第一章:ASU警備部警護課 7

 東京都赤坂のウィークリーマンションの一室。2LDKの部屋は、どこもかしこも血に濡れていた。川口の児童養護施設とまったく同じだ。死の匂いがひたひたと這う嫌な場所だった。


「ひどいな……」


 思わず呟いた弓鶴の一言に、弓鶴たちを警戒していた現場の若手警官が反応した。


「ASUの方ですよね。お疲れ様です」


「お疲れ様です。なにか分かったことはありますか?」


「川口のときと同じですね。現場の状況は、大量の血痕以外は綺麗なものです。ただ、死体の首に引っ掻いた跡が残っていました。恐らく自分でやったと思われますが」


 アイシアがそれに反応する。


「……窒息させたねそれ」


「窒息?」


 若手警官の疑問にアイシアが答える。


「元型魔法は疑似生命体を圧縮空気で作ることが多い。だから密室で疑似生命体を大量に作ると酸素濃度が落ちて窒息するんだよ。元型魔導師の暗殺常套手段のひとつだね。もっとも今回は窒息で動きを止めてから首を刎ねたみたいだけれど」


 なるほど、と若手警官が納得する。弓鶴は質問を続ける。


「死亡推定時刻は分かりましたか?」


「昨夜の二二時から二三時の間です」


「監視カメラの映像を見れますか?」


「端末でよろしければこの場でお見せできますよ」


「お願いします」


 若手警官が端末を取り出して立体映像を表示させる。映像は、丁度犯人の男女が入ってくる直前から始まった。見た目は二十代の男女。上からの映像のため詳細は分からないが、明らかに更科那美と鎧ではない。女性の方は何も持っていないが、青年の方は雨でもないのに黒い傘を持っている。


「聞いてはいたけど、これが更科那美と操作した鎧なら本当に姿を変えてるね。しかも彼女と鎧のふたつ……」


 アイシアの声が陰る。


「これはかなり不味いよ。第九の可能性がある。ブリジットでも無理だよこんなの」


「そもそも協力者がいる可能性が高いんだろ。この男が協力者じゃないのか?」


 見て、とアイシアが映像を指差す。


「この男は傘を持ってるでしょ? これがたぶん刀だよ。魔法で見た目を変えてる。恐らくこれが鎧だよ」


「この女が更科那美ではない可能性は?」


「分からない。元型魔法の見た目の変化は熟練者がやると本当に分からないんだよ」


「なら模倣犯もしくは全くの別の事件の可能性は?」


 弓鶴の質問に映像を止めていた若手警官が答える。


「あり得ません。そもそも事件情報の詳細はまだマスコミに流れてません。精々が児童養護施設で殺人事件が発生したくらいしか報道されていないでしょう。埼玉県警から訊いている死体の状況と今回の死体は似すぎています。現場も状況も」


 ようやくアイシアの焦りが実感できてきた。


「アイシア、もしこのふたりが更科那美と操作した鎧であった場合、実力はどれくらいだ?」


「最低でも第八の上位、最悪最高位の第九階梯だね」


「元型体系の第九階梯魔導師の実力ってのはどれくらいだ?」


「うちの班全員で戦っても無策なら全員死ぬね」


 ぞっとした。僅か一一歳の女児が魔法使いというだけでそれほど強大な力を扱うことができるのだ。力を扱うには責任が必要だ。だが、それを理解できていない人物が扱えばいつ爆発するか分からない火薬庫と同じだ。


「……仮にふたりが更科那美と鎧でも、別人だとしても構いません。狙撃で頭を抜きます」


 ラファエルが鋭利な目つきで言った。魔法使いの犯罪は日本であっても生死を問われないことが多い。最悪の場合。即座に処刑しても法律上問題視されない。ある意味、犯罪魔導師の人権は塵に等しいのだ。


「動機解明が急務だな。放っておいたら被害がもっと増える」


 弓鶴の科白にアイシアが頷く。


「でも、それは警察側の進展を待つしかないね」


 若手警官が気まずそうに頭を下げる。


「全力で捜査に当たっています」


「うん、よろしくお願いね」


 アイシアが微笑む。その表情を見て若手警官が一瞬頬を緩ませた。彼女は“見た目”は良いから惚れる男は多い。


「さて、そろそろ警視庁の会見が開かれるんだっけ?」


 弓鶴は左手に巻いている腕時計に目を落とす。時刻は十二時を回ろうとしているところだった。


「十二時開始だったな。見るのか?」


「世間の反応をわざわざ見る必要はないよ。目下の課題は事件解決だから」


 吐き捨てたアイシアの端末が鳴る。顔をしかめた彼女が立体映像を映すと、ブリジットが珍しく焦った姿が見えた。


「三人とも、すぐにニュースを見ろ! どこの局でもいい! 更科那美が全マスコミに犯行声明を流した!」


 若手警官が端末でメディアチャンネルを呼び出す。空中に映し出された映像は大手テレビ局のニュースだった。


 ちょうどニュースキャスターが沈鬱な面持ちで原稿を読んでいるところだった。画面の端には、「連続殺人事件の犯人からの犯行声明‼」とテロップが打たれている。


「それでは、犯人と名乗る更科那美さんからの映像をご覧ください」


 映像が切り替わる。


 場所はどこにでもあるようなホテルの一室だ。画面の中心で少女が椅子に腰かけている。以前顔写真で見たままの更科那美だった。


 現場で作業をしていた警官たちも手を止めて映像に見入る。


 更科那美が血色の良い唇を開く。


「こんにちは。それともこんばんは? もしくはおはようなのかな? ねえ、これっていつ流されるのかな。まあいいか」


 そこでくすくすと笑う。女児とは思えないほど色香を宿した、蠱惑的な笑みだった。


「初めまして。わたしの名前は更科那美。一一歳の小学五年生です」


 弓鶴は喉を鳴らした。この子が何をやろうとしているか理解できない。アイシアもラファエルも固唾をのんで映像を見つめている。


「一昨日は埼玉県川口市で、昨日は東京都赤坂で殺人事件があったのは知ってますよね? 全部で八人が首を落とされて殺された悲惨な殺人事件」


 言葉を一度区切った那美が、口端を吊り上げる。


「犯人はわたしです」


 絶句する。犯人と警察関係者しか知り得ない“首を落とされた”という単語が、更科那美の発言をより確かなものにしている。


「どうして事件を起こしたのか。どうして映像をマスコミに送ったのか。色々疑問はあるかもしれないけれど、ひとつずつお伝えしていきます。


 わたしがいた養護施設では日常的に性的虐待が行われていました。わたしが直接見たのは施設長だけでしたが、あの日殺した男性職員全員が関与していました。施設では友達が苦しんでいました。いつも暗い顔をして、身体を震わせて何かに怯えているようでした。


 あの日、わたしは施設長に犯されそうになりました。そのとき魔法に目覚めたんです。そして殺しました。わたしはわたしを守るために殺しました。そして、友達を傷つけた鬼を懲らしめるために他の男性職員も殺しました」


 頬が引きつる。最悪の動機だ。アイシアとラファエルを除くこの場の全員が動揺していた。白鷺小百合が口を閉ざした理由が恐らくこれだ。


「それからわたしは魔法を使ってホテルに逃げて考えました。まだまだわたしみたいな被害者が存在するんじゃないか。もしそうなら助けなきゃいけないと。そして魔法で調べてすぐに見つかりました。赤坂の事件の殺された人がそうです。彼らは児童買春を行っていたグループでした。そこでわたしは顧客リストを手に入れました。


 ではこれから予告します。顧客リストにある男性のみなさん。いまからわたしはあなた達を殺しに行きます。鎧さんと一緒に必ず殺します。どこに逃げても構いません。必ず追いかけて殺します。邪魔する人はそいつらの味方だと判断して殺します。


 警察のみなさん。よく考えてみて下さい。子どもを買う大人が果たして存在していていいのか。彼らは悪じゃないのか。あなた方が裁けないのならわたしが裁きます。


 そして対象の男性のみなさん。是非怯えてください。部屋の隅でガタガタと震えてひとりで命乞いでもして下さい。わたしは必ずあなたを殺します。容赦なくその首を落とします。精々それまでの生を贖罪の期間として大事にして下さい。


 これが、わたしがマスコミに映像を送ってまで姿を現した理由です。いままで食い物にしていた子どもから死の宣告をされた気分はいかがですか?


 最後に紹介します。わたしの理解者であり、わたしが魔法で作り出した疑似生命体です」


 画面上に青年が現れる。監視カメラの映像に移っていた男だ。男が那美の隣に立つと、身体の表面が翡翠色に発光し、身体が剥がれた。光の粒が舞い散る。中から現れたのは鎧だった。


 那美が鎧を愛おしそうに見つめて言った。


「この鎧があなたを殺します。さあ、鬼退治の開始です」


 映像が消える。画面がニュースキャスターへと戻るが、キャスターも二の句を告げないのか唇を震わせていた。


「……以上が当局に送られてきた映像です。他の局にも同じものが送られているようです」


 ニュースキャスターがなんとか言葉を紡いでいく。これ以上は見る価値が無いとして弓鶴は映像から視線を逸らした。若手警官が端末を操作してメディアニュースを閉じる。


 現場の全員が狼狽していた。


 怪物だ。社会の闇が更科那美という自らの正義に溺れた怪物を作り出してしまった。


「どんな犯罪者も司法で裁かれるべきだ。個人の判断で勝手に裁いて良いはずがない」


 勝手について出た弓鶴の言葉が虚しく響く。


 弓鶴も分かっていた。正義論など事件後にいくらでも論じればいい。いま問題なのは、第九階梯の最高位魔導師と思わしき魔法使いが、顧客リストに載っている人物を殺して回るということだ。


 すぐにでも動かなければならない。


 だけど、なにを、どうすればいい?



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