西暦1223年(貞応二年) 禹 歩

 貞応二年(1223年)が明けた。兎丸は、数えで十歳。

 正月一日は晴れであった。

 正月恒例の椀飯おうばんも何時も通りに行われた。

 幕府の大切な行事で、家臣が主君をもてなすご馳走である。我が世の春を謳歌する執権北条義時の正しく大盤振る舞いだ。


 兎丸は、親職屋敷の中庭を歩いている。ずるりと足を引きずって、右に左に行きつ戻りつ、怪しい動きだ。

「ほーっ」と息継ぎした兎丸は、己の足跡を確認するかのように地面を見つめている。

 また歩き出す。歩くと云うよりは、足跡を付けていると云うべきだろう。

 時景に指導された『禹歩うほ』の練習をしているのだ。北斗七星を描いているのだが、なかなか上手くいかない。ぼーとした彗星のように、とりとめない有様だ。

 道筋に潜む怪かしを鎮めるための呪術的歩行法だ。

 本来、陰陽道では『反閇へんばい』と云う。後に様々な民間儀礼に、その姿を表わす。新築の家を建てる時行われる地鎮祭や相撲の『四股』もその流れで、土地の氏神に「よろしくね」と挨拶する儀式だ。

『禹歩』とは、中国夏の時代、禹王なる人が治水のため天下を経巡り、ついには足の自由がきかなくなった。足の不自由な人と云う意味もあるようだが、決してその歩き方を侮っているのではない。そうまでして、天下の偉業を成し遂げたことを敬い、禹王の特殊な歩き方を恭しく真似て、道々の悪鬼を鎮めているのだ。

『禹歩』とは、正に兎丸が行う歩行として相応しい名称ではないか。

 この頃、うえかたが外出するのは大変だ。方角が悪いの、日取りが悪いの、刻限が問題だの大騒ぎだ。そんな時に、道々の邪気を祓い除くために呪文を唱えながら、踏みつけ踏みつけ、怪しい事物をやっつける。

 親職が縁先からその様子を眺めている。眉間に皺を刻み、もちろん笑みは忘れ去っている。

 やおら親職は、裸足で庭に下りた。

 兎丸を呼び寄せ、「付いて参れ」と歩き出す。兎丸は真剣な面持ちで付き従う。

 まず、左足を三寸に満たないほどに踏み上げ、踏み出し、続いて右足を爪先を地面に刷りながら踵を上げ、両足を揃える。三歩目は、二歩めの右足から出し、四歩目は左足だ。これを繰り返し、北斗七星を描きつつ小さな楕円を作っていく。

 普段の歩行も怪しげな時景から教えられた『禹歩うほ』とは、どこか違う。

 確りと北の七つ星を踏みしめた。

 親職は、両肩でため息を吐くと玄関に消えた。何時もなら、親職の後を追って見送るのだが、兎丸は庭に留まり、禹歩を再開した。

 真剣な面持ちで、呪文をぶつぶつ、手指をあやつる手訣しゅけつをあれこれ、もちろん足跡付けが一番大切だ。うっすらと汗をかいた兎丸の足跡は、何とか円形を為した。

 思えば兎丸の人生は、この禹歩うほの動きより波乱にとんだ動きを見せている。忠吉が、未来と云う概念が今一分からないように、兎丸も自分の未来を夢想することが出来ない。みんな優しく見守ってくれているのは理解しているが、そこから安心が生まれてこない。申し訳ないことだとも思えるこの頃だが、お腹が一杯かどうかしか分からなかった幼い日々より、不安定な気持ちが、モクモクと膨れ上がっている。宋子に相談すべき事かもしれないが、モクモクをまだ言葉に乗せることの出来ない兎だ。


 悩まし気な気配を抱えたままの親職は、仕事に出かけた。向かうは、執権北条義時邸だ。

 ダラダラと解決しない争いごとを抱えているのだ。

 三寅みとら若君の御邸宅の西側地が狭いので、西大路を庭に取り込んで築地を構えてはどうかと下問があった。

 親職は、安倍晴賢と共に「今すぐの工事は祟りがありましょう。今年が過ぎてからが宜しかろう」と言上している。それに反対する者たちがおり、論争となっていた。

 結局、義時は京都の陰陽師にも問い合わせをした。

 鎌倉陰陽師として、その地位を確立し、京とは別の組織として頑張っているが、まだまだだ。

 鎌倉陰陽師の見解が一致しないと、結局、京都の陰陽寮の長官に尋ねることになる。

 若君の御所建築などは、「西だ東だ、今日だ明日だ」と云い合って何時も遅々として進まない。京の陰陽頭と鎌倉陰陽師、地相人などが相まって、てんやわんやの有様なのだ。


 孝悦がやって来た。丸太屋の店奥だ。

 嘉平は、腕を組んで半眼になり潮の香を探っている。何時も潮臭い店先だが、海の機嫌で僅かながら潮の香が違う。

 微妙な違いは、腐れ馴染みの顔にも表れている。何時ものおねだりではないのだ。

「先々のことを考えてくれ。おれに鐚銭びたせんをくれても、戻りはしないことは確実だが、親父に託せばきっと大きく育って戻って来る」

 儲かっても儲からなくても、結局、まいないの資金を渡すことになるだろう。嘉平の父親の頃からの腐れ縁なのだ。金浄法師の意見に同調する輩の袖の中に入れる金の提供を「儲け仕事だ」と法師の倅である孝悦がやって来たのだ。互いに二代続いたプンプン匂う間柄なのだ。

 近頃は、三寅君の御所の改築などがあれば、袖の下など使わなくとも丸太屋に仕事は回って来る。だからと云って、「今後はお付き合いしませんよ」とは、やっぱり云えない嘉平だ。

 しかし、嘉平は云った。

「すまない。材木は唸っているが、金がない。」

 孝悦は、目を剝いた。

「造船すると云う宋人の為に大量の資材を仕入れたが、逃げられた」

 去年の夏、溺れた兎丸の息を吹き返し、小舟で運んでくれた宋人だ。待てなかったのだろうか、中古の船を手に入れ、姿を消した。丸太屋の倉庫には、簡単に売れない良質の資材が大量に残った。わずかな手付しか貰っていない。

「商売だから、こんな事もあるものだが、金がないのは本当なんだ。法師どのに、ありのまま伝えてくれ」

 なんで、おれが頭を下げなければならないんだと思いながらも、嘉平は小さくその頭を下げた。

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