第3話 希望の旗を掲げる者

「違う……そうじゃない……っ!」


 自身の胸の内を吐露した男だったが、少女は未だに納得した様子がなく、それどころか若干の怒りを孕んだ視線を男に向けていた。


「違う……か。本当はあまり深く話をさせたくはなかったんだけどね。君にも辛い過去があるだろうし、それをわざわざ掘り起こすのもどうかと思ってたんだけど、そこまで言われてしまえば、このまま、なあなあにしてしまうのも後味が悪いし、どういう事か聞かせてくれないかな?」


 一度その場で座りなおした男は先ほどよりも真剣な瞳を持って少女に返した。

 少女はそれを見ると、一度俯き、生唾を飲み込む様な仕草をした後に顔をあげた。


「……どうしてあなたはそんな事をされても……人が好きなの? 一人で逃げ出しちゃおうとか思わないの?」


 悲しそうに、まるで自分のことのようにそう言った少女は、左手で服の裾を握りしめ、反対の手で自身の胸をくるしそうに握っていた。


「あはは。なんだ、そんな簡単な事だったのか。ごめんね。こんなことのためにそんなに悲しそうな顔をさせてしまって」


 本当に可笑しそうにそう笑った男はうんうんと頷いてから再び笑みを浮かべ少女を見やった。


「君は何か好きな物はあるかな? 美味しいごはんや綺麗な星空とかさ……私にとって人と言うのはそういう存在なんだ。強く憧れるけど、絶対に届かなくて、手を伸ばしても私にはつかめない。だからこそより強く惹かれるのかもしれない。そんな存在だからこそ、私からすればキラキラと輝く宝物のような存在だ。だからこそ私は守りたいんだ。私のような化け物の手でも守れるものがあるというのなら、皆の未来を、平和を、心を私は守りたい……本当にただそれだけなんだよ」


「でも……そしたら……あなたが守った未来にあなたは……いない……」


「ははは。そうかもしれないね。その時はまあ、今と何も変わらないさ。外からその輝きを見て独りで祝杯をあげよう。誰にも伝わらないし、届かないかもしれないけれど、この世界は、この未来は……この笑顔は化け物と呼ばれた私が守ったものだと、胸を張って空に祝杯をあげようじゃないか!」


 変わらない笑顔。それが何より心を深く抉り取るような、そんな気がした。

 

「運命がもしあるというのなら、できれば次の人生はひどく滑稽で、周囲を笑顔にできる様な……そんな道化のような人間になってみたいものだよ。唯一悲しいのは、その笑顔を守るのは私であっても、作ったのは私ではないという事だからね。もし本当に次があったとすれば、私は喜んで道化になろう。もし本当に道化になったとしても、弱者になったとしても、今度は私が笑顔を作り、心を守るだけだ」


 そう言った男は立ち上がり、尻に付いた土を払うと再び少女の方を見て声をかけた。


「さて。じゃあそろそろ君の名前を聞いてもいいかな?」


 差し出された手。決して届く位置にいないはずなのにこちらに向けられた手。

 それを少女は凝視し、次に男の顔にその視線を向けた。


「……ヘネシー」


「そうか! ヘネシーちゃんというのか。可愛らしいイイ名前じゃないか」


 そう言うと男は出していた手を下げ、自身の顎を数度撫で付けた。


「だが、そんな可愛らしい名前だというのにその格好はいただけないな……どれ、私のおさがりでも良ければ服をあげよう。あぁ、安心してくれ。服はここに置いておくし、私は向こうの茂みにいるから着替え終わったら教えてくれないか?」


 こくりと一度頷いた少女だが、その内心はあまり穏やかではなかった。

 目の前の男の行動理念が未だに見えないのだ。どうしてこんな女を助けようと、剰え貴重な服を提供しようと考えたのか分からない。

 だからこその警戒だが、少女は既にアジトに戻る理由を失っている。既に一度死んだような物でもある。決して死にたいわけではないが、それでも無限に続く隷属の日々よりも、外で気ままに暮らし、気ままに殺される方がいくらか人生として刺激的ではないかと考えていた。


 だからこそ、少女―――ヘネシーは男が離れると服を拾い上げ、自身が身に纏うぼろ布以下の物をそこに置き、着替えを始めた。


 数分後になって、少女のか細い声が男を呼んだ。

 それに従うように男はゆっくりとした動作で少女のところに戻ると、一度目を見開いた。


「これは驚いた……まさかこれほど化けるとは思ってもみなかったよ」


 少女の姿はただ服を変えただけにも関わらず、そしてその服さえも男物であることさえ関係なく美しかった。

 これで後数年もすればアジトにいた男たちの慰み者になり、誰の子とも知らぬ子を産まされていたことはまずもって間違いない程の美貌を持っていた。


「あの……服、ありがと」


「いやなに。気にすることでもないよ。子供は大人に甘える物だと昔母に言われたしね」


 そう言った男はなぜか少女の事を最後に一度にこやかな笑みと共に見て、踵を返した。

 特に何を言う訳でもなく歩き始めた男に、さすがに少女は驚き、そしてつい、追いかけて彼の服の裾を掴みとめてしまった。


「どうかしたのかい?」


「……ぃや、あの……な、名前……」


 特に考えなく動いてしまった少女が何とかひねり出した話題。

 そんな事はとっくのとうに男も気が付いているが、それでも彼は彼女に同行して欲しくなかった。

 これから先に待ち受ける戦いは“普通”の人間が立ち入っていい領域ではないのだ。だからこそ、同行させないこともまた、彼なりの“守る方法”の一つだった。


 だが、男も男で、これだけ多くの言葉を交わした相手は久しくいなかったこともあり、最後に名前だけでもと、彼女に向き直り、最高に胸を張って見せた。


「―――私の名はユゥリィルム。巨人の言葉で“希望の旗”と言う意味だよ」




 


 

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