分が中空へ、
……ならば! ここが死生の極みだ!!!
互いが交錯するその瞬間に、自分は、双剣の引き金を立て続けに振り絞った。
銃声と斬撃が重なり閃く。
噴射するガス圧を推進力に、双剣を縦横に振り回す様は、さながら双翼を羽ばたかせる猛禽のごとく。
銃声と金属音が重なる度に、赤備えが砕け散り、蒼い炎が燃え上がる。
刃の双翼は赤き武者を散々に巻き込み刻み続けながら、空をまろびて地に降る。
ここぞと振り上げた双剣、ひときわ激しい羽ばたきが、十字を描いて蒼く燃える武者を薙ぎ払った。
重い衝撃とともに地面に叩きつけられた自分と真田。
着地ではなく明確な墜落だ。受け身も何もあったものではないそれに、自分は呼吸をつまらせ、激しく身もだえる。
頭上に煌めいた銀光は、真田が手放した銃槍の刃か?
クルクルと回転しながら降ってきたそれが、鈴のごとき澄んだ音色を奏でて地面に突き立った。
斜めにそびえる銃槍を挟んで、此方に倒れた自分と、彼方に
「……く……ハハ……ハ……」
蒼い炎を全身から噴き上げながらも、赤備えの武者は濁った笑声をこぼした。
「……ハハ……ハハハ……ああ、凄まじいな……いったい何がどうなっていたのか……サッパリわからんぞ……」
わけがわからん、本当にメチャクチャだ……と、真田は心の底から楽しそうに、笑っていた。
「……愉快だ。実に愉快だ。怨嗟も憤怒もなく、あらゆるシガラミを押し退けての闘い…………ただ、己の力を真っ直ぐにぶつけ合う……それだけのことが、こんなにも愉快なことであったのか……」
真田は大の字に倒れたまま、夕焼けを見上げて高笑う。
その声が、かすかな憂いに陰った。
「……ああ、無念だな。だからこそ、勝ちたかった。貴様にも、そして、あの戦にも、それがしは勝ちたかった……」
それが無念で、口惜しくて、だからこそ真田源二郎は伸ばしたその手に因果を刻んだのだ。
「無念だ……が、もう動けぬ。だから、それがしの負けだ。未だ我が因果の糸は断ち切れぬようだ。本当に、無念だな……」
楽しげに、それ以上に悔しげに、日ノ本無双は吐息を深くこぼした。
因果を断ち切れぬ。それは自分も同じだった。
未だこの剣は二天に届いていない。
だが────。
「……ひとつをふたつ……ひとつでふたつ……けれど、この死合いの中で、自分は確かに……」
何かが、心の端に疼いていた。
とても重要で、大切な何かが………………………………。
彼方の真田は、荒い吐息を切れ切れに、虚空に呼び掛ける。
「……すまぬな、黒羽根の姫君よ。貴方との約定を、守れなかった……」
深く意識を失う狭間にこぼした呻き。
「なんの!
応じたのは、低く鋭い男の声音。
低く、けれど彼方から張り上げられた大声。
「ようやった! ゆえに、今はゆるりと休むが良い! 後の始末は、我に任せよ!」
くぐもり濁った
……その声を、自分は知っている。
向き直れば、橋の中央。そこに立つ小柄な影。
闇に溶け込むような暗色のトレンチコートを布帯で締めた異装。
左肩には筒状の大きな鞄を負い、右手には長柄の槍を握っている。
そして、その顔を覆うのは
ザンバラに長髪をなびかせたそいつは、あの最初に目覚めた日、自分をさんざんに打ちのめしてくれた。
「……久しいな。〝天〟のイクサよ……!」
低く濁った声は、それでもハッキリと、黄昏に響き渡った。
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