【坂本結菜】沼に沈む

5-1 欲求の歪み

『今回は残念だったけど次は絶対に受かるよ。諦めずに頑張ろう』


 シフト前にと確認したアプリに届いていたメッセージ。思わず私は舌打ちし、スマートフォンを乱暴に鞄に突っ込んだ。中に入っていた充電器にぶつかったのか、化粧品ポーチにぶつかったのかは分からないけどガンと鈍い音がする。それにもイラついて、私は姉に止めろといわれた爪を噛む癖をしそうになり、姉の言葉を思い出したことにまたイラついた。


 落ち着けと自分に念じながら深呼吸する。ここは蝶乃宮病院の更衣室。ロッカーが並ぶ狭い空間に私以外の姿はないが、通いのスタッフが入ってくるかもしれない。こんなイラついた姿を見られたら今まで作りあげてきた私のイメージが崩れる。だから落ち着け。落ち着けと念じながら深呼吸する。


 私はロッカーの扉につけた鏡に向かって笑顔を作る。これは自分の姿を確認するために私が私物として持ち込んだものだ。鏡の前で微笑んだ私は完璧で美しい。だからこそ、何度もオーディションに落ち続けている意味が分からない。一体何に不満があるのかと怒鳴り散らしたい気持ちになって、私はもう一度自分を落ち着かせるために深呼吸をした。


 その時ガチャリとドアの開く音がして誰かが入ってくる。反射的に笑顔を作り上げ、音のした方へと顔を向けた。入ってきたのは調理を担当しているスタッフの女性。名前は青葉さん。優しげな顔立ちと上品な立ち振る舞いをする女性で、孫のいる年齢とは思えないほど女性として完成した雰囲気を持っている。蝶乃宮病院に採用されるだけあってもちろん顔立ちは整っていて、私からすると嫌な相手だ。


「結菜ちゃん、おはよう。オーディションどうだったの?」


 今一番聞かれたくない言葉を口にされ内心舌打ちするが表には出さない。眉を下げていかにも残念そうな顔を作ってから、「ダメでした」と少しおどけた様子で口にする。内心ははらわた煮えくり返っているなんて悟らせてたまるか。このくらいのこと私は気にしていないと精一杯アピールし、目標のために努力する健気な女を演じて見せた。


「結菜ちゃんを採用しないなんて見る目がないわね」

「そんなことないですよ。私よりも綺麗で可愛い子って沢山いますから」


 本音を言えば青葉さんに同意だった。私を採用しないなんて審査員の目は腐ってる。どうせ受かったのは審査員に思いっきり媚びを売っていた胸のデカいバカ女だろう。顔とスタイルには自信があるが胸のでかさでいったら私は平均的だ。形に関しては抜群だと思っているけれど、安売りするつもりはない。それを考えれば今回落ちたのは良かったかもしれないと少し怒りがおさまった。


「結菜ちゃんが雑誌の表紙を飾る日が来たら、私いっぱい買い占めちゃうわ。孫にも自慢しちゃう」

「やめてくださいよ。恥ずかしいです」


 そう照れた表情を浮かべながら、どうせ社交辞令だろうと冷めた気持ちでいた。「結菜ならモデルとして絶対成功するよ」と言ってくれた大学の同期との縁は大学卒業後に切れた。「モデルなんてすごいね」とすり寄ってきた男どもは芸能事務所に所属する美人な彼女ないし、ワンチャンの関係を狙っていただけだ。

 

 応援してる。すごい。雑誌に載ったら教えてねと、私にすり寄ってきた自称友達は私が何年活動を続けても目が出ない姿にあっさり離れていった。所詮そんなもの。私のことを本気で心配して、応援してくれる人など誰もいないのだ。


 だとしても構わない。周囲にどう思われようとどうでもいい。私が成功しさえすれば奴らは手のひらを返すのだ。それまで我慢すればいい。


 そう自分に言い聞かせながら、頭に浮かんだのはそれはいつまで? という疑問。大学を卒業して二年たった。モデル活動をし始めてからもう四年だ。親にも姉にもそろそろ見切りをつけて就職しろと言われている。


 あなたは今、冷静じゃない。

 そういったのは姉だった。その時の姉の姿を思い浮かべると怒りと憎悪が湧き上がる。

 たしかに私は冷静じゃない。だが、私からそれを奪ったのはお前だ。そう怒鳴りつけてやりたかったのに怒りで震える体は私から声と怒り以外の思考を奪っていた。


「今回はどのくらいいるの?」

 青葉さんの何気ない質問に我に返る。慌てて表情を取り繕って、「一ヶ月くらい」と答えた。


 私のシフトは不規則だ。週五で入り続けることもあれば数週間ほど休むこともある。オーディションがあったらそちらを優先するので急に休むことも多い。

 普通の職場であったら雇ってもらえないかすぐにクビになる。けれど蝶乃宮病院では許されるし、給料も高い。限られた人しか入れない場所なので芸能界でも受けが良い。アルバイトでも空いている社員寮を貸してもらえることもあり、事務所からの長時間の移動を踏まえても好条件のバイト先だ。

 

 何よりも承認欲求が満たされる。それを思えば、見る目のない審査員が開催するオーディションに落ちたことがどうでも良いことに思えてきた。

 青葉さんに印象が良くなるように意識した笑みを浮かべて挨拶し、更衣室を後にする。

 

 蝶乃宮病院においての私の仕事は受付。患者や住み込みスタッフに届けられる荷物の受け取りや面会者の対応。他にも細々とした事務仕事や手伝いなどが沢山あるが、一番の仕事といえば患者との交流。

 患者を惚れさせ、翅を落とすことである。


 私は足取り軽く施設内を歩く。すぐに背中に翅の生えた子供たちが廊下に固まって話している姿が目に入った。その光景を見るたびに私は非日常に入り込んだような高揚感を覚える。背中に翅が生えた子供たちが見られる場所など世界中探してもここ以外には存在しない。

 クピドの翅が日光を好むため、病院の天井には天窓がつけられ廊下はずいぶんと明るい。天窓から差し込む日光でキラキラと輝く翅の美しさは見慣れている私でさえ見惚れてしまう。この翅や翅の生えた子供たちを手に入れようとする誘拐といった事件が後を絶たないのも納得してしまう。

 その美しさがあまりにも羨ましくて、引き裂いてしまいたくなるほど妬ましい。


「坂本さん、おはようございます!」


 壁際に立ち、三人で話していた男の子たちの一人が私に気づくと目を輝かせる。彼は杉本くん。私に好意を持っていると一目で分かる素直で可愛い子である。入院歴はそろそろ三ヶ月。背中で元気に揺れる赤い翅はもうすぐ落ちる。というか私が落としてあげればいいのである。入院期間が長引けば長引くほど社会に戻るのに苦労するし、虫籠の施設だって無限ではない。本人も保護者も病院もその方が幸せだ。


「杉本くん、おはよう。なんの話をしていたの?」

「坂本さん知ってます?」


 そういって見せられたのは有名な動画配信サービス。サイト自体は私も使っているけれど高校生くらいの年代である彼らと見る動画の系統が違うらしく、画面を見せられてもよく分からない。


「ごめんね、知らないわ。面白いの?」

「すっごい面白いんですよ! これとかオススメです!」


 そういって杉本くんはいくつかの動画を私に見せてくれた。どれも私にはよく分からないし、興味が引かれるものでもなかったけれど、「すごい、すごい」と杉本くんの様子にあわせて頷いて見せる。そうすると杉本くんは頬を赤らめ、照れた様子で頭をかいて笑った。

 素直で可愛らしい子供の反応に私は内心満足した。薄汚いおっさんやら媚びを売ることしか能のないバカ女たちでささくれだった私の心が癒やされていく。


「興味あるから動画送ってくれる? 連絡先教えるから」


 そういってポケットに入れていたスマートフォンを取り出すと杉本くんは面白いほどに動揺して、真っ赤な顔で「いいんですか?」と震える声を出す。異性慣れしていないその姿に私は癒やされた。「もちろん」と笑顔を浮かべて連絡先を交換すると杉本くんは嬉しさを隠しきれない表情でスマートフォンをぎゅっと握りしめる。

 こんなに分かりやすいのにバレていないと思っている姿がとても微笑ましい。この調子でいけばすぐに翅も落ちるだろう。

 私のおかげで。

 

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