第6話 どうしてモテるの?

 結局、バイトがなければ毎日東さんと会う。

 そのことにはもちろん、何の不満もなかった。

 母さんも宅急便の受け取りのために留守番するように言わなくなった。

 行くところが思いつかなくて退屈すると時々、僕の部屋に彼女が来て、それでも僕たちは依然としてプラトニックな関係で、東さんは虎視眈々とチャンスを狙っていたかもしれないがこれでいいと思っていた。

 確かに僕たちは付き合い始めるまでが短かった。急展開に危うくついて行けなくなるところだった。

 北澤に抱かれる東さんを時折想像しては嫌な気持ちになったけれど、彼女は僕の手の内にあった。手に負えないじゃじゃ馬ぶりで僕を翻弄するところも、彼女が僕の近くにいることの証明となった。


 東さんとは大学のある駅で待ち合わせだった。

 電車に乗るためにSuicaを出そうと一度顔を伏せてから前を向くと、駅の入口に立っている女の子は見間違うことなく妙だった。

 無視するわけにもいかず、声をかける。

「やあ、待ち合わせ?」

「そう、しぃちゃんが勉強を見てくれるって。大学のレポートをやるついでに」

 しぃちゃんとは南野さんのことだ。高校生の頃の妙に対して、本当のところ否定的だった彼女も昔の友達との友情を思い出したのかもしれない。

「西くんは彼女とデート?」

「まあ、そんなところ」

「いいね、デート。素敵な響き。わたしにはないなぁ」

「妙はモテるんじゃない?」

「どうしてそう思うの? そもそも女子短大だし、合コンに無理やり引っ張っていかれてもお持ち帰りされないよ。わたし、重そうだって友達に言われたもの」

「そうなんだ」

 そうなんだ、と相槌を打ちつつ、頭の中は東さんのことでいっぱいだった。彼女が駅のあの柱にもたれて僕を待っている。ここで妙と話している間にも電車は何本も行ってしまう。

 寂しがりな彼女が、電車が行ってしまう度に上げている顔を俯かせる姿が目に浮かぶ。

「ごめん。悪いけどゆっくり話していられないんだ。彼女を待たせちゃってるから」

「そっか、約束してるんだもんね。うらやましい。わたしにもそういう人がいたらいいのに」

「妙には見つかると思うよ」

 じゃあ、と声をかけたところでTシャツを引っ張られる。脳内の情報処理が上手く追いつかない。

「待って。西くんのLINEってまだ変わってない?」

「変わってないよ」

「LINEしてもいい?」

「…………」

 時間はないけど少し考えた。

 どうしよう。どうしたものか。

「たまになら。ほら、僕の彼女はヤキモチ妬くから」

「うん、気をつける」

「それじゃあ、行くね。彼女、大人しく待てる人じゃないから」

「待てなくて帰っちゃう人もいるもんね」

 妙の言葉にハッとして、スマホを取り出す。最悪、柱の影でまた心細くなって泣いているかもしれない。彼女は寂しがりだ。

 トーク画面の一番上に、そのメッセージはあった。

『ゆみの:待ちきれなくなっちゃったから、わたしが会いに行く』

 ああ、断定的な表現が怒りを表しているように思えた。東さんは普段、僕に本気で怒ることは滅多にない。

 ああ、これで電車に乗ってこの場を切り抜けることはできなくなった。下を向いてため息をつく。

「妙、ごめん、本当に面倒事に巻き込まれたくないなら、この場を離れた方がいいよ」

「面倒事……? わたしはまた西くんに会えてうれしかったの、それだけ。二人で話せてよかった。またLINE……」

 コツン、という小気味いい音が、僕の死角から聞こえた。やっぱり怒っている。嫌な予感しかしない。

「LINE? そんなもの、しません。他の女とLINEなんか、許さないもの。わたしがいるって知ってるのに、LINEとかする? 自分の方が魅力的だと思ってる? 昔フラれたんでしょう? まだ諦めがつかないの? フラれるっていうのは、好きじゃないの同義語なの。智に手、出さないで」

「東さん……」

 真っ赤な花柄のワンピースを着て、腕組みをして彼女は立っていた。すごい圧だ。これには妙も顔面蒼白だった。もちろん彼女には想定外の出来事だったんだろう。

「確かにわたしは一度フラれてるけど。でもあなたたちだってまだ付き合い始めたばかりなんでしょう? これからどうなるのかわからないと思うんだけど」

「わたしたちは……こほん、お互いにもう離れないって約束してるから」

 いや、変なところで照れなくていいから。顔が赤くなるくらいなら言わなければいいのに。僕までこそばゆくなる。

「約束なら、わたしだって。ずっと一緒だよねって西くんがキスしてくれたし……」

 妙も赤くなるなら言わなければいいのに。

 東さんの顔が、照れから次第に険しいものになっていくのを目にしてギョッとする。

「返してよ! 智のファーストキス。大体、なんなの? ケンカ売ってるよね、さっきから」

「ファーストキスだったかどうかわからないじゃない」

「わかるわよ! 智大はそんなに不埒な男じゃないもの。女は抱けばいい、みたいな旧時代的な考えは持ってないの。元カノなのにそんなこともわかんないの? 本当にその時、大切だと思わなきゃキスなんてしない……あ、今のなし、自虐的すぎるもの。えーと、とにかくわたしが今の彼女なの! 見てればわかるでしょ?」

「弓乃、落ち着いて……」

 だって、と言った時、彼女は既に僕の手を固く握りしめていた。一見、めちゃくちゃでも一生懸命なんだ。

「智大が高校生の時にわたしと知り合ってたら、きっとあなたのことを選ばなかった。何故ってわたしたちには運命的な繋がりがあるから。わたしたちは知り合うのが遅すぎただけで、そういうのは早い遅いで勝ち負けが決まるわけじゃないし」

「……西くんは確かにあの頃、わたしを好きだって言ってくれたし、それはあなたがいても同じだったと思うの。わたしはただ、あの頃の気持ちを少しでも西くんが思い出してくれたらいいなって、そう思ってるだけで」

「まだちゃんと覚えてるよ。あの時、妙が好きだった。でもそれは過去の話だ。弓乃、もう行こう」

 横を見るとさっきまでいきり立っていた彼女は涙をぽろぽろ流していて、僕は驚いて予めこんな時のために用意していたハンカチを差し出した。

「……悔しい」

「え?」

「あの女より先に出会えなかったことが悔しい。先に出会ってたら、そこから先の西くんの未来はぜーんぶ、わたしのものだったのに。なんでキスしちゃったの? どうして取っておいてくれなかったの? もしかして彼女と本当は経験済みなんじゃないの? わたしのことは焦らして、焦らして、焦らしまくりのくせにっ」

 日陰になった街路樹の下で、東さんは興奮していつも以上に僕を攻撃した。

「まず第一に、東さんだって僕より先に北澤と付き合ってたんだから、その辺はノーカンにしてほしい。第二に、本当に彼女とはキスまでしかしてないよ。僕はご存知の通り、プラトニック重視だし、そういう経験はない。だからもうこの話はやめよう?」

「……どうしてモテるの?」

 彼女の頭は僕の胸に押しつけられていた。相変わらず風もない暑い日で、汗ばんだシャツが気持ち悪かった。僕は彼女の髪を、できるだけそっと撫ぜた。

「もてないよ。東さんにだけでいいよ」

 顔を上げると、彼女の目の周りはかわいそうなくらい腫れていた。

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