神 隠 し

 夏の太陽が容赦なく照り付ける。海も負けじと反発し、キラキラと輝きうねって見せる。

 兎丸は、海を知って二回目の夏を迎えていた。日焼けし、赤剝け、まだら模様は、まるで因幡の白兎だ。何とか因幡のわにから逃げ出し、浅黒くなった兎丸だが、まだ浜の少年とは云い難い。それでも皆の一番後ろを意気揚々と闊歩する。

 その兎丸を目指して、胡乱な男どもが駆け出した。子供らはまだ気付かない。

 二人の男が、両側から兎丸の腕を掴み、前の大男の肩に担げ上げた。そのまま、元来た方向へ駆け戻る。

 兎丸の前にいた留吉が振り返る。

「あーぁ、うさぎーまる」

 先頭を歩いていた波吉が、砂浜を飛ぶように走り出す。ガキ大将の名に恥じない勢いは、そこらに群れる人足らを跳ね飛ばし走り抜ける。

 小さな家々の隙間に入り込んだ男らは、バタバタ暴れる兎丸を担いだまま木陰の向こうに消えて行く。

 波吉に後れをとった浜の人足たちも騒ぎに気付き、追いかけている。

 材木座の端からカラスが、一羽飛んで来る。白いカラスは、一匹と数えられるカー助に間違いない。

 何処で手にしたのか、棒切れを手にした波吉が逃げる男の一人に追い付いた。遮二無二に棒を振り回す。頭を抱えて逃げに回った男が木立の陰から反撃に転じ、波吉の棒を奪った。まだ、追い付いて来る者はいない。

 しかし、カー助は速い、兎丸を担いだ大男の顔目がけて嘴を突き出す。咄嗟に避けた男の頭にしがみ付いた。兎丸と目が合う。

「投げ出されるぞ、兎丸」

 兎丸は、カー助に頷くと前方へ飛んで一回転した。大男の頭をカー助が突いていたが、男に羽を掴まれた。

 すかさず立ち上がった兎丸の蹴りが男の背中に決まったが、ふわりと触った程度の衝撃だ。

 大男は、カー助を放して兎丸に襲い掛かる。するりと抜けた兎丸が、浜に向かって走り出した。目の前に、男が一人棒を振り上げ波吉を討とうとしている。兎は飛び跳ね、男にしがみ付き、その首に両足を掛けて締め付ける。これは案外強い。尻もちを着いた男の手から棒を奪った兎丸は、追って来た大男の頭めがけて飛んだ。棒が唸る。

 逃げ腰になった男二人を兎丸の棒が襲った。爺やの弥助に仕込まれた武術の賜物か、ひ弱に見える日頃の兎丸とは別人の打ち込みだ。誰かが、何かが、乗り移ったが如き不思議の攻撃だ。

 丸太屋の人足が追い付いて来た。

 兎丸の攻撃を防ぎ切れなかった男二人が引かれて行く。

 目を見張った波吉の顔が破れ、笑みが溢れて、身体が躍り上がる。

「すげぇや、兎丸。見かけによらず、つええじゃん」

 兎丸は、見事に飛んだ。その蹴りは強いとは云えない。まるで舞踊のようにふわりだが、打ち揮う棒は、確実に胡乱な男の急所を襲った。

 ガキ大将の波吉を救い、時間稼ぎをし、頬を染めて、汗を滴らせた。

 頬は、桃色を通り越して朱色だ。傾き出した陽射のその奥から届く天外の力を受け止め、この世の者とは思えない。


 浜の大人も子供も、ウキウキと兎丸を囲み丸太屋まで送った。


 その頃、カー助は逃げるもう一人の男の後を追っていた。小さな屋敷に逃げ込んだのを見届けて、そっと屋敷の屋根に飛び降りる。

(ここは誰の屋敷かな)

 逃げ帰った男を叱りつけている初老の男がいる。

(あーあーぁ、あいつだ)


 兎丸は、丸太屋へ戻って水を浴び、姫飯握りを食べていた。留吉も波吉も満面の笑みでご相伴だ。


 それなのに、兎丸がいない。何処へ消えたのか。


 三匹の式神は、うろたえている。大切なご主人さまを見失い、式神の役目を果たしていない。

 何より困ったのは、三匹の言葉を解する人がいないことだ。

 カー助は、暴漢の一人が帰った屋敷を報せることが出来ない。宋子は静かに瞑想する。その顔をじっと見つめる忠吉。

「ともかくも、その屋敷を見張ろう」

 宋子の命令に三匹が動き出す。

「待って、待って」

 澪が宋子を追って来た。裸足だ。

「まあ、まあ、お嬢さま。裸足で何処へ行こうと云うのです」

 元乳母の梅が、暴れる澪を抱き上げた。

 ちらりと宋子が振り向いたが、小さなため息と共に、歩き出した。


 澪は、泣き止まない。夕飯も食べないで、むずかっている。

 嘉平の商売に滞りが起こっている。宋の商人との間で取り決めた契約が暗礁に乗り上げたままだ。

 兎丸の行方も分からず、娘はむずかり泣いている。

(おれも泣きたいよ)

 何時にもなく弱気の虫が鳴き出して、嘉平は顔をしかめる。

 澪は分かっている。式神が兎丸を探し出しに行ったことを。

 梅が邪魔をしたことが許せない。だが、それを誰かに告げはしない。それはいけないことと思える。

 だから、涙が止まらない。


 波吉たちも兎丸を探している。弱虫の留吉も強がった顔で歩き回る。

「うさぎー、うさぎー」悲痛な声が浜辺を町裏を駆け巡る。

「あっー、カー助だ」

 飯島の山裾目指して飛んで行くカラスを見つけた。白いカラスは式神だ。駆け出す留吉を波吉が追う。

「あっ、あの屋敷の屋根に停まったぞ」

「誰の家だ」

「兎丸が居るのか」

「みゃぁお」

 宋子は、子供を見つけて呼びかけた。

「何を云っているのかな」

 留吉は、「この家が怪しいのか」と話しかけた。「にゃお」と宋子が頷く。

「よし、おいらが丸太屋の嘉平さんに報せる。留は、ここで見張っていろ」

 もどかしそうに云って、波吉が走り出す。

 見送る留吉の足指先をネズミがツンツンした。間違いないこの屋敷が怪しいのだ。その証拠に式神が揃っている。


 嘉平が走るその前を波吉が走る。目指すは飯島の怪しい屋敷だ。

 嘉平は、もしやと気付いている。安倍晴元の屋敷ではないか。兎丸が生まれた屋敷だ。

(困ったお人だ。捨てた孫を自儘にしたいと攫ったのか)

 目指す屋敷に走り込みそうな波吉の肩を抑え、嘉平は息を整える。唐猫が、ネズミが、すり足で静々と近づいた。

(さて、どうしたものか。尋ねても、知らないと云われれば、家の中に踏み込むことは出来ない)

 少年が、一人駆けて来る。

「留、どうした? うさぎは居たか?」

「分からないよ。でも裏で薪割りをしている男は、兎丸を襲った男だと思うんだけど、おれは良く覚えていないんだ」

「よし、おいらが見て来る」

 嘉平の同意を得るように振り向いた波吉が屋敷の裏に消えた。

「かぁぁー」

 カー助が、屋根から飛来して留吉の肩に止まった。

「ああ、カー助。兎丸は居たか?」

 居ないよと云うように、白いカラスは首を傾げた。

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