きせきのとむらい

 屋根の上を樽を担いで行き来しながら、魔物が見えるたびに散布する。

 効果は絶大、言うなれば毒の原液を降り注がれているのだから、魔物としては堪ったものではない。

 断末魔を上げ、あるいはユハたちを罵りながら、勝ち目がないと悟った者から順に町を去って行く。

 人々は魔物を追い詰める赤い雨に戸惑っていたが、やがて自分たちには害のないものだとわかると、大いに歓喜し、魔物がいるほうへとユハたちを導いていくようになった。ユハと臥朋がほうは隠れようもないが、ローラムは人々の目の触れないよう、巧みに屋根の上で隠れ続けた。

 だが、魔物を滅ぼす神秘の赤い雨も、屋根よりも上方の敵までは届かない。

 地上へ降り注ぐのとはわけが違う。上に目がけて毒果汁を撒き散らしても、自分たちの上に落ちてきてしまう。そうならなくても明後日の方向に落ちていくだけで、ただ捨てているようなものだった。

 相当数町から追いやったはずなのに、からかうようにケタケタ笑いながら旋回する少数の魔物たちが、実に癪に障る。

 飛ぶ練習をしておけばよかった、と後悔しても遅い。

 ユハの告白にローラムは了承しただけで責めたりしない。ユハが飛べれば、何のことはないのに。飛べれば、上空で樽をひっくり返すだけでよかったのに。

 ぽつりと呟けば、ローラムは振り向いてくれるだろう。

 ユハは息を止め、翼に力を込めた。彼には気にしてほしい気もするが、情けない姿を晒したくない。

 届かぬ毒果汁を撒き散らしていると、前方の屋根に影が立ち上がった。

 雲の切れ間から差し込んだ月明かりが、ローラムを照らす。空を見上げたローラムに向かって、向かいの影が銃を放った。

 ユハは翼でローラムを包み、ぐいと引き寄せた。臥朋がそんな二人の前に身を投げ出す。

 臥朋の腹に当たった銃弾は、鉄の弾だ。ごく一般的な銃弾は臥朋の腹を突き抜け、ユハの翼にめり込んだ。痛みに臥朋と揃って悲鳴を上げる。ローラムが翼から顔を出し、二人を見た。

「……あいつ!」

 ローラムは止める間もなく樽に手を突っ込むと、早夏の果汁を口に含んだ。ごくりと音が鳴り、飲み下す。口の脇に垂れてしまった部分を手の甲でぐいと拭う。


 ――毒を飲むなんて!


 影が再び、今度は続けて二度発砲する。

 庇おうと伸ばしたユハの翼は、ローラムに届く前に、風に阻まれた。

 ローラムの周囲に発生し渦巻いた突風が、次々に弾丸を跳ね返す。耳に痛いほどの風切り音が、ユハや臥朋、近くにいた人々を襲う。

 ちらりと見えたローラムの瞳は、真っ赤になっていた。

 ――自分の毒だから、利かなかったのか……? 火蜜の効果も打ち消した?

 屋根の上で、屋外で、風を阻めるものはない。

 切り裂かれた影は倒れ、そのまま動かなくなった。ローラムが臥朋に駆け寄ろうとして、そこで初めて自分の周りに風が渦巻いているのに気が付く。その状態で近寄れば、臥朋はずたずたにされてしまう。

 そのことに気付き動きを止めたローラムに、ユハは巨鳥から人の姿に変化すると、風の音に負けないよう声を張り上げた。

三彩羽さんさいばを!」

 ハッとローラムが顔を上げる。ポケットから出した三彩羽を握りしめ、酷く緊張した面持ちでそっと振る。

 ローラムの周囲で渦巻いていた凶悪な風が徐々に収まっていく。無風に近い状態になると、ローラムは臥朋に駆け寄った。

 玉のような冷や汗を浮かべ青い顔をしていたが、臥朋はローラムの問いかけにしっかりと意識して答え、起き上がった。さすが強靭な体の鬼である。

 町の上空を我が物顔で占めていた魔物たちはローラムが三彩羽を振って丸ごと持ち上げた早夏の果汁を頭の上からぶちまけられ、殲滅した。身が崩れながらぼたぼたと落ちていく様は、目を覆いたくなるほど気味の悪いものだった。大抵は地上まで落ちる前に灰となって風に吹かれるか、石のような塊りとなっていたのだが。

 一夜にして混沌を味わった人々は、改めて状況が落ち着くと、別の意味で混乱に陥った。そのほとんどは元凶を探し求める声だ。元凶を突き止め、その正体を掴んで排除することでこれ以上悪いことは起こらないと安堵したいのだ。

 一番の問題だった町上空の魔物を一掃したことで、ユハたちの役目も終わったように思えたが、落ち着こうと思った矢先、次から次へと人々が駆け寄ってきてはどこそこに魔物が一匹だの、あちらに二匹だのと告げてくる。

 これ以上ローラムを働かせてなるものか、とユハが残り少ない果汁ごと樽を地上に落とすように届けてやると、人々は自分たちで革袋などに汲み取り、魔物狩りへと勇んで行った。

 その場に留まった者たちは、深夜だというのにユハを声も高らかに称賛し、やいのやいのと持ち上げる。人間からこんなにも一時に、しかも良質な感情を向けられたことのないユハは戸惑ってしまった。しかし、どさくさに紛れてユハに触れ、あろうことかその羽を毟ろうとした者がいた。我慢ならず、ユハはけたたましい鳴き声とくちばしでのつつく攻撃をお見舞いする。容赦のないユハの攻撃にも似た抵抗に、人々の輪が遠のいた。

「幽鬼様!」

 まだ何かあるのか。うんざりしながら振り向けば、そこにいたのはシャノンだった。人をかき分けるようにして駆け寄ってくる。その勢いのままユハに飛びついたので、ユハは衝撃に足を踏ん張らなくてはならなかった。

 奇跡のような事象を起こした巨鳥と親し気にするシャノンは、人々の目には奇跡の乙女のように映っただろう。

 ありがとうございました、と繰り返しシャノンが口にする。少しばかりその鼻先が赤いことも人目も気にせず、何度も。

 言われて悪い気はしないが、これ以上どうしたらいいのかわからない。

 人々は鳥の姿であるユハを奇跡だと称賛する。禍々しいものに死という杭を打ち込むのだと畏怖する。だがそこに人の姿のユハは含まれてはいないだろう。

 神々しい神秘の鳥が実は人の姿に化けることができるとあっては、恐怖を招く。

 それに人の姿を認知されてしまっては、今後迂闊に町を歩き回れなくなる。ローラムに会いたい身としては、人の姿でいるときにそれが好意であれ何であれ、邪魔をしてほしくはない。

 ふわりと風が動き、人垣の奥にいた男が見えない何かに押し出されるように進み出た。

 エルトンだ。

 たった今騒ぎを聞きつけやって来たばかりのようで、肩で荒く息をしている。髪を一つにくくっているリボンが左右非対称にだらりと垂れ、今にも解けてしまいそうだ。エルトンに気付かず、ユハにしがみついているシャノンをくちばしの先で押しやってやると、ようやくシャノンが振り向いた。息を呑む。

 エルトンとシャノン。

 町に混沌を招くきっかけとなった疑惑の男と、奇跡の鳥と親しい乙女。

 諸悪の根源と、聖女。

 言いかたなど豊富にある。相反する立場の二人がどうするのかを、人々は遠巻きのまま見守っている。

 緊迫した空気に取って代わられたこの場に、引きつるような異様な笑い声が響いた。

 屋根の上からだ。堂々と姿を現したローラムが、屋根の端から足の先を垂らしている臥朋の上に乗っている。

 今まで隠れていたのは何だったのか。

「はっはっはぁ! ようやく見つけたぞ! 我が魔物の軍勢をよくも滅ぼしてくれたものよ! お前を討ち取り、弔辞としてくれるわ!」

 ローラムが顔の半分を手で隠したまま、エルトンに向かって銃の形にした手を振る。どごん、と音がして、エルトンの顔を掠めた何かが向かいの壁を破壊する。

 飛んできたのは瓦だった。玖那を真似たのだろう。ローラムが再び手を動かすと、それに合わせて目にも止まらぬ速さで瓦が飛ぶ。

 すっかり歓喜の雰囲気に包まれていた人々の顔に、再び恐怖が舞い戻る。

 ローラムを罵倒する声が次々に起こる。あれが元凶だ、と騒ぎ立て、道端の石を投げつける者までいる始末だ。

 頭にきたユハは石を手にした者を始め、この場にいる全員を力づくで黙らせようと足に力を込めた。

「動くな! 何人たりとも、動けば皆殺しにしてくれよう。だが私にもいくばくかの情はある。すでに一人きりとなったこの我が身、同じく一人に一騎討ちを申し込む!」

 決闘だ!

 ぴりりとした空気を纏った声に、ユハも動けなくなる。ローラムが意味ありげに手を動かす。ふわりと宙に浮き選ばれたのは、エルトンだった。

 屋根の上に浮かび上がらされたエルトンは、すとんと足を付けると同時にローラムに声をかけた。

「一体なんのつもりだ?」

「我に配下などいない! 我を裏切り人に味方した鬼もこうして手打ちとしてくれた。残すはお前の首のみよ。やる気にならないのなら、そこの女を人質にでもしてやろうか」

 ローラムが臥朋の上で足を踏み鳴らす。ぴくりと臥朋の足先が反応したことに気付いたのは、恐らくシャノンとユハだけだろう。

「……行くぞ」

 人は、風の流れに鈍感なのか。

 気にしていないだけなのか。

 ユハが風の流れを感じたときには、エルトンはローラムに何かを突き立てていた。

 ローラムが屋根の上でばたりと倒れ、立ち尽くしたエルトンは、暗い顔で彼を見下ろしたまま微動だにしない。

「……死んだのか?」

「やったか?」

 生死を口々に呟くも、わざわざ屋根の上にまで上って確かめる者はいない。

 エルトンが目を閉じ、ローラムに向かって深々と頭を下げた。

 それはまるで、無言の弔いのようだった。

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