第5章 三千世界ヲ射抜ク名ハ

サンゼンセカイヲイヌクナハ(1)


               ※


 右手に握った剣を攻め手に────。


 左手に握った十手を受け手に────。


 攻の右と、防の左、そのように役割を当て、専心することが新たな兵法にならんや……と、そう考えたのだ。

 元より、十手術は愚父・無二斎むにさいの得手とした兵法。

 その技はわしも習得していた。ならばこそ、これは有効だと思った。


 ……が、実際に用いてみると、これがなかなかはかどらぬ。


 左の十手でただ刃を受けても、大刀の一撃を止めるには頼りない。

 押し切られる前に即座にねじり落とすなり、ひねり折るなりしつつ、右手の大刀で反撃と相成るわけだが、それは結局のところ、両手で持った大刀で受け捌きつつ打ち返す〝後の先〟と同義だ。


 あえて双手にふたつの武器を構える意味があるのだろうか?


 なるほど、初見の相手には意表を衝けるかもしれぬ。だが、それを期待するには左手の十手は受け手として想像に易すぎる。


 ならば十手を脇差しに変えてみてはどうか?


 打つことしかできぬ十手と違い、脇差しならば斬り込み、突き刺すことも可能。まさに攻防一体とならんや?


 問題は、左右の手をそれぞれ自在に操る技量と、片手にて相手の両手を凌ぎきる膂力りょりょく

 膂力については、実際のところさほど問題とも思えなんだ。

 片手では肉は斬れても骨は断てぬと人は言う。

 が、肉を斬れれば人はたおせる。

 急所に三寸……指一本分も刃が入れば、人は即座に息絶えるのだ。

 なれば、イタズラに刃を打ち合わず、精妙に殺撃を振るうこと。さすれば片手でも問題ない。

 むしろ、それでこそ二刀という形が活きるはずなのだ。


 ゆえに、要点はふた振りの刀を同時に振るう技……そこに尽きた。


 人の頭はひとつ、ひとつの頭でふたつを考えるのは道理に反する。

 だが、どうにかしてそれが叶わぬものか?

 頭がふたつにならぬものか?


 悩み、研鑽の果てに、ふと思ったのだ。


 ひとつをふたつに増やすが叶わぬとも、逆は可能ではないか……と。


 …………。


 …………ふむ、しかし、要するにそれはどういう意味なのだ?


 遠い記憶をたどり、思い起こしながら自分は考える。

 だいたい〝刃を打ち合わずに精妙に急所に斬り込む〟などと言葉で言うのは易いが、それができぬから人は型を編み、技を磨くのだ。

 それが剣術であろう。

 ああ、だから、結局のところ、自分は多くの剣術兵法家と同じく叫ばずにはいられない。


 剣は無形……型は応極おうきょく……心意ふたつ、観見ふたつ、善智道の備え至りて惑いなし、すなわくうと為す────。

 空を道とし、道を空と見る所。天上天下にあたう我がつるぎ、二天一刀の境地也。


 万里一空、それが二天一流の深奥なれど────。


「……天地に空我くうが……ふたつはひとつ……わけがわからぬ……」


 苦渋と苦悩のままに呟いた。


「……何のこっちゃ知らんけど。目え覚めたんなら早う退かんね。足が痺れてもうきついわ」


 あきれも深い溜め息に、自分はとまぶたを開く。

 蒼い鬼火に照らされた光景。

 どこぞの建物の一室か? ヒビ割れた天井、寝転んだ四肢と腰に触れる堅い床……。

 ただ、後頭部と双肩だけが柔らかな温もりに抱かれていた。

 理由は明白だ。

 麗しの影姫殿が、慈悲深くも膝を差し出してくれているのだ。

 そろえた膝を枕に、自分の頭を優しく抱え込んでくれている……のであるが、逆さまに見下ろしてくるその顔は不機嫌もあらわなしかめっ面であった。


「……何を怒っている?」

「怒っとらん。足が痺れてのさんち言うとると」

「……いや、怒っているではないか」

うるさいせからし、いいから早う退きんしゃい」


 半ば放り投げるように頭を押し上げられ、自分はゆるりと身を起こす。

 ナナオは相変わらず不機嫌そうに、脚を崩してこれ見よがしに口の端を下げた。


「ったく、人の腿を枕にグースカと、どんだけ寝とるとね。もうすぐ御天道さんが顔出すわ」


 どうやら自分はひと晩中昏倒していたのか?

 それは確かに、ナナオの脚も痺れるが道理だ。

 ……道理か? 影姫に血流はあるのか? まあ何にせよ、そんな長時間も自分を介抱してくれたのは感謝に尽きる。尽きるのだが……。


 ……何だ? 彼女はなぜこうも機嫌が悪いのだ?


 言葉通りの理由で怒っているわけではあるまい。そういうことで機嫌を損ねる人ではないだろう。

 なら────。

 いや、考えても仕方あるまい。それこそ寝てる間に寝ボケたことをヤラカシたのやもしれぬ。


 謝罪するべきだろう。

 それとも先に礼を言うべきか?

 あるいは、何も言わずに様子を見るべきなのか?


 わからぬ、わからぬが、この状況は……ナナオが不機嫌であるのは率直に言って好ましくないというか、困る。


 狼狽する内心は、どうやらまたも表に出ていたのだろう。


 ナナオは何やら煮え切らぬ様子で乱れ髪を掻きむしると、さもウンザリした様子で声を上げた。


「……ああ! もう! どげんなっても知らん!」


 自分は胸ぐらをつかまれ、そのまま引き倒された。柔らかな温もりと甘い香気に包まれたそれは、再び先刻に目覚めた時と同じ体勢。ようするに膝枕で抱え込まれたわけだ。


「……いったい、どうしたのだ?」

「せからし。捨ていぬみたいに哀れっぽい顔しとるお兄さんが悪い。そんな風にされっと……ウチも……その…………ああ! じゃからもう、よう知らん!」


 そんなに情けない在り様だったのか?

 いや、確かに彼女にスゲなくされて気落ちしてはいたが、捨て狗は無様が過ぎる。さむらいとしてはもちろん、男としても。


 内省する自分の額を、ナナオの白い手がペチンと軽く打つ。

 気合いを入れろ……と、そういう叱咤しったなのだろう。


「……本当にまこち、阿呆や……」


 呟きはやけに力なく、吐息まじりにしみじみと……。


「おい、痴話喧嘩は終わったか?」


 低い声音。

 まるで恫喝のごとき剣呑なそれに目を向ければ、見覚えのある濃紺の頭巾姿があった。

 冥府の武具商にして刀工……そういえば、まだ名を訊いていなかった。


「毎度、工房アトリエ〝SHIGURUI〟の主を務めておりまする、雲井ヒョットコ斎と号します」


 わざとらしいほどにうやうやしい一礼で名乗る頭巾の男。

 またも自分は疑念が表に出ていたか。それはともかく、ヒョットコ斎とはまた何というか……奇矯な名だな。

 ふと、ナナオが溜め息とともに店主に呼びかける。


「いかんよ。このお兄さんにそういうの通じんから」

「ハッ、知るか。こちとら女を泣かせる輩に名乗る名は持ってねえな」


 憤慨とともに手元の刀剣に鎚を打ち込む雲井殿だが……。

 ふむ、あれは自分の大刀だな。

 見れば、腰に大小はなく、黄金刀は傍らに寝かされている。

 差料さしりょうがないのにも気づかぬとは、この無様は捨て狗どころではないな。

 自嘲に口の端を歪めれば、白い手がペシンと額を打ってくる。

 まったく、武士の頭をよくも遠慮なくはたいてくれるものだ。


 ……が、今の自分に武士を気取る資格はないだろう。

 甘んじて受けよう。否、そもそもこの状況自体が文字通り彼女に甘えているわけなので、とっくに面目などない。


 改めて周囲を見れば、舞う鬼火に照らされた武具の数々。

 その中で、以前にも増して様々な道具を用いて、雲井殿は自分の刀を打ち直してくれている。

 八津島星護との闘いで、刀に多大な負荷と消耗を強いてしまった。目に見えて刃毀はこぼれし、腰が伸びた在り様は……確かに、この拘りの刀工を激怒させるに当然の失態だ。


「ったく、板東武者はどいつもこいつも


「……言葉を返すようだが、自分は西国の士だ」


 一応訂正しておく。

 まあ、いずれにせよ自分が未熟者であるのは変わらないのだが。


 それにしても、今の言は、自分以外の東国の士が同じくという意なのだろうが、差し当たって思い当たる人物はひとり。


「サダメも武具をこわしたのか?」


「おう、弓はバキバキ、具足もボロボロ……まあ、相手もオレ様の娘を連れてたんじゃあ詮ないこった。……ともかくだ。やっこさんがヘタ打ったのはもう一週間も前だ。直しはとっくに済んでるんだが……」


 鎚を振るう手は止めぬまま、雲井殿は少々言い淀む。

 その頭巾越しの視線は建物の外を向いているようだった。


「お兄さんも、いってみた方が良かよ。ちかっと……うんにゃ、がばい面倒なことになっとる」


 いかにもやれやれと促すナナオ。

 グイと押しやられるままに身を起こし……否、起こされた自分は、仕方なく立ち上がり、外へと向かった。

 何だろうか……。

 首をかしげたのは、サダメのこともさることながら、今の事態だ。

 文字通りに内儀にいさめられる暗愚の亭主に思えて、何とも複雑な心持ちだった。


「お兄さん……」


 ふと、呼び止められてかえりみる。


「お兄さん、記憶、戻っとるよね?」


「……ああ、戻っている」


 指摘には、素直に肯定を返した。

 記憶は戻っている。八津島星護と剣を交える最中にて、ほぼ全て思い出していた。

 ゆえに、あの白き剣士に対して後ろめたい心のシコリがひとつ。


「気にせんで良か。あの白いお兄さんは、ちゃんと気がついとーよ。わかっとって、その上でお兄さんとの勝負が楽しいて笑ったと」


 じゃから────。


「気にせんで良かよ」


 金色の双眸を柔く細めて、ナナオは笑う。

 そんな穏やかで優しい笑みを浮かべられては、自分に何の反論があろうか。無骨な自分に代わって、人の顔色を窺うのが達者な猫殿が、確かに保証してくれたのだ。

 ならば、あの白い剣士に何を後ろめたく思うこともない。


「かたじけない」


 心からの感謝と謝罪を唱えて、自分は改めて歩を進めたのだった。


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