承久の乱 弐

 佐紀は待った。丸太屋からの「しばしお待ちください」との伝言を胸に、意味もなく海原を眺めやりため息を逃がした。

 兎丸は、三匹の式神を従え裏山から梶原の方まで遠征している。カー助が飛んでみると殊の外近い。しかし、高くはない山だが道もなく越えようとすれば遠いのだ。一度、稲村の山を下り、別の尾根を超えるほうが近いのだが、梶原に辿り着いても別段なすべきことはない。が、「この里を抜けて行けば武蔵の国に行けるはずだ」と、宋子はしたり顔で云う。

 何でも知っている宋子なのだが、「ふーん」それが如何した顔で誰も関心を示さない。冬眠から目覚めようとムズムズしている山里が、優しい日差しを浴びて、葛原が丘を見上げている。遠足の四匹は、ちょっと疲れを覚えたが、ともかくも穏やかな一日だ。


 待ちに待った安倍親職から使いが来た。兎丸の噂を聞きつけた親職は、会いたいとは思っていたが、何分にも忙しく時間が取れなかったのだ。

 佐紀は、張り切って兎丸の衣装を整え、出かけた。三匹の式神も気取った様子で従った。

 奥の部屋に案内された二人は、しばし待たされる。

 隣の部屋にはお客があるようで、低い声がぼそぼそと聞こえる。式神軍団はさりげなく庭に陣取った。


「待たせたな。うーん、正しく晴秀じゃ。晴秀の幼い頃そのままじゃ」

 兎丸を一目見て、親職は唸った。

 佐紀はもう泣いている。

 兎丸は、薄っすらと目元を染め、笑顔を上げた。庭の式神軍団が音なしに騒めいた。


 稲村ケ崎で、どんな生活をしているか尋ねる親職に、兎丸は笑顔で答える。

「ところで、世の中が乱れる兆しがある。どうじゃ、兎丸、この鎌倉の行方を占ってみよ」

「‥‥‥」

 言葉がない兎丸の耳に、宋子の囁きが庭を超えて届いた。「忠吉が、鎌倉の繁栄はまだ続くと‥‥‥」

 息を吸い込み、兎は答える。

「鎌倉は、太平でございます」

「庭の式神がそう申しておるか」

 思わず笑顔になった兎丸は、大きく頷く。

「庭のものども、これへ参れ」

 親職の呼びかけに三匹が、おずおずバラバラ姿を現す。

「誰がどのように占った」

「にゃぁ、みやぁ、みや」「ちゅう、ちゅう」「かー」と式神がしゃべり出す。

 目を丸める親職に、兎丸は声を張った。

「申し上げます。忠吉が、鎌倉にはまだ多くの寺が建つと云っております。地獄谷に立派な寺が建ち、極楽寺と呼ばれるとも申しております。また宋子は、忠吉は阿保あほうなので、嘘をつく能力はないと云っています」

「何と?? 猫がネズミは阿保だから、嘘がつけないと」

「ははははぁ、はあ~」

 親職は、田楽踊りを見ているような粗野な楽しさに声を上げて笑った。


 宋子は、簡単に忠吉の意見を認めた訳ではない。


 丸太屋から届いたご馳走を食べながら、のったりしていた正月休み、囲炉裏の場には猫、ネズミ、烏、兎、爺、婆がいた。

 烏は、宋から宋子を追って来たのだと聞かされた弥助は、何ともなぁと苦く笑う。

「カー助、そんなに火の傍に寄っては、焼き鳥になってしまうぞ」

 のんびりに飽きた宋子が、烏のカー助をからかう。故郷が同じだからか二匹は仲がいい。忠吉は、ちょっと妬心の目を向ける。その目に気付いた宋子が、からかいを込めて忠吉に尋ねる。

「ところで、お前は何処から来たのだ」

 この質問は、(おいらは何処から来たのか)と日頃悩んでいる忠吉には、つらい。

「さーてね、おれは裏の竹林から来たんだ」

 精一杯、意地を張り気取ってみせる。

「竹林を通って来たんだろう。その前は何処に居たんだ」

 むむ、云っても良いものか、しばし悩んだ忠吉だが、いっそ打ち明けて宋子の知恵に頼る方が得策かと無い知恵を絞ってみた。

「稲村ケ崎の精進料理屋だ。それよりカー助、お前は何処から来たんだ?」

 悩みは尽きず、ちょっとカー助に話をふって逃げてしまった。

「おれぇ、おれはお天道さまから落っこちたのよ」

「ははははぁ、それじゃあ、兎は月から落っこちたのか」

 忠吉も案外、分かっていると宋子は感心した。

 ヒソヒソ話していた三匹の声がやかましくなる。

 弥助は、(何をくっちゃべっているんだ)と、欠伸が出た。


 宋子は思い出す。

 初めて丸太屋を訪ねた時、揃って坂を下った。海岸に出ると、忠吉は呟いた。

「江ノ電がねえ」

 よし、今日は江ノ電って何かと聞いてみよう。宋子の暇つぶしは止まらない。

「ところで、忠吉、えのでんって何だ?」

(うっ、何で知っているんだよ)

 やっぱり宋子は只者ではない。迷うことはない、みんな話して悩みを解決してしまおう。

「電車だよ」

 それでも声が、ぶっきらぼうになった。

 知っているかと、宋子はカー助を見る。

 首を傾げたカー助が「それは食い物か」と云えば、忠吉は馬鹿にしたように「乗り物さ」と胸を張る。

「牛車のような物か」宋子が問えば、「牛? そんなものはいらねえよ。線路で走るんだ」

「せんろ? 千の路か?」

 カー助が、賢しらに首を捻る。

 忠吉はポリポリ、カー助はツンツンと餅を齧る。

 線路は続く何処までも、話は続く時空を超えて。

 兎丸は、うつらうつらしているが、耳を伸ばして聞き取っている。

「わたしは、忠吉は未来から来たのだと当たりを付けた」

 宋子が、賢しら気に云う。

「と云うことは、江ノ電は、未来の乗り物か」

「みらい、未来って何だ?」

 呑気なネズミは、知識に欠ける。

「明日は今日の未来だ。一月先も、一年先も未来だ。分かるか忠吉」

 カー助が、丁寧に教える。

「そうだ。江ノ電は千の路を走る未来の乗り物だ」

 宋子が自信ありげに両耳を立てた。

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