飛べ兎丸 参

「丸太屋の娘を人攫から救い出した」「まだ子供ながら陰陽師だそうだ」「不思議な式神を使うのだ」

 陽気に晴れやかに鎌倉中を噂が走る。

 佐紀は、我慢出来ない。

 この稀な才を見せる若さまをこのまま山の中で育てて良いものか。晴秀さまのような陰陽師が育てるならまだしも、己のような女房が才ある男児に教育を施すは僭越であろう。

 やはり、祖父である安倍親職さまをお訪ねしよう。

 佐紀は山を下りて、親職屋敷を訪ねた。裏口で名乗った。

 じろりと睨まれて、留守だと追い返された。

 屋敷の外でウロウロしている佐紀に、輿が近づいて来る。

「もしや、あれは安倍親職さまのお輿」

 ふらりと歩み寄る佐紀を護衛が怒鳴りつける。

「輿の先を横切るでない」

「親職の殿さま、稲村ケ崎の佐紀でございます。御目文字おめもじをお願い致します」

「稲村ケ崎とは?」

 従者が、問う。

「安倍晴秀さまの屋敷に仕えます、晴隆さまの乳母でございます」

「しばし待たれよ」

 輿は、屋敷に消え、幾ら待っても門は閉じたままだ。

 秋風が吹いて来たとはいえ、まだまだ残暑は厳しい。

 佐紀は日陰に入ったが緊張も手伝って、朦朧としてくる。


 佐紀は、知らないが、四日前に尼将軍北条政子の弟である執権北条義時の娘が無事男児を産んだ。

 親職は、その安産を祈願して泰山府君祭たいざんふくんさいを行っていたのだ。百日と云う長いご祈祷に親職も疲れ果てていた。

 泰山府君祭は、陰陽師が行う祈祷の一つだが、死者を蘇らせるとも云われ、生命に関わる祈祷ゆえ多くの要望があった。陰陽師の祖と崇められる安倍清明も時の天子の為に行っている。

 病気の平癒を願い、健康長寿を願い、はたまた命を取り替えることも出来るとあって、祈祷を引き受けるのは陰陽師の大きな収入源であった。


 日が傾き始めた。佐紀もさすがに諦めて、稲村ケ崎の坂道を登っている。よろける足を励ますが、重い脚は上がらず、しばしの休息をと路傍に座り込む。

 うつらうつら始めた佐紀を気遣ってか、飛び降りた白い鳥が覗き込む。

「もし、もし、お婆どの。如何した、ご気分が悪いか?」

 目を瞑ったままの佐紀は、声に向かって願った。

「この坂の上の屋敷に弥助がおります‥‥‥」

「呼んでくればいいのだな」


「さきーい、さきいー」

 兎丸の声が聞こえた。目を開ければ、忠吉、兎丸、宋子の順に駆け下りて来る。

 ああ、なんと仕合せなと佐紀は涙ぐむ。


 以来、寝込んだしまった佐紀も元気になり、ばたばたと立ち働いている。

 佐紀を救ってくれたのは、屋敷に加わった変な烏だという。

 と、云うことは(妾は、鳥と言葉を交わした?)

 晴隆と息子が秘密の紀宝を医王山へ納めるため宋へ向かった。今は亡き将軍実朝から託されたこの世に一つの貴重なものだ。

 それからは、寂しい日々であったが、勇気をもって丸太屋を訪ね、兎丸を引き取ってからは、毎日がお祭り騒ぎだ。ネズミが昼間から我が家のように室内を走る。足跡に悲鳴を上げる佐紀のために、弥助は躾の場を拵えた。浅い水桶に湧き水を引っ張り、夫々が自ら足を洗い、佐紀の用意した布切れの上でぴょんピョンしてから廊下に上がる。宋子が忠吉やカー助の足跡を検分し、許可を与えてからでないと奥へは通れない。佐紀はその様を覗き見し、笑いを押し殺す。


 暮れも押し詰まり、承久二年も暮れようとしていた。

 一日には、快晴のもと京から次期将軍として下られた若君三寅みとら着袴ちゃっこの儀が執り行われ、陰陽師も忙しい師走だ。

 次の日には地震があり、その揺れで灯明が倒れたのか、永福寺の僧房が三軒も焼失した。

 去年も今年も火事が絶えなかった。この鎌倉中で被災を免れた場がないほどだ。

 そんな中、稲村ケ崎の屋敷は火事も出さず、穏やかな暮れを迎えた。

 しかし、その裏庭に続く竹林は、笑い声が絶えない怪しい場へと変身していた。

 佐紀の危機を伝えたのは、宋子を訪ねて来たからすだ。

 変わった烏だった。まず、色が黒くない。黄色と云うか、白髪が黄ばんだような情けない色味だ。

「おや、お前は金烏きんうの出来損ないかい」

 宋子は、容赦なく嘲笑う。

「金烏と云うのはお日様の中にいる三本足の黄金の烏」

「玉兎とはお月さまの中で餅を搗く玉の兎だ」

 そう云ったのは、安倍清明だ。宋子は何でも知っている。

 黄金の烏には、ほど遠いが烏のカー助の出現は、兎丸の式神に起動力を与えた。

 丸太屋へは、ひとっ飛びだ。

 ネズミ、猫、烏と何処から来たか、何故来たか、兎丸は気にもかけない。青虫は、何処へ行ったのかしばらく姿を見せない。忠吉は、蝶々になっちゃったかなと呑気に云う。

 兄上の晴隆は、佐紀の息子と共に、坂を下って宋に向かった。宋は、宋子が生まれた国で波濤はるかな先にある大きな国だ。宋子とカー助は、兄上が遣わしてくれた使者かもしれない。

 父上の晴秀は、裏の竹林へ消えたそうだ。きっと竹林には、出たり入ったりする穴があるのだと兎丸は思っている。忠吉は、きっとその穴から出て来たのだ。何処へでも潜り込む忠吉だ。

 何時かきっと父上は、竹林から帰ってくるとも夢想する。

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