第17話 信頼と信用

 とその炎の壁を二人に向けて放とうとした時に、ふとトルトの表情が暗くなる。

 ラジはその表情の変化を見逃さなかった。トルトの表情が暗くなった理由を探す。


 トルトははじめ、この店内は防壁に覆われていると言った。そして、魔法が100を超えていない限り壊れないとも。それは即ち、ラジがここで魔法を撃ってしまえば、この店は無残に潰れてしまうということとイコールである。


 慌ててラジは防壁を出そうとするが、ラジの魔法ステータスは110である。Cランク冒険者程の力はあるが、しかしファイアウォールを撃ちながら防壁まで出せるような数値ではない。


 苦渋の決断という程ではないが、ラジは苦虫を噛み潰したような表情を携えながら、詠唱をやめてその炎を消した。

 トルトがそれを見て申し訳なさそうな顔をする。そんなトルトに、ラジは手を振って気にしないでくれと伝えた。それがしっかり伝わったかはさておき、トルトは安堵の表情を浮かべる。


 トトリカから成り上がる。が口癖とはいえ、トトリカから店が消えては困るのだ。

 トトリカ地区とはいえ、この店をつくるのに多少なりとも大きな金が動いているのだから。


 ラジとトルトの静かな気遣いに気が付かない男二人は、ラジの魔法中断を、ステータスが低いのにも関わらず強力な魔法を詠唱しようとした時に起こる魔力枯渇だと勘違いする。

 勿論そんなことはないのだが、一度起きた勘違いは止まってはくれない。


 額の汗を拭いながら、男は呟く。


「一瞬焦ったが、やっぱりはじまりのラジはそのままだったな……。ファイアウォールもはったりか……」

「驚かせないでほしいね。さあラジ、もうはったりは使えないぞ。大人しく金品を差し出せ。お前が三十万リルを持っているのはもう知っている。見ていたからな」


 あの時に感じていた視線はこれか、とラジは内にどろりと残っていた疑問を解消させる。


「……それが目的ですか? 三十万リルは渡すので、この店に金輪際近寄らないと誓えます?」


 ここからは交渉の時間である。

 相手がラジのことを最弱であると勘違いしている以上、こちらにとって不利なそれであるのは間違いないのだが、しかしトルト及びトルトの努力の結晶を守る為には、武力行使は控えなくてはならない。


 どうせ攻撃を直に浴びても、ラジが死ぬことはないのだ。机に頭を打ち付けられた時にそれは理解した。

 そもそもラジの防御の数値があれば、有象無象の冒険者に殺されるようなことはないのだが、それをラジが知る由は無い。外側は強くなっていても、ラジはまだ心のどこかで自身のことを最弱冒険者であると思っているのだ。


 ラジは三十万リルが封入されてあるそれを、器用に衣嚢から取り出して差し出す。


 男二人はそのラジの行動を、諦めによる自暴自棄であると判断した。

 奪うようにして封筒を取った後、ラジを見つめる。


「はったりで逃げようとしたからなあ、もうそんなことをしようと思えないくらいに痛めつけてやらないと、俺達の腹の虫が収まらない」


 特段怒っているわけではないが、丁度良いサンドバッグにでもしてやろうと男達は思っていた。

 ここはトトリカ地区、彼らもまた、状況が変われば搾取される側に成り下がるのだ。だからこそ、勝てる相手には強く出ておく。そういったトトリカでの常識が、今ここに至っては全てが悪い方向へと向かっていた。


 ――トトリカでこれまで生き残っている俺達が、はじまりのラジ程度に負けるわけがない。


 と本当に思っているのだ。思ってしまっているのだ。


 そしてそれは、この場においてのみ正解でもあった。

 何故ならラジは、この店内では持ち得る力を行使できないからである。


 男はラジ目掛けて拳を振り下ろす。それを見てトルトが小さく目を瞑るが、対してラジはすうっと目を細め、男の動きをしっかりと観察していた。


 自身にその拳が当たる前に、店内にある備品を巻き込みながら後ろに大きく飛ぶ。

 その瞬間、ラジは小さく詠唱した。


 傍から見ればそれは、殴り飛ばされたように見えたはずだ。

 トルトは驚き心配するが、しかしラジの防御の数値を身を持ってして知っていた為、これは演技であるとすぐに察する。


 男はにやりと不快な笑みを浮かべながら、ラジを罵倒する。


「どうした? 反撃してこないのか?」

「反撃できないんだろう。なにせあいつははじまりのラジなんだ」

「間違いねえな!」


 後ろに自分の力で吹き飛んだラジは、男達の反応を見て薄く笑う。

 わざとらしく咳き込んで、演技に幅を持たせる。トルトは心配した。何故ならラジのそれは、演技に見えるようなものではなかったからである。本当に、押されているのかもしれない。と思ってしまう程、それは真に迫っていた。


 しかしそれは当然である。ラジはつい最近まで最弱冒険者だったのだ。負けるという経験の量だけなら、他の誰よりも多い。負ける演技がしたい時は、過去の自分をそのままなぞればいいのだ。


 ラジはふらふらとよろめきながら立ち上がる。

 そんなラジを見て、男達は満足したのか、三十万リルを大事そうに抱えて、悠々と店から出て行った。


 安心する。店内の状況は散々ではあるが、しかし被害を最小限に留められた。そしてそれは全て、ラジの功績だ。


 トルトは回復薬を持って真っ先にラジに駆け寄る。


「大丈夫!? 私のせいで……。申し訳ない」


 そのままの流れで回復薬の封を開けようとするトルトを制する。

 ラジは無傷だからだ。あの程度の攻撃で外傷を負うようなステータスではない。


「気にしないでください」

「けど、三十万リルが取られたのは確かだ。勿論うちの商品で補填はするが……」

「それは有難いですね。受け取らせていただきます。けど、あの三十万リルは取り返すつもりなので」

「どうやって? トトリカ地区は広いんだ、逃げられた以上見つけるの難しいと思うが……」


 トルトの言う通り、トトリカ地区は他の区よりも広い。その為、整備や生活線が行き渡らずに、実質としてスラム街になってしまっているのだ。


 そんなトトリカ地区から、二人の人間を見つけようなど、砂漠から一つの砂粒を探すくらいには困難なのである。


 しかしラジは焦り二人を追いかけるわけでもなく、トルトと談笑に興じている。


「殴り飛ばされた時に追跡の魔法をかけました。あの二人の位置は把握済みです」

「……ラジ、どこまで規格外なんだ……」

「魔法、110個習得してるので」


 トルトは溜息を吐く。


「理論上は分かるが、それを実践でいきなり使いこなせるのはラジくらいだと思う」

「やってみると案外できるものですよ」

「……」


 そんなラジの台詞を聞いて、思わず黙ってしまう。

 ラジははにかむように笑い、トルトを見る。


「ここって、ギルドなんですよね?」

「ああ、一応はな。それだけじゃあやっていけないから、酒屋としても活用しているが」


 ラジは「なら、」と呟いて、トルトをもう一度しっかりと見据える。


「クエスト依頼、可能ですよね?」


 トルトはラジの言葉の意味が理解できずに、固まる。

 ラジはその言葉の後ろに説明を付け加えるようにして、口を開き綺麗に言葉を並べていく。


「あの二人から三十万リルを取り返す。難易度は、そうですねえ。Dランクで」


 トルトは理解を噛み締めて、悪い笑みを浮かべる。


 全てを理解した。ラジからのクエスト依頼という体にしておけば、このギルドに依頼があったという実績になる。そしてそれをラジ自身が受けて、依頼を達成すれば、それ自体もギルドの実績となる。Dランクのクエストをソロで達成できる冒険者と繋がりがあると銘打てる。おあつらえ向きに、対人の依頼は、それほど危険な人間を相手取るのでなければ全てDランククエストとして処理されるのだ。


 そして実績があるギルドには人が集まりやすい。


 結果として、これはトトリカから成り上がる第一歩目だということになる。


 悪い笑みを浮かべたまま、トルトは問う。


「一応聞いておこうか。誰がそのクエストを受けるんだ?」

「僕です」

「成功報酬は?」


 ラジはひとつ空白を置き、考える。


「トルトさんからの、信頼と信用で」

「乗った」


 二人は顔を見合わせてにやりと笑う。

 そしてそれは、最弱のギルドが誕生した瞬間だった。


 ラジは追跡で二人の位置を確認した後、トルトに挨拶もせず走り出した。

 一人残されたトルトは、静かに呟くのだ、


「トトリカから、成り上がる」


 と。

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