第2話

 テクノロジーの進歩は、義体を換装することで身体を――つまり命の“容器”を取り換えながら長生きすることを可能にしていた。もちろん義体への換装(換体)はとても高額なので、誰もかれもが服を選ぶようにとっかえひっかえできるわけではないけれど、それによって少なくとも寿命に関しては大きく伸ばすことができた。肉体や容姿にコンプレックスがあるなら、ついでにそれを丸ごと解消することもできた。それだけでなく、加齢・老衰による様々な能力の減衰についても歯止めをかけることができた。

 けれど、オリジナルの肉体から義体へ換装する時に手放さなければならないのは、自分の肉体とそれに付随する生殖機能。そしてこれは証明不可能と言われているが、今この肉体でしか感じられない“感覚”。



「……怖い、という感情とは、少し違うのかも」

 僕は言葉を選びながら言った。気持ちが複雑すぎて、自分の紡ぐ言葉が自分の感情を精確に言い表せている自信もないけれど。「何て言うんだろう。離陸、するような気持ちかな」

「リリク? 飛行機とか宇宙船の“離陸”ということ?」

「うん。自分の今の身体が、人造の義体に替わるわけだから」

「それって、“怖い”ということではないの?」

 海埼は僕の眼を覗き込むように言った。「昔の映画でもあったじゃん、“人は土を離れては生きられない”って」

「確かに、そうかもね。換体ってすごく不自然なことなんだろうな。技術が出来上がっても、ずいぶん長い間、倫理的な問題で社会や法律から認められてこなかったというから」

 僕は頷きながら、けれども少し期待を込めるようにして言った。「でもさ、空も空でいいところかも知れない。そりゃ飛び立つ時の不安や、いつか墜落するかもっていう恐れはあるけれど、それよりも僕は、今はこの地面を離れてみたいというか、そんな気分なんだ」

「それっていうのは、その、やっぱりご両親の……?」

 海埼はそう言いかけて、はっとしたように口をつぐんだ。「……あ、その、ごめんなさい」

「別に謝ることじゃ……」と僕は言った。

 それに、どうも海埼は勘違いしているのではないかな、と思った。


 僕の両親は、少し前に亡くなっていた。仕事の帰りに、ふたりの乗った自動車が高所から転落した。軽量・高強度を謳うハイテンと合成樹脂から成る「自動車」という容器は、しかしその内側の両親を守るだけの強度を発揮できず、あえなく父と母はぺしゃんこに潰れてしまった。事故現場はその日両親が出席した講演会場から自宅へ戻るルートとしては若干道を逸れた場所だったこともあり、ひょっとして他殺なんじゃ……という声も耳にした。それに、両親の死を喜ぶ声も、風とネットワークに乗って僕の耳にも聞こえてきた。

 と言うのは、父は法曹家として、母は医療関係者として、その信念を賭けて「換体」という技術と制度への非難を発信し続けた、反対派の急先鋒だったから。


 生前の両親がよく言っていたのは、「換体」というのはほんのひと昔前までは到底許されない禁忌だったという。今となっては「頑迷だ」とか、「宗教が科学の発展を阻んだ」だとか、そんな評価もされているけれど。

 そういう古い時代の倫理と慣習を知る人で、両親に同調する人はそれなりにいたようだった。けれど、その技術によって救われる人や望みが叶う人というのは、それ以上に多かったようだ。

 子ども心ながらに色んなメディアや個々人の発言を見ていた限り、倫理的見地からの問題点を指摘するだけじゃ、世間を説得するのは難しいところまで来ていた。


 花より団子。御託よりも実益。やらない善よりやる偽善。

 寿命が延びるという実益を見捨ててまで、両親の唱えたお題目は正しかったのだろうか。僕にも、誰にもそれはわからない。



「……でも、換体する理由は、結局それかも」

 僕は海埼に説明するように告げた。「誤解して欲しくないけど、親が死んで自暴自棄になっているとか、親の死が辛くて逃げ出したいとか、そういうことじゃないんだ。むしろ、逆かな。おかしな話だろうけど、縛られたくないな、って思ったんだ」

「縛られるって、何に?」

「さあ……何だろうね」

 実は僕もよくわかっていない。

 そういう気持ち、という答えだけはぽつねんと心の中にあるけれど、途中式が全然わからないのだ。「もしかしたら、身体を替えてみたら、この気分が変わるのかも知れないな、って思っているんだよ」

 僕の言葉を聞いた海埼は、悲しそうな感情を隠すように、微笑みを取り繕っていた。

 そしておもむろに両手を差し出して僕の片手を掴んで、眼を潤ませながら言った。

「わたしなんかに言える資格はないかも知れないけど……自分を、責めたり、追い詰めたりしないでね。本当に情けないことだと思うけど、君のご両親のことについて、色んなことを言っている人がいると思う。だけど、わたしたちのクラスは――いえ、少なくともわたしは、君のことを想ってるから。大事な、一緒にいるべき仲間だと思ってるから。助けになれることがあったら、何でも相談してね」

 ああ、うん、えっと、あ、ありがとう……。

 そんな優しいことを言われて、僕は一体どう応えてよいかもわからず、ただただ呆然とするしかなかった。



 しばらく海埼はそうしていたけれど、やがてぱっと切り替えたように僕の手を放して、明るく言った。

「じゃあ、わたし帰るね。手術が成功したら、またお見舞いに来るから」

「ああ。忙しいのに、本当にありがとう」

「がんばって」

 ひらひらと手を振って、海埼は帰って行った。

 僕は一度、背後の枕にぼすっと背中を勢いよく沈めて数分ほどぼんやり天井を眺めた後、もらった色紙のことを思い出した。

 彼女の置いていった袋の中から、色紙と写真が入った袋だけを取り出した。何となく、この消毒液臭い病室ではなくて、屋上に上がって読もうと思った。

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