第二章:殺人鬼の正義 4

「お台場でディディエが更科那美を取り逃したそうだよ」


 その一報が飛び込んできたのは、丁度昼食を取りにオフィスから食堂へ行こうとしたところだった。アイシアが端末に上がった報告を弓鶴とラファエルに読み上げる。


「お台場の公園でディディエとヴェイユが更科那美を見つけたみたいだね。そのまま戦闘に入って五分と経たずにやられたそうだよ。命に別状はないけど両足が骨折。まあ、魔法で治療すればすぐ治るから心配する義理はないね」


 偶然見つけたのか追跡していたのか。警護課に連絡が無かったのは、刑事課だけで仕事を全うできるという魔法使いらしい考え故だろう。


「どうやってやられた?」


「要点はふたつ、ひとつめは波動魔法の光槍を元型魔法で捕まえられたこと」


 化物だ。刑事課のパスカル・ヴェイユは確か今期第八階梯になった凄腕だ。高位魔導師が扱う魔法を奪うなどあまりにも常識外れの制御力だ。


「ふたつめは無風結界で窒息させられたことかな」


「無風結界?」


 聞きなれない単語に弓鶴は思わず問い返す。


「精霊魔法の技なんだけどね。大気の流れを完全に止めることで対象を閉じ込める結界だよ。元型魔法でそれを再現したらしいね」


 精霊魔法とは、“四大元素によって世界はできている”という観点から世界を記述する魔法だ。火・水・風・土のクオリアから現象を引き出すことができる。また、各種クオリアを結合することで、以前アイシアが使用した電磁結合魔法のように、電撃や磁力を操ることも可能だ。魔法の中でも、もっともゲーム的な魔法とも言える。無風結界は恐らく風系分離魔法による技だろう。


「またASUが黒星。負け続きです……」


 ラファエルの言葉にランベールに対する嘲りはない。それどころではないのだ。二度も捕獲に失敗するなど前代未聞に近い。それが更科那美の有能さを示すのか、あるいはASUの無能を晒しているのか。できれば前者であることを願いたいが……。


「第八階梯のディディエとヴェイユがやられたのは重大な事態だよ。ちゃんと策を練らないとあの子は止められない」


 第八階梯は、ASU魔導師位階制度では上から数えて二番目だ。その二人が対峙してやられたのだから、とんでもない相手であることが再確認できる。


 ランベールたちが殺されなかったのは、リスト以外の人間はそもそも殺すつもりがないのか、ただの気まぐれなのか。どちらにせよこれでASUにとっての更科那美の緊急度は跳ね上がった。


 端末を見ていたアイシアが息を呑んだ。


「ASUから極秘命令だよ。関東支部に更科那美の抹殺指令が出た。最優先事項としてね」


 ASUはもう細かい事情など抜きにして完全に更科那美を殺すことにしたようだ。


 これで更科那美は未来永劫ASUから付け狙われることになる。彼女の未来は血塗られた道しかない。一一歳の幼い少女がだ。もはや何が正義か分からなくなる判断だった。


「……俺たちとランベールがやられたからか?」


「だろうね。それから、相当ISIAから突き上げが来てるんだと思う」


 反魔法団体が存在するように、世間から見た魔法使いへの心象はあまり良くない。今回の件は被害者が犯罪者という特別な事件ではあるが、それでも魔法使いの恐怖は世間に蔓延し始めている。


 ISIAにとって魔法使いはひとつの資源だ。その資源の評判が落ちるのは死活問題である。国際機関ですら魔法使いに対してはその程度の認識なのだ。魔法使いの基本的人権を守ると謳うISIA憲章はどこに行ったと弓鶴は憤る。


「魔法適正検査はどうするつもりだ? もうすぐだぞ」


 正確には三日後だ。そこで埼玉県の高校で魔法適正検査が行われる。警護課はそこで検査に立ち合い、適正者が現れた場合は警護をするのだ。


 ははっ、とアイシアが笑った。現実の無情さを嘆く笑いだった。


「同時にやれって。頭おかしいんじゃないかなASU本部って」


 理不尽だ。ただでさえ忙しいという魔法適正検査警護に加え、いまや世界中の関心事になりつつある連続殺人事件の対応もしなければならない。普通の企業ならトップの判断能力を疑う。


 だが、これがASUだ。振られた仕事は責任をもって最後まで続ける。任が解かれるのは仕事を終えたときか死んだときだ。魔法使いの人生観が苛烈なのは間違いなくASUの過激な方針のせいだ。


 魔法使いは誰も助けてくれない。自分で己が身を守るしかない。これは二十一世紀になってすら当たり前になっている魔法使いの常識だ。犯罪魔導師は、この過酷な魔法使い競争レースから外れた者がなる場合が多い。是非とも人権団体あたりに頑張ってもらってこの常識を変えてもらいたい。そうでなくば、犯罪魔導師は減るどころか増える一方だ。


「……お昼行きたいです。カルボナーラ食べにいきましょう」


 ラファエルがうんざりしたように言った。アイシアと弓鶴もこれには頷いた。


「だけどエル、そろそろ他のも食べよう? 栄養偏っちゃうよ?」


「いまは優秀なサプリメントがあります。必要ありません」


 ラファエルのカルボナーラ好きは筋金入りだ。まさかサプリメントまで取って他の栄養を補給しているとは思わなかった。


「それでも太るよ? 太ったらお嫁さんになれなくなるかもしれないけど、いいの?」


 アイシアの攻撃にラファエルの顔面が強張る。ラファエルの結婚願望はそれほどまでに強い。


「……それは困ります。私、結婚したいです」


「うん、なら今日は他のにしようか。私が選んであげるよ」


 それでも我慢ができないのか、ラファエルがおずおずと進言する。


「なら、なら、クリーム系がいいです」


「クリームは一旦忘れようか。太るよ? 結婚できなくなるよ?」


 ラファエルが絶句する。縋るように弓鶴を見る。そんな目で見つめられても困るが、少し可哀そうになった。仕方なくフォローをする。


「男としては、ちょっと肉がついてる子の方がいいと良いと思うぞ」


 ラファエルがぱあっと笑顔になる。


「ホントですか? 分かりました。今日はカルボナーラにします! 少し弓鶴のことが好きになりました!」


 つまりその回答は太っても構わないということなのだが、ラファエルは本当に理解しているのだろうか。鼻歌を歌う彼女を疑いの目で見ていると、アイシアが脇腹を突いてきた。


「なんで邪魔するかな」


「色々参ってるんだ。いまくらい好きにさせてやれよ」


「あの子、見た目はいいのに性格とアレのせいで男性が近寄らないんだよ。私としては心配してるんだけど」


 どの口でそれを言うのだ。


 思わず口に出そうになって、弓鶴は慌てて唇を噛んで言葉をせき止めた。アイシアも見目麗しいが、腹黒い性格と魔法に対してストイック過ぎて一般男性からしたら非常に絡みづらい。もっとも、魔法使い受けはいいのかもしれないが……。


「その目は何かな?」


 ジト目でアイシアに見られていた。背筋が凍る。彼女の視線を逃れるために弓鶴はそっぽを向いた。


「さてな。とりあえず昼食にするか。ブリジット達も呼ぼう」




「そうか、ランベールがやられたか……」


 色濃い疲労を滲ませていた表情をしていたブリジットが、アイシアの報告を受けて突然真顔になった。かと思うと、いきなり大声で笑いだした。


「あはは! あのバカ! 我らが五人掛かりで捕まえられなかったのに二人で捕まえられるわけないだろうに! まーた真の魔法使いは~とか考えちゃったのか。本当のアホだ! しかも最高位魔導師を相手にしたのに、結果が窒息させられて意識失って空から落下しての骨折? しょぼ! 爆笑ものだね!」


 げらげらと笑うブリジットが腹を抱える。食堂にいるISIA職員は彼を一瞥するも、「ああ、またあいつか」という表情をしてすぐに視線を外した。


「いやあ、聞いて爽快ですねえ。捜索で疲れた身体が癒えるようです。ですが、いっそのこと再起不能になるまでやられれば良かったんですがねえ。神もそこまではしてくれませんか。至極残念です」


 オットーがカレーをスプーンで掬いながら酷いことを言う。この手の憎まれ口はASU魔導師の中では日常茶飯事だ。


「笑いごとじゃないよふたりとも。あの二人をそこまで追い込んだ最高位魔導師を相手にするのは私たちも同じなんだから」


 アイシアが注意するも、ブリジットの笑いは止まらない。


「まあまあアイシア。それは分かるけどさ、正直どうだい? すっきりしたろう? いい加減言い寄られるのも面倒そうだったじゃないか」


 アイシアの視線があからさまに泳ぐ。真面目な顔を装っているが、口元には笑みが滲んでいることに弓鶴は気づいていた。


「……ま、まあ少しは」


 ブリジットの声が引きつった。


「ひゃはは! やっぱりアイシアも同じ穴の狢じゃないか!」


「うるさいですブリジット」


 ラファエルが不機嫌な声を上げた。一心不乱にカルボナーラに向かっている彼女は、耳が痛いのか眉をひそめていた。


「私がカルボナーラを食べているときは静かにしてください。あとランベールは死んでも構いません。なんなら私が狙撃して殺します」


 ふんす、と鼻を鳴らしたラファエルが追加でカルボナーラを頼もうとする。既にテーブルには三皿が開けられている。次の注文で四皿目だ。


「ランベールはどうでもいいけど、そろそろやめとけ。太るぞ」


 見ていられなくて弓鶴が口を挟むと、ラファエルは疑問顔で彼を見た。


「少し太っても男の人は大丈夫って弓鶴がさっき言ってました」


「限度ってものを知らんのか。エルの場合は食べ過ぎだ」


「これ以上は駄目ですか?」


「駄目だな」


「……弓鶴のことが嫌いになりました」


 あからさまに落ち込んだラファエルがテーブルに突っ伏した。その姿だけ見ると憂鬱げな美女でいかにも絵になりそうだが、実態はカルボナーラを食べられず不貞腐れる女だ。駄目女過ぎた。アイシアが心配するのも分かる。


「エルはもう少し太っても素敵ですよ」


 オットーがいらんことを言ったが、ラファエルは顔を上げて彼を睨んだ。


「オットーの言うことは当てになりません」


「弓鶴さんと私の信頼度が違いすぎませんか⁉」


 オットーが大仰に天井を仰いで嘆いた。


「女好きのオットーは誰でもいいに決まってます。ブリジット程度の信頼度しかありません」


「我にまで飛び火した⁉」


 いまだにけらけらと笑っていたブリジットの口端が引きつる。


「ナンパされ好きのブリジットとグラビア好きのオットーは女の敵です。死んでください」


 ラファエルの科白にアイシアもうんうんと頷いている。確かにこの男どもは女の敵であるとは弓鶴も思っていた。ブリジットは新しい女性職員が来ると必ず声を掛けるし、オットーは女性職員を薄目で見て裸を想像するような残念な頭の持ち主だ。とてもまともな男ではない。


「弓鶴、分かる? 女を磨いてもこの二人が近くにいたんじゃ気が休まらないんだよ」


 アイシアが呆れ顔で語る。弓鶴は思わず同意してしまった。


「つまりあれか、アイシアとエルが残念なのはこいつらが原因か」


 アイシアとラファエルの表情に亀裂が走る。


「……そんな風に思ってたんだね」


「弓鶴最低です……。超嫌いになりました」


 女性陣が弓鶴へ投げる視線が一段と暗くなった。それを見ていたブリジットが再びげらげらと笑う。


「弓鶴も我らの仲間入りだな! ようこそ!」


「死んでも入りたくねえ……」


 あれか、本当に自分は女心が分かっていない残念男なのかと弓鶴はちょっと真剣に悩む。ホーリーにもろくな言われ方をしていないから、身に覚えがないのにそんな気分になってくるのだ。


 ブルーになっていると、いきなり背後から肩を叩かれた。いつの間にか席を立ったオットーだった。彼は聖職者らしい慈愛の籠った微笑みを湛えていた。


「迷える子羊よ。いざ行かん、女好きの道へ!」


「お前はとりあえず死んどけ」


 アイシア班にはろくな魔法使いがいない。だが、その中に入っているうちに自分もまともな魔法使いの道から外れているのかもしれない。弓鶴は真剣に危機感を抱いた。




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