兎丸の参歩

 日暮れの気配がしているが、まだ少し間がある。ここは町中を少し外れただけの遊女屋だ。奥の部屋で、嘉平と孝悦が遊女を侍らせることなく、ひっそりと酒を酌み交わしている。

「それで、話は?」

 早く話せと忙しい嘉平の声が少々苛立つ。

「うーん、長いぞ」

 孝悦は、酒を楽しみ呑気なものだ。

「ああ、覚悟しているさ。どんどん飲んで、どんどん話せ」

「うん」

 うんうんと頷きながら、「うさぎ」と呼ばれている兎丸の生い立ちが始まった。

 兎丸は、鎌倉幕府に仕える陰陽師、安倍一族の末席に生まれた。

 飯島の外れに屋敷がある安倍晴元の娘が生んだ子供だ。父親は分からないと云うことになっているが、どうやら一族の一人安倍晴秀らしい。稲村ヶ崎の山中に住む変わり者で、幕府に仕えてはいない。息子晴隆と二人で住んでいたが、源実朝が首を亡くした直後、姿を消した。首を持ち去ったのは、その親子ではないかと云われている。

 兎丸は、晴隆の弟と云うことになる。

「それでだ。飯島の安倍家では、兎丸を引き取りたくないとの事だ。少し前に母親の娘を他家に嫁にやった。残された兎丸は、勝手気ままに遊び暮らしていたらしいが‥‥‥ つまり持て余し者だ」

「ふーん」

 嘉平は、冷えた酒を飲み干した。


「それでだ。やり手の丸太屋嘉平に預けたいと云うのだが、まあ、早い話が厄介払いだ」

「それなら、なぜ孝悦に探させたのだ。知らなければ、それはそれ、おれの好きに育てたものを」

「それ、それ、それで良いのだ。嘉平の思うままにすれば良い。まさか切り刻んで食ってしまうこともないのだからな」

「よし、預かろう。材木屋の商いを教えて、丸太屋の屋台骨を支える男に育てたい。だが後で、とやかく云われては面倒だ」

「うん、良いだろう」

 何を考えているのか、孝悦は悪巧みをする時の顔になって思案している。

 嘉平も、これで良かったのかと躊躇する。扱うのは材木ではない。生身の人間だ。

「なあ、嘉平。兎を気に入っているのだろ。それなら預かるなどと云わずに、貰ってしまえ。預かると返す時が来るかもしれん」

「貰うと云ったって‥‥‥」

「本来、預けるなら、幾らか包んでお願いしますとなる。しかし、貰うなら‥‥‥ 嘉平お前が金を払え。買ってしまえば、煮て食おうが焼いて食おうがお前の勝手だ」

「人聞きの悪いことを云うな。やっこを買う訳じゃないぞ」

「分かっている。分かっている。兎丸にとっても丸太屋嘉平と云う後ろ盾は、心強いはずだ。まだ分からないかもしれないが、厄介者扱いでは、先が知れている」

「おれに任せろ。後で問題が起こらないように上手くやるさ」

「金が惜しい訳じゃないんだ」

「もちろんだ。分かっているよ。長い付き合いじゃないか」


 孝悦は建久三年(一一九二)三月五日に生まれた。

 丸太屋嘉平とは同い年だ。と云うことは、畏れ多くも三代将軍源実朝みなもとのさねともとも同い年。二人は競争相手の一人に実朝を勝手に加えた。鼻を垂らしながら、将軍実朝に嫁ぐ京からの花嫁行列を迎えに腰越まで遠出した。無言の二人の目は(おれも京都から嫁を貰うぞ)と語っていた。

 憧れるその将軍実朝は、すでに亡く、随分と気落ちした二人だが、一緒にやけ酒を飲むこともなく、兄であり二代将軍だった頼家の息子に殺されるという不運な将軍について語らうことはなかった。

 孝悦の父親が地相人として地相の占いをした後、先代丸太屋に資材調達の情報をもたらし、当然の事として礼金が発生した。持ちつ持たれつの間柄だった。だから身分違いとはいえ、二人は小さい頃より仲良く、何時も嘉平が、孝悦をいじめっ子から庇っていた。それでも嘉平の地位は孝悦とは比べようもなく低くかった。


 兎丸は丸太屋嘉平の養子となるはずだった。

 しかしながら、反対の嵐が吹いた。それも丸太屋の中からだ。

 何時の間にか力を蓄えた加奈の母高子が反対した。もちろん澪の乳母だった梅も反対だ。兎丸の存在は、澪の教育に宜しくないと云うのだ。

 当の澪は、誰よりも兎丸を慕っているのだが、それがいけないとも云うのだ。

 加奈は、床から起き上がり兎丸を「息子として育てたい」と云ったが、その声は小さい。


 嘉平は、商売で忙しい。兎丸ばかりに、かかずらあっている訳にはいかない。

 親族の安倍家に、金を渡してしまったが、兎丸の行き先は定まらない。

 兎丸が、飛び込んで来てから既に三月以上も経った。波乱の一年も暮れようとしていた。

 そんな折、初老の女房が、丸太屋を訪ねて来た。安倍晴秀の留守を預かる女房だと云う。

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