Chapter 1 conflagrate ②

 東京都文京区。

 私立藤花女子大付属中等部。

「影山先輩! えっと、そのあの……ずっと好きでした!」

 猛烈なカミングアウトとともに突き出された手紙に影山美月はたじろいだ。これでもう通算三度目くらいになるだろうか。それでもこういったことには慣れない。

 人気の無い校舎裏。年が明けての三学期。もうじき卒業を迎える中学三年生の早春。

 影山美月は強烈な恋心の告白を受けていた。同性から。

 同じ女子から思慕の情を受けることは珍しくも無い話だ。友情と尊敬が綯い交ぜになって恋慕と勘違いしたか、あるいは真に恋愛対象として想われているのか。そのような違いなど、些末なことでしかない。

 だが当の美月はその想いを受け取ってあげることはなかった。

「ごめんなさい。わたしはあなたのことを恋愛対象として見ることはできない」

 相手を馬鹿にすることもなく、かといって下手に慰めようともせず、美月は毅然と相手の目を見て断りの言葉を告げる。

「迷惑でしたよね……。女同士でこんなことって変ですよね……。でももう逢えないって思ったら、私……!」

 いやさすがにそんなことは無いだろうと心中で零す美月。藤花女子は中高一貫校であり、中等部から高等部へ上がるだけだし、校舎も離れていない。会いに行こうとすれば簡単に会いに行ける。

 それでも彼女にとって、美月の卒業と進学は一大事だったのだろう。その想いを汲み取ってあげられるくらいの思慮は美月にもあった。彼女の一途な想いに微笑ましくもなり、それに応えて上げらない自分に苦笑いを浮かべる。

「山城さん、それは全然変じゃないよ。あなたにそう思われて悪い気持ちにはならない。だけど、わたしが同じ女の子をそういう思うことができないだけ」

 山城と呼ばれた少女は、一度しか会ったことない自分の名を覚えていてくれたことに嬉しさを覚えたが、そんな相手に思慕の情が届かなかったこと複雑な表示を浮かべた。

「そういう関係にはなってあげられないけど、わたしはこのまま高等部に上がるだけだし、もう二度と会えないことはないよ。恋人になってあげることはできないけど、先輩として会うことはできるからね、山城さん」


 山城は美月に背を向けとぼとぼと立ち去ろうとするが、途中でいたたまれなくなってきたのか足早にその場を去っていった。美月はそんな彼女の背中を見送る。美月の背後の物陰から二人の女子生徒が顔をひょっこりと現したのはその時だった。

「おつかれ美月ー」

 スポーティに髪をショートカットに整えている大島由紀が呑気そうに言う。

「しかし偉いよねー。わざわざちゃんとお断りいれてあげるなんて。あたしだったらガン無視だよ」けらけらと笑いながら美月の元へ歩み寄る。

 その後ろを緩くウェーブのかかった長い髪の少女がついてくる。

「ちゃんと断るのはいいけど、あんまり期待させるようなことも言っちゃだめだよ、みっちゃん?」

 平田詩乃が嗜めるように言う。

「そうは言うけど、無下に断るのも可愛そうかなって。いい子だとは思うんだけど……」バツが悪そうに美月が零すと、

「そういう中途半端な態度が一番だめ。相手がまた期待しちゃってズブズブになるよ。下手したらストーカーにまでなるんだから」

「半年前なんか、お断りしたら掴みかかられたからなぁ……」

 たまたま野次馬で覗いていた由紀と詩乃がいたから大事にはならなかったものの、その時のことを今でも思い出すとぞっとしない。

「モテ要素てんこ盛りだからねぇ、みっちゃんは」

「いや、私はそんな自覚無いんだけど……」

「美月、あんた高等部進学試験の順位は何位だったっけ?」と由紀。二学期の期末試験は高等部進学後のクラス分けの基準にもなるものだった。

「えっと、学年三位」

「嫌味か!」

「由紀が言わせたんじゃーん!」

「生徒会にも推薦されたことあるしね」

「私はやる気は無かったから断ったけどね……」

 有り体に言えば、美月は優等生と評される存在だった。成績は常に上位、品行方正で教員からの人望も厚い。先程のように同じ女子でも特別な感情を抱く者もいた。しかしその一方で学校という場所は、彼女のように立ち回りの上手な人間の足を引っ張ってやろうという者もいるものである。だが、幸いなことに美月はそういったヒエラルキー階層からは外れたところにポジションを置くことができる程度に立ち回りも上手だった。

 誰にでも裏表無く真摯に接する美月のそのような姿勢が多くの女子に好感を持たれたとも思える。

「あ、そうだ美月、詩乃。ちょっと帰りにどっかファミレスでも寄ってかない? というか、付き合ってほしいことがあるんだけど」

 由紀と誘いに美月と詩乃は顔を見合わせる。そして口を揃えて、

「由紀の奢りなら」

「ゆっきーの奢りならね」

「は?」


 夕方のファミリーレストランは学生たちの根城となるのが常だった。美月たちもその例外ではなく、ポテトを三人で突きながら、ドリンクバーでの籠城を決め込んでいた。

「え〜〜? 笹山くんが『プリズムプリンス』から脱退して、芸能界引退〜〜!?」

 中空に視線を走らせていた由紀が突然素っ頓狂な声を上げた。

「え、嘘!? 私にも共有(シェア)して!」

 詩乃に言われて由紀は中空に二本の指をかざし、詩乃の方へスワイプする。すると彼女も中空に視線を走らせ始めた。

「もう、せっかく友達同士でしゃべってるのに一人で『ミクス』いじってたの?」

 嘆息しながら美月はスカートのポケットから名刺サイズの白いデバイスを取り出しテーブルの上に置いた。

『ミクス』。

 スマートフォンに取って代わられた新たなスマートデバイスである。

 従来のスマートフォンのように液晶タッチパネルによる画面表示と操作方法ではなく、情報を使用者の目の前の中空に〈ミックスドリアリティ〉と呼ばれる〈MR〉(複合現実)として画面を映し出し、設定されたモーションをすることで操作していく。例えば電話をするなら人差し指と中指の二本の指を耳に当てるといった身振りをする。

 〈MR〉による画像や音声といった情報はミクス所有者の体内の塩分を情報伝達物質として伝導し鼓膜、網膜といった神経組織に作用、投影される。

なお、ミクスを使用する際は利用契約時に唾液や毛髪などからBP(バイタルパーソナリティ)と呼ばれる個人生体認証登録することで、ミクスと所有者のデータ連動が紐付けられ可能となる。

複合現実の表示は基本的に投影しているミクス装着者しか見えないが、共有モードにすることで他のミクス所持者と画面を共有することも可能であり、今しがた由紀が行ったのも網膜に投影され中空に見えいてたブラウザをスワイプすることで詩乃とシェアしたのだ。

 他にも例えば地図ナビゲーションアプリを使用すると、眼前の視界の中空に地図とともに情報入力のウィンドウが現れ、ミクスの筐体から目的地を入力すれば案内表示が目の前の視界に同期してポップアップしていく。今日では自分の視界上に地図案内を表示させることが可能だ。

 現実空間と情報伝達のためのホログラフィが融合した光景は二〇四〇年の若者達にとって当たり前のものとなった。道行く人の視界上には常に今日の天気予報だったり、地図ナビゲーションのウィンドウ、さらには目障りな広告が存在するのが既に当たり前のものとなっていた。

 今、美月がテーブルの上に置いた名刺型の筐体はそのコンピューティングとキーボードの役割を担う。このミクスの筐体は主にアメリカ製と韓国製が世界シェアのトップを凌ぎ合い、そして台湾製と中国製、フィンランド製が続いている。日本製もあるにはあったが、そのスマートフォン時代から続く低品質さから既に淘汰され過去形となった。官公庁や行政機関ではそのガラクタ同然の日本製ミクスを意地でも使い続けているが。

 由紀と詩乃の眼前にはブラウザが投影されている。そこでは芸能ニュースが表示されており、一人の人気アイドルが所属グループを抜けて、更には芸能界を引退するという旨の見出しが踊っていた。

「でもなんで笹山くん、急に引退なんて……」

「笹山達也には以前から『ブラックウェブ』の利用の噂があったって聞いたことあるけど。おそらくそれじゃない?」言って、美月はアイスティーに口をつける。

「え、マジで? 美月そういうの詳しいんだ」

「あくまで噂だけどね」

 東京オリンピックテロ以降の政府による国民監視は言うまでも無くインターネットにも及んだ。言うなれば、全てのインターネットを介したサービスを提供する際には、政府による許可を必要とするようになり、また定期的な監査を行うようになった。

 サーバーを所有しサービスを提供するには総務省が認可及び発行した証明書ファイルを格納する必要がある。この証明書ファイルには有効期限が存在し、その更新時に監査が行われる。全てのウェブサイトはその認証ファイルに基づいたHTTPS接続による運用を義務付けられ、検閲対象となった。

 こうして、国家が許可したインターネットは『トゥルーネット』と称されるようになった。

 しかし、こういった正道が儲けられることには同時に裏道も存在することになる。

 通常のHTTPアクセスによるウェブサイトの運用、または認可外の証明書ファイルを使用しているサーバーによる従来のインターネットは『ブラックウェブ』と称され、原則的にアクセス、利用、ウェブサイト閲覧を禁止されている。

 またこのブラックウェブへの容易なアクセスに利用されることを防ぐため、原則的に国外へのサーバーへのアクセスもブロッキングされている。

 グレートファイアウォール『イヅノメ』。

 伊邪那岐が黄泉の国から持ち帰ってきた穢れを祓い清めた女神の名を冠したシステムが、ブラックウェブという穢れとされているものから日本国民を清めていた。誰かの都合によって穢れと見なされたものから、だが。

 ミクスをはじめとしたネットワークに接続する機器は基本的にブラックウェブには接続できないように初期設定されている。ブラックウェブに接続することは法律で禁止されている。

 なお、この技術は中国によって実装されているグレートファイアウォール『金盾』を祖としている。かくして、民主主義国家日本国は国民の統制のために、図らずとも世界最大の一党独裁の共産主義国家と同じ手法を執ることとなった。おそらく、国家の運営者達にその自覚は無い。

「で、今日はアイドルの引退騒動について語り合うんだったっけ?」

 話を打ち切るように、美月は自分の鞄から一枚のプリントを取り出した。

「そうだったそうだった」

 言われて由紀と詩乃も同じプリントを取り出しす。

「進路志望書ねぇ」

 詩乃が取り出したプリントを手にとってその内容を流し読みしてみる。

 ようやく企業間ではペーパーレスが浸透したものの、教育現場では未だに旧態依然とした環境が続いており、無線ネットワークが繋がる繋がらないで教員は慌てふためくような始末であり、提出書類ひとつとっても生徒一人一人にあてがわられている。学校内のアカウントに配布し必要事項を記入させオンラインでアップロードすれば済むようなことを、未だに印刷されたプリントで行っていることからそれをうかがえる。

「とはいっても、ほとんど将来の夢みたいなものだけどね」

「将来の夢って言っても、ちゃんとしたもの書かないと先生の間の評価にも繋がるんでしょ? 自由に書けって言われても書けるわけないじゃん。そんたくだそんたくー」

 ぶー、と由紀が口を尖らせる。

「由紀ちゃん、忖度って漢字書けるの?」

「えーっと、どんなんだっけ?」

 そんな二人を尻目に美月はペンを滑らかに紙の上で滑らせていく。

「わたしはもう書けたけど」

「え? そんたくって漢字が?」

「違うよ。進路」

「マジで? 見せて見せて」

 ん、と美月は由紀へ向けて既に必要事項を記入し終えたプリントを突き出した。

「ジャーナリスト……?」

 横から詩乃もそのプリントを覗き込むと、眉を潜めた。

「美月、こういうのはあんまり……」

「みっちゃん、先生から呼び出しされるよ?」

 中高一貫校において大抵の中学三年生の生徒は内部進学であることは自明であり、今回の進路調査はほとんどの生徒は「自分の将来の夢」を書くことが通例となっている。

 だが、その裏にある目的として生徒たちへの思想統制の面もあった。ジャーナリスト、マスコミ、政治家、作家などの表現者、少しでも国家に叛意を含んでいることが認められれば”指導”を受けることになる。国公立には特にこの傾向が顕著であり、私学においてもこの影響を受けている所も多くあった。そして残念ながらこの藤枝女子も国家の威光とやらに背くことはできずにいた。

 結局のところ、生徒は教員に媚へつらう必要がある。生徒は教員が求める答えを出す必要があった。例えそれが間違いであることがわかっていても。

 そしてこの今日、ジャーナリストを名乗ることは政権、国家に対する叛意の標榜でもある。マスコミは表向きこそ、権力に対する監視者を自称してはいるが、その実、権力を間接的かつ積極的に支持しているだけに過ぎない。やっていることは閉鎖的な記者クラブに撒かれている餌をそのままメディアに載せているだけだ。そうして権力者側から戴いた政権批判とはかけ離れた些事を、さも大事のようにメディアに垂れ流す。無論、そのような報道は政権支持者のみならず、政権を指示しない者たちからも批判の的となる。それしか今日のマスコミの仕事はなかった。

 政権によるマスコミのコントロールは完璧だった。

 だがそういった政権の意向にそぐわない一部のジャーナリストたちも存在はしていた。玉石の玉とされる者たちだ。アングラの文書、同人誌、ブラックウェブを舞台とし彼らは、何者かによって都合の良い真実ではなく、多角的な事実を語っていく。

 政権とて、それを野放しにするわけがない。しばらくすればネットの深層に流れた情報も、その執筆者とともにひっそりと消去されていった。またマスコミにとっても、そういったジャーナリストの存在は厄介と認識されている。

 かつて無期限の任期を決めた中国の国家主席と同じやり口を、二〇四〇年の日本の政権も模倣していた。情報と思想の統制のためには、用いる手段は同様のもの帰結する。

 かつて共産圏は権力者、国家の運営者たちにとって不都合な事実を広める者たちを暴力によりひっそりと消し去り、また一方でアメリカは不都合な事実を「フェイクニュース」と称し感情論で封殺した。

 そして日本はこの両方の手法をとってきた。

「でも私は美月ちゃんのそういう考えは尊重してあげたいと思うな。みっちゃん、正義感が強いからね」

「わたしも応援くらいはするよ。本とか出したら言ってね。買ってあげるから」

 友人たちのささやかな応援に頬が緩む。

 美月は現在、学徒労働者としてとあるWebニュースメディアに勤めている。論調としては権力監視と批判的な立ち位置をとっており、今どきのマスコミとしてはギリギリの綱渡りをしている気骨のあるところだ。そこに務めている記者からの美月の考えは尊ばれている。

 険しい道だということはわかっている。以前も文久新聞が過去の医療事故についての社説をウェブに掲載した数時間後には検閲により削除が行われたほどだ。

「そういう詩乃はどうなのさ? 何も書いてないけど」由紀がどれどれと詩乃のプリントを覗き込もうとする。

「私はお嫁さんになりたいな」

「要はあんたも何も考えてないってことじゃん」

 由紀の思わず零した言葉に美月は咎めるような鋭い視線を飛ばし、詩乃も眉根を寄せながら苦笑を浮かべる。

「まぁでも……今はそういうことも難しいってわかってるから……」

 寂しげと諦めを含んだため息混じりの言葉に、由紀は罰が悪そうに「あ、ごめん……」と謝罪した。

 今日の経済状況は確かに国内総生産はその数字を上昇させ、企業も多額の利益を生んでいる。だがそのような利益が労働者ひとりひとりに循環するトリクルダウン理論は机上の空論に終わり、一部の経営者の役員報酬と内部留保に留まるだけで終わった。

 労働者の賃金は前世紀のバブル崩壊後以降の基準のままであり、上がる展望は見られない。にも拘らず物価と税金のみが上がる一方であり、やがて人々は日々の糧食を得るためだけで精一杯となり始めた。そのような現状で家庭を持つことに希望など持たれなくなり、少子化は極致にまで達している。政権はその原因に見向きもしていないのか、あるいは本気で理解していないのか、「産めよ増やせよ」と喚き散らすばかりであった。これもある種の思想統制の一つと言えた。

 そういった中で、〝お嫁さん〟というささやかな夢も、手に届かない高望みになりつつあった。

「あーもー、どうしたものかなぁ。もう声優とでお書いてやろうかしら」

「ちゃんと真面目に書いたほうがいいよ。それこそ先生に呼び出し食らうよ」

「由紀、いい加減にわたしのプリント返してよ」

 美月は由紀が手にしていた自分のプリントを取り戻そうと手を伸ばす。

 彼女のその手が黒い影で埋まったのはその時だった。何事かと、窓ガラスを見る。外の光景一面が黒い影で埋め尽くされていた。

 甲高い音が耳朶をつんざき、一面の窓ガラスが粉々に砕け散った。次に窓を突き破ってきた巨大な影が自分たちの目の前で一度バウントし、テーブルをひっくり返す。けたたましく重い金属が食器やらテーブルやらを砕く轟音と衝撃が店内にいた客全員に襲いかかる。そして男女の悲鳴と困惑の声がその場に満ちた。

 一体の鎧が店内に飛び込んできたのだ。

 美月はパニックに陥った周囲を全く意に介さず仰向けに倒れ込んでいるその鎧を目にした。

 彼女が勤めているニュースメディアで、その鎧についての資料を先輩社員から見せてもらったことがある。

 DAEと呼ばれる新型兵器。確か、コードネームは〈モビーディック〉と言ったか。

 そしてこのパワードスーツ型の兵器を着込んでいるのは戦闘プロパイダに務める傭兵だろう。

 詩乃が腰を抜かし。由紀はその鎧を、兵器を目にしたことで思考停止に陥り、その場で硬直する他はなかった。

 美月は鎧が倒れ込んできたことで根本から折れたテーブルを鎧の方へ向けて蹴り飛ばし、盾にする。そして詩乃と由紀の首根っこを掴むとその場に伏せた。ほとんど反射に近い的確な対応であり、自分でもその行動に驚いた。

 突然の出来事による驚愕と、突如自分たちの日常に割り込んできたDAEと呼ばれる殺人兵器の存在に怯懦する二人。涙を目尻にためながらも、必死で悲鳴を漏らすまいと耐え偲んでいる二人を横目にすると、美月の中にある種の熱が湧き上がってきた。その熱が恐怖を覆い埋め尽くしていく。

 怒りだ。自分たちの平穏な日常に我が物顔で侵入し、壊し尽くしていく戦争屋ども。コンバットコントラクターなどと耳障りの良い名称で呼ばれており中には警察から治安維持活動を委託された者もいるとは聞いているが、所詮は人殺しで金を稼いでいる外道に過ぎない。

 倒れ込んでいた〈モビーディック〉が大仰そうに立ち上がる。周囲の困惑と混乱を全く意に介さず、首を巡らしては自身の状態(ステータス)をチェックするような仕草を見せた。

 そうして何事もなかったかのように、自分が叩き込まれた割れた窓ガラスから屋外に再び出ようとする。その進路上に転がっているテーブルを脚部で踏んで砕いた。

 美月たちと目が合った。

 二つの細く鋭いカメラアイが彼女たちを睨む。

 くそが。邪魔だ。

 実際にそのような言葉を聞いたわけではない。だが、そう言っているような気がした。

 〈モビーディック〉の大きく膨らんだ右腕が美月たちへと向けられると、下腕部の装甲がスライドし銃口が現れた。

 絶対的な死を無数に吐き出す黒い虚が、美月たちを睨む。

 何の道理があって、人の日常に戦争屋どもが割り込んでくるのか。

 お前達のような外道どもに理由も無く殺されてたまるものか。

 そのような叛意を視線に込めて精一杯睨んでやることしかできなかった。そんなことしかできない自分に無性に恐怖よりも怒りを覚える。

 だがその銃口から火が吹かれることはなかった。

 突如、美月達に立ちはだかった〈モビーディック〉が再び吹き飛ばされ転がっていった。自分たちの背後、割れた窓ガラスから別のDAEと思しき黒い影が飛び込み、<モビーディック>を蹴り飛ばしたのだ。

 蹴り飛ばされた〈モビーディック〉が再び店内をなぎ倒しながら転がり壁に激突する。

 そして〈モビーディック〉が先程まで美月たちに銃口を向けていた場所には、二機目のDAEの姿があった。ニュースやネットでよく見る、そして今しがた自分を殺そうとしたずんぐりむっくりとしたそれらとは明らかに設計思想、運用思想が違っていることが見受けられる細身の鎧の後ろ姿は闇を人の形に切り取ったかのように漆黒であった。

 その〈漆黒のDAE〉が振り返り美月たちを一瞥する。二つ目の鋭角的なマスクに口元は牙を剥いたように歯列のようなハードポイントが存在しており、まるで狼か鬼のような相貌だった。そしてどこか豹を彷彿とさせるようなしなやかな全体のシルエット。その〈漆黒のDAE〉は美月達を守るように背中を向けた。

 そして、〈漆黒のDAE〉がたった今蹴り飛ばしたモビーディックの元へ間髪入れず再び飛びかかる。その姿もまた獲物を狩る肉食獣のようであった。立ち上がる間も与えず〈モビーディック〉にのしかかると、漆黒のDAEは背中のキャリーアームに保持させていたライフルを手に取って構える。銃口を頭部へ突きつけ、そのまま何ら降伏勧告も無しに銃爪を引いた。

 鼓膜を劈くような炸裂音が轟く。

 その後に静寂と硝煙の香りが辺りに満ちた。

 美月の目にはライフルをじっと突きつけ続ける漆黒のDAEと、その下で踏みつけられながらぐったりとうなだれている〈モビーディック〉の姿が映っていた。

「こちら〈サーベラス3〉、担当ポイントの敵勢力を殲滅。あとすんません、近くのファミレスぶっ壊しちまいました。はい、チェーン店ですね。保険降りますか。そうか良かった。いやほんとすんません」

 〈漆黒のDAE〉が誰へとでもなくぶつぶつと一人頃をつぶやいていた。どうやら通信をしているようだった。その声は低いが若いものだった。

「えーっと一般人への被害は、っと……」

 ぶっきらぼうな口調でのいい加減な言葉遣いは明らかに美月たちと同年代のものに聞こえた。

「無いですね」

 あっけらかんと、その黒い豹の鎧は言ってのけた。確かに死者はいないだろう。だがこの惨状を目の前にして、目の前に自分たちは無関係な死がかすめていった痕跡を目の前にして、怯えて震え嗚咽を漏らしている友人たちを目の前にして、「被害は無い」などとあの傭兵は言ってのけたのだ。

 その一言で美月の身を再び怒りの熱が貫いていく。

 美月はそばに落ちていたドリンクバー用のグラスを漆黒の鎧に投げつけた。後頭部にぶち当たり、ぱりんと軽い音を立てて砕けた。コーティングが施されているのか、グラスの中に入っていた水に装甲は濡れて染みることはなく、そのまま滑るように地に落ちていった。

「戦争なら自分たちだけで他所でやりなさいよ!」

 美月の怒声に漆黒の鎧がグラスを投げつけられた方へ振り返る。泣きじゃくる友人二人を両腕の中に抱えながらこちらを睨む少女と目があった。少女のその瞳には憤怒と憎悪に満ちているように、漆黒の鎧からは見えた。

 鬼にも狼にも見えるマスクが美月を見遣ると少し困惑し、そしてため息をつくようにわすかに肩をすくめた。

「……申し訳ない」

 〈漆黒のDAE〉が所在なさげに後頭部を払う。その所作に全く緊張感も何も無く、まるで同年代の男子生徒のものにしか思えなかった。そういった所作を相手を威嚇し殺意を具現化したような鎧がとっているというアンバランスさが、美月に大きな恐怖をもたらした。

「怪我はないか。警察がもうすぐ来る。ちゃんと保護してもらいなよ。驚かせて悪かったな」

 そう言って、漆黒の鎧は割れた窓ガラスから屋外へと出ていった。

「……〈サーベラス3〉、一般人への被害は無いと判断」

 そう状況を告げる漆黒の鎧の声は、どこか寂しげなものを含んでいた。

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