第4話


「……あ、いた! シロくん、あそこ!」

 船から無事に脱出した私達は、砂浜に立つ彼の姿を見つけ、急いでそこに駆けつけた。

 島では、まるで戦争でも行われているかのように大きな爆発音が鳴り響き、所々に火が上がっている。

 彼は、ぼんやりと森を見つめながら言った。

「……酷い光景だ」

「ああ……そうだね。僕自身、こんな夜宴の島を初めて見たものだから、戸惑いを隠せないよ」

 黒い煙が空へと立ち昇り、島全体が悲鳴を上げている。夢ならば、早く覚めて欲しい。……そう願わずにはいられなかった。

「とにかく、僕は黒兎を捜してみるよ。実はさっきから、彼女の気配を上手く辿る事が出来ないんだ。今、島には沢山の者達がいるからね……」

「えっ……? クロちゃん……大丈夫、だよね?」

「……わからない。けど、少し集中したいから……君達はあっちの方で待っていてくれないかな? くれぐれも気を付けるんだよ?」

 白兎はそう言うと、その場で座禅を組み、ゆっくりと目を閉じた。

 彼と私は白兎に言われた通り、少しだけここから離れる事にした。


「ねぇ……ソウくんはどうやって、船から抜け出したの? 何か飲んでいたように見えたけど……」

「……ああ、魔女が赤兎にバレないように小さな錠剤をくれたんだよ。勿論、不思議な力を持つ魔法の薬だ。副作用はないって言ってたけど、正直どうなるかはわからない。……まぁ、何となく大丈夫だと思うけどね」

「その薬には、どんな効果があるの……?」

「距離は予め決まっていて、六百メートルと短いんだけれど……その距離の範囲内なら、どこへでも念じた場所に移動する事が出来るんだ。こんな時じゃないと、たとえ飲んでもその距離の短さから、すぐに赤兎やゲーデに捕えられてしまう。だから……チャンスが来たら飲もうと思い、隠し持っていたんだよ」

「……そうだったんだ」

 彼とは色々あったから、何だか上手く話す事が出来ず……ついよそよそしくなってしまう。

 けれど、それは彼も同じのようだ。

 先程から彼は、一度も私の顔を見ようとはしない。

「……魔女から聞いたよ。たった一人で狸の爺さんに会いに行ったんだってね。ごめん……君が懸命に頑張っている間、俺は何も出来なかった。……本当にごめん」

「私は……自分に出来る事をしようと思っただけだよ」

 曇り空。少し肌寒く感じる強めの風が、ひゅうひゅうと吹き荒れていた。

「ここで暫く待とうか」

「うん……」

 私達は、ゆっくりと砂の上に腰を下ろした。

「まるで火の鳥のようだね。炎を纏った神鳥が森中を焼き尽くしているかのように見える。あの美しかった夜宴の島が、一瞬にして朱く染まっていく……何だか、凄く虚しい気持ちになるよ」

 ……火の鳥、か。

「そうだね……ソウくんの言いたい事、少しだけわかるような気がする」

「……夜宴の島は、このまま死んでしまうのだろうか? あの美しい夜は、もう永遠にやってこないのかもしれない。風がやんで、森は呼吸をするのをやめる。大地はひび割れ、生き物達は行き場をなくし……やがて死んでいく。そして、いつか……全てが消えてなくなる。それが現実なんだ」

「ソウくん……何言ってるの? 夜宴の島は死なないよ! 絶対に死んだりなんてしない!」

「……どうだろうね。もう期待するだけ無駄なのかもしれない。俺の我儘で君をここまで連れてきてしまったけど、俺達はもう二度と元の世界には戻れない。赤兎に、肉体ごと連れてこられてしまったからね。だから、俺達もきっと……ここで死ぬのだろう。俺達に出来る事はもう、夜宴の島の【最期】に立ち会う……それぐらいだよ」

「……ちょっと!」

 私は彼の頬を両手でパン! と挟むと、そのまま手を添えた状態で、無理矢理こちら側に顔を向かせた。

 彼の視線と私の視線が重なり合う。

「あの五十嵐想が、そんな弱気でどうするの? こんなところで勝手に物語を終わらせる気⁉ 『僕達は、燃えゆく森を見て思った。夜宴の島は死んでしまったのだと――』、これで完結⁉ バッカじゃないの⁉」

「み、ミズホ?」

「物語の主人公って……そりゃ、希望に満ち溢れているキャラクターもいれば、全てに絶望しているキャラクターだっている。けどね? その誰もが、何かしらの信念を持っている……私、そう思うんだ! キャラクターが動かないと物語は先に進まない。それってさ、未完成で終わるのと同じ事なんだよ! 完結してしまい、終わってしまった物語は……好きでいた分凄く悲しい。けど、途中で終わらせられた物語はもっと悲しいんだよ! だから……どんな結果になろうが足掻いてみせてよ⁉ それが、私の知ってる五十嵐想でしょうが!」

「ミズホ……」

「赤兎に人形みたいに扱われて、中身まで空っぽの人形になってしまったわけ⁉ ウジウジしてて……カッコ悪いよ、ソウくん。そんなの……私が好きになったソウくんじゃないんだから!」

「…………え?」

「えっ? って、何よ、いきなり⁉」

「だって、今……」

「今? 私、何か言った?」

「言った」

「……え? なんだっけ?」

 彼の揺れる瞳をじっと見つめながら、私は自分が発した言葉を頭の中で繰り返してみる。……ちょっと待って。私、今……彼に何て言った⁉ 


『そんなの……私が好きになったソウくんじゃないんだから!』


 ――最悪だ。

 私は無言で頬から両手を離すと、わかりやすいように彼から目を逸らした。

「いや、あの、その……あれは特に深い意味なんてなくてですねー。なんと言うか……あっ! 魚跳ねた! 魚いるよ、海に! 何だ~まだ島にも生き物がいるじゃない! しっかし、こんな時に呑気なもんだねぇ~? ははは……」

 隣から『くっく……』と笑いを堪える声が聞こえてくるが、恥ずかしすぎて顔を見る事が出来ない。何とか話題を変えなくては……

「と、とにかく! 弱音ばっかり吐いてないで、もう少しシャキッとしてよね⁉ 本当に情けないんだから! 大体ソウくんはお――」

「……ぷはっ!」

 彼は最早笑いを堪えるのも限界だったようで、腹を抱えながら大声で笑った。

「あっはははは! もう駄目! もう限界! 青くなったり、赤くなったり……照れたり、怒ったり……何でそんな必死なの⁉ 『魚跳ねた!』って何⁉ 駄目、腹痛ぇ! くはははっ! ……でも、や~っとミズホの正直で素直な気持ちが聞けた!」

「違っ……! ほら、これはあれよ! ……そう! 友達として……うん、それだ! あとは、バイト仲間としてでしょ? 夜宴の島のパートナーとしてでしょ? あとは、えっと……あれだよ、お面仲間! ……お面仲間って何? あー、もう! 頭がこんがらがってきた!」

「わかった、わかったから……くくっ、もう話さなくていいよ! よ~く、わかりました!」

「全然よくないよ! 絶対誤解してるから!」

 彼はおかしそうにケラケラと笑う。……いつもこうだ。大切な話をしているのに、気付けばいつの間にか立場が逆転している。……彼は本当に油断のならない男だ。

「さぁて、ミズホさんから大胆な愛の告白をしてもらったわけだし……俺も、そろそろ浮上しなきゃだね」

「だから! 告白じゃないってば!」

「はいはい、そういう事にしておきますよ」

 彼は立ち上がり、砂を払うと……『んっ』と手を差し伸べる。私が恐る恐るその上に手のひらを乗せると、彼はその手をグッと引き、私を立ち上がらせた。

「ミズホ、ありがとう」

「え……?」

「いつだって、俺に立ち上がる力や勇気をくれたのはミズホだった。この島でも、俺は一体……何度君に助けられてきたかわからない。俺さ、いつも誰かに守られてる。情けない話だけど、俺……肝心な時に諦めてしまう癖みたいなのがついてしまっていて、どうしても一歩前に踏み出す事が出来ないんだ。……怖いんだよ。想像する未来が、信じたい未来が、まったく違うものになってしまう事が。本当に弱い男だよ、俺は。……けど、ミズホが先で待っていてくれたら、俺はその一歩を踏み出す事が出来ると思う」

「ソウくん……」

 厚い雲間から光が差し込む。それはまるで、彼の心の中を表すかのように……渦巻いていた闇を一掃し、やがて救いを{齎}(もたら)した。

 空が、眩い光で全てを照らし始める。彼の心に、一筋の光明が差し込んだ瞬間でもあった。

「……頼むから、これ以上置いて行かないでよ? 君はいつだって眩しくて、どんどん先に進んでいってしまう。これじゃ、踏み出さないわけにはいかないだろう? ……夜宴の島の物語を完成させよう。必ずハッピーエンドを見せてあげるって……君と約束したからね」

 彼はそう言って優しく笑うと、私の頭をくしゃっと撫でた。

 何だか、胸に熱いものが込み上げてくる。気付けば目尻に涙が溜まり、それが一雫……私の頬に線を描いた。

 ――ああ、五十嵐想だ。彼は、私の知っている五十嵐想なんだ。

 まるで百面相のようだった彼は……強くて、勇敢で、社交的で、でも本当は誰よりも弱い人。

 根が真面目だからはっきりものを言うし、意外と卑屈で、何を考えているのかよくわからない。

 ほんのちょっぴり怖いところもあるけれど……きっと、誰よりも優しい人。

 やっと逢えた――

「ほらっ、そんなに泣くなって。今は泣いてる場合じゃない。……わかっているだろう? 夜宴の島が、この先どういう結末を辿ろうが……俺達の心の中では、今もあの不思議で奇妙な夜の宴は続いている。ずっと、生き続けているんだ。俺達がそう思っている限り、この島は死なない」

「うんっ……うん! 絶対に死なない……!」

「……けど、そう簡単に終わらせもしない。わけのわからない人形と小悪魔は、この島から追い出してしまえばいいんだ。俺達で力を合わせて……必ず、この島を守ろう! そしてもう一度、あの夜の宴を皆で!」

「ソウくんって……やっぱり物語の主人公みたいだね! それでこそ、五十嵐想だっ!」

 私は何だか凄く嬉しくて、クスクス笑った。

「……いいや? この物語の主人公は間違いなく君だよ。俺は単なるアシストに過ぎない。君が藤尾夫妻の持っていた結晶の中にクロとシロを見つけた時から、全てが始まったんだ。俺は最初からわかっていたんだよ。悔しいけど、俺には二人の姿は見れなかったからね」

「私が……この物語の主人公?」

「俺は、君がこれからどうやって物語を進めていくか、楽しみで仕方がないよ。君の憧れる【夜科蛍】なんて、大きく上回ってしまう作品を俺に見せてよ! ……これは小説なんかじゃない。俺達は今、本物の物語の中にいるんだから!」

 先程まで少し肌寒くも感じた風が、今ではとても温かく心地良い。

 彼はまだ気付いていない。私が夜宴の島の主人公だと言うならば……彼は間違いなく、私の物語の主人公なのだという事を。

 いつでも私の心を支配してやまない貴方に……どうして恋をせずにいられようか? 

 恋愛小説はあまり読まないけれど……きっとその主人公も、今の私と同じような気持ちで相手を想っているのだろう。……今なら、とてもよくわかる。

「……うんっ! わかった、期待しててよね!」

「その調子。君の物語を、一番君から近い場所で……ずっと見守っているから」

 そう言うと彼は目を糸のように細め、口角を上げて、柔らかく微笑んだ。


「ミズホ! ソウ!」

 白兎の声に、私達は振り返る。広くて白い砂浜を、白兎が大きく手を振りながら、こちらに向かって走ってきた。

「見つけたよ! 彼女は無事だ! 今の僕なら、黒兎のいる場所まで一気に飛べる」

「……よし! じゃあ急いで行こう!」

「うんっ!」

「ちょっと待って、二人共! 仙人から貰った面を被るんだ。あの面に宿っている魔力はとても強い。きっと、肝心な時に君達の事を守ってくれる筈だよ」

「そっか! うん、そうだね! わかった! ――あっ! けどソウくんは今、面を持っていないんじゃ……服だって変わってるし」

「いや、俺も持ってる。魔女の薬を使った時、俺は一階にある倉庫に移動したんだ。そこで面を取って、それから自分の足で船から脱出したんだよ。何故だかわからないけれど、これはちゃんと持っておかなければならない気がしたから」

 そう言うと、彼は背中からひょっとこの面を素早く取り出した。

「というか、この格好も何だか動きにくいんだよなぁ〜。シロ、お前ナイフ持ってるか?」

「え? あぁ……ほらっ!」

 白兎は腰に付けられていた小刀を、彼に向かって投げ付ける。彼は、何とか上手くそれをキャッチした。

「うおっ! 危ないなー! 何か悪意を感じるし! ……とにかく、ちょっと借りるぞ?」

 彼は真っ白なジャケットを砂浜に脱ぎ捨てると、シャツの袖を捲り、パンツの裾を小刀で短パン程の長さに切り取る。

「……よし、これなら動きやすい!」

 そう言って彼は、オールバックにされていた髪を、くしゃっと乱暴に掻き下ろした。

「はは……確かにそれだと動きやすそうだね……」

「だろ? 我ながらいいアイディアだ!」

 どうしよう……ダサい。何もかもがダサすぎる。動きやすさを重視するなら、こちらの方がまだ動きやすいとは思うのだけれど……正直、ない。

 倉庫に行ったのなら、ついでに服も取り返してくれば良かったのに……まぁ、今はそんな事を言っている場合じゃないか。

「……ミズホ、気持ちはわかるけど用意をして。あまり時間がないんだ。ソウも……早く」

「あっ! ごめん!」

 白兎に言われ、私は急いでおかめの面を顔に乗せた。隣では彼がひょっとこの面を装着している。

 白兎はどこから出したのか、大人用に新調された兎面を被っていた。面を着けたその姿は、儚いながらも凛としていて……とても輝いて見えた。

 青年の姿の白兎は、本当に神様のようだ。いや……元から神様なのだけれど、その大きくなった背中が、今はとても頼もしく思える。

 ――けれど、白兎の身体は……

「シロくん……」

「大丈夫だよ、ミズホ。僕は大丈夫。黒兎はあんな奴だけど、僕の大切な姉様なんだ。何がなんでも死なせるわけにはいかない。彼女は今の僕にとって……唯一の家族なんだから」

「……違う! それは違うよ、シロくん!」

「え?」

「……ミズホ、何か知っているのか?」

「うん……けど、まだ言えない。クロちゃんと合流出来たら、必ず言うから。それまで……待っていてくれる?」

 私が白兎にそう告げると、白兎はゆっくりと頷き……『わかった』と優しく微笑んだ。

「じゃあ……行くよ。二人共、僕の背中に手を添えるんだ」

 私達はコクリと頷くと、白兎の背にそっと触れた。

 白兎の身体が……突然、赤いオーラのようなものに包まれる。そのオーラは私達の手を伝って、同じように二人の身体を赤に染めた。

 ずっと呪文のようなものを唱えていた白兎は、唱えるのをやめ……小さく呟く。

「――黒兎神の場所へ」


 その瞬間、私には何が起きたのか……まったく理解が出来なかった。

 だだわかっている事は、ここは海岸ではなく、展望台の前の広場だという事。そして今、私達の周りは悪魔のような、奇妙な仮面の衆達に包囲されており、その中心には呪われた人形【ゲーデ】が存在があった。

「ヤッホーヤッホーヤッホー! ヤット来タ、来タ! ……遅イヨォ、待チクタビレチャッタ!」

「ゲーデ……!」

「ヨォ、白兎! テメェ、マダ生キテヤガッタノカ? 中々頑張ルネ~! ケドォ~、ゲーデジャネェヨ! ゲーデ様ッテ呼ビナ? 俺、馴レ馴レシイノハ~嫌イ、嫌イ、超~嫌イ! アッ! 黒兎ナラソコダゼ?」

 ゲーデは小さな指で私達の背後を指す。そこには怪我をし、グッタリとしてる黒兎の姿があった。両膝をついた黒兎の腕を仮面達が掴んでいる。

「クロちゃん!」

「ゲーデ! クロを解放しろ!」

「オイオイオイオイ~? ティターニアノ人形如キガ、コノ俺ニ指図スンジャネェヨ? ブッ殺スゾ! 黙ッテロヨ、クソ餓鬼ガ」

 人形は私の方に視線を移すと、ゆっくりとこちらに向かって歩いてきた。

「……俺ハ君ト話シテミタカッタンダヨ、勇敢デ希望ニ満チ溢レテイル……【タチバナミズホ】チャン?」

 ⁉ この匂い! 甘くてクセのあるこの香りは――

「……貴方だったのね。そうか、これは葉巻の香り……」

「フフ、ダッテサ? アノママダッタラ風邪引イチャウジャン? 体調管理ハ万全ニシナイトネ! 海ニ潜ッテ隠レテイテモ、人間臭サガプンプンシテイテ、俺ニハオ見通シダッタゼ? ティターニアハ気付イテイナカッタケドナ。馬鹿ジャン、アイツ! マダマダ餓鬼スギンダヨ! マッタク、子守ハ疲レチマウゼ!」

 人形はそう言うと不気味にケタケタと笑った。

「一体、私と……何を話したかったと言うの?」

「ワカッテイル癖ニ~? チョコチョコ嗅ギ回ッテ、君ガ辿リ着イタアンサーヲ俺ハ聞キタインダヨ! ホ~ラ、オ前達? 黒兎ヲ離シテヤンナ!」

 仮面達はこちらに向かって黒兎を投げ飛ばしてきた。彼と白兎が少女の身体をキャッチする。

「ホ~ラ? ココニハ黒兎モ白兎モイル! 話スニハ絶好ノ機会ジャナイカ? ……今話サナケレバ、ミ~ンナ俺ニ殺サレチマッテ、真実ハ永遠ニ闇ノ中ダゼ?」

 ……死神は一体、何を考えているのだろう? たとえ私がここで知り得た情報を話し始めても、死神には何の得もない筈だ。

 何か企んでいるのか? ……全く思考が読めない。

「コノママジャ、良イ子デ甘チャンダッタ【赤兎】ガ報ワレネェゼ?」

「おい……ミズホ……! 今、あいつが言った事……どういう意味だよ? 赤兎が報われないって……」

「ミズホ……君は、僕達が揃った時に話したい事があると言っていたよね? それと、何か関係があるの……?」

 黒兎と白兎が私に問いかけてくる。けれど、内容が内容なだけに……こんな大勢の前では言いたくない。

「オイオイ、ドォシタァ? 話サネェノカ? ――ミズホォ? オ前ノ優シサハ残酷ダヨォ~! テメェミタイナ奴ガ、一番タチ悪リィンダゼ? 自分ノヤッテイル事ヲ、正義ダト思ッテイヤガルカラナァ⁉」

 死神が私を責め立てる。双子達も、ゲーデが言った言葉の真意を知りたいようだ。でも……

 どうすれば良いのかわからない。ちゃんと話さなくてはいけない事くらいわかっている。

 けれど、それは今なのか? こんなに大勢の前で言わなくてはいけない事か? 黒兎と白兎が深く傷付くのは目に見えているのに。

 それにゲーデの意図がわからない以上、言う通りにするのは危険だ。何が起こるかわからない。

 ……しかし今話さないと、本当に皆殺されてしまうかもしれない。

 一体、どうすれば――

「ミズホ、大丈夫だ」

 隣から聞こえてきたその声は……穏やかで、優しくて……私の心を一瞬で落ち着かせた。

「ソウ……くん……」

「俺には君が話そうとしている内容に、まったく見当がつかない。けれど、クロもシロも……君が思ってる程、弱くは無い筈だ。二人を気遣って言えないというならば、それは間違いだよ」

 彼の言葉に、黒兎と白兎は強く頷いた。

「オッ! チッタァ使エルジャン、オ前! ホラホラ、兎共モ知リタガッテルゼェ⁉ 折角俺ガヤッタ時間ヲ、モット有意義ニ使エヨ? サァ早ク~! ハ~ヤ~ク~言ッチャイナァ?」

「――うるさいッ! 貴方は黙っていて!」

 私がそう言って睨みつけると、ゲーデはケタケタと笑いながら『オ~! 怖ェ怖ェ!』と、その場に着席した。それに習い、仮面達も全員地面に腰を下ろす。

「……話してみなよ。大丈夫。ここで皆死んだとしても、真実を知らずにいるよりはずっとマシだ」

 隣に彼がいてくれる事が、どうしてこんなにも心強いのだろう。

 ――うん、そうだね。

 周りに誰がいようと構わない。言わないまま終わるかもしれないなら、ゲーデが与えてくれたこの時間は、確かに有意義なものだ。

「ソウくん。……うん、わかったよ!」

 私は視線を彼から双子達の方に向けた。

「……今から話す事は全て真実。黒兎と白兎……そして、赤兎の物語――」

 辺りがしんと静まり返る中、私はそっと口を開いた。

「赤兎はね、赤兎は……貴方達が思っているような危険な存在ではなかった。貴方達は彼女に対し、恐怖を抱いていたかもしれない。……けれど、彼女はわざとそう振る舞っていただけなの。そうしなければならなかったから。全ては、貴方達を【もう一人の悪魔】から守る為にした事……彼女は貴方達の為にも、気の狂った姉を演じるしかなかったの」

「もう一人の悪魔……? 気の狂った姉を演じる……? お前……一体、何言って……」

「赤兎の中にはもう一つの人格が存在した。それは、残虐性を秘めた、恐ろしい殺人鬼。虫や動物だけじゃ飽き足らず、人の命にまで手をかけてしまうくらいの殺戮衝動を秘めた、もう一人の【赤兎】……」

「ちょっ……と……待って、ミズホ! じゃあ……僕達がずっと怖がっていたのは、赤兎ではなかったって事?」

「ううん、それは赤兎。彼女は気付いたの。自分の中に【悪魔】がいると。その悪魔は、本体である赤兎にも影響を及ぼしていった。彼女に耐え難い痛みを与え、その痛みは、何かを殺す事によって緩和される。いつか自分は、【それ】に支配されて……双子達の事まで傷付けてしまうかもしれない。だから赤兎は、本当はやりたくなかったけど、わざと殺生を続け、貴方達を自分から遠ざけたの。そして心の中で、ずっと一人で泣いていた……貴方達に助けを求めたかった、救って欲しかった! でも赤兎は、【お母さん】と交わした約束を……懸命に守ろうとしたんだよ」

「――は? お母さん?」

「そう。貴方達にはちゃんと父と母がいた。強力な力を持つ兎神と、その神に見初められた人間の娘。貴方達は、神と人との間で生まれたの。シロくんの身体が弱かったのは、人間の血が濃すぎて、神の血に拒絶反応を起こしていたから。そして父親は……貴方達が生まれてすぐに、人間の手によって殺された。貴方達の母親を庇ってね」

 ついに、二人は言葉を失った。――無理もない。知る筈のなかった真実を、一気に突き付けられたのだから。……きっと、頭がついていかないのだろう。簡単に受け入れろと言う方が無理な話だ。

 けれど私は、話を続けた。

「兎神を失った貴方達の母は……まだ幼い三人を連れて、遠く離れた山奥に逃げ込んだの。父親を殺した村人達の住む村は、神を殺してしまった事によって加護を失い、やがて飢饉に見舞われ、滅びたそうよ。――それから暫くして、母親も病で亡くなってしまった。死に際に、貴方達の母は赤兎に言った。『必ず、真実を隠し通せ』、そして……『貴女が双子達を守るのよ』と。母親の最後の言葉は、まだ幼い赤兎の事を見えない鎖で縛ってしまった。皮肉な事にね。『何がなんでも、二人の事は自分が守るんだ』……その重圧は、やがて赤兎の心を蝕んでいき、殺戮衝動を目覚めさせた。殺したくなんかないのに……殺さないと頭が割れそうに痛む。こんな事したくないのに……生き物を殺すと頭痛は止み、高揚感に包まれる。もう、赤兎一人ではどうしようも出来ない状態になっていたの」

 私の手が少し震え始める。彼はそれに気付いたのか、隣で優しく私の手を包み込んだ。

「だから赤兎は……狸のお爺さんにずっと相談をしていた、助けを求めていたの。彼女は確信していた。自分がこうなってしまったのは、きっと呪いのせいだ。村で見かけた人形が自分に呪いをかけているのだ、と。けれど、お爺さんは人形に何の力も感じなかったし、人形はあくまで【ただ】の人形。襲いくる激しい痛みは神経的なもので、精神を病んだ赤兎の思い込みだと決めつけてしまった。実際、赤兎の精神に異常をきたしてしまった原因が、母親の言葉によるものか、そこにいるゲーデのせいかはわからないけれど……とにかく、赤兎の中にもう一人いる事は間違いなかった。……恐ろしかった事でしょう。不安だったに違いない。けれど、双子達には相談出来ず、お爺さんには信じてもらえない……彼女は孤独だった。独りぼっちだった。――悲しいくらいにね」

「やめろ! ……頼む、もうやめてくれよ! 頭ん中がおかしくなりそうだ……気が狂っちまいそうなんだよ!」

 黒兎は頭を抱えながら、その場に座り込んだ。白兎は、そっと黒兎の肩に手を置く。

「いいや、ミズホ……続けて。黒兎、真実から目を背けてはいけないよ。僕達は幸運だ。どんな形であれ、真実を知る事が出来たのだから。今の話をまとめると、僕達は苦しんでいた赤兎を……救いを求めていた赤兎を……あの山の頂上から突き落とし、殺そうとしたという事だね?」

「……うん。けど、貴方達が赤兎を突き飛ばし、落下させた後、赤兎はどうなったのか……そこがはっきりしていないの。本体の赤兎は死んでしまい、もう一人の赤兎に身体を奪われてしまったのか。それとも、もしかして……中身が入れ替わっただけで、本体の赤兎はまだ生きているのかもしれな……」

「ブッブ~! 残念~!」

 ゲーデは、口の端が裂けてしまうのではないかと思える程に口角を上げ、ニンマリと笑った。

「哀シイオ知ラセデェッス! 本体ノ赤兎ハ、アノ日間違イナク死ニマシタァ。黒、白兎ィ~オ前ラニ殺サレテナァ? 本当ニ可哀想ダッダゼ? 惨メナクライニ! ……黒兎ィ、ズット敵意ヲ向ケテイタオ前ガ、『一緒ニ行コウ!』ト誘ッテクレタ時……赤兎ハトテモ嬉シカッタンダゼェ? ソシテ、白兎ィ……! 赤兎ハナァ? ズット怯エテイタオ前ガ、自分ニ歩ミ寄ロウトシテクレタト勘違イシテ、トテモ喜ンデイタンダゼェ? ナノニオ前ラハ、オ前ラノ事ヲ一番愛シ、守ロウトシテクレテイタ姉ヲ自分ノ手デ殺シヤガッタ! プギャハハハハ! 面白過ギテ笑イガ止マンネ~ヤ!」

「やめろ……やめてくれよ……もう……」

「イイヤ~、ヤメナイ! 本体ハ死ンダ。ソシテ、モウ一人ノ赤兎ガソノ身体ヲ乗ッ取リ、今モコウシテ殺戮ヲ繰リ返シテイル……オ前ラノセイデナァア!」

「……ゲーデ。それは違うんじゃないの?」

「何ィ?」

「私には、どうしても腑に落ちない点があるの。本体の赤兎が死んでいたとして、もう一人が身体を乗っ取った。……なら、どうして彼女は暫く殺しをしなかったの? ようやく自由に動ける身体を手に入れたのに。山から島に連れてこられた時もそう。島には沢山の童子達がいたのに……何故、すぐ行動に移さなかったの? もう一人の赤兎が、本体の赤兎に何の関心もなかったのなら……本体が死んだ事に喜び、双子達に拘らず自由に殺戮を繰り返していた筈よね? それなのに……『殺したい』という欲求を抑えてまで、殺しをせず、ずっと島で暮らしたのは何故? 今の赤兎を見ていると……我慢なんて出来るタイプには、とてもじゃないけど思えない」

「……ンナ事知ラネーヨ。楽シミニ取ットイタンジャネェノォ? 飯ダッテ好キナモンハ最後ニ食ウ奴ッテイルジャン♪」

「……いいえ、きっと違う。そうじゃない。これは単なる私の想像に過ぎないけど、もう一人の赤兎は……本体の赤兎が死んでしまった事によって、芽生えた感情があったんじゃないのかな? きっと、悲しかった。激しいショックを受けた。赤兎の事を、大切に思っていた。彼女の優しさが、もう一人の彼女の心を……少しずつ変えていったのかもしれない。けれど、双子達は赤兎を殺してしまった。その時から、彼女は双子達にのみ固執し……優しい姉を演じてまで二人から離れなかった。それは、きっと【赤兎】の仇を討つ為。島を継承し、喜びに満ち溢れている時に最も残酷に……惨たらしく二人を殺す。それだけが、彼女の生きる糧になっていったんじゃ――」

 ――その時、急に私の頭の中で閃いた。

 狸のお爺さんが別れ際に言っていた事って、もしかして……

「シロくん! 久し振りに赤兎に会って、何か気付いた事とかないかな? たとえば……以前とは違った部分とか。何でもいいの! どんな細かい事でも良い!」

「え……? あの時の赤兎と、今の赤兎の違い? ――話し方、くらいかな……?」

 ……話し方。彼女は【真夏の夜の夢】を好きだと言っていた。だから、妖精【ティターニア】を真似て、あんな話し方をしてるんだって思っていた。

 けど、本体である赤兎が……昔、真夏の夜の夢を好きだったとは、誰も言っていない。

「……クロちゃん。おかしくなる前の赤兎は、真夏の夜の夢……いいえ【夏の夜の夢】の事を好きだと言っていた?」

「……あの本は、まだあたし達が仲のいい姉妹だった時、狸の爺さんの家で見つけたんだ。あの爺さん、人間の本を集めるのが好きだったから。そん時にさぁ……赤兎から聞いた事があんだよ。夏の夜の夢は、あまり好きではないって……だから、ちょっとおかしいなとは思っていたんだ。今回島に戻ってきた赤兎が、自分の事をティターニアと呼び、変な話し方すんの……」

 ――黒兎の言っている事が正しければ、夏の夜の夢が好きだったのは……もう一人の赤兎? 

 なら、一応筋は通っているようにも思えるが……どうしても無視出来ない矛盾が生じている。

 今の赤兎は、【狸のお爺さんの事を知らなかった】。夏の夜の夢は、お爺さんの家にあったというのに。

 ……そうか。やはり、そういう事だったんだ。

 狸のお爺さん。貴方が言おうとした事、私……ちゃんとわかったよ。

 きっと、これが全ての答えだ――


「ゲーデ、貴方……何をしたの?」

「……ハイ~?」

「双子達が夜宴の島を継承した夜、貴方は弱った赤兎を助け、どこかに連れ去った。その後、貴方……彼女に何かしたんじゃないの?」

「……サァテ、ナ~ンノ事デショウ?」

「今の赤兎は恐らく……本体とも、もう一人の赤兎とも違う【第三の赤兎】。赤兎の人格は二人だけじゃなかった……三人だったのよ!」

「は、はぁ……⁉ お前何言って……」

「……それだと全てが繋がるの。そしてもう一人の赤兎はきっと、今の赤兎……いいえ、【ティターニア】の中で眠らされている。第三の人格は恐らく、貴方が無理矢理作り出したもの。なら、主となる者がいないと動けない筈。……もう一人の赤兎まで死んでしまっていたら、ティターニアは存在出来ないもの!」

「……グヒャッハハハハハハ! ヒャハ! ウヒヒヒヒ!」

 ゲーデは突然、パンパンと手を叩いた。

「ブラヴォー! ブラヴォー! ミズホ、オ前ナカナカヤルジャン⁉ コングラチュレイション~! 大正解ダヨ! ……ヤッベ、キッレキレノ推理ニ俺、興奮シチマッタヨォ~! ソウ、今ノティターニアハ【良イ子ノ赤兎】デモ【流サレヤスイ赤兎】デモナイ! 俺ガ作リ出シタ【究極ノ殺人兵器】ダ! ブッチャケオ前達ニハ何ノ関係モナイキャラクターナワケ~。俺ガチョイチョイット脳ヲ弄リ回シテ作ッタンダヨネェ。二人目ノ邪悪ナ部分ダケヲ使ッテ! ア、アト媚薬ニ狂ッタ妖精【ティターニア】ノヨウニ、チャ~ント男好キニモシテヤッタんダゼ? 優シイダロ、俺? 赤兎ニ新シイ【属性】追加! ……ッテヤツゥ?」

「最低ね……貴方」

「ダッテヨォ、面白クネーンダモン。アイツ……ソコノ双子共シカ眼中ニネ〜シ、マドロッコシイシ、後継者ニ選バレネ〜シ、双子共ニコテンパンニノサレチマウシ。――イラナイッショ? ンナ役立タズ。ティターニアノ【コア】ニナルベク、生カシテ置イテヤッテルダケダヨ~。アノ殺人【人形】ノ為ニネ!」

 ゲーデはゆっくりと静かに立ち上がる。その瞬間、一瞬にして鳥肌が立った。背筋に冷たい刃物でも押し当てられているかのように身震いし、湧き上がる恐怖に動悸が早まる。

 きっと、私だけではない。――全員が、だ。

「ア~、楽シカッタァ……最高ノ気分ダヨォ。俺サ、退屈ガ嫌イナンダ。ダカラサ、モットモット遊ンデクレヨォ?」

「……ゲーデ、離れろ!」

 黒兎と白兎が私と彼の前に立ち、身を挺して守ろうとする……が。

「オ前等、ジャ~マ!」

 人形は、まるで指揮者の様に腕を振り上げ、それを払った。双子達の身体は宙に浮き、払われた腕と同じタイミングで、遠く……地面に叩きつけられる。

「ソコデ見テナ? オ前等ニ用ハネェンダヨ、間抜ケナ子兎共ガ」

「……何だか、いつもと少し話し方や雰囲気が違うのね。幼く馬鹿のように振る舞っていたのは演技?」

「アア、脳アル鷹ハ爪ヲ隠スッテイウダロウ? マァ、コノ島ニハ演ジテル奴ガウジャウジャイルミタイダケドネ~。……ナァ、他ニモ何カ面白イ事出来ル? 出来ナイナラ、ソロソロ死ンジャウ?」

 ゲーデは再び、小さな腕を高く上げた。

「きゃあ!」

「くっ!」

 私と彼の身体が宙に浮く。私は、必死の抵抗を試みるが……とにかく身体が鉛の様に重く、自由に動かす事が出来ない。まるで、金縛りにでもあっているかのようだ。

 辛うじて動く首を彼の方に向けると、彼は焦る事なく、この事態を冷静に判断しているかの様に思えた。

「死ナナイ程度ニ痛メツケテヤロウカナ~? 簡単ニ殺シタラ面白クナイモンネ? 痛ブッテ、痛ブッテ、痛ブッテ、血ト涙ト涎ニ塗レタ顔デ懇願スルンダ~。『助ケテ下サイ! ゲーデ様!』ッテナァ! ――考エタダケデゾクゾクシヤガルゼ、ヒヒ」

「つくづく変態野郎だな……お前って」

 彼は人形を鋭く睨みつける。その目には、勿論怒りの感情が読み取れたが……何だか少し呆れているようにも見えた。

「アアン? 人形ノ人形ガ……コノ俺ニクチゴタエスンジャネーヨ? 身ノ程ヲ弁エロ、屑ガ」

「さっきから聞いてれば、人形の人形って……お前なんて、正真正銘の【人形】だろうが? 自分の姿を見てみろよ? 小さくて、毛がなくて、変な顔色で、縫い目はまるでフランケンシュタイン。とにかく気持ち悪ぃ。見た目も、中身も醜すぎて反吐が出そうだ。たとえ俺がティターニアの人形だったとしても、お前みたいな腐った人形になるよりかは断然マシだよ」

「そ、ソウくん……!」

「『人形は大事にしろ』と、昔死んだ婆ちゃんに言われた事があったけどな……お前だけはどうやら別のようだ。今ここに火があれば、速攻でお前をその中に投げ込んでやるよ! ……お前みたいな奴が、存在していていい筈がない!」

「ホォ~……言ッテクレルネェ?」

 ……嫌でもわかってしまう。この人はわざと悪態をついて、ゲーデの怒りの矛先を自分だけに向けようとしているんだ。けど……そんな事はさせない! 絶対に! 

「き、聞きなさい、ゲーデ! 貴方なんかにこの島は絶対に渡さない。そこの仮面達を連れて、早くここから出ていって! この夜宴の島の物語に貴方は必要ない! 完全にミスキャストだわ!」

「……サッキカラ聞イテリャ、テメェ等調子ヅキヤガッテ。虫ケラノ人間風情ガ、コノ俺ニ盾突クンジャネェヨ? オ前ラノ命ハ……トックニ俺ノ手ノ中ダ」

 人形は、振り上げたままだった手を素早く払った。私達の身体は、凄まじい速さで遠くに飛ばされる。呼吸するのも困難を極めるくらいの速度に、思わず眩暈すら覚えた。

(どうしよう、どうしよう、どうしよう!)

 顔を少し後ろに向けると、すぐ近くに大きな岩が見える。

(――駄目! このままじゃ衝突する!)

 私はギュッと強く目を閉じた。


 ……あれ? 痛みがない。というか、衝撃すらも感じられなかった……

 私は、恐る恐る目を開く。すると私の身体は、ふわふわとしたシャボン玉のような透明な膜に包まれていた。身体も自由に動かせる……これは一体……

「――チッ! オ前等ノソノ面……タダノ面デハナイナ? マ、イイヤ。……燃~エロ、燃~エロ、ゴミハ燃エロ~♪」

 ゲーデが不気味な声で、奇妙に歌い始めたのと同時に……顔に付けていた面が、突然燃え始めた。

 端から少しずつジワジワと燃えていくおかめの面。私は急いでそれを外し、地面に投げ捨てた。

 面を外した事が原因か、柔らかいシャボンのような膜はパチンッと割れ、私は宙から地面に落下した。その拍子に強く尻を打ち付ける。

「いったぁ……! 痛たたた……あ、ソウくん!」

 私は急いで、彼が飛ばされた方向に目を向けた。

「……良かったぁ。何とか無事みたいだ」

 彼も、私と同じ行動を取ったようで……少し離れた場所に立ち、徐々に燃えていく面をじっと見つめていた。……どうやら彼の方は着地に成功したらしい。

 私は再び、目の前で燃えている面に視線を落とした。

「そんな……」

 この面がなかったら……あのスピードだ。きっと、ただでは済まなかっただろう。夜宴の島に来てから、ずっと一緒だったのに。何だか少し、胸が痛い。

 ――その時。突然、【老人】の『ほっほっほ』と言う高笑いがどこからか聞こえ始めた。その場にいた全員が視線を、空や森や地面に巡らせる。

『ふぅ〜、やっと面を壊してくれたようじゃのう……まったく、待ち草臥れたぞい』

「……何ダァ、コノ声は。ドコカラダ?」

 島中に大きく響き渡る声。この声は……


「待たせた、かのう?」


「――仙人!」

 彼の……燃え続けるひょっとこの面の中から、勢いよく飛び出してきたのは……間違いなく、私のよく知る仙人の姿だった。

 そして、おかめの面からも……

「! あ、貴方は!」

 こちらの面から飛び出してきた人物。それは私の……魔女の薬によってかけられた呪いを解こうとしてくれた、あの蛇の面を被った無口な老人だった。

「……それはのう。儂と蛇とで作った面なんじゃよ。そやつ、手先が器用でな。――まぁ、そんな事はどうでもいいじゃろ」

 仙人は、人形の方へと一歩足を進めた。

「あんたが死神さんじゃな? ……こりゃあ、とんでもない力を秘めておる。狸の奴、何故わからんかったんじゃろ? お主、何か細工でもしとったんか?」

「ヘッ! 細工ナンカスルワキャネェダロ? アンナ老イボレニチカラヲ感知サレル程、俺ハ落チブレチャアイネェンダヨ! 馬鹿ニスンナヨナァ? ――マ、オ前モ充分老イボレダケドォ~」

「ほっほっほ! それは違いないのう」

 仙人は暫く愉快そうに笑った後、ピタリと笑うのをやめた。

「さぁて、どうしたものか。正直、儂等ではお主に勝てる気はせんのじゃ。身を引いてもらえたら嬉しいんじゃがのう? 何もこんな小さな島に拘らんでも、お主には幾らでも遊び場があるじゃろうて。どうじゃ? この老いぼれに免じて……立ち去ってはくれんかのう?」

「ヤナコッタ。何デ俺ガテメェノ言ウ事ヲ聞カナキャナンネェンダヨ? バッカジャネ?」

「――ふむ。ならば仕方あるまい。……戦争じゃ」

 老人がパチンと指を鳴らすと、仮面達の背後を覆い尽くすかのように煙が立ち込めた。その中に、数え切れないくらいの沢山の影が浮かび上がって見える。やがて、煙は少しずつ霧のように晴れ、見た事のある面々の姿が露わとなった。

「ナ、何ィ⁉ オ前等ァ……一体、ドウヤッテココニ⁉」

「のう、ゲーデや? 力は確かに大事じゃ。しかし、本物の策士は【ココ】で戦をするもんじゃよ」

 仙人は堂々とした態度で、こめかみをトントンと突いた。

「ここにおる者達はのう……皆、この島が好きなんじゃよ。それが、今じゃこの有り様じゃ。森が泣いておる。海が泣いておる。そして、島が悲鳴を上げておるのが……お主にはわからないのか? ここはお主がいて良い所ではない。出て行かぬと言うならば、無理矢理にでも退場して頂くとしようかのう。幾らお主に力があろうが、この数を相手にするには少々キツいじゃろう」

「糞ジジイ……! 舐メヤガッテ! オイ、オ前等! 誰デモイイ。ティターニアヲ今スグココニ連レテコイ!」

「はっ!」

 人形からの命令に、仮面の一人が即座に立ち上がった。

「――待ちなさい! ……その必要はないわ。私はここだもの」

 その言葉に、皆が一斉に振り返る。

 そこには……ふわふわとした金色の髪、紅いルージュにリボン、黒いドレスを着た少女が腕を組みながら立っていた。

 ……狸のお爺さんは? 

 身体の中を、不安と焦りが駆け巡る。ティターニアがここにいるという事は……狸のお爺さんは、もう……

「オッ! ティターニア! オッセーヨ! コイツ等、生意気ナンダワ! サッサト全員|{嬲}(なぶ)リ殺シニシチマオウゼ! ……ホラホラ、オ前ノ憎クテ殺シタガッテル双子モ揃ッテル事ダシナァ」

「……そうねぇ? 黒兎に白兎、本当に殺したいくらいに嫌いだわ。こいつ等が生きている限り、私の憎しみは決してなくなる事はないもの。けれど、二人を殺す前に……もっと死んでもらいたい奴がいるの。ねぇ、ゲーデ……先にそいつから殺ってしまってもいいかしら? 私……そいつを殺したくて殺したくて、うずうずしているの」

 そう言うと、ティターニアは一歩ずつ人形に向かって歩き始めた。

「勿論、イイゼ~イイゼ~? コノ俺ガ手伝ッテヤルヨ? 一体、ドイツヲ先ニ殺リタインダァ?」

「流石ね、ゲーデ。とても可愛い子……大好きよ? ――なら、私の望み通り……死んで頂戴?」

 ティターニアは手のひらの中に隠し持っていた硝子の破片を、ゲーデの心臓を目がけて、思いっきり突き刺した。――筈、だった。

「……ナァンチャッテ~♪」

 人形は少女の手を強く掴みながら、ケタケタと愉快そうに笑う。

「――チッ!」

 少女はその手を振り払うと、大きく後ろに飛び退いた。

「ザァンネン! イヤァ~、惜シカッタネ! ……ケド、ヤッパリ甘ェンダヨ~、オ前ハ。俺ニ向ケタ殺気ガ駄々漏レダッタヨ~ン。オイオイ~、ティターニアハドウシタァ? ――ナァ、赤兎ィ?」

「……あら? あの男狂いの事ぉ? 頭に血が昇り過ぎて、上手く自分をコントロル出来なかったようねぇ? 隙を見て私の中に押し込んでやったわ。【偽善者】といい、【変態】といい、表に出るのはいつだって腐った奴等ばっかり。この身体は私のものだって言っているでしょう? 悪趣味な髪色にルージュ、烏のように真っ黒な服。いい加減うんざり。あんたの作り出したティターニアの趣味ってほんっと~に最悪。……この身体、返してもらうわよ? で、あんたはもうお役御免ってわけ。さっさと死んでくれないかしら?」

 少女は、まるで天使のように美しく笑う。しかし、その笑顔の中に秘められた残虐性や、ゲーデに向けられた殺意は、隠される事なく表面に出されていた。

 けど……何故だろう? 

 物騒な事をしたり、言っているのには変わりないのに……ティターニアの時のように、恐怖に震える事はない。

「……私ね、あんたを利用する事があっても、利用されるなんて真っ平御免なの。だから、邪魔しないでくれる? こいつ等双子を殺るのは【私】なの。【ティターニア】でも【あんた】でもなく、この【私】。……なのに、今まで随分とこの身体で好き勝手にやってくれたじゃない? 双子の前に……ゲーデ、邪魔なあんたを先に殺してあげるわ」

「グヒャヒャヒャヒャ! オッモシレ~! タマンネェナァ? オイッ! ……イイダロウ、相手ヲシテヤルヨォ」

「――黒兎、白兎」

 双子達の名を呼んだ赤兎はくるりと振り返ると、地面に這いつくばっている二人に向かって言った。

「お前達……久し振りねぇ? 私がいなくなった後、随分と楽しい時間を過ごしていたようじゃない? ほんと、いい気なもんよねぇ~。ニ度も私を殺そうとしておきながら。……ま、【私】は今もしぶとく生きているけどね。お前達が生きている限り、私が死ぬなんて有り得ない話だわ。――私は、絶対にお前達を許さない。お前達は、必ず私の手で殺す。だから……こんなところで憐れに死ぬ事は許さない」

 赤兎は再び双子に背を向け、人形と対峙した。

「ねぇ、ゲーデ? 仮面達なんかに頼らず、正々堂々私と勝負なさいな? そして勝った方が、この島も双子達も……そこにいる人間や島の客人達の事も……好きにすればいい。――まぁ、私が勝てば全員殺すけどね?」

「奇遇ダナァ? 俺モ勿論全員殺スツモリダゼェ? 目的ハ同ジナノニ敵対タァ、面白過ギンダロ! ……イイカァ? オ前ラ、手ェ出スンジャネェゾ? ソコニイルジジイ共モダ! 後デジックリ可愛ガッテヤルカラヨォ?」

 少女と人形が火花を散らしているその隙に、私と彼は急いで双子達の元に駆け付けた。

「――二人共! 大丈夫⁉」

「立てるか? とにかく、あっちへ……」

 私達は二人に肩を貸すと、森の隅の方に移動した。島の客人達や不気味な仮面の衆は……その場から一歩も動かず、二人の闘いを見守っている。

 双子達は赤兎から一度も目を離す事なく、ぼんやりとした表情を見せながら小さく呟いた。

「あいつ……間違いねぇな……」

「……ああ。正真正銘、島での【赤兎】のようだね。でも、どうして……? これじゃあ三つ巴だ。人格を無理矢理封印されてしまったのだから、ゲーデに対し怒りを持つのはわかる。けど……折角、表の人格に戻れたんだ。再びゲーデ達と手を組み、僕達や島を一掃する事は簡単なのに。あの赤兎が誰よりも憎み、殺したがっているのは僕達の筈だ。なのに……何で……」

「それって……」

 きっと、彼女が本物の赤兎から得た感情は……赤兎が殺されてしまった事に対する憎しみや恨みだけではなかった。恐らく、彼女自身も気付いてはいないのだろう。彼女の中に芽生えている感情……多分、それは……

 どうしよう。二人に私の考えを伝えるべきなのだろうか? それとも――

 悩んでいる私の肩に、突然感じた優しい重み。振り返った私に彼は微笑みながら、首を左右に動かした。

「皆……深く考えるのはもうやめないか? あの赤兎は、一人でもゲーデと闘うと言った。その真意は誰にもわからない。……当の赤兎ですら、わかっていないのかもしれない。けど……それぞれがどう考え、どう受け止めるか。それは俺達の自由だ。彼女は確かに人格障害だったのかもしれない。けど、見方を変えてみれば……誰だって沢山の自分を持っているんだよ」

「見方を……変えてみる……?」

「ああ! たとえば……――なぁ、シロ? お前から見て、俺はどんな奴だ?」

「……何だよ、いきなり」

「いいから! 遠慮せず、思ったまま言ってみてくれ」

「……君は、本当に不愉快でムカつく存在だよ。いつだって自信に満ち溢れていて、大切なものを……いとも簡単に奪っていってしまう。僕は君の事なんか、大嫌いだよ」

「ははっ! 手厳しいな。けど、成る程ね。よし、それじゃあ……クロはどうだ?」

「……あたしはお前の事、不器用な奴だなって思うぜ。お前ってさ、後先考えずに……思ったまんま、何でも言っちまうとこがあるだろ? そういうとこ……マジ、損してんなぁ~って。けど、お前は本当に賢いし、いつも冷静に周りを見れる。……いい奴だよ。本当に」

「……そっか。ありがとな、クロ! じゃあ、次はミズホだ!」

 彼の視線が、今度は私に向けられた。

「ソウくんは……誰よりも弱くて、誰よりも強い人」

 彼は『ふっ』と優しく微笑むと、何も言わずに私の頭の上にポンッと手のひらを置いた。

「……この時点でさ、今ここに【三人の俺】が存在しているんだ。では、それが真実か? それが本当の俺なのか? ……そう問われたら、きっと誰にもわからない。勿論、俺自身だって……そんなのはわからないよ。なら、自分の目で見たままの相手を信じてみればいいんじゃないのかな? 真実がどうであれ。……今、ここに存在している者達全員が、様々な目線で赤兎の事を考えている。赤兎が今、何を考えているか……それはきっと他者諸々だ。そこから生まれた、一人一人の中に存在する赤兎。自分が見て決めた赤兎を信じてみればいいんだよ。病気、病気じゃない……そんなもんは全部取っ払ってさ! わからない答えに頭を悩ませるよりも……今、俺達に出来る事をすればいいんだよ。思いつくままに……」

「……ソウ。君って本当に馬鹿な上、とんだお人好しだね。言ってる内容も、根本的にずれているように思えるけど……何となく言いたい事はわかったよ」

 白兎は口元に手を当て、クスリと笑った。

「――僕と黒兎は、どれだけ後悔しても取り戻せない……償う事の出来ない罪を知った。あの赤兎が、ミズホやゲーデの言った通り、姉様を殺された恨みと憎しみで僕達の生命を狙っていたのだとしたら……僕達は喜んでこの生命を彼女に捧げよう」

 白兎の言葉に、黒兎も小さく頷く。

「姉様の家族だったのは……姉様の事を一番に大切に思い、愛していたのは……僕達などではなく、今……死神と闘っている彼女だったのかもしれないね」

 白兎は負傷したであろう腹部を抑えながら、ゆっくりと立ち上がった。

「……なら、あいつはあたし達の【姉様】でもあるな。二番目の姉様はすげぇこえーし、ちょっと隙を見せたらこっちが殺されちまうかもしれねぇけど……死なせるわけにはいかねぇ」

 白兎よりも遥かに深い傷を負っていた黒兎も、膝に力を入れ、立ち上がる。

「ありがとう、ミズホ。そして……ソウ。君達の言葉に……僕達がどれだけ助けられ、勇気付けられてきただろう。本当に感謝してるよ。真実を知る事が出来て、本当に良かった。けど……ここからは僕達の闘いだ。君達はどこかに隠れていて。大丈夫、絶対に負けないから」

「……なら、俺達もここにいる」

「そうだよ! だって、負けないんでしょ?」

 私達の言葉に、二人はわかりやすく溜息を吐くと、穏やかな声で笑って言った。

「……もう一度、夜宴の島で楽しい宴を!」

「食って、騒いで、踊りまくるんだ! くぅ~! 今から楽しみだぜ! その為にはここにいる邪魔者達全員、この島から出ていってもらわなきゃな! ……白兎、行くぞ」

 黒兎がそう言うと、白兎は『うん』と頷き、二人は赤兎の元へと走っていった。

「……行っちゃったね」

「うん……」

「……ねぇ、ソウくん。狸のお爺さんはどうしたのかな? 無事だといいんだけど……」

「……大丈夫だよ。きっと生きてる。そう信じよう」

 私達は顔を見合わせながら、双子達と狸の老人の無事を祈った。

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