『ブラインド』

 目を閉じてもまざまざと思い出す


 逃げ場がない


 想いの世界から逃れる術はない


 目覚めている時は常に私を追い回し


 眠っている時は夢で私を襲う


 私が一体何をしたっていうの?


 返して


 楽しい日々を


 何の心配もなく無邪気に遊べる時間を





 私の見ている目の前で


 人が車にはね飛ばされた


 あまり思い出したくないけど女性だ 二十歳過ぎくらいの


 恐ろしい速さで宙を飛んだ人は


 電柱に頭から突っ込んだ


 西瓜がグシャッと潰れたのに似ていた


 真っ赤な肉色の中で顔のパーツの位置がメチャクチャだった


 眼球は飛び出し 口も鼻も耳も


 手足はあり得ない方向にグニャリと曲がっている


 私は立っていられなくなって道路に倒れこむ


 その日から私の人生は変わってしまった


 



 私は精神科に通院する


 先生は頭を振る


 長い戦いになるでしょう——


 頑張ろうね ご両親も友達も私もついてるから


 私はただ事故を目撃しただけだ


 外傷も何もない


 でも 私はもう一人で外を歩けない


 走る車を正視できないから


 私は自分の部屋と学校の教室以外では


 絶対に目隠しを外さない





 中学での授業中


 私は何の前触れもなしに


 オエッ


 机の上に朝食べたものを全部吐き散らした


 恐ろしい力で胃が収縮し


 酸性の胃液は喉を焼く


 すえた臭いのするドロドロの液は机いっぱいに広がり


 留め置けなくなった分がボトボト床にしたたり落ちる





 教室は騒然となった


 誰も汚いとかヤダーとか言う心無い友達はいなかった


 みんな泣いてくれた


 先生も泣いた


 ごめんね ごめんね 先生を許してね


 私の気配りが足りなかったばっかりに——


 読んでいた教科書にたまたま 交通事故防止キャンペーンのポスターの写真が載っていた


 どこかの学生が描いたただの絵なんだけど


 車が人をひきかける少し手前の瞬間を切り取ったシーン



 


 私の生活は不便を極めた


 まず食生活


 肉が一切食べれない 見るのもにおいもイヤ


 赤い色もダメ トマトもスイカも


 友達と一緒に弁当が食べれない


 車に乗れない


 修学旅行が三ヶ月後にあるけど恐らく行かない


 バスに乗れない私がどうやって行けるっていうのよ


 テレビも見れない


 何の予告もなくお肉の宣伝やるでしょ


 突然ホラー映画の宣伝が入ったりもする


 その度に私は条件反射的に吐く


 母は涙を流して私の吐瀉物を掃除してくれる


 そして必ず私を抱いて泣く


 かわいそうな子


 何でお前がこんな目に遭わなきゃいけなかったんだろうね——


 轢かれて死んだあの人よりはマシなのかもしれないが


 これはこれで苦しい





 日に日に痩せていく


 それとともに私の中の生きようとする気力もなくなっていく


 目隠しをして一日の三分の一を生きる私には


 同じ年頃の友達と同じ楽しみを味わえない




 


 ある日


 学校へ行ったら クラスのみんなが私を待っていた


 私の一番の仲良しの郁美ちゃんが言う


 私 何とかしてあげたいの


 もう一度あの元気で明るい涼子ちゃんに戻ってほしいの


 一緒に行こ


 すべての始まりであるあの場所へ


 先生もクラスのみんなもついて来てくれるって


 みんなで祈ろ


 亡くなったあの人のために


 そして涼子ちゃんがその人の死を乗り越えられるように……




 目隠しをした私は車イスに乗る


 郁美ちゃんは私の車イスを押してくれる


 その後から先生とクラスメイト達がついてくる


 負けないで


 頑張れよな 応援してっからさ


 みんな口々に声をかけてくれる


 郁美の流す涙のしずくが私の頭に冷たい


 私はなけなしの勇気を振り絞る決心をした


 このまま逃げてもどうせろくな未来は待っていない


 ならば 大手術のような痛みはあるかもしれないけど


 きちんと逃げずにまっすぐ見てみよう


 そしてあの人のことをきちんと思い出してみよう


 私にそれができるだろうか——




 あの日以来初めて事故現場に来た


 現場を正視するにはまだまだ気合いが必要だ


 目隠しをした私に郁美は教えてくれる


 被害者の激突した電柱には花が供えられてあるって


 郁美はみんなに声をかける


 それじゃあ 事故に遭われた人のために 涼子のために


 みんなで黙祷しましょ




 私はあなたの生の最後を見届けた者です


 あなたの死を見たことで苦しんでいます


 でも 


 私はあなたの肉しか見ていなかったんです


 あなたというひとりの人間が生きた


 そのことが全然見えずにいたんです


 今こそ私は あなたの死を乗り越えます


 あなたの幸せを祈ります——




 ……あなたは!


 ありがとう


 うれしい


 あなたが私の最後を見ててくれて


 でも 本当にごめんね


 あなたを苦しませて


 あの時 私にもどうにもできなかったの


 私は私でね 自分の死を受け入れるのがたいへんだった


 自分のことで精一杯だったの 今まで本当にゴメンね





 私は誓う


 もう二度と私はこのような形であなたの前に現れない


 しかし私はいつでもどんな時でも


 あなたのことを見ています


 全力で守ります


 だから苦しい時 辛い時


 私を思い出してね


 私が味方についていることを忘れないでね


 それじゃあね


 不思議な縁で結ばれた愛しい子よ


 またこの広い宇宙でいつか めぐりめぐって再会しましょう……




 幻が消えた


 私は我に返った


 私は目隠しを外した


 あふれる涙でベトベトして気持ち悪かったというのももちろんある


 しかし何より——




 私は見た


 街を 人の営みを


 空を


 振り返って 私のかけがえのない友達を


 やったぁ 涼子が勝ったああ


 我がクラスに久しぶりに心からの笑いが戻った


 見える 見えるよ


 もう怖くないよ


 だってさ


 みんなはみんな


 私は私


 あのひとはあのひと


 人間は人間




 お母さんの作った料理は何だって美味しいんだから


 お友達と楽しく弁当も食べたい


 修学旅行にも行くんだ


 明日 精神科の先生にもこの喜びを伝えに行こう


 きっと心配しているからね




 そして何より


 …………


 恋 したい




 私は 顔を赤くした



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