第一章:日向の苦悩/取り残されし者の絶望 6

 その夜、自室に戻った円珠庵は、机の引き出しに仕舞ってある一通の便せんを手に取った。いまどき珍しい紙製の手紙だった。それは、魔法使いになったと気づき、ISIA職員が来た翌日の今日に届けられたものだった。いまの彼女にとって、その手紙が何よりも大事なものになっていた。


 円珠庵の将来は暗い。ブリジットが語ったことは、彼女の心に暗い影を差していた。現実を教えてくれたことには感謝をしている。だが、知りたかった現実ではなかった。


 円珠は本が好きだった。本を読んでいる最中は、厳しい世の中から逃れ、素敵な物語の世界に没頭できた。そして、授かった魔法が本に関係するのだと知って喜んだ。神が与えてくれた祝福だと思った。


 だが、現実はそうではなかった。現代社会では魔法使いですら不要と認識されれば切り捨てられる。警護にコストが掛かる分、一般人よりも厳しい競争社会だ。


 多くの人たちは誤解している。魔法使いはすべてが特権階級だと。魔法さえ使えればなんでもできるのだと。現実は全く異なる。魔法使いこそ、競争という過酷な地獄を駆け抜けているのだ。だから、彼らの人生観は過激だ。そうでなくば生き残れないし、そういう風に世の中が仕組み作られてしまったからだ。


 円珠庵の未来は暗い。だが、一筋の明かりはあった。いまの彼女にとっては、それは眼前にたらされた蜘蛛の糸だ。そして彼女は、それを掴もうとしていた。




 ◇◆◇




 東京都天王洲にあるかつて殺風景だった倉庫街は、二〇一〇代中期から一気に様変わりした。倉庫の壁面には絵画が描かれ、お洒落な店が軒を連ねるようになっていた。いまや催しも多く開かれるようになり人通りも多い。


 そんな倉庫街の一角。まだ倉庫としての機能を保持している庫内に二十人を超す魔導師達が集まっていた。天井灯が彼らの姿を照らす。誰もが紐で括った複数の書物を持っていた。ひとりを除き、全員が説話魔導師だった。


 そして、彼らの視線の先には、同じように書物を持った男が立っていた。鷹のように鋭い燐光を嵌め込んだ瞳を持つ男が、背に棒を刺しているかのように背筋をぴんと伸ばし、部屋に集う魔法使い達を見渡していた。彼の威厳に満ちた佇まいに、魔法使いたちも自然と姿勢を正していく。


「みなの衆、よくぞ集ってくれた。これまで彼の組織に身をやつし、醜聞に耐えてきた我ら説話体系が立ち上がるときが来た」


 一本の杭のように硬く力強い声が、鷹の男から発せられる。


「かつて、我らが祖先は彼の組織と正面から戦を挑み、敗れた。ひとつの都市を消した責任を負わされ、我らが叡智を奪い、従属させた。偉大なる祖先たちは確かに間違っていた。超えてはならぬ一線を確かに踏んだ。総括せねばならなかった。そしていまや、説話魔導師は時代に取り残された。社会に、お前たち説話魔導師などいらぬと絶縁状を叩きつけられた。魔法世界を創り、ようやく日の目を浴びることのできた我らに対する仕打ちがこれか? いまも説話の同胞が犯罪魔導師へと身を落としている様を見るのことはもはや耐え難い」


 説話魔導師たちが力強く頷く。鷹の男も、歴戦を物語る傷だらけの顔を縦に振った。


「かつて、魔法使いは野蛮だった。力にものを言わせ、犯罪魔導師達を処罰してきた。そして三十五年前、人間社会と併合した。弱肉強食の野蛮さが消えると期待した。だが、現状を見よ。その本質は全く変わっていない。弱者に手を伸ばす慈悲すら持たぬ。野蛮な肉食動物だ。


 諸君、我らは立ち上がらねばならぬ。同胞らが未来のため、いまの魔法社会を覆す」


 部屋を揺るがす喝采があがった。書物を握る拳を天上へ突き上げ、説話魔導師たちが鷹の男の英断を讃える。


 それは、一考すればただの絵空事だと分かる内容だ。たかだか二十数名で世界を変えるなど、誰が考えても一顧だにしないだろう。しかし、彼らにはそれができるだけのものがあった。


 鷹の男の書物の束から一冊の本が勝手に動き、宙に浮いた。鷹の男を惑星とし、衛星軌道でも取るように本が宙を回る。本が勝手に開かれ、中から三枚の頁が切り離された。三頁にはそれぞれ悪魔が描かれていた。名をそれぞれ、パイモン、クローセル、レライエという。


 説話魔導師たちがにわかに騒ぎ出す。


「諸君、見ての通り既に叡智の三枚は我が手中にある。奴らが来る。奴らが来るぞ。ASU重犯罪魔導師対策室。そして《ベルベット》。相手にとって不足無し。こやつらと戦えるのは天上の語り草となろうぞ」


 再びの喝采。日の目を浴びぬ説話魔導師にとって、表舞台に上がるだけでも喜ばしいのだ。それほどまでに、世間は説話魔導師を冷遇している。


「社会の圧力によって我らを捨てるのならば、我らは武力を持って社会を覆す。我らが世界の真の役者となるのだ」


 喝采はもはや怒号となり、倉庫内を反響して隅々にまで響き渡る。


 鷹の男の眼光が、魔導師達の最前列に立つ三人の男性へ向けられる。


「二コラ、エルヴィン、カスパール。お前たちには辛い役目を押し付ける。無理ならば言ってくれて良い。どうだ、頼めるか?」


 三人が片膝を落とし、頭を垂れて書物を握った拳を床につける。


「もったいなきお言葉。フェリクス殿の頼みとあらば、いかな悪魔にでも魂を売りましょう」カスパールが意思を告げた。


「フェリクス殿の命、必ずや完遂する所存」ニコラの宣言。


「この世の地獄、覆せるのならばこの命などいりませぬ」エルヴィンの燃えるような意思。


 鷹の男――フェリクスが頷いた。


「皆の衆。勇敢なる三名に敬礼を」


 フェリクスが号令をかけると、全員が本を右手に胸へと抱える。説話魔導師に伝わる最上級の敬礼だ。風鳴りの音が次々と鳴り、この場に集うすべての魔法使いたちが三名へ尊敬の念と共に敬礼を捧ぐ。


 敬礼を解いたフェリクスが告げる。


「いまこのとき、我らは魔法社会に弓を引く。水泡と消えゆく満願成就を掴みにいくぞ」


 説話魔導師たちの怒号が響く。


 フェリクスが獰猛な笑みを浮かべ、説話魔導師達の背後へ目をやる。そこには、真剣な眼差しで彼らを見つめる杉下弘樹の姿があった。


 フェリクスが弘樹を見て頷く。弘樹もまたフェリクスの求めに首肯した。


 彼らは、魔法使いと一般人でありながら手を組んだのだ。彼らは、魔法が社会にもたらした激動ゆえに弾き出された社会的弱者だ。そして、一点において、彼らは共通するものを持っていた。それは、いつの時代も他国と交流する際に必要なもの。


 利害だ。




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