ねらわれたのは

 マコーレーの屋敷は広い。

 彼らは貴族であるが、その生業から僻地に居を構えている。しかしそれはあくまでも仕事のためであり、町の中心にほど近い場所にも屋敷を一つ所有している。町屋敷と呼ばれるそちらには、マコーレー家の主人である大旦那とその妻、まだ幼い弟が住んでおり、エルトンは果樹園を任されると同時に町外れの別邸へと移り住んでいた。

 別邸はそれまで果樹園に勤める者が住み込めるようにと作られた屋敷だったため、雇い主であるマコーレーの者が住むのは異例なことではあったが、エルトンの大らかな性格もあって、ぎすぎすすることも気まずい雰囲気にもなることはなかった。

 一先ず町屋敷に寄ると言っていたエルトンを追い尋ねるも、中にいた者にエルトンは不在だと告げられた。

「不在?」

「はい。今日はまだお見えになっておられませんよ。そろそろご到着なさっていなくては、この後が大変ですのに」

 何かあったのでしょうか、と逆に質問をされ、カシーとローラムは黙り込んだ。

 ここに来るまで、ほぼ一本道だ。

 川へと下るための道と農耕民の村へと向かうための脇道がそれぞれ一つずつあるが、本日のエルトンはその二つには用はない。したがって通るはずはないとんでここまで脇目も振らずにやってきたのだが、あのエルトンのこと、不安を少しでも慰めようと普段通りに川や田畑を見て回っているのかもしれない。

「行き違うはずないのに」

 ローラムがぼそりと呟く。今日はとびきりの良い服を着ていたんだから、と。

 どこに行ってしまったのか。

 二人の訪問に応じていた小間使いの女性は、可愛らしく微笑んで自らの傍らを示した。

「お見えになるまで、お待ちになられてはいかがですか。温かい飲み物とお茶菓子をご用意致しますよ」

 自らは半歩下がり、脇を通りやすいよう道を開けて促されてしまえば、なかなかに断りづらい。さあどうぞ、とだめ押しされ、二人は中で待とうと一歩、敷居を跨いだ。

 ぐにゃり、と。

 地面が揺らぐ。柔らかい花弁の上にでもいるように安定感がない。体の重心の傾きに合わせて地面もそちらへと傾いていく。カシーは慌ててローラムの腕を引き、後退した。

 倒れ込むかと思った敷居の外は、普通だ。硬さがあり水もろくに吸わないと大雨の時には文句を言われる地面が通常通りで、今はこんなにも安心感を与えてくれている。

「カシー……」

 ローラムが自身の胸元を抑え、苦しそうに顔を歪めている。息がどんどん荒くなり、ついにはどさりと膝をついた。

「どうかしましたか」

 小間使いの女性は不思議そうに首を傾げ、二人を見つめている。その手がローラムへと伸ばされ、頭を覆っている布へと触れる――

「触るな。何でもない」

 ぴしゃりと告げる。

 そのままの体勢でぴたりと制止した小間使いの女性は、カシーに視線を合わせるとしばらくそのまま見つめていたが、やがて、腕を戻した。

「承知致しました。いつまでもそこにおいでではよそ様の通行の妨げになりかねませんので、早速ですがご案内致します」

 世間体が悪いのでとっとと入れ、ということか。

 カシーは答えず、ローラムを抱えるように立たせ、丁寧な物腰とは裏腹に有無を言わせぬ彼女の後に続いた。

 異様な空間だった。

 空気が濁り、ぐずぐずと留まっている感じがする。相変わらず胸元を抑えて苦しそうにしているローラムだったが、頭に巻いていた布の端で口元も覆わせると大分ましになったようだ。少しずつ落ち着き、呼吸が戻ってきていた。

 長い廊下を通った先の客間まで案内され、中で待つようにと指示される。

 カシーとローラムはそれに従い中へ入り、絶句した。

 別邸で雇われている身なのであまりこちらへは来たことはないが、以前訪れた時には飾るようにいくつも置かれていた家具らは絨毯を残して一切取り除かれ、真っ白だった壁には、それぞれ、真っ赤な花が描かれていた。四方ともそれぞれ同種の花であり、そのすべてが例外なく、下を向いて垂れ下がっている。

「下向きの花……」

 ローラムが呟く。ふらふらと魅入られたように近づいて行くローラムを誘うように、ふわりと花の香りが鼻を衝く。

 知っている香りだ。

 カシーは香りの元を辿るうちに、ふと窓の外を見た。仁王立ちし、腕を組んでいる男がいる。何事かを考え込んでいるようだったが、カシーが見ていることに気付くと表情を柔らかくした。

 コンコン、と窓が外から叩かれる。

 ローラムが音に反応してそちらを見た。

 開けて、と聞こえない声で言われ、近くにいたローラムが窓の鍵に手をかけた、その時だった。

「開けてはいけませんよ。だめです。どこかに行っちゃいますから」

 ぴたりと止まったローラムの手に、どん、と悔し気に窓が叩かれた。窓の外の男は二つの拳で何度も繰り返し窓を叩き、開けろ、と口を動かす。

 ローラムに声をかけたのは、ここにはいるはずのない人物の一人、領主の孫娘だった。

 緩やかに波打つ金の髪は長く、淡い空色のドレスをまとっている。ドレスの上半身部分にはレースも施されており、裾には白く輝く宝石が散りばめられていた。贅沢な品を身に纏うその女性は、カシーを一瞥すると、ローラムに近付いた。絨毯が踏まれる度に穴が開いたように跡がつく。踵の高く鋭い靴を履いているのだと容易に知れた。

 ローラムの前までやってくると、淡い空色のドレスを纏った領主の孫娘は、優雅に一礼してみせた。

「初めまして。わたくし、あなたを弑ししいし滅する者です」

 ですから名前なんて要りませんよね、と。

 低めの声で、はっきりと。

 その瞬間、カシーは飛び出していた。

 ローラムのほうへ――彼を横からさらうように抱え、乱暴に窓を開け、外へ飛び出す。

 外にいた男が、二人が飛び出すとほとんど同時に窓を閉めた。透明な壁となった窓に阻まれ、カシーたちを追ってきた蔓が派手にぶつかる。割れることはなかったが、それも時間の問題だろうことは、容赦なく繰り出された二撃目で早くも察しがついた。蔓を鞭のように操る領主の孫娘の顔は室内との明度の差によってはっきりとはわからない。カシーは呆然とするローラムの頬をぴしゃりと叩き、自分のほうへと注意を向けさせた。

「立って、走る!」

「は、はい!」

 明確な指示は、時に人をただ従わせる。

 カシーは入り口とは逆方向へと建物を回り込んだ。裏口は手薄だろうと思ってのことだったが、前方からも後方からもわらわらと飛び出てくる者を見て、ないな、と思った。

「詰んだ」

「待て待て! 諦め早いって! こっちだ、こっち!」

 最後尾にいた男が慌てて示したのは、隣の敷地と一線を画すために設置されている塀代わりの植木だった。カシーの胸ほどもある背の高い植木はよじ登って越えられないこともないが、それは薔薇だ。棘を引っかけようものなら、あっという間に傷だらけになり、遅かれ早かれ捕まってしまう。

「こっち」

 それでも迷わず進む男について行くと、立ち並ぶ植木の一部分だけ、根が張っていないところがあった。注意深く見ないとわからないそれは、男の手によってひょいと持ち上げられ、隣の敷地へと繋がる穴を開けた。

 さあ早く、と促され、カシーはまず自分が穴から外へと飛び出した。異常がないことを確認すると、次いで頭を出したローラムを引きずり出すように手を貸してやる。

 三人揃って抜け出たところで、こそこそと身を低くして隣人の庭を横切る。背後を確認してみたが、カシーたちを取り囲もうとしていた者たちは、やはり、植木の穴を抜けて出てこなかった。

 抜け出てこられないのだ。

 わらわらとまるで湧くように次々に飛び出してきたのは、地底人だった。

 五歳児ほどの身長しかない彼らは、愛らしい身長とは正反対の老人の姿をしていた。皮膚は分厚くしわだらけでかさつき、目つきも鋭い。彼らはノジーと呼ばれ、通常、人間の前に姿を現すことはない。地上に出てきたとしても、送り出した者による制約の元で活動することになる。その制約を持って太陽の光に抗うので、許可されたこと以上のことをしようとすると、太陽の光に焼かれてしまう。

 むろん、どんなことにも例外は付きものである。

 伝説並みに知名度はあるが信じられているわけではない地底人は、彼らだけではない。

 地底には、別種の者が生きている。

 彼らを送り出し、太陽に抗う効力を持たせてやる者が。

 カシーは断末魔にも似た悲鳴を聞きつけ、振り向いた。

 穴から敷地を出ようとして這い出してきたノジーの悲鳴だ。喉から絞り出すような悲鳴を上げながら、慌てて穴に戻ろうとしているが、向こう側にいる何者かに道を絶たれ、穴から再び押し出されてしまう。

 焦げ臭い匂いが、風に乗ってやってくる。

 進退窮まったノジーの体から、もくもくと煙が上がり始めた。

「……燃えてる!」

 何が何でも逃げ出した者を、ローラムを捕まえろと、命が下される。高らかに

声を張り上げ指示をした者は例の孫娘だ。次々に彼女の操る蔓に捕まったノジーが、隣の敷地に投げ入れられては体から煙を上げていく。

 その煙で奴らの進路を塞いで見せよ、と。

 隣でローラムがイライラしているのが手に取るようにわかる。ローラムはすっくと立ちあがり、カシーが制止する間もなく髪を隠していた布を取り去ると声を上げた。

「やめろ! 僕に何の恨みがあるのか知らないが、逃げも隠れもしない! 殺したければ自分の手でやってみろ!」

 その言葉に宙に投げられ、今まさに植木を飛び越え隣の敷地へと侵入しようとしていたノジーが、はっとした顔を向けた。信じられないものを見たと言わんばかりのノジーと同じく、カシーも信じられない気持ちでいっぱいだった。

 真っすぐなやつだと思ってはいたが、馬鹿がつくほどだったとは。

 咄嗟に反応したのは、カシーたちを導いていた男だった。乱暴にローラムの腕に自分の腕を絡めると後ろ向きに引っ張る。ふらついて退いたその場に、投げ込まれていたノジーが落ちた。

 そのノジーとローラムが見つめ合う。

「あ……イ……ン、さま」

 ノジーが掠れた声で呟き、煙を上げる手をローラムへと伸ばす。カシーはローラムとノジーの間に割って入り、呆然と身動きできなくなってしまったローラムのもう一方の腕を取り、男と連れ立って逃げ出した。

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