Final chapter Tower of qliphoth ⑩

 まず光があった。

 ニッタミ本社ビルB棟から突如生まれた赫奕の閃光は一条の光線に収束すると、そのまま飛び出していった。

 美月のレールガンによる投射である。

 発射地点であるB棟二四階は無論、上下二、三階のフロアの窓ガラス全てをその衝撃だけで粉砕し尽した。そうして電磁投射された弾(プロジェクタイル)はそのまま隣のA棟をもぶち抜いていき、その勢いを全く減衰させず貫通していく。

 轟音と閃光はまさしく落雷そのものであり、その威力は銃撃という範疇で納まるものではなく砲撃以上のものだ。夕夜が以前見せてくれた大昔のスペースオペラ映画のビーム砲とも言うべきものだった。

 レールガンによる一射は一条の流星となり、大田区の闇夜を切り裂いていく。膨大なエネルギーを孕んだ砲弾は自身の持つ熱によって、ちょうどゲーム会社の青い看板をかすめたところで融解し消え失せた。  


 人々がその光を見上げる。

 大田区の夜空を流星が斬り裂いていく。

 だがその流星は誰の願いも聞き入れない。

 ただ一人の少女の総てを背負い、東京の夜空に己の存在を誇示していた。

 電磁投射と破壊による爆音が轟き、砕け舞い散るガラスが高い音を奏で、地上からのライトアップに煌めいていた。


 脚部から床に打ち込まれていたアンカーが解かれる。DAEの人工筋肉による射撃体勢の拘束が解除される。その身を委ねるものを失った美月はレールガンを手放し、その場にうずくまった。レールガンの余剰エネルギーによる放電が辺りの空気を焼き、それによってオゾン臭が周囲に満ちていた。マスクの前面フェイスカバーを開放し、美月はとうとうその場で胃の内容物をぶちまけた。

「〈アンバー〉、状況の確認を……」

 美月が息も絶え絶えにAIに命令。だが反応は無い。代わりに目の前に投影されたのはシステムのリブートと電源の切り替えを伝えるメッセージだけだった。数秒後に再起動が完了され、美月の網膜に通常のインジケータ類が表示された。ひとまずDAEの挙動に支障は無いと判断できた。

 酸素不足と吐き気でふらつく足をなんとか言うことを聞かせながら立ち上がると、レールガンを撃ち放った方向、黒く焦がし尽くされ大穴を開けた一画へ歩み寄った。

 壁と一面の窓ガラスをぶち抜いてできた大穴からビル風が吹きすさび、美月の痛みきったポニーテールを大きく揺らす。

 視線を落とせば、人のものによる黒い影を見つけた。床に焦げ付いた影の周辺にDAEと思しき複合装甲の破片やパーツがわずかに散らばっている。

 この世に一片の痕跡も残さず跡形もなく、文字通り消し炭にした。

「また派手にやったな」

 フロアに現れた夕夜の声だった。疲労の色を隠せず、手すりにかけている手には体重がかけられている。二人はお互いに歩み寄り、そしてその場にへたりこんだ。

 寄せ合う肩の夕夜の肘から先が無くなっていることに気づいた。

「先輩、腕が……」

「あ? これか。やっちまった。気にするな」

 あぁ、でもと夕夜が続ける。

「煙草が吸いにくい」

 そう言って夕夜はサイドスカートの多目的収納スペースからショートホープとジッポを取り出す。ソフトケースの底を叩いて器用に一本だけを咥えると、ライターを美月へ寄越した。

「火ぃ頼む」

 美月は渡されたジッポの蓋を開ける。シャキンと小気味良い音。フリントを擦って火を起こす。

 灯った火が消えないよう空いた手でかざしながら、夕夜へと差し出す。夕夜も加えたショートホープを火に当てる。じりり、と小さく点火する音が聞こえたような気がした途端、いがらっぽい香りが辺りに立ち込めた。

「常々思ってたんですが、煙草って美味しいんですか」

 ライターを夕夜へ返しながら、思い切って訊いてみた。非喫煙者にとって最もどうでもよく、最も不可思議な謎をだ。

「常々煙草吸ってる時に思ってるんだがよ」

 水分補給もしていないからか、ガラついた声だった。

「日本人とか何人とか、そういうの関係無しに人類はさっさと滅んで地球はコーギーとマンチカンの惑星になればいいんだ。そうしたら俺は……ああっくそ、片手じゃ煙草吸いにくいな……尻尾が無い代わりに尻を振りながら人類の愚かな歴史を嘲笑って面白おかしく暮らすんだ」

 言っていることがあまり理解できなかった。愚痴なのだろうか、と美月は子犬のように首をかしげる。

「要するに、吸わなきゃやってられん」

 答えになっていない答えを、夕夜は紫煙とともに疲労の滲んだ声で言う。

『おーい、美月ぃ、夕夜ぁ、生きてるかー』

 システムが通信の受信を通知する。ノイズ混じりのキリカの声が直接耳朶を叩いた。

 ニッタミ本社ビル全体に及んでいたの電波暗室は解除されたようだ。

『〈サーベラス3〉、〈サーベラス4〉 、状況を報告しろ』

 村木の声も重なる。夕夜は短くなったショートホープを無遠慮に床の絨毯に押し付けた後に応答する。

「こちら〈サーベラス3〉、十五階とB棟二十階バーラウンジにて敵部隊とエンゲージ。その内二人は〈ティーガーシュベルト〉と〈エアバスター〉を装備してました。例のキルジナ人二人です。敵部隊は殲滅できました。〈ティーガーシュベルト〉は原型を保っていますが、〈エアバスター〉は……」

「消し炭にしてやりましたよ……」

途中で美月が口を挟んだ。吐き捨てるような語気だった。

『まーじか! 美月お前やりすぎだ、バカ! それアタシが使う予定だったのに!』

「……無茶言わないでください」

『まぁ、お前さん方が無事なようで良かったよ』

『状況は把握した。損害はどうだ?』

「〈サーベラス3〉、ヴァイブロブレードは破損。残った武装はファイアボールのみ。おまけに左腕もふっ飛ばしまして。敵のものぶんどって間に合わせますが、もう帰ってクソして寝たいっす」

 ほとんど文句か愚痴でしかない。『やかましい。サーベラス4、お前はどうだ』と村木。

「火器類の残弾はゼロです。レールガンも撃ってしまって、〈シンデレラアンバー〉のバッテリーも心許がありません。今はサブバッテリーで稼働しています。エクステンドモードも起動したので気分が優れません」

『……満身創痍だな』

 村木の渋い声が耳朶を叩く。

『おそらく、この状況ともなれば我来も逃げ出すだろう』

「その前に、我来をとっちめてきますよ」

 言って夕夜は美月に目配せする。それに美月も力強く頷いた。二人とも言われた通り満身創痍ではあったが、その目は死んではいない。

 おそらく『懇親会』とやら高みの見物を決め込んだ我来とそのVIPどもも、切り札であったキルジナ人傭兵二人が倒されたことで、ようやく自分達に見の危険が及びかねんと慌てていることだろう。ビルの高層階という一見すれば逃げ場はもう無いと思えるが、我来のような輩が緊急時の脱出手段を用意しないわけが無いと考えられる。

『アタシたちも雑魚どもを始末しながらそっちに向かってる』

『いいか、絶対に無理はするなよ』

 二人からの通信に「了解」と受け答えると、美月と夕夜は立ち上がり、次のフロアへと続く階段への道を見据えた。

 体の節々が悲鳴を上げる。全身の筋肉には違和感を感じる。向こう三、四日は立ち上がれない程のダメージと疲労を負ってはいたが、それでもまだ彼女達は前に進む。それは決して身に纏うDAEの人工筋肉に突き動かされているのでは無く、自らを突き動かすものがまだ潰えていないということだ。


 レールガンによる咆哮はラウンジにも届いていた。ビル全体を揺らす轟音と振動にホロスクリーンがノイズまみれになる。しばらくの後に映像は明瞭なものに戻ったが、そこに映し出されていたのは敵を打ち倒し立ち上がった美月と夕夜の姿だった。今にも膝を着きそうなボロボロな姿だったが、ラウンジで愉悦に浸っていた者達を恐怖に陥れるには十分の迫力だった。

 そしてラウンジは阿鼻叫喚と化した。

「話が違うだろうが!」「ここは安全だったはずなのでは!」「使えないな、あのキルジナ人は! これだからあの発展途上国のクソどもは!」「攻め込まれているんだろう!?」「どう責任を取るつもりだ!」「おい、我来はどこへ行った!」「脱出ルートは確保されているんだろう!」「脱出はもちろん私を優先させるんだろうな! 私は『勉強会』だぞ!」「だったら、俺なんか皇族の血を引いてるぞ!」「血筋がなんだ! 金ならある!」「私の身になにかあれば、先生方が黙っていないぞ!」

 その様子はまるで躾のなってない犬がドッグランに集まってきた時みたいだな、と天井から単分子ワイヤーを張り巡らせて蜘蛛のようにぶら下がっている存在が見下ろしていた。

 白拍子である。

 逆さまになった視界を巡らせて、ある人物を探す。いた。元厚生労働大臣、二階堂康稔。先程まで優越感の絶頂にいた男は、今では無様に只々助けを乞いている。白拍子は天井に蜘蛛の巣のように張り巡らせた単分子ワイヤーの壁を蹴ると、二階堂の目の前に降り立った。

「地獄からの使者、白拍子! 参上!!」

 突如、現れた能面姿の男に場が静まり返る。誰もがその変質者を戸惑いに遠巻きに見る。

「お前が救援か! この状況、どう責任とってくれるんだ!」

 その中の一人、傲慢さが服を着て歩いているような男が白拍子に詰め寄った。

「えっと、もしかして俺のこと救助か何かと勘違いしてなさる? え〜……どんだけ寝ぼけてんだよ」

 呆れつつ、白拍子は腕を振るう。ひゅん、と風を切る音がすると男が輪切りにされ崩れ落ちた。

「そうではないんだよう! 魔女の剣でコトコト煮込んだ轢かれた猫の脳髄を巡る! つまりは神風の正面に降る正午ってことがさぁ!!」

 苛立ちを露わにしながら白拍子は支離滅裂な単語を捲し立てると、地団駄を踏んだ。

 白拍子の両手の五指から伸びる単分子ワイヤーが伸び、そして振るわれると、死を撒き散らす暴風と化した。人一人が次々と血と骨と肉に寸断されていく。悲鳴を上げる間も許されない殺戮が、決して自分の身には危険が及ばないと踏んでいた者達の命を刈り取って行く。何代も続く政治家一族も、皇族の血を引く者も、医者も、経営者も、芸能人も、平等に肉片と化していく。皆一様に血は赤い色をしていた。その赤の暴風雨がラウンジの壁を、天井を、床を汚していく。ホロスクリーンも赤で彩られていった。

 鉄の香りが辺りに充満する。白拍子はひとしきり単分子ワイヤーを振り回し終わると、身をかがめて自分の足元に転がる男に声をかけた。

「元厚生労働大臣にしてナノマシンの不具合を把握していたにも関わらず治験を強行した二階堂さん、おいっす!」

 男は二階堂康稔だった。両手両足を切断されおり、大量の出血に息も絶え絶えであった。

「お、お前は……まさか……」

「声が小さいなあ! もう一丁! おいっす!!」

 だが帰ってくるのは二階堂の吐血混じりの咳だけであった。

「どもども、柊修二です。お世話になってます。あぁそうだ、言い忘れた。ここの責任者たる我来臓一なら先に帰ったってさ。まぁそんなことはどうだっていいじゃん。さてさて二階堂さん、何が目的で我来の懇親会に出てたのかなー? まぁあらかた推測は出来るんだけどさ、ほら、ここは当事者の口で直接説明してもらったほうが、真心? とかそういうの籠もってそうじゃん? 日本人そういうの好きっしょ。真心とかいう意味不明な代物が」

 言いながら、白拍子はポケットからミクスを取り出すとカメラのレンズを二階堂へ向ける。

「うん、いいよー、その表情。もっと苦しんだ顔……目線も頂戴! いいよいいよ〜、いい顔してるよ〜。最っ高っ! もうこれバズりまくるでしょ! えんじょい炎上ー、うぃーらぶ炎上」

 カメラで撮影したことを示す、ぴろん、という効果音が鳴る。

「田淵信次郎の『勉強会』への加入。次の衆院選に我来を当選させ入閣へ推すその代価として、新型DAEとナノマシンによるニッタミの新事業立ち上げに一枚噛む、というのがおたくの目的でしょう。どう? 間違ってる」

 白拍子が推測を並べ立て、その正否を問う。二階堂は苦悶と脂汗を浮かべながら睨みつけるだけであったが、白拍子はそれを肯定と見た。

「でもざーんねーん。結果はほら、この通り」

 白拍子の周囲で再び風を切る音が巻き起こり始める。

「き、貴様……こんなことをして……」

「こんなことしてどうなるかだって? 知らないよ! わかんないからやるんだよう! ここにいた連中、結構なアレでしょ? みんな偉いんだっけ。ぶいぶい言わせてる会社のトップとか、CMに出ずっぱりの女優とか、皇族の血とか旧華族の血を引いてるからってイキってる能無しとか、そんで現役の政治家も! そんな連中がまとめてオイラに殺されたってなると、これもうどうなるかわかんないよねえ!! 楽しみだなぁ! これから世界がどう転がっていくのか! こいつは見ものだよ! たまんねえなぁ! さあ、逝ってみよう! 殺ってみよう!!」

 かたかたと能面を揺らしながら大きく身体をくねらせていた次には、すん、と急に静かに柳のように佇む。

「ところでさぁ二階堂ちゃん、今の世の中ってさぁ……不平等だよね。飢える子供のために母親が盗みをやったらブタ箱にぶち込まれて人非人扱いされる一方で、偉い老人がフレンチに遅れるってんでアクセルベタ踏みで子供轢き殺してもお裁きは受けること無いんだもん。『俺』、なんかそういうのやだなー」

 言葉遣いはいつもの調子だが、その語気は深く静かなものだった。

「じゃあ平等って何なんだ、平等をもたらすものって何なんだって白拍子さん本気出して考えてみたら、いつでも同じ答えにたどり着いたんだ。なんだと思う? カオスさ。混沌こそが平等をもたらす。老いも若きも男も女も富める者も貧する者も日本国籍を持った一等市民とそうでない二等市民も。この醜く静謐な国にちょいとそれを投げ込んでみたら、皆平等に、まっさらになる」

 その変貌ぶりに二階堂はおののく。

「この行き詰まった世界にはカオスこそが希望であり誅罰だ。別に『俺』は世直しなんかするつもりなんて微塵もないさ。ただカオスをぶち込まれた時に今の日本人がどんな無様さを晒すのかを見てみたいだけだよ」

 そして急に芝居がかったように大きく手を広げ身振り手振りをしながら身を大きく反らせわめき始めた。

 興奮して声を大にしながら、白拍子は股間を押さえて身悶えする。

「緑黄色は果たして榊の葉か? それはきっと螺旋アダムスキー脊髄受信体の歪みだよ! 後ろの正面は誰なのかなー!!」

 からからと能面が揺れる。

「さあ今宵、この夜こそが混沌の始まりだ」

 白拍子が静かに腕を振り上げる。ひゅん、と風を切る音と共に二階堂康稔としての意識は血しぶきとともに霧散した。

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