Chapter 2 Ignite ③

 東京都江東区豊洲。

 七月。

 この年は近年稀に見る酷暑となっていた。毎年一定以上現れる熱中症による死傷者数は例年以上の数字を叩き出した。無計画な都市計画を原因としたヒートアイランド現象による高温注意情報は七月も半ばなると当たり前のこととなった。

 今日はそのような日であった。屋外に出れば何もしていないのに、首筋を汗の粒が流れていく。

 影山美月は有楽町線豊洲駅から地下道と日傘を駆使しながらシマダ武装警備の本社ビルへ向かっていた。

 株式会社シマダ武装警備社屋は臨海副都心部、東京湾に面し隅田川とそこから分かたれたいくつかの運河が巡る水彩都市(ウォーターフロント)と称される場所に位置していた。

 過去、お台場を中心に政府が杜撰に計画していた外国人観光客誘致のためのカジノ誘致プロジェクトは、東京オリンピックテロを機に頓挫した様々な事業の内の一つとなった。そうして価値の下落した臨海地域の土地を様々な新興の戦闘プロパイダが買い取った。シマダもその内の一つである。安く有り余った広い埋立地はコンバットコントラクターたちの装備や車両などの物資の保管や彼らの訓練場として最適とされ、ここ最近になってようやく土地価格の下落に歯止めがかかり始めている。

 美月はシマダの社屋に入る。無人のエントランスで虹彩、手のひらの静脈、そしてBP(バイタルパーソナリティ)と呼ばれるその他の身体の静的特徴を統合した生体情報によるバイオメトリクス認証をパスすると、『ACCEPT』とホログラフ表示されたエレベーターの扉が開かれる。美月はそれに乗り、四階のボタンを押した。

 シマダ武装警備の社屋は七階建てとなっている。実働部が最も敷居面積を有しており、その中でも四階と五階を美月が所属している機動強襲課が使用していた。

 その中の二係〈サーベラスチーム〉が有する区画に美月のスペースがあった。パーティションで区切られたスペースに鞄を置いて端末を起動する。立ち上がった端末が美月の持つミクスと同期を開始し、溜まったメールやチャットツールなどの情報ウィンドウが網膜投影され美月の視界上に表示され始める。

 機動強襲課の面々のスケジュールが表示される。この後に全体ブリーフィングが控えているのを確認できた。

「みんなどこに行ったんだろう」

 美月が所属する機動強襲課二係の面々のステータスは離席となっている。「みんな、あそこにいるんだろうな」と美月は席を立った。

 シマダ武装警備の社屋は四階から台形となっておりバルコニーが設えられている。シマダ武装警備創立当初はここで何かしらの催し物をやろうと考えていたそうだが、今ではすっかり重篤ニコチン中毒者の喫煙者どもに占拠されている。

「おつかれさまです」と美月が廊下からバルコニーに繋がる扉を開いて出ると、ぎょっと表情をひきつらせた。

「ぅおーい、美月ぃー学校終わったかー」

 比較的大きめのビニールプールに、長身の女二人が冷たい水に身を浸して涼を取っていた。

「会社で何やってるんですか二人とも……」

「いや、こう暑くちゃ仕事にならないじゃんさー」

 側頭部からうなじにかけてツーブロックにして刈り上げた箇所がちらちら見える茶髪のショートカットの女が、ビニールプールに浸かりながら煙草を持った手を上げて応える。

 機動強襲課一係〈フェンリルチーム〉所属、楔キリカがプールから腰を挙げると際どい水着姿が露わになった。胸から鼠径部にかけて布地が二分割され、ボトムがハイレグ状となっている。そのような際どい水着にキリカの公称Eカップという出ているところは出て、シックスパックの引き締めるべき箇所を引き締めた身体に美月は思わず視線を逸らす。

「あれ、美月ちゃんじゃん。暑くない? 一緒に入る? 余ってる水着あるよ」

 キリカの隣で一緒に涼んでいる、長い黒髪を後ろでまとめた女が笑顔で手を振る。

 同じく〈フェンリルチーム〉に所属する林葵がうつ伏せでプールに浸かりながら手をひらひらと振る。水の中に沈めているキリカ以上の肢体をなぜか競泳水着に包んでいた。身体を締め付けて水の抵抗を減らす作りをしている競泳水着すらも押し上げるほどに、そのバストは自己主張をしている。美月からすれば、その水着のチョイスは謎としか思えなかった。

「いや、結構ですよ。というより、職場でそんな格好して何考えてるんですか。他に男の人に見られたらどうするつもりなんです」

 あと二人の水着のサイズでは自分には合わないというのもある。美月自身、それなりのスタイルであり自覚もしていたが、目の前に抜群のプロポーションの持ち主が二人もいれば立つ瀬が無い。

 そう言って辺りを見渡せば、灰皿スタンドを寄せてベンチで煙草を燻らせている詰め襟の学生服姿の少年がいてぎょっとした。

 足を組み、右手には火のついたショートホープ、もう片方の手には今の日本では珍しくなってしまった紙の本を持っている。その文庫サイズの本はしっかりとした作りの革でカバーされていた。

 真崎夕夜(まさきゆうや)。

 美月と同じ二係〈サーベラスチーム〉所属の美月の一つ上の学徒社員である。見ての通り、未成年の学生の身分であるにも拘らず紫煙を吹かして何ら悪びれる様子も無い。成人であるキリカと葵も夕夜を注意する素振りすら無かった。

 夕夜は美月達をちらと見ると、「俺にお構いなく」とでも言うように再び視線を紙の本の中に落とす。

 女である美月も羨む程に小顔で、その小さな顔に乗っているパーツも整っている。よく通った鼻筋の横にある切れ長の涼やかな印象を与えるその双眸は、目の前の水着の女性二人ではなく文庫の中の文字を追っている。

「あの……」

 美月は夕夜の方へ視線を送りながら、キリカ達に問う。

「あいつは無害だから」とキリカ。

「夕夜くん、彼女持ちだしねー」

 そういうものだろうか、と美月はもう一度夕夜に視線を向ける。

 彼女達のやり取りを全く意に介さず、夕夜は大きく伸びをしていた。まるで気ままな猫のようだと思えた。

 バルコニーの扉が開かれ、もう一人の男が姿を現したのはその時だった。着崩したジャケットに明るい色に染めた派手な髪を立ち上げている伊達男。

「おっとぉ? なんか涼しそうなかっこじゃん」

 辛島宏樹。同じく機動強襲課二係〈サーベラスチーム〉に所属しており、美月と夕夜の先輩格にあたる。

「有害なのはこういう男を言うんだ」キリカが顎で辛島を指す。

「気をつけなよ美月ちゃん。大丈夫? セクハラとかされてない?」

「え、いきなり何これ? 職場でのいじめ? ってかセクハラなんかしてねえだろうがっ。あとなんでお前らプールなんて入ってんだよ」

 キリカと葵が茶化す。確かに遊んでいそうな見てくれだが、実際のところは世話好きの好漢だった。事実、美月や夕夜にとっては兄貴分といった具合であり、入社当初のOJTにおいても辛島には随分世話になった。

「美月ぃー、この男に変なこと言われたりしなかったかー?」

「いやいやいや待てって。そんなことしてないって! そうでしょう、美月ちゃん?」

「下の名前で呼ぶあたりも怪しい」

 二人のやり取りはまるで漫才のようで、美月はくすくすと喉を鳴らす。

「さあ? どうでしょう」

 ついつい美月も冗談で返してみたくなった。

「もうそれくらいにしてくれよう。ってか今のこの有様、田淵のハゲに見つかったら、またうるさいことになるぞ。さっき見かけたんだ」

「その通りだ」

 高く掠れた耳障りな声。噂をすれば影だった。辛島が振り返れば、そこには見たくなかった顔があった。

「貴様ら一体何をやっている」

 スーツ姿の男が辛島の背後に立っていた。田淵信次郎。あまり鍛えられているとは言えない体躯に決して着こなしているとは言えない見るからに高そうなストライプの目立つスーツ。身長の高い辛島が目線を下げると、ちょうど青白い禿頭が見えた。

 執行役員の一人であり、マーケティングの最高責任者を務めているという。傭兵業にマーケティングも何も無いのだが、どういうわけかシマダ武装警備の執行役員の椅子に座っている。

 戦闘プロパイダは基本的に局地的なB toB 産業だ。当たり前のことだが暗殺任務(ウェットタスクサービス)がパッケージングされてコンビニやスーパーの棚に並び、世の奥様方の手に取られることは無い。傭兵はバズる必要も無ければ、WEBサイト内で邪魔になるような広告バナーも貼られることは無い。

 コンバットコントラクター達は皆、独自のネットワークを構成しているため転職するにしても従来の職探しサービスを利用することもない。以前は大手広告企業がこの分野に参入を試みたものの、すぐにすごすごと撤退することになった。

 故に、旧来の日本国内における最大の産業であった広告代理店、問屋やIT業界におけるSESのような中抜きピンハネ産業が食い込む余地などどこにもなかった。

 だがそれでも未だに諦めの悪い者達はいる。田淵はその中の一人だった。

 そのためか、実働部の者からはあまり評価は芳しくない。一応、ブリーフィングには参加しているが武装や戦術などの知識は明らかに欠如しており、現場のやり方を全く考慮していない頓珍漢な提言をしては現場要員達に呆れられる。一方で田淵も自分の提言が考慮されずに切り捨てられるようなことが続けば、現場要員に対して不快感を露わにするようになった。

 元々この男は親会社である島田機械にやり手のマーケターとして入り込んだらしい。自身が主催するサロンは『田淵塾』などと呼ばれており、多くの受講生が参加している。あるいは搾取されているとも言うべきか。

 だが傭兵にはそんなものは無用の長物でしかなかった。

「絶賛職務放棄中だ」

 プールに浸かったままキリカはアメリカンスピリットに火をつける。葵もマルボロを咥えながらプールの傍に置いていた携帯灰皿を手元に寄せた。

 その二人に田淵の青白い頭に青筋が浮かぶ。「おまえら……」と口を開いた直後にキリカが強い口調で遮った。

「アタシらは現場で銃握るのが仕事なんだがね。広告屋の小言聞くのはギャラの中に入ってねえよ」

「楔、いい加減にしてくれ。あと田淵さん、あんたの仕事は俺達に構うことじゃないでしょう? ここは俺に任せてくれ。なぁに、態度は悪いが時間くらいは守れるさ。傭兵はな」

 辛島が割って入って田淵を宥め、言葉を続けた。

「さてお前ら、ちょいと急ぎの任務が入った。というかそのことを伝えに来たんだがな。十五分後にブリーフィングルームに集合だ」

 辛島が言うのと同時に、その場にいた者達全員の視界上にミクスによるアラーム表示が投影された。スケジュール更新を通知するものだ。やれやれといった具合でキリカと葵がプールから出てベンチに置いてあったバスタオルを手に取る。夕夜も目を落としていた文庫本をぱたりと閉じた。

「場所はどこですか?」立ち上がりながら夕夜が辛島に問う。

「第三会議室だ。自分の端末も持っていきな」

「了解っす」

 そうして辛島はその場を後にする。去り際に田淵に向かって「えへへ、どうもーお騒がせしましたー」と苦笑しながら会釈する。田淵にとってはそれはどうにも嫌味にしか見えなかった。

 田淵は忌々しげに辛島の背中を見送る。不意に田淵は前から強く押された。すれ違いざまに夕夜が田淵を押しのけたのだ。

「なっ……このっ」

 驚きの後に苛立ちを露わにする田淵。だがそれすらも押しのける「邪魔だどけ」と言わんばかりの夕夜の鋭い眼光が田淵に突き刺さる。思わずたじろいだ。

 学生服にこびり付いた煙草の残り香に田淵は顔をしかめる。

 これだから、煙草吸うような連中は碌でもない連中ばかりだ。そんなものを愛用している傭兵などという連中も。田淵は胸の内で唾棄した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る