砂上で踊る石像を見たことはあるだろうか。

如月凪月

第1話 砂上で踊る石像を見たことはあるだろうか(1)

 見渡す限りの砂。照りつける陽光が砂を熱くする。少しでも気を抜けば絡めとられてしまいそうなその砂上で、彼らはそれでも歩を止める事はなかった。

「暑いですね」

 ペトラがその気温に鬱屈とした感情をぶつけながら、顔を歪ませて呟く。それを聞いたモーダルは、静かに「そうだね」と頷くだけだった。

 二人は旅人である。しかし、何か崇高な目的に沿って世界を飛び回っているのではなく、彼らを突き動かしているのは尋常ならざる程の好奇心だ。

 モーダルは被っているフードをもう少し深く、目が隠れる程まで被り直して、隣で息を切らせているペトラに告げた。

「もう少しだよ」

 確信を持ったようにそんな事を言う彼を、ペトラは疑心を蓄えた瞳で見据える。

「……。前から思っていたのですが、何故そんな事がわかるのですか」

「一流の旅人だから」

 それに、僕が嘘を吐いたことがあったかい? とモーダルは付け足した。ペトラは彼との現在までの軌跡を思い返し、モーダルが嘘を吐いていた時を思い出そうとするが、確かに彼が嘘を吐いたことは過去一切もなく、仕方なく口を噤んだ。

 二人が向かっているのは、今帝都で噂になっている「いしの街」である。そのいしが何を意味しているのかは定かではないが、定かではないからこそ、今現在噂の対象として活気を帯びている。

 砂を踏みしめる音だけが、誰も居ない砂漠で響く。一定のリズムを刻む足音は、何故だか心地よく、眠ってしまいそうだった。

 こういった砂漠地帯での旅は、体力との勝負になる事が多い。その熱さも脅威なのだが、一番は簡単に食糧を確保できない事にある。だから彼らは無駄なやり取りを交わす事なく、ただ前を見て歩いているのだ。

 モーダルの瞳の奥に、建造物が映る。

 いしの街のいしというのは、その言葉通り、石の事を指していたのだな、とモーダルは一人で帝都中を駆け巡っていた噂に決着をつける。

 その建造物は、帝都の技術とは異なる別の方法で建築されていた。モーダルはほうと感心する。いくつかの問題点は見当たるものの、耐久度だけで見ればそれは帝都を遥かに凌駕しているだろう。

 なにせ、本当に全てが石で出来ているのだから。

 戦争において、一番重要な砦が、硬い石で守られている。勿論、ダイヤモンド等に比べれば劣ってしまうが、そもそも城壁を全てダイヤモンドで統一出来るような資金力を持った国など、存在していないしするはずもない。

 モーダルはペトラを見て、「ほらね」と自慢気に笑う。それを見たペトラは脱力しながら「はいはい、凄いですね」とだけ投げやりに言った。

「さて、行こうか」

 何か重要な決断でもしたのかと見紛うような表情を片手に、モーダルは呟いた。

 砂上にゆらゆらと陽炎が揺らめいていた。



「驚いた。本当に全てが石なんだね」

「珍しくもありません。ここがそういう国だっただけですよ」

「僕らは世界を知ろうと旅をしているんだ。こういう時は素直に驚いておいた方がいいよ」

 モーダルに諭されたペトラは、恨めしそうにモーダルを一度見上げた後、すぐに街内部に視線の先を変更し、どこか演技じみた所作を持って驚愕を表現した。そんなペトラを慈愛にも満ちた瞳でモーダルは見る。

 ペトラに倣うようにして、モーダルも今しがた入国した石の街に視線を走らせる。

 本当に街内部まで全てが石で出来ており、まるで御伽噺に出てくる世界のようだな、と俯瞰でモーダルは思考した。

 住人まで石になってしまっているのではないか、と勘違いを起こしてしまう程に、静寂が空中を寂し気に舞っていた。

 カツン、と音を立てながら、二人は石を踏みしめて歩く。

 ペトラは懐から手記とインクの付いたペンを取り出し、この街について筆を走らせていた。

「それ、好きだね」

 好きではありません。と、ペトラは強く否定を掲げる。彼女にとって、これは日常なのである。自分の目で見たものを手記に書き残す。そして知識を積み上げていく。そんな気持ちで始めた日記にも似たこの行動は、いつしか彼女の日常となっていた。

 それに、とペトラは付け加える。

「こうしておけば、忘れたとしても思い出すことができます」

「僕は、忘れるような旅なんて忘れておけばいいと思うんだけどね」

 彼と彼女は、いつまでも相容れない。考え方が、人生そのものが、全て逆なのである。人生という線上で少しだけの間交わったに過ぎない、というのはモーダルの論だ。

 ペトラは手記に今日の日付と街について細かく書いた後、大事そうにそれを元の位置に仕舞い込む。モーダルはというと、もうその行動に興味を失ったのか、石で出来た家の扉を興味深そうに触れていた。

「これも石か」

 感心を片手に添えて顎を触る。建築物に石を使う事は珍しくないが、細部まで石で出来ているとなると話は別である。

 モーダルの中にある旅人としての勘が、なにかを告げようと必死に蠢いていた。そんな気持ちの悪い感触に、モーダルは顔を顰める事しか出来ず、苛立つ。

 モーダルはその石で出来た扉を押す。外見から重たいものだとばかり思っていたのだが、案外それは軽く、その落差に躓いて、彼は足を縺れさせた。

 後ろでペトラの制止の声が聞こえるが、開けてしまったものはもう遅い。彼の行動は弾丸を思わせるスピードでその家屋を撃ち抜いた。

 石の家屋の中に居たのは、椅子に座っている一人の少女である。褐色の肌に、肩までかかるセミロングの赤の髪。絹の服を着ている事から、この街は貧窮しているわけではないのだろうとモーダルは勝手な推論を脳内で披露する。暑いのにも関わらず、少女の足元は毛布に覆われていた。

 そんな少女が一言、

「なにしにきたの」

 とだけ静かにモーダルとペトラに告げた。

 無駄な敵愾心を抱かせないように、モーダルは出来るだけ柔和な表情を張り付けて少女に話しかける。

「いきなり入って申し訳ない。僕らは旅人で、この街をどうこうしに来たわけじゃない。ただ、どういう街なのかだけ知りたいんだ」

 ペトラは、こんな状況になってもその知の好奇心を薄れさせる事のないモーダルに、恐怖にも似た感心を抱く。底の底からこの人は旅人で、好奇心という呪縛に縛られた哀れな人間なのだ、とその時初めて理解する。

 少女はモーダルの言葉を聞いて、少しだけ安心したように薄く笑い、言葉を紡ぐ為にその小さな口腔を開く。

「いしの街」

「それは知っている。僕は、どうしてこの街が石で出来ているのかを知りたいんだ」

「モーダル」

 尚も知識の向こう側を探求せんとするモーダルを窘めるように、ペトラは言を挟む。その言葉に我に返ったのか、モーダルは一言「申し訳ない」と呟き、石造りの椅子に腰かける少女をもう一度見据える。

「別に怖がらせに来たわけじゃないんだ。もしも迷惑だったら、僕らはまた別の街に行くだけだよ。邪魔してごめんね」

 モーダルは優しく少女に言葉を投げて、先程入ってきた扉に手をかける。

 そんな帰路につこうとする彼らを呼び止めるようにして、少女は足元にかけられている毛布をすとんと手で払う。音に驚いてモーダルとペトラは視線を少女に戻すと、そこに居たのは、

「いしに、なってしまう街です」

 下半身が灰色に染まっている少女だった。

 モーダルは少女の言葉を深く噛み締めて、飲み込んだ後、もう一度少女をよく観察する。

「確かに、石の街だ」

 その少女の足は、灰色の暗い輝きを持つ石だ。

 なるほど確かに、この街は石の街で間違いなかった。

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