第五話 舞妓の神様(3)

 土曜日の朝。八坂神社へとまっすぐに延びる四条通を、晴明は仏頂面で歩いている。

 通りすがりの女性グループが「いやっ、あの人見てぇ? シュッとしてるやーん」と晴明の容姿を褒めたが、本人は舌打ちでもしかねないほど機嫌が悪い。ポケットに両手を突っこみ、眉間には彫刻刀で刻んだような縦皺が寄っている。

 ──うう、晴明さんのまわりだけ雲がどんよりまってるみたい。

 隣を歩く桃花は、凶事の前触れではあるまいかと気が気でない。

 京阪の駅を出て八坂神社に近づくにつれ憂鬱を通り越して凶悪な表情になってきた晴明だが、理由はまったく不明だ。桃花にしてみれば非常に心細い。

「晴明さん」

 思い切って、桃花は話しかけた。

「何かあったんですか? そんな顔されると気になるんですけど」

「きつねうどんが高い」

「は?」

 なぜここできつねうどんなのか。桃花は次の言葉を待った。

「さっき通ったうどん屋のショーケースだ。きつねうどんが九百円」

「そうだったんだ」

「住宅街なら六百円ほどだ」

 正面を見たまま晴明は言う。相変わらず眉間の皺が深い。

「えっと、このへん繁華街だから、高いのはしょうがないですよね?」

「分かっているが、狐が人に化けて祇園に来た時に困るだろう」

「き、狐が?」

 冗談かと思い、桃花は晴明の顔を見直す。琥珀色の髪をかき上げる晴明は、至極真剣な様子だ。

ふしいなに仕える狐や、あちこちの山に棲む狐たちが人に化けて京へものさんに来る。その時に食べたがるのがきつねうどんだ。高くては大変だろう」

 晴明は、遠方へ旅する友人を心配するような口ぶりだ。あくまでもクールな表情で狐たちをおもんぱかっている見目良い青年の姿に、桃花は動揺してしまう。

「えーと、狐がきつねうどんを食べたがるって、共食いみたいですねっ?」

 晴明が完璧な無表情になった。

 ──い、いつもの憂鬱な顔より怖い! 無反応だとかえって怖い!

 晴明に何か言われる前に自分から補足せねば、と桃花は思う。

「分かってます。狐の好物、油揚げが載ってるからきつねうどんですよね。一瞬混乱しちゃっただけなんだからそんな無表情で見ないでください」

「分かっているならいい」

 晴明は無表情のまま、四条通を歩き続ける。

 これから悪霊に憑かれているという女性を見に行くのに、化け狐の懐具合の方が気になるというのか。桃花は少し不安になってくる。

「こっちだ」

 桃花の不安も知らぬげに、晴明は四条通を外れて細い道に入る。碁盤の目になった京都のメインストリートとは違う、少し斜めに走っている路地だ。

 ──わ、犬の散歩してる人がいる。マンションがある。

 このあたりも祇園と呼ばれるゾーンのはずだが、賑やかさではなくささやかな普通の暮らしがうかがえる。まるで都市の中の隠れ里だ。

 歩いているうちに木造家屋が目立ちはじめ、やがて一軒だけぽつりとクリーム色の建物が見えた。まるでカフェのような外観だが、道に置かれた看板には「八百屋 あおもの」とある。

 ──わー、おしゃれ八百屋さんだ。

 ガラス張りの店内を覗けば、真っ赤なトマトやみずみずしいレタスなどが整然と並んでいた。段ボール箱ではなく、清潔な木箱を使っている。

「いた」

 店内にいる若い女性をガラス越しに見て、晴明は言った。

 撫で肩を包む薄いニットや、長い黒髪をくくった髪型は決して派手ではない。しかし、桃花から見ても守ってやりたいようなれんさがあった。

「桃花。あれは、うつくしぜんだ」

「うつくし御前……って、誰ですか?」

「八坂神社の境内にうつくしぜんしやという小さい社がある。そこの神だ」

「ははあ、あれが神様……」

 とうなずきかけて、首をかしげる。

「どこかの若奥さんみたいですけど。トマト熱心に見つめてるっぽいですけど」

「所帯じみていて当たり前だ。置屋のまかないに身をやつしているのだから」

 そういうものなのだ、と桃花は自分を無理矢理納得させる。陰陽師の映画と小説が好きな母親の葉子なら、なかなか納得しないだろうと想像しつつ。

「ちょっと分かってきました。あの人は神様だから、普通の人間みたいにたくさん食事できないんでしょう? そこを女将さんに怪しまれてるんですね」

 桃花が試しに言ってみると、晴明はやや表情を緩めた。

「当たりだ。難易度はかなり低いが」

「一言多いです。でも美御前社って初めて聞きました」

「小さな社だが、美しくなりたい者や美容関係者の崇敬を集めているようだ」

「えーっ、行きたい。……って、その神様、普通に野菜選んでますけど。なんで美容の神様が祇園でまかないさんしてるんですか?」

「ところで桃花。店に入りたいんだが、こういう時はどういう組み合わせだと言えばいいんだ?」

「組み合わせ?」

「君と私だ。万一、店の人間にどういう間柄か聞かれた場合に」

 晴明は眉を寄せている。分かりにくいが、本気で困っているらしい。

 ──スーツを着た二十五歳くらいの男の人と、私服で十五歳のわたし。……で、土曜日の午前中に一緒に八百屋。

 確かに、どんな間柄でなぜ八百屋に来たのか、不思議な組み合わせである。家庭教師と生徒ならば、そろって八百屋に行くことはそうそうないだろう。

 ──あ、この間、わんちゃん連れてる時に「お兄ちゃん」って呼んだっけ。晴明さんは嫌そうだったけど。

 桃花は、童話に出てきた魔法使いのように人差し指を立てた。

「お昼ご飯の買い物に来た、兄妹きようだいっ」

「また兄と妹か」

 寄せられていた晴明の眉が離れる。言葉で言っているほど嫌そうではない。

「どうですか?」

 自信がなくなってきて、桃花は立てた人差し指をくにゃりと曲げてしまう。

「良いと思う」

 聞き分けの良い生徒のように、晴明はうなずく。




【次回更新は、2019年10月19日(土)予定!】

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