生理が来た話



 ヴァロッテに言われた通り、森の中央にある高台目指して歩いている。


 色々会ったけど、割と元気。今もこうして一人で歩いている。ちょっと遅れ気味だけど。


 なんだかんだ、レーネも、割とすぐに自分の足で歩き始めた。流石にメリアに申し訳なかったんだろう。



 生徒が多く出入りするため、はっきりとした足の轍が出来上がっていて歩きやすいのもありがたい。 それにオレ自身も進歩しているのだ。たぶん。


 皆の背中を見つめながら、木々の間から差し込む明るい日差しの元、歩いている。


 とてもきれいな、今の一瞬。



 それを味わう余裕もそろそろ無くなってきた。


 なんていうか。切実な問題。おしっこに行きたい。



 ああ、でも言いづらい。男の時のオレだったら平気で言えたのかな。


 どうだろう。やっぱり恥ずかしい気はする。



「……」



 良いや。こっそり木陰に隠れてしてから、走って追いつこう。


 魔獣や危険な生き物もいないし、平気だろう。



 オレはこっそり脇道にそれ、大きな木の陰に下着を降ろして中腰になる。


 下着は脱ぎづらい。暫く前からごわごわパンツ。略してごわパンを穿くようになったせいだ。


 まあ、要するに、前徴があってるということ。


 女の子のやりかた、慣れたくはなかったけど、すっかり慣れてしまっている自分がちょっと悲しい。



「……え」



 前徴もあったし、分かってたことだ。


 覚悟もしていた。



 最近、下腹部のあたりに思いっきり腹筋した後の、お腹の筋肉痛をもっと強くしたような、ずっしりくる痛みを感じていた。


 ソレイユからしっかり教わっていたから、それだって、知ってた。そろそろって思ってた。



 でも。それでも。



 心臓がどくんと跳ねた。



「……」



 深呼吸、深呼吸。落ち着け、オレ。


 オレは本当は男。少女の体は、一時の借り物みたいなものなんだ。


 だから、大丈夫。大丈夫なんだ。


 それに、いつもの前徴の見間違いかもしれない。



 深呼吸をして、いくらか落ち着いたオレは、下着を手に取った。


 確認、しなきゃ。


 ごわパンを広げて、付着したそれを見て、なんだか、間抜けな色だなと思った。



 赤とも茶色ともつかない、とても中途半端な色。


 まるでオレ自身であるかのような気がして、乾いた笑い声が出た。



「……あはは。はあ」



 でも、良かった。思ったより冷静だ。


 大丈夫、大丈夫、大丈夫。


 オレは女になりきっちゃいない。



 こうして、冷静にオレはオレのままだ。


 心で数回、同じ言葉を呪文のように唱えた。



 あまりに、気を取られていたせいで人の気配には気付かなかった。



「エカルテ、まだいい足りてないことがあって――」



「っ!?」



 ごわパンを両手に持った、中腰のまま。


 間抜けなオレは振り返ることも出来なかった。


 怖かったんだ。全身が粟立つようだった。



「って……うわ!? ご、ごめん! 俺お前がなんか入ってくのが、見えたから! ひとりなら、謝れるかなって、おれ!」



 ヴァロッテの慌てふためく声が聞こえる。



「い、いいよ。あっち行って! はやく! ばか!」



 絶叫に近い悲鳴。女の子みたいに、取り乱して体をぎゅうっと両手で抱えた。


 自分でも、これ以上はやばいっておもってたんだ。



「ばかってなんだよ! うるさいな! 言われなくても行くよ! せっかく俺が謝ろうと思ったのに! なんか血みたいなの持ってて気持ち悪い!」




 ヴァロッテがどたどたと走って行く気配があって、それからはしん、と嫌な沈黙が肩に重く降りてくる。



 鉄球を胃にずしんと落とされたような気持ちだった。


 体がひどく重かった。



 体を震わせたまま、足を抱えてうずくまる。


 パンツはぎゅうっと握りこぶしのなかで潰した。



 こんなもの、無くなっちゃえばいいのに。


 気持ち悪いなんて、分かってるよ。


 男なのに、こんな、生理なんかきて。



 どっちつかずの中途半端なままで。


 気持ち悪い存在だって事ぐらい、自分が一番分かってる。


 こんなの本当のオレじゃない。



 じゃあ、お前は誰なんだ。本当のオレって何?


 みんなは大人になっていく。男や女になっていく。



 オレだけが置いていかれていく。


 中途半端な私はどこにも居場所が無くて、男の振りをしても女の振りをしてもいつかは化けの皮をはがれる。


 オレ/私は気持ち悪い化物なんだ。




 ああ。やばい。


 どんどん思考は暗い穴へと落ちていく。



 男の俺と、11歳の女の子の心を分ける水門みたいなのがあって。


 それが壊れてしまったんだ。



 涙が止まらなかった。


 女の子の心が、オレの心に一気になだれ込んできて、ぐちゃぐちゃになっていく。



「う……うえええ……う……あああ……」



 しゃくりあげて、自分のじゃないみたいな声が聞こえる。


 女の子が泣いている。


 これじゃだめだって理性と男のオレは叫んでいるのに、どうしても、止まらなかった。



 縮こまって、このままどこまで小さくなって消えてしまえばいいのに。


 そう思ったら、自分がまた気持ち悪くなった。



 いやだ。いやだ。いやだ。


 こんなの私/オレじゃない。



 もう、消えてくれエカルテ。


 これ以上私/オレの心を壊さないでよ。怖いんだ。



「エカルテ。探したんだよ」



 頭に、そっと暖かなものが触れた。


 とても優しい匂いがした。



「っ……シ、シエル」



 顔は、上げられなかった。せめて、声だけはばれちゃいけない。


 そう思って一度咳払いしようとして、むせた。



「大丈夫?」



「だいじょうぶ。なんでもない」



「そっか」



 居なくなった理由、とか。何があった、とか。


 シエルはなにも尋ねなかった。


 ただ、



「エカルテに怪我がなくてよかった」



 それだけを言った。



「シ、エル……。私……」



「良いんだよ。泣きたいときはいっぱい泣いても」



「シエル」



 顔をあげると、シエルが微笑んでいる。


 最初から隠し通せるわけなんて無かった。


 少女の心に飲み尽くされた後の私は、全部の心をさらけ出すようにただ泣きじゃくった。


 シエルの胸に抱きかかえられながら、喚き散らす。




「シエル、私、気持ち悪い、よね」



「そんなことない」



「生理、来ちゃった、た……んだ……どっちかになりたい。でもなれない。それなのに、生理、きたんだ。いや、なのに」



「どっちかに、無理にならなくていいよ。わたしはそのままのエカルテが好き」



「私、シエルに自分のこと、なにも話せてない、のに」



「話したくなったら話せばいいよ」



「ごめん、シエル、ごめん、私、何もしてあげられてない、のに。優しく、ばっかり、してもらって」



「そんなことない。十分貰ってる。あなたが居てくれるだけでわたしは幸せなんだよ」



「シエル……シエル……私……、私のこと、嫌いに、ならないで」



「大好きだよ。ずっと」



 シエルに抱きかかえられて、めそめそして。「頑張ったね」って後頭部を撫でられてる。


 心も、行動も、女の子になってしまったような気がして、すごく嫌で。


 でも、シエルが居てくれることがとても嬉しくて、それをうまく言葉にできないもどかしさがぐるぐると頭の中を回っていた。



 シエルは私が泣き止むまで、ずっと抱きしめてくれていた。

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