覆う言葉は

 深く、暗くて静かな夜の時間。

 走り回れるくらい広い部屋の中、天井付きの大きなベッドが壁の近くに置いてあります。

 そこに、一人の女性が座っていました。鮮やかな紫色の長い髪をもつ、どこか儚い雰囲気の女性。


 静かな夜の部屋の中に、彼女の咳き込む音が先程から何度も響いていました。

 彼女は喉の辺りに手を置くと、一度深く呼吸をします。そして、意識を落ち着かせるためにゆっくりと目を閉じ――、


「こんばんは」


 再び目を開けた時、部屋の中央に一人の少女が立っていました。

 窓から差し込む月明かりを受けて輝く、綺麗な銀色のツインテール。夜をそのまま切り取ったような、深い黒の瞳。

 どこか幻想的な雰囲気を放つ少女は、優しげな笑みを浮かべながらそこに立っていました。


「――この国の人ではございません……よね?」


 私、あなたの顔に見覚えがありませんもの。

 驚いた表情で、彼女は思考を整理するようにぽつりぽつりとそんなことを呟きます。


「でも、良かった。私に用事でしたら、早い方がいいですもの。あなた、私に頼み事があって来たのでしょう?」


 私に任せてくださいな。彼女は右腕で力こぶを作るようにぐっと曲げながら、自信満々にそう言いました。

 対する少女は、少し申し訳なさそうに首を横に振ります。


「いいえ……まずは、自己紹介から。私はハレイナ、看取り手をしているものです――あなたの死を、看取りに来ました」


 そして、少し恥ずかしそうにしている女性に向かってそう名乗りました。

 彼女は少女の言葉を聞くと、何か言葉に引っかかりを覚えた様子で首を傾げます。そして、思い出したようにポンっと手を叩きます。


「看取り手って、おじい様が話していた、あの!?」

「おそらくは、それです。一応どのような話を聞いていたか、教えて貰っても?」

「ええ、ええ! 構いま――」


 興奮した勢いのまま、紫髪の女性は立ち上がろうとしました。

 その体がグラりと揺れます。そのまま倒れ込むようにベッドへ、謝罪しようとした声が、自身の咳で遮られました。


「……少し、場所を変えましょうか」


 そんな女性を気遣うように、ハレイナは一歩近づくと、彼女に向かってゆっくりと手をかざします。

 眩しい光が女性の視界を包んで、思わず目を閉じた彼女が見たのは、先程までとは違う白い空間。戸惑う彼女に、ハレイナはゆっくりと説明をします。


 ここは魔法で作った空間で、精神だけがここに来ていること。

 肉体はそのままなので、いずれ終わりは来てしまうこと。


 困惑しながらも話を聞いていた女性が、それじゃあ私はあのベッドの上にいるんですか? とそう問いかけます。

 ハレイナが静かに首を縦に振ると、彼女は安心した様子でゆっくりと息を吐きました。


「ええと、それで……そう、おじい様が昔話してくださいましたの。一人で死んでしまう人の元に現れて、寄り添ってくれる神様のような存在がいる、と」

「ええ、そのような感じです」


 実際は、神様ではなく普通の人間ですが。

 ハレイナが真面目な様子でそう言うと、女性は髪を揺らしながらくすりと微笑みます。そして一言、誰かの孤独を癒すなんてとても素敵なことですわ。と晴れやかな声で言いました。


「……聞きたいことや、話したいこと。それと、見たい景色があれば、言ってください」


 看取り手として、叶えられる範囲でお答えします。

 女性の言葉に優しい笑顔で答えながら、ハレイナはゆっくりと、そしてはっきりとした声でそう告げました。

 そして、パンっと手を叩きます。すると、白い空間があっという間に花畑へと様変わり。驚く女性に対して、こんな感じで、とハレイナが告げると、ゆっくりと景色が白い空間に戻りました。


 その光景を前にして俯いてなにか考え事を始める女性のことを、ハレイナは静かに見つめて待ちます。

 やがて、彼女は顔を上げるとハレイナのことを真っ直ぐと見つめながら、


「もしかしたら、知っている人が誰もいなくなるかもしれませんから……」


 私がどういう人なのかについて、聞いてもらっても構いませんか? と。

 彼女の言葉に、ハレイナは構いませんよと返しました。女性は少しだけ嬉しそうな顔を浮かべて、そしてゆっくりと話を始めます。


 彼女の父親は、この国の元王様であること。彼女には歳が二つ上の兄がいて、今はその兄がこの国の王様をしていること。


「私達の一族には、不思議な力があって……その力が弱い方が、この国を治めることになっていますの」

「弱い方が、ですか?」


 彼女の話に疑問そうな声を挟みながら、ハレイナは考え込むように顎に手をあてます。

 彼女は変わらず笑顔を浮かべながら、少しだけ声の明るさを落として話を続けます。


 彼女の一族には、他人の疲れや痛みなどを、毒のようなものとして自分の体に移す力があるとの事で。

 二人以上産んだ子供のうち、その力が一番弱い者は王として国を治め、強い者はその力で民を支える仕組みになっている。という話。


「私は力が強い方でしたから。民に寄り添ってみんなの痛みを引き受けていました」


 そうやってこの力を使う時以外、余計な毒を溜め込まないためにここから出ることは許されなかったこと。

 ずっとそうして力を使い続けていたから、毒に蝕まれた体がそろそろ限界なんだなと自分でも気がついていたこと。


 そこまでの話を聞いて、ハレイナの表情が少しだけ苦しそうなものに変わります。

 それでもすぐに表情を平静の物に戻すと、静かに一言、なるほどと短く相槌を打ちました。


「……そんな顔をしないでくださいませ。確かに辛い役目でしたが、私が苦しむことで民の誰かが助かるんですもの」


 ハレイナが一瞬浮かべた表情に対して、彼女は諭すような口調で――どこか、無理をするような感じで言いました。


 そのまま言葉を続けます。

 私が苦しむことで、私の苦しみを知らない誰かが幸福になれるなら、それは素敵で正しいことじゃないですか、と。

 お父様が私をこの部屋から出さなかったのも、私に余計な負担をかけないようにするための処置で。それは形がどうであれ、お父様から私への無償の優しさでは無いですか? と。


 そんな風に語る彼女の言葉には、どこか棘のようなものが含まれていて。

 ハレイナは何となくではありますが、彼女がどのような人物なのかを理解します。

 どうしようもならない辛さや苦しさを誤魔化すために、苦しんででも誰かの助けにすることは正しいことである、と言い聞かせている――本心からそう思っている訳では無い、そんな人物。


「本当は、もっとみんなの役に立ちたかったのですけれど……」


 まだ私が助けられてない民達は沢山いて、その人達を助けなきゃ行けなかったのに。


 そこまでを喋って、彼女の言葉が止まります。


「……お話、ありがとうございました。しっかりと覚えておきますね」


 ハレイナも、それだけを告げるとそこで言葉を切りました。

 長い、長い静寂が場を満たします。じっと動かずに女性のことを見つめているハレイナに対し、彼女は静寂に耐えられなさそうにそわそわしながら紫の髪を指でいじります。


 そして、ついに我慢の限界が来たといった様子で女性は声を出しました。


「あ、あのっ……看取り手さんは、話を聞くだけじゃなくて……見たい景色を見せてくれることも出来るんですのよね?」


 言葉を選びながらの女性の質問に、ハレイナは首を縦に振って答えます。

 じゃあ、と一言女性が置いて――そして、よく考えたらダメだったとでも言いたげに肩をガックリと落としました。


「……どうしました?」

「いえ……私、見たい景色は確かにあるのですけれど……どういえばいいでしょうか、真逆の結果のどちらになるかが見たい、といえばいいのでしょうか……?」


 むぅ、と唸り声を上げながら、彼女は次の言葉を考えます。

 そして、なにか閃いたようにぽんと手を叩きました。


「そうだ、あなたに聞いてもらいたい話でもありますし……私が見たいものについて、お話させていただきますわね」


 はい、お聞きします。そんなふうにハレイナが返して、


「私これから……死んだ後に、体に溜まった毒をこの国に撒き散らすのですが――」


 はい? と、思わずハレイナは聞き返しました。女性は少し慌てた様子で、死んですぐにでは無いのであなたが逃げる時間はあります。と、どこかズレたことを言います。


「……毒を撒き散らす、とは?」

「ああ、いえ……別に、恨みでやる訳じゃないのです」


 一度そう前置きをして、彼女は少し早口で語り始めました。

 私が居なくなることで、辛さを引き受けてくれる人が居なくなってしまう、と。

 そうした時に、国の民が自分の力だけでそういうものを抱えていけるのかすごく心配だ、と。

 ――だから、自分の中の毒を国中に撒き散らして。それで、ちゃんとそういうものに耐えていけるのか確かめたい、と。


 だからこれは恨みや憎しみなんかじゃ全然なくて、みんなを気遣ってやることなんです!


 そう語る彼女の顔は俯いていて、視線をハレイナに合わせるつもりは無いようで。

 自分の、恨みを晴らしたいという気持ちを見ないために。そういう悪い感情が自分の中にはないと思うために。彼女がそうやって自身を正当化している事が、その仕草と言葉からハレイナには伝わりました。


 伝わって、まだ話している女性を制するように、ハレイナは静かな声で言います。


「申し訳ありません、おそらく私には、あなたの見たい景色を見せることは出来ないと思います」


 そして、頭を下げました。

 その動作を見た女性は呆気に取られた様子で一言、


「……止めないのですか?」


 そう呟きました。


「看取り手としてでなくここにいたのなら、説得くらいはしていたと思います」


 ですが、私は看取り手としてここにいますから。あなたを止めることはしません。


 返ってきたのは、そんな冷たいとも取れる一言。

 紫髪の女性は、その言葉に何かを言おうとして。その前に、白い空間が段々と光に包まれ始めます。


「……どうやら、もう時間のようです」


 それを確認して、ハレイナは女性にそう告げます。焦った様子の彼女が最後に一つだけ聞いてもいいですかと言って、そのまま言葉を繋げました。


「あなたは……私が毒を撒くことを、やめた方がいいと思いますか!」


 返ってきたのは、短い言葉。


「お答えしません。私は、本来ここにはいない存在ですから」



 ――――――――――――――――――――――――――――――



 深く、暗くて静かな夜の部屋に少女が一人立っています。

 少女の目の前にはベッドがあって、そこには一人の女性が倒れています。その少し上に、魔法陣が淡い輝きを放ちながら存在していました。


「……私は、死ぬ時は見たい景色を見て欲しいと願っていますから」


 少女は誰に聞かせるでもなく、そんな回答を静かに呟きます。


「難しいものですね、正しいというのは」


 俯いて、そう一言。一瞬のうちに彼女はこの部屋から居なくなって、


 そして、この国は――

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