31 混乱の中で

 混乱は舞浜国際渦港の中にも広がっていた。特にそれが大きかったのが、入国審査室のフロアだった。そこで働く社員たちにも、不安が広がっていたのだった。

「大丈夫ですから。安全ですから」

 その職員たち一人ひとりに丁寧に声を掛けて回っているのが、京子だった。本来ならこういう時、その役目を担わなければならないのは主任であり情報通である塩見である。が、その肝心の塩見は先ほどからカウンターでモニターを見つめて押し黙っており、集まってきた職員たちに対しても「うろたえるな、席につけ」と一言だけだった。見かねて、京子がそのフォローに回っている状況だ。幸い、現時点での入国希望者はゼロ。職員一人一人の不安をとりあえず抑えるには、十分な時間がある。しかしそうして払拭した不安も、誰かがつけたニュース番組のお陰で再び色濃くなり始めている。京子はメディアというものに初めて苛立ちを感じた。

 特別室を飛び出したあと、塩見は比較的すぐに見つかった。休憩室で頭を抱え込んでいるところを、京子は半ば無理やり引っ張るようにしてこのフロアに連れてきた。一人になる時間を用意するより、こうして目の届くところに置いておいた方がよほど安心できる。迂闊に外出でも許せば、外のメディア陣に何を言うかわからない。語弊なく何かを伝えるという能力が塩見に不足していることは、既に痛いほど痛感している。そうなれば検見川の努力も水の泡になるだろう。

 フロアのざわめきが大きくなる。何かと思い駆け付ければ、デジタルサイネージ一面にテレビ番組が映し出されている。Liveと右上に表示された画面には、検見川や幕張の姿がある。今回の事件に関して、千葉県警と舞浜国際渦港の合同会見だ。職員たちは持ち場を離れて、それらを食い入るように見ていた。

 取材陣の質問は、まず事件の経緯だった。幕張がそれに丁寧に答えている。異世界人の女性は被害者であること、被疑者に対して傷を負わせたのは不可抗力であること、日本の法律を異世界人にも適応するなら、正当防衛の可能性が高いこと。続いて、細かい状況説明を蘇我が行っている。

 しかし検見川が魔法の存在を肯定したあたりから、空気は一変する。検見川がアップで写り、とてつもない量のフラッシュがたかれている。右上の文字も「舞浜渦港、魔法の存在認める」と改められている。

 それと同時に、職員たちから「知ってた?」という声が相次いだ。まわりまわってその質問は京子にたどり着くが、京子はモニターを見つめて聞こえない振りをするしかなかった。

 検見川は魔法の概念を丁寧に説明している。我々に電気があるように彼らにはエーテルがあるということ、それは彼らの生活に欠かせないこと、日本人に影響を与えることがあるということ。

 取材陣の質問は主に二種類だ。「科学的証明ができないことをこの場で言う理由は」と、「なぜ今まで黙っていたのか」ということだ。検見川は二つを紐づけて、科学的根拠がないことを公表することで起こる混乱を阻止したかったこと、一方でエーテルの存在を信じるだけの実績が十分に集まったとし、正しい情報を伝えて安全だと理解してもらいたいという内容を、慎重に話している。

 そして最終的には、やはり「安全なのか」という議論に至った。それは質問というより、取材陣たちも日本人であり、不安から逃れたいという感情を浮き彫りにしている場に見えた。幕張と検見川は双方の意見を肯定する形で、現時点での不安はないことと、それをもって差別はしないで欲しいといっていた。

 京子は塩見の所へ向かった。塩見の見つめるモニターは複数の窓にわかれ、テレビ中継やネット掲示板が同時に表示されている。ネット民達の間でも、ファンタジーに焦がれて魔法に憧れを抱く層と、右翼のように否定をしている層に別れている。そこではテレビ世論の比ではないくらいに辛辣な言葉が飛び交っており、京子は目を覆いたくなった。

「塩見さん」

 話しかけると、「なんだ」と返事があった。しかし続く言葉が京子には出てこない。なんて声を掛けていいのか、わからない。自身が関わってきた時間のそれよりも遥かに長く関わってきたのだ。筆舌にしがたい思いがそこにはあるだろう。京子は横に座り、何もできない自分をただただ認めるしか無かった。

「塩見主任」

 気が付けば、事務職員が塩見の傍に来ていた。何故直接、京子は不思議に思い内線を見れば、電源が切られていた。塩見は目線だけで要件を聞いた。事務職員はとても話しかけにくそうだったが、メモを片手に、塩見に耳打ちする。

「お客様がお見えになっています」

 そのメモをけだるそうに受け取る塩見だったが、そこに書かれた名前を見て、弾けるように飛び上がった。

「特別室を用意しろ」

 塩見はものすごい剣幕でそう言った。事務職員は恐ろしいものから逃げるようにして立ち去っていく。

「ちょっと、どうしたんですか、塩見さん」

 同僚に対して流石に今の態度はないのではないか。普段なら即座にそう言い放っただろうが、塩見の様子が尋常ではない。塩見が握りつぶして転ばせたメモ用紙を開けば、それに納得がいった。

 客の名前は、習志野新。

 ニュー・アンダー・リゾートの経営者にして、被害者であるルレアの雇用主。渦中の人である。

「これって」

 京子がそう言った時には、既に塩見は職員扉を開けていた。京子は慌ててそれについていく。

「塩見さん」

 小走りでようやく塩見に追いつく。塩見はネクタイをきつく締め直し、遠くを睨めつけるようにして言った。

「話を聞かせてもらおうじゃないか」

 

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