Chapter 1 conflagrate ⑥

 東京都江東区豊洲。

 シマダ武装警備の本社ビルの一室。

 屈強な体躯をスーツに窮屈そうに収めている男と羽田がミーティングをしていた。その横には腕組みをして唇を真一文字にしている久槻も同席していた。

「彼女の研修の具合はどうだい?」と羽田が尋ねる。

 男は美月の教官だった。男は彼女の研修の成績を羽田に説明していく。デスクとモニターは美月の成績が表示されていた。

 母が祖父母の元へ身を寄せると同時に、美月も家を出て以前務めていたWebニュースメディアを退職。株式会社シマダ武装警備に学徒社員として籍を置いていた。

 美月の父から彼女の身の安全を頼まれていた久槻は、美月の学徒社員としての雇用を当初は歓迎していた。美月とその母親の身柄を自分達の近くに置くだけでも、彼女達に危険が及ぶ可能性は格段に低下する。バックにシマダ武装警備がついているとなれば、安々と手を出してくる輩はいなくなる。

 だがすぐに自分のおめでたさに呆れることになる。美月を一般職で雇用すると思い込んでいたのだ。だが、彼の前に姿を現した美月はVSSヴィントレス・スナイパーライフルを掲げ、物々しい装備に身を包んでいた。

 コンバットコントラクター。企業所属の戦闘要員としての雇用だったのだ。すぐに久槻は羽田へ厳しく問い質した。

「どういうことだ、司!」

「いやぁ、僕も最初は一般職での雇用手続きを取っていたんだよ。でも彼女自身が戦闘要員になることを望んだんだ。そのための適性試験もパスしたんだし、僕らでどうこうするわけにもいかないよ」

「彼女の父親がどのような状況にあったのかも、あの子に説明したのか!」

「影山総悟には残された家族のことを頼まれたんでしょ? だったら報告する義務があるんじゃないの」

「彼女に危険が及んだらどうするつもりだ!」

「遅かれ早かれ、ニッタミは残された彼女とその母親に手を出すのはわかりきってることじゃないか。どうして自分達に危害が及ぶ可能性があるのか、ということを把握させることだけでも十分に危機意識を持たせることができる」

 羽田の言うことはもっともだ。だが自分達の身に危険が及ぶ原因を理解させたということは、つまるところ我来というまがいなりにも国家の運営者の一端がナノマシンという禁忌に手を出しているという、国家ぐるみのスキャンダルを一般人が知るところとなるのだ。

 謀殺という真相を知り、そして羽田には戦う力を授けられるというのであれば、おそらく美月は迷うことなく傭兵という戦う道を選んだのだろう。

 だがコンバットコントラクターとして活動するには入社前の適性試験だけではなく、研修を切り抜けなければならない。美月には悪いが、久槻は彼女がこの研修をパスできないことを願っていた。

 しかしながら、久槻の懸念をよそに、美月の研修の進捗は順調と言えるものだった。教官の良い報告に久槻は渋い顔になるしかなかった。

「フィジカル面においては、まぁ年相応といった感じでしょう」

「となれば、トレーニングすれば解決できる問題だね」

 教官の報告には羽田が受け答えしていった。

「ええ。彼女の学習態度も真面目なものですのでこちらは特に気にすることはありません。懸念事項は白兵戦、近接格闘でしょうか」

「苦手なのかい?」

「苦手というよりも、かなり突っ込みがちなんですね。恐れを知らないというよりも、ブレーキが壊れているって言ったほうがいい」

 ふむ、と羽田は一つ息をつく。

「是正させてくれ。早々にくたばってもらっちゃ周りも僕たちも困る」

 それに応えて、教官は言葉を続けていく。

「良い点はといえば、メンタル面が挙げられますね。こういう年頃の子供、特に女子は繊細だとは思っていたのですが、なかなかどうしてタフなもんですよ。それと我々が目を見張ったのは狙撃ですね」

 ほう、と羽田が視線を上げた。

「狙撃はどういった具合なんだい?」

「まず目が良い。視力そのものも動体視力もかなりのものです。それと検査したところ、マスターアイが両目でしたよ。弾道計算もすぐにモノにしたどころか、これがおどろく程に速い。環境を読み取る観察力もありますし、メンタルのタフさも相まって、これはもう天賦の才ってやつですよ」

 狙撃というものは、単に遠距離から標的を狙い撃つだけが仕事ではない。通常、観測手(スポッター)と同行して行動することが多いが、たった一人で敵勢力下に潜り込まなければならない状況もある。それも何十時間、何日もの長時間。たった一発の銃弾が自分の、組織の、あるいは国家の命運をも左右しかねない。そのような強烈すぎるプレッシャーの中で冷静にトリガーを引く精神力もまたスナイパーとして必要な素養だ。

「ちょうど、スナイパーはほしいと思ってたんだ。そのまま彼女を鍛えてやってくれ」

 そして、と羽田が言葉を続ける。

「座学の方はどうだい?」

「元々学業の成績も優秀でしたし、学習方法というものを既に心得ているようですね。乾いたスポンジってやつですよ。英語の方も戦闘時のコミュニケーションなら、もう問題ないです。第二外国語はいかが致しましょう?」

「スペイン語かフランス語、それか中国語かなぁ。今のところはこの内のどれか一つで考えていく。追って連絡するよ」

 承知しました、と教官が承諾する。

「では十日後、最終試験を行わせよう。今日はありがとうね。くれぐれも彼女のことよろしくね。さて、僕達は彼女の〝エサ〟を用意してあげなくちゃ」

 席を立つ羽田。その背中を久槻はじっとねめつけていた。


 その一ヶ月後の富士山麓。樹海にほど近い自衛隊演習場に美月はあまりに似合わない迷彩服に身を包んで待機していた。

 研修の最終試験である。これをクリアすれすば美月は晴れて、シマダ武装警備の正式なコンバットコントラクターとなれる。

 美月は羽田に改めて研修試験のルールを説明される。ルールは簡単だった。制限時間七十二時間以内に森林に入った三人のターゲットを仕留めること。

 最後の試験。それは人殺しを実際に行ってもらうというものだった。訓練ではない。実際に人の命を奪うという行為に耐えられるかを見るものだった。

 ターゲットは元死刑囚三人。法務省からその人身を安く買い取ったものだ。

 死刑囚の刑務執行には法務大臣による判子が必要だ。だが誰も彼もがその判子を押すことを渋るのが常だった。自分は人を殺したくない。死を下したという事実を負いたくないという逃避だ。そうやって徒に死刑囚を生き延びらせて無駄飯を食らわせてきた。十年以上独房の中で過ごしてきた死刑囚などざらである。

 結局のところ、政治家など自分たちが背負っている国家の運営とそこに住む国民の生活という責任よりも、自身の既得権益と身勝手な保身しか頭にないという証左でしかなかった。

 だがこのような死刑囚が無駄に生きさばらえるような状況は、戦闘産業が勃興してから話が変わった。傭兵達は訓練での生きたターゲットや、実戦でのデコイに用いるため、死刑囚の人身売買が公然の秘密として行われていた。

 企業はかなり足元を見た値段をふっかけてきたが、法務省はそれを二つ返事で承諾した。法務省及び法務大臣からすれば扱いにほとほと困っていた死刑囚の始末を肩代わりしてくれる者がいるのだ。二束三文な死刑囚の買取価格など役人達からすれば問題にもならなかった。

 一方の死刑囚側も黙ってターゲット扱いされて殺されるつもりもなかった。今回の場合はそれなりの装備を渡されて三日間生き延びるか、追手である美月を倒せば釈放されると説明を受けていた。

 つまるところ、実戦である。実戦の中で行う殺人の研修である。

 美月は一日半分の食料と水、VSSヴィントレス・スナイパーライフルと自分で見立てた装備を整えて出発した。彼女が樹海の中に入っていく。その背中を玖月と羽田が見送った。玖槻はやりきれない表情を浮かべていた。

「俺は彼女の父親から家族を頼むと言われていた。だが、それはこんなことじゃない」

 久槻が零す。

「まーだそんなこと言ってるの? 彼女の父親に頼まれたからと言っても、ずっと彼女を保護する余裕も義理も僕たちには無いよ。だったら自分の身を自分で守る術を身に着けてもらったほうが、僕たちにとっても彼女自身にとっても都合が良い。それに一家の大黒柱を失ったんだ。彼女と彼女の母親が食い詰めるのも時間の問題でしょう。だったらウチで働いてもらったほうがいいじゃないか。彼女の父親との約束もこれで果たせる」

「これで三人目だぞ! 『雪村朝海』、『真崎夕夜』、そして彼女だ。どうしてこの日本で、子供が生きるために銃を手にしなくちゃならないんだ! まだ子供だぞ……! それなのに……どうして」

「それはね、響也」

 羽田は大きくため息をつく。少し呆れたように、何度も同じことを言わせるなといったように。そして、

「この国が限界まで狂っているからだ」

 突き放すように言ってのけた。

「この国の運営者が彼女の父親に害を為した。不正を正そうとした、ただそれだけの理由で。そのことに、この国に住まう人々は誰も異を唱えない。『国の意向に逆らうとは何事だ恥を知れ』と感情でしか物を言わない。そうしてまだ二十にも満たない少女をみんなでよってたかって責め抜いている」

 だからね、と羽田は言葉を続ける。

「この国家の運営者たちが、この美しい国に住まう美しい日本人達が、僕達大人が、みんながみんなで寄ってたかったて彼女を鬼か人食い狼に仕立て上げたんだ。彼女はもう多くを殺すまで止まらない。殺されるまで止まらない。それこそ神か仏すらも殺しかねないまでに、それほどに彼女たちの殺意は強固なものだ」

 響也、と羽田は久槻を下の名前で呼ぶ。

「彼女たちには生き残って欲しいのだろう? ならば僕たちにできることは彼女たちの殺意を、その力を研ぎ澄まさせることだけだ。どんな困難にも対処できる力を授けるだけだ」

 そうして羽田は久槻のスーツの襟を引っ掴み、鼻息がかかるほどに顔を近づけ、久槻の瞳を射抜き、その底を見通すように羽田は鋭い視線を突き刺した。

「目を背けるな久槻響也……! 彼女達がこの国に住まう多くの神様だか仏様を気取ってる連中を鏖殺するまで……! 僕達は彼女達を支え続けるだけだ。それくらいのことしかできないんだよ。もうこの国の未来には明日なんか存在しない。僕たち愚かな大人たちが種籾を全て食いつぶしたのだから。だから、僕たちが彼女たちにしてあげられることはそれぐらいのことだけなんだよ」

 羽田は掴んでいた久槻のスーツをそっと離す。

「僕達は、彼女のような子供たちにもう奪うことしか教えてあげられないんだよ」

 そう静かに零した羽田の声音は嘘偽りの無い慈悲と憐憫に満ちたものだった。

「だけどね。歴史を鑑みれば、どこの世界でもいつの時代でも当代の神の如き存在を殺すことで次代へと移り変わっていった。この世界が腐っているなら、彼女たちが天上を穿ち、神を殺すことを期待しようじゃないか」

 激しく並べ立てられた羽田の言葉に、久槻は何も言い返すことはできなかった。

「それじゃ僕は一旦、事務所に戻るよ。やることがあるからね。彼女が任務を終えるまで五十時間後とちょっとかな。響也はどうする?」

「俺はここに残る」

 どかっとキャンプのテント内の椅子に座る久槻。腕組みをして居座る気の彼に「またそれかい?」と羽田が苦笑いを浮かべる。

 美月の先輩にあたる学徒社員、真崎夕夜という少年の時もそうだった。久槻は彼女が任務を終えて帰還するまで、食事を断ってその場にずっと待機するつもりだった。せめて彼女と同じ苦痛を味わう。だがそんなことは美月に対する贖罪にもならないし応援にもならない。自己満足な苦行だった。彼自身もわかっていた。でもそうせずにはいられなかった。意味がないことだとわかっていても。

 五十時間後、美月はターゲット三人のドッグタグを手に戻ってきた。

 拠点に戻り、久槻たちの前に美月が姿を現す。

 腐泥と汚物にまみれながらも、傷は一つも負っていない彼女の姿がそこにはあった。

 久槻は美月の元へ駆け寄り、両肩を掴む。「無事だったか」と掴む。それに応えるように、美月は三つのドッグタグを久槻の顔の前へ突き出した。

「確認してください」

 銃声にも似た乾いた音。戻ってきていた羽田が満願の敬意と祝福を込めて力強く拍手をしていた。

「おめでとう、影山美月さん。これで晴れて君はシマダ武装警備の正式なコンバットコントラクターだ。今日から君は傭兵として生きることになる」

 久槻の背後から歩み寄ってきた羽田がドッグタグを受け取る。タグに刻まれた内容を確認すると、羽田はにんまりと相変わらずの悪魔のような蠱惑的な、あるいは神仏にも似た慈愛に溢れた笑みを浮かべる。

「本当におめでとう。任務完了だ」

 任務完了。その言葉を聞いても、彼女の緊張感は全く緩むことはなかった。

「ありがとうございます。ですが、私の任務は終わっていません」

 美月はぼとぼとした足取りで待機場であるテントへ向かう。だが今まさにここで緊急事態となり実戦となれば、彼女はすぐさま対応できるだろう臨戦態勢が継続されていることが見て取れた。

 スリングを外したヴィントレスを肩に担ぐ。風が吹いて乾いた泥にまみれた彼女の髪を撫でる。痛みきった髪がはらはらと風に踊らされる。

「彼女は『任務完了』を、一体何のことだと定義しているんだろうね」

 羽田は美月の背中を見送りながら、そう零した。

 彼女の背中はその殺意を収めきれていなかった。

 人の味を覚えた鬼がそこにはいた。

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