7.氣

 光陽は座った状態で眼を閉じて体内を巡る氣の流れを整理していた。

 傷を負った右腕と右脇腹へ氣を集中し、基礎代謝を引き上げ、回復力を向上させる。


 治癒魔法が受けられない身としては、これ程の傷を負うことは本来なら死に直結する。

 特に損傷したまま『一門』を放った右腕の回復は脇腹よりも遅れそうだ。


「どんなに急いでも三日は使えないか」


 未熟も良いところだ。敵に虚を突かれたのも物事が優位に運んでいた故の油断だ。

 魔法の使えない身としては、もっと慎重に動かなくては。


「何を真剣に悩んでいる?」






 座っていた光陽は後ろから声をかけられると同時に頬を掴まれ、くいっと、顔を上に向けられた。

 強制的に変わった視線の先には見下ろすルーの瞳がこちらを写している。

 重力に従った彼女の桜色の髪が降りている。どことなく良い匂いがした。


「うーん。やっぱり、貴様は30には見えないな」


 そう言いつつ、頬に添えている手を離したところで光陽は我に変える。


「……やっぱり弛んでる」


 他人の接近に気づかないなど、殺されるに等しいミスだ。エルフ達が近くに入るとはいえ気を抜き過ぎている。


「そう気を落とすなよ。それだけ、我の気配の隠蔽が完璧だったと言うことだ」


 ルーは光陽の前に出る。その姿はローブ姿ではなく、村娘と言った服装に収まっているが、


「なんか微妙に違うな」


 良く見ると細部が異なっている。丈の長いスカートは太股まで短くなっているし、シャツはボタンが着いて半袖になっている。


「動きやすい様に改造した。まあ、一番は通気性を重視したのだがね。夏と冬で服装は使い分けないのか?」

「村が森の中だから、あまり暑さは気にしない」


 しかし、今年はその暑さとも戦う必要があるだろう。例年に比べて、大変な時期になりそうだ。


「我の肢体を観賞するのはここまでにして、氣についてのレクチャーを願おうか?」

「相変わらず、一言余計なんだよ。お前は……」

「ふふん」


 光陽は自らで極め続けている、魔法とは別の力について知る限りの説明を始めた。






 『氣』とは人の身体を維持する為の生命エネルギーと言われている。

 魔力が外部に作用する力だとするのなら、氣は内部で循環する力。

 主な効果は身体能力の向上による、あらゆる動作の強化。基礎代謝を引き上げる事で怪我の回復を早めたり、痛覚も一時的に遮断出来る。


「後、寿命が伸びるらしい。オレは18くらいから見た目は変わらなくなった」


 『氣』を一定まで極めた者に現れる副次効果として、老化が極端に遅くなる現象が確認されている。


「それだけ?」

「それだけだ」

「マジで? 無茶苦茶非効率じゃん」


 ルーが言う通り、光陽が説明した『氣』についての事柄は全て魔法で代用出来るのだ。

 身体能力の向上はバーストと呼ばれる魔法によって。

 怪我の回復は治癒魔法によって。

 長い鍛練によってそれらを得ることが出来る『氣』に比べ、魔法では至極一般的にそれ以上の事を学ぶ事が出来る。

 一般的には『氣』の概念は座学に終わるものだった。


「なら、その傷も魔法で回復させれば良いだろう? 何故そうしない?」


 光陽が『氣』による自己治癒に手間をかけている事をルーは指摘する。

 何気ない疑問だったが、光陽は重々しく口を開く。


「……それは」

「そいつが元々魔力を持たないからだ」


 その場に現れたのは『師範』桜玄斎。彼は光陽に一切魔法が使えない理由を端的に述べた。






 魔法が世界を豊かにして、魔法が自らの世界を広げる。

 誰もが魔力を持ち、誰もが魔法を使える。

 それは自由の証。世界は魔法で満たされていた。


「故に魔法の使えない者は、この世界では生きて行けん」

「……」


 ゲンサイの言葉は光陽に突きつけ続けた真実であり、変わる事のない実情である。


「はん、ただ魔力がないだけだろう?」


 ルーはゲンサイの言葉を鼻で笑う。


「ただ魔力がないだけで、深傷を治すのに数日かかり、その間、まともに戦う事が出来ん」


 治癒魔法は対象の魔力を介して再生力を高速化させる。体内に魔力がない光陽はその恩恵を受けられない。


「光陽。お前は自らの未熟を自覚しろ。お前が生き残ったのは運が良かっただけだ。それは理解しているのか?」

「はい……」

「ちょと待て老練よ。貴様は我と話していただろう? 光陽に変えるなよ」

「光陽の話だろう? そいつは産まれながらに魔力を持たず、存在する意味を誰もが見出だせなかった。己自身も」


 その言葉は生きている事が無意味だと告げていた。


「『五柱』を討つ事。それは意味のある行動かもしれん。だが、それがなんの証明になる? 浅くない傷を負い、村を壊滅させた。これがお前の生まれた意味なのか?」

「……いえ」

「もう一度言う。お前は、お前の生まれた意味を証明して見せろ。それが出来ないのなら、お前の存在には何の意味も無い」


 その言葉はルーに怒りを宿すには十分だった。彼女は右腕に鱗を纏い殴りかかる。


「【白虎】『白尾』」


 次の瞬間にはルーは仰向けで倒される。一瞬、何をされたのか理解が追い付かない。


「何でもが通ると思っているのか? 『白き竜姫』よ。お前を殺せる者などこの世にはごまんといるぞ」

「だが、貴様は殺せないだろう? 老練者! ガァ!」


 咆哮。起き上がったルーはゲンサイの腕を取ると逃げられないように強く握り、至近距離で熱を吐き出す。

 だが、ゲンサイは取られている腕を起点にルーの体幹を操作。潜る様に躱しながら移動し彼女の足を浮かせるとそのまま投げ飛ばす。


「子供の喧嘩に付き合うつもりはない」


 そして、宙に浮いたルーの顔を掴み、そのまま頭を地面に叩きつけ――


「【玄武】『一門』」


 光陽の横槍がゲンサイに刺さる。左肘による『一門』は完全にゲンサイの虚をついていた。しかし、


「【朱雀】『地脚』」


 打ったのはゲンサイの残像だった。

 あだ! と地面に背中から落ちるルーと、空振りに終わった『一門』に冷や汗が止まらない光陽。少し距離を置いたところに立つゲンサイは傷ひとつ負っていなかった。


「……光陽。何故割り込んだ?」

「……わかりません」

「止めだ」


 瞬時に殺気と闘志を消したゲンサイは踵を返す。


「光陽、お前には足りないモノが多すぎる。今一度、己に問いただせ。お前が何のために生まれて来たのかを」

「……はい」

「次に見舞えた時に【青龍】を伝える。その時まで、今のままならば【青龍】に耐えられず死ぬと言うことを覚えておけ」


 光陽は何を優先するべきなのかを改めて突き付けられた。


「ちょっと待て老害。我との戦いはまだ終わって――」


 牙と竜眼を表すルーを止める様に光陽は手をかざす。去っていくゲンサイの背が見えなくなるまで彼は頭を下げ続けていた。


「……何故止める?」

「お前が師匠を倒したところで何も意味が無いからだ」


 ルーが本気になれば生物としての性能はゲンサイや光陽を上回るだろう。


「お前が誰を相手に戦うかは、お前の自由だ。だけど無意味に師匠に戦いを挑む事は絶対に許さない」

「それは本心か?」

「……ああ」

「……そうか」


 玄斎と光陽の関係は紛れもなく師弟である。それは、たかだか数日の付き合いしかないルーよりも圧倒的に深い繋がりなのだ。


「じゃあな」


 去っていくルーを光陽は止めない。そして、彼だけがその場に残された。


「オレは……何をやっているんだ」


 師に気づかされるなど愚行の極みではないか。

 オレがやるべき事は、レインメーカーを討つ事ではなく、ルーを助ける事でもない。

 己の生まれた意味を知る事。

 それが出来ないのなら死んでいるのと同じだ。だから問い続けなければならないと決めたじゃないか。


「オレは……何のために生まれて来たんだ?」


 何年も考え続けている言葉を呪いの様に呟いた。


 




 若い女声は、知的な声と結果を話し合っていた。


「レインメーカー。負けたみたいね」

「……レインメーカーは現地の存在でも倒せるように創ってある」

「レインメーカーはアナタの作品だけど、もう少し状況を考えた方がよかったのではなくて?」

「イレギュラーは起きるものだ。我々に出来る事は与えるだけ。どうなるかは現地の理の結末でしかない」

「あの子、こちらの干渉であることに気づいて居るわよ? 次々に新しい感情も学んでいる。本当の意味で結末を迎えるのが難しくなるわ」

「感情とは時に正しい判断を鈍らせる。アレは未だに同じ地に留まっているのが良い証拠だ。現地の存在に惹かれている」

「素敵じゃない。私達が恋して止まないモノだわ」

「現時点では愚行だ。次の手で何とかなるだろう」

「でも現地の存在と絆が生まれれば失敗する可能性があるわよ?」

「その時はアレの【英雄】を送る」

「修復は終わっているの?」

「まだだ。だが、アレは未だに弱っている。半分の力でも周囲の妨害があろうとも十分に殲滅できる」

「被害が出るのは仕方ないか。手伝えることがあれば言ってちょうだい。評議長もアナタには全面協力するように言ってるから」

「ならば一つ頼みたい」

「あら、良いわよ。なに?」

「『崩月』を早めに始めてほしい。現地のイレギュラーが干渉できぬ様に時期をズラすことは出来るか?」

「いいわよ」

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