窓辺にて

「あれはナイチンゲール、雲雀ではありませんわ、おびえたあなたの耳をつんざいて聞こえたのは。毎晩あそこの柘榴の木に来ては鳴いてますのよ。ほんとうよ、あれはナイチンゲール」

 豪奢な寝台枠に腰かけるエドマンドは、そっとジュリエットの台詞を口にする。ロミオとの別れを惜しんで、初夜を終えた彼女が口ずさむ台詞。その台詞を書いた紙をエドマンドは縦に折り畳んでいた。

「おいで」

 エドマンドの言葉に応じて、ぴいっと寝台枠の支柱に止まっていた雲雀がこちらへとやってくる。飼いならされた雲雀はエドマンドの指先に留まり、彼が足に紙を結びつけるのを静かに見守っていた。

「言って、みんなに俺の無事を伝えて」 

 エドマンドの言葉に応じて、雲雀は部屋の中を羽ばたき開け放たれた窓から外へと出ていく。纏っているカートルの裾を翻しながら、エドマンドはそんな雲雀が飛んでいった窓へと駆けていた。

 中庭を一望できる窓には鬱蒼と木々が生じ、まるで森の中を想わせる。そこに何匹もの雲雀が飼われ、屋敷の内外を自由に出入りしているというのだ。

「悪趣味な飼い方……」

 この屋敷の主であるジャイルズのことを思い出しながら、エドマンドは苦笑を顔に浮かべていた。

 この屋敷には、彼に餌付けされた雲雀たちが自由気ままに暮らしている。今では自分もそんな雲雀の一羽だ。ただし、自分は檻の中に入れられているが。

「また雲雀と遊んでいたのかい? エドマンド」

 聞きたくもない男の声が耳朶を叩く。エドマンドは舌打ちをしながら、部屋の奥にある扉へと顔を向けていた。ひだ飾りをつけめかし込んだジャイルズが、嫌らしい笑みをエドマンドへと送っている。

「よもや、雲雀に乗ってこの屋敷から出ていこうなどとは思っていないよね。それにしては、ここの雲雀は小さすぎる」

「思ってないよ。出ていくつもりなんて毛頭ない」

「いい子だ。その証を見せておくれ……」

 笑みを深めながらジャイルズがこちらへと向かってくる。エドマンドは歯噛みしながら、カートルの上に纏っていたガウンを脱いでいた。カートルの結び紐によって覆われた背中には、真新しい鞭の後が刻まれている。

 赤く蚯蚓腫れしたその傷にジャイルズはそっと指を這わせていた。傷は、ここから逃げ出そうとしたエドマンドをジャイルズが鞭打った跡だ。

「さわらないでよ……。気持ち悪い……」

 ジャイルズの指の感触が不快だ。エドマンドは鋭い言葉を放ち、後方にいる彼を睨みつけていた。

「そう不機嫌になることはないだろう。エドマンド。今日は楽しい話をしにきたんだ」

「楽しい話?」

「君とそっくりなクロスのことだよ」

 ジャイルズの言葉にエドマンドは息を呑む。なぜ彼が、スザンナのことを口にするのだろうか。

「知り合いの行商人がストラトフォードに行く予定があってね。少しばかり君の実家、シェイクスピア家の近況を探って貰ったんだよ。そしたら、ウィリアム・シェイクスピアの娘の一人がいないというじゃないか。奥方のアン夫人に似て美しい娘らしい。まるで君のようにね、エドマンド」

 ジャイルズの舌がエドマンドの傷を舐めあげる。ひっとエドマンドは声を漏らし、潤んだ眼でジャイルズを睨みつけた。

「お前……」

「近いんだよ、日にちが。彼女がいなくなった時期と、宮内大臣一座にクロスがやって来た時期が。まるで、スザンナ・シェイクスピアがクロスだと言わんばかりに」

「知らないよ。ウィリアムの娘のことなんて……」

「そうか、ここに連れてきてあげようと思ったんだがね」

 ジャイルズの言葉に、エドマンドは思わず彼を振り返っていた。黒真珠の眼を鋭く細め、エドマンドは彼に言い放つ。

「クロスに何かしたら、ただじゃおかねえ」

「冗談だよ。私が欲しいのは君だけだよ、エドマンド。安心しなさい」

 エドマンドの肩を抱き、ジャイルズは満面の笑みを浮かべてみせる。彼はそっとエドマンドの肩から手を放し、扉へと向かっていく。

「裁判の手続きにいってくるよ。君たちが私の敷地内に勝手に入ってシアター座を解体した件について、訴えさせてもらおうと思ってね」

「お前っ」

「すべてが終わるまで、君はここで待っているいいエドマンド。そのころにはすっかり、君は私のモノになっているはずだ」

 ジャイルズの言葉と共に無慈悲に扉が閉められる。ぺたんとエドマンドはイグサの敷かれた床に膝をつけていた。

「どうしよう。俺のせいで……。スザンナ」

 潤んだ眼から涙が溢れそうになる。それでも、エドマンドにできることはここで大人しく助けを待つことだけだ。下手に動けは、自分の身すら危ないかもしれない。

 けれど、このままではジャイルズはスザンナにも魔の手を伸ばそうとするかもしれない。

「エドマンド……エドマンドなの?」

 窓の外から声がする。エドマンドは後方の窓へと顔を向けていた。窓の外に一人の少年がいる。帽子を被った彼は木によじ登って不安そうにこちらを見つめていた。自分と同じ黒真珠の眼を見て、エドマンドは大きく眼を見開く。

「スザンナ……。スザンナっ」

 エドマンドは夢中になって窓へと駆け寄っていた。スザンナは窓枠に足をつけ、駆け寄ってくるエドマンドを優しく抱きしめてくれる。あたたかな彼女のぬくもりに、エドマンドは涙を流していた。

「なんで……なんでここにいるの? どうやって」

「木登りは得意なの。ロンドンの家は縦に伸びてるから、登るのに最適ね。それよりほら、泣かないで」

 そっとスザンナが涙を拭ってくれる。エドマンドは小さく頷いて、濡れた眼を擦っていた。

「雲雀があなたの居場所を教えてくれた。早くここから逃げましょう、エドマンド。私の手をとって」

「でも……」

「堀なんか、恋の軽い翼でひとっ飛びです。石垣に、恋の邪魔だてはできません。恋する心はなんだってやってのけてしまう。だから、あなたの家の人もぼくを止めることなどできやしない」

「それ、ロミオの……」

 驚くエドマンドにスザンナは優しく微笑んでみせる。笑みを深めて、彼女は言葉を続けた。

「今ね、私がエドマンドの代わりにジュリエットの稽古を受けてるんだ。みんなは私を舞台にあげるつもりはないみたいだけど、誰かがエドマンドの代わりをしなくちゃいけないから。だから、エドマンドは絶対に連れて帰るの」

 スザンナの手がエドマンドの腕を掴む。そのときだ。人の怒鳴り声が、周囲に響き渡ったのだ。

「何だ、お前はっ!」

「見つかったっ!?」

「スザンナ、早く屋根にっ!」

「エドマンドつ!?」

「俺がひきつけるから、逃げてっ!」

 スザンナの手を振り払い、エドマンドは窓から跳び下りていた。黒い彼の髪を翻しながら、エドマンドは中庭へと降り立つ。飼われている雲雀たちが騒がしく鳴くが、気にすることなくエドマンドは中庭を駆けていた。

 屋敷の召使たちが、そんなエドマンドの姿を見て彼を捕らえるべく中庭へと集ってくる。自分のいた部屋へとエドマンドは視界を巡らせる。窓にいたスザンナが木を伝って屋根へとよじ登っている。そんなスザンナにエドマンドは叫んでいた。

「スザンナ、絶対に助けに来て。待ってるからっ! スザンナっ!」

 スザンナがこちらへと振り向く。彼女は悲しげに顔を歪ませながら、屋敷の屋根を駆けていく。そんなスザンナを見つめるエドマンドを、使用人たちが捕える。

「やれやれ、少し甘やかしすぎたか」

 冷たいジャイルズの言葉が背後から聞こえる。エドマンドはそちらへと眼を向け、笑っていた。

「人を攫っておいて、何が甘やかすだよ」

 笑うエドマンドの頬に乾いた音が走る。ジャイルズが頬を叩いたのだ。叩かれたエドマンドはジャイルズを睨みつけ、言葉を続ける。

「宮内大臣一座を舐めるなよ。あんた、ただじゃすまないから」

 にやりとエドマンドの顔に笑みが浮かぶ。憎々しげにその顔を見つめながら、ジャイルズはエドマンドの頬を再び叩いていた。それでもエドマンドは笑うことをやめない。

「このクソガキ……」

 忌々しげに吐き捨て、ジャイルズはエドマンドを睨みつけることしかできない。そんなジャイルズを見てエドマンドは笑みを深めていた。



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