第24話 やさしいともだち


 絶体絶命。


 どこにも逃げ場は無かった。


 粗暴で屈強な、危険極まりない男たちに囲まれた、マルスフィーアとスモレニィ。


 道の前方を、革鎧を着た老獪なレンジャーのシザーと、鋼鎧のベテラン戦士、グーンが阻む。後方には、スモレニィにも引けを取らない巨漢で筋肉男の斧使い、ヌッパが一歩前に立ち、並んで二人組の非道な面構えの男たちが、それぞれが軽装備で身を固め、長めのナイフを手に弄ぶ。


 マルスフィーアは、彼らが酒場でひと悶着を起こした、あの時の相手だと、直ぐには気が付かなかった。

 なぜなら、まるで雰囲気が違っていたからだ。


 眼鏡に手を添え、何度も瞬きする長い睫毛の下で、驚きの色を色濃く混ぜた焦げ茶色の虹彩が彼らを凝視する。


 以前にはあった、どこか漂う性根の陽気さ……お世辞にも上品とは言えないにしろ、それが今の彼らには皆無だ。

 グーンもヌッパも精気が抜かれたかのような冷めた表情。

 特にシザーの顔つきは前とは別人、暗く窪む影、髑髏のグラデーションが深くかかり、異様に両眼だけを爛々と光らせている。



 「大人しくしな……」


 低い無感情な声色でシザーが言う。


 「ウヒャヒャヒャ~、別に……泣き叫んでもいいんだぜぇ、ねえちゃん」


 新顔の協力者、『冒険者』クラス:ローグの男が下卑た声で茶々を入れた。

 ローグとはいわゆる盗賊、機動性俊敏性に優れ、鍵開けやトラップ解除を得手とする、ややダークサイドに位置する職。


 いつもコンビを組む相棒のもう一人のローグが呼応するように喋る。


 「いっちょ気持ちイイ~悲鳴でも上げてみなぁ。……クックク、ここら一帯にゃあ、人っ子一人いねえからよ」


 ナイフをチラつかせながら嫌らしく笑い、思わず恐怖と緊張で顔を強張らせたマルスフィーアに迫る。


 スモレニィが間に立ちふさがるように入った。


 自分の倍はあろうかという体の大きさに、一瞬たじろぐローグの男。


 その垣間見せてしまった臆病さを、隠すかのように顔を上げ声を張る。


 「……なんでぇ、何か言いてぇのかああ? この木偶の坊が!」


 (こいつらの事は、分かっている。ただちょいと図体がでかいだけのマヌケな下男と、最近雇われたペーペーの小娘。戦力になる訳もない新米の冒険者戦士。何の心配もねぇ)


 「ううぅ……す、すまねえ…だ……」


 スモレニィは頭を垂れて謝ると、背中に背負っている荷物を下ろして、たどたどしく言葉を続ける。


 「こ、こ、これ全部……あげるから…よぉ……おねげぇだ……なにもしねぇで……通しておくれ…………お願い…します…だ」


 ローグは怒りの表情も露わに、その差し出された荷物を蹴り飛ばした。


 呆然と悲しい顔を見せるスモレニィを真ん中に、中身がバラバラと散乱する。


 「はあぁ? マヌケがっ! 舐めんなよ! ガキの使いじゃあねえんだよっ!」


 足元に転がってきた包み、村人から貰ってきた干した芋を踏み躙り、顎を上げながら顔を近づけつつ怒鳴る。


 スモレニィは、潰れていない右のつぶらな瞳を見開き、酷く叱られた子供の様に委縮し、がっしりとした肩をすぼませ、ブルブル震える。



 「そうだ……俺たちは、物取りなんていう、クソつまらない仕事で、わざわざこうして出向いて来たんじゃあねぇ」


 シザーが、盗賊の新参者を制して、ゆっくり喋り出す。


 「お前たちは…………人質だ。……あの若造、世間知らずで正義面した……お坊ちゃんと、引き換えるためのな……」


 彼らの目的をはっきり知ったマルスフィーアたち。

 平穏な帰り道に起きた予期せぬエンカウントが、どうにもならない最悪の事態に展開することを悟った。


 シザーは、注意深く二人に近づき、それぞれの顔を暗い据わった目でじっと見る。


 「ええ? あの領主様は、さぞかしお優しいらしいな、……伝説の爺さん、マックス譲りの勇者気取りか? それが本当なら……只の使用人の命と引き換えでも……ノコノコやって来るよなぁ? ……なんだ、……やっぱり……いざとなりゃあ、来ねぇのか?」



 突然、スモレニィがシザーに向かって、跳びかかる……かに見えた。


 「やめろ~! おらだけ捕まえろ! マルちゃんは勘弁してくろ!!」


 このお腹の中心をギュッとさせる嫌~な気持ち。

 目を覆って隠れたくなるのに、どうしようにも抜け出せない恐ろしい局面。

 何を差し出せばよいのか? 自分の行いの何が悪かったのか? 疑問は浮かべど、答えなど到底分からぬスモレニィ。


 一種のパニック状態に陥り、他人から見れば無謀にも映る行動に出た。

 その動きは思いのほか迅速で予想外、もしも、彼が戦士であったなら! シザーに致命的な一撃を与え、この後の展開の何かが変わったかもしれない……。


 だが現実、彼は冒険者でもなく、解決のために力を振るうことなど考えも付かない優しき者、ただただ自分の気持ちを強く訴えたく、前に身を乗り出したに過ぎなかった。



 ヒュン! 空気を切り裂く音。


 ブスッ、鈍い音に混じり、血しぶきが飛ぶ。

 スモレニィの分厚い太ももを矢が貫いた。


 「うぐっぅ」


 うめき声をあげ、地面に両膝をつき、崩れる巨体。


 「きゃああ! スモちゃん!!」


 マルスフィーアの悲しい悲鳴が響く。



 「馬鹿がっ、迂闊な動きをするからだ……」


 シザーが林の方を向き、合図をする。

 よく目を凝らし見ると、数ある大木の内の一本、てっぺん少し下がった位置ほどの枝影に人が居た、弓使いだ。

 なんと彼は狡猾にも、全てを見渡せる高所に伏兵を潜ませていたのだ。

 何の苦も無く制する事の可能な、今回のターゲットに対してまでも。


 弓使いの男は、座っていた木の幹から腰を上げると、猿の様に軽やかに連続ジャンプして地面に降り立ち、シザーの元へやって来た。


 「シザーの旦那、安心しな。辺りには誰も居ないよ、俺のスキルに間違いはない。どんなに身を隠そうとも、気配を消そうとも無駄。ここらに俺たち以外の冒険者は存在しない、この首を賭けてもいい」


 うずくまるスモレニィに寄り添うマルスフィーア、彼の足には、かえしの付いた金属の矢じりが突き出ている、傷は深い。

 苦痛からだろうか、目に涙をためて、彼女の顔を一心に見つめてくる。


 「あなたたち! どうして! こんなこと」


 マルスフィーアは抗議の叫びを挙げる。

 誰もが抱く、暴力の理不尽さに対する怒りの感情をぶつけた。


 だがしかし、その誰もが、の反応が不幸を連鎖する。


 残忍な人間の闇の部分を刺激されたローグの男が、美しくも健気なマルスフィーアの、高揚した姿に魅了され、下劣極まりない顔つきで言った。


 「おぉい、シザーさんよぉ……。人質つっても……別に……指一本触れずに、キレイなままラッピングしてお渡ししますってこと……ねえよなあ……へへへっ」


 「そうだ、そうだぜ……、たっぷり味見してからだって構やしねえだろぉ……命さえ残せばよ」


 もう一人の盗賊も、舌なめずりして、女をなぶり見る。


 「……好きにしな」


 シザーの言葉に、リードを離されたローグのペアは涎を垂らし、マルスフィーアにじわじわと寄って行く。



 痛くて、悲しくて、どうしようもなくて……涙が出た。

 けれども、もっと嫌だ!


 彼女が傷つくなんて、自分と同じこんな苦しい気持ちにさせるなんて。


 そんなのは絶対に耐えられない!


 そんな事が起こるのなら、何も目にせず、死んでしまった方が幸せだ。

 スモレニィはそう思った。



 彼の日頃の所作からは考えられぬ、素早さと強引さで、マルスフィーアの手を取ると、グイっと胸元まで引き寄せた。

 自分の大きな体で守る態勢で抱き、そのまま地面にうつぶせた。

 太い両腕両足で囲い支える、ちょうどアーチ状に、そうして胎児の様に丸く身を縮める華奢な彼女の体を覆った。


 少女を餌食にせんとする男たちは、スモレニィの下らない時間稼ぎの行動に、最初こそイラっと来たが、すぐさま己の絶対的な揺るがぬ支配者の立ち位置を思い返し、にじみ出る残忍さに甘美な餌を与える格好の余興が出来たとばかりに嬉々としだした。


 「ケッ、お姫様を守る白馬の騎士にしちゃあ不細工だなぁ! ええ?」


 獲物の周りをゆっくり回り、足を振り上げると。


 ドガッ、ガスッ!

 強烈な蹴りを無抵抗なスモレニィに何度も喰らわせる。


 「へぃへぃ! さっさとこの肉の殻をぶち破って、美味しい中身を頂こうぜえ」


 硬い革靴の先が、スモレニィの強靭な腹筋をも突き破り、内臓まで衝撃を伝える。

 脇腹を蹴り上げられ、肋骨にひびが入り、砕ける、肺が酸素を噴き出す悲鳴を上げる。

 転がるサンドバックの様な大きな的、背中や下半身をめった蹴りにし、強烈なインパクトで厚い筋肉組織が裂け千切れる。


 ドームの中で、少女は泣いている。


 「スモちゃん……ダメだよ……こ、このまま、このままだと……スモちゃんが……」


 「……大丈夫…………おら……頑丈……ぜんぜん痛くないよ」



 予定と違う! この弱虫の大男は、何度か蹴られたなら、とたんに痛い痛いと泣き喚き、女から離れて転がりまわるはず!

 なのに、何故だ!? 一言も声を上げず、ビクともしない。


 男たちは、蹴る場所を変えた。


 スモレニィの後頭部めがけて、何発か蹴りを落としながら、首を後ろに反って首謀者に確認する。


 「シザーさん、最悪……人質って、女一人でいいっすよねぇ?」


 「…………ああ、男は死んでも構わん」


 シザーは冷たく無表情で答えた。


 蹴りにいっそうの体重を載せた、振りぬく爪先がこめかみを直撃し、頭蓋骨が軋み嫌な音を立てる。


 スモレニィが、何もしゃべらなくなった。


 少女の目から涙が消える。


 残された片目を閉じ、口元に穏やかな笑みだけを残し、彼女を守る鉄壁の繭となって、無の国へと旅立とうとする……ともだち。



 マルスフィーアは決意した。


 この絶体絶命の窮地から抜け出す方法。


 彼女には、たった一つ……たった一つだけ存在した。


 この場の誰一人として、……たとえ、何百何千年かけて試行錯誤しようとも決して思い付きもしない方法が。


 それは……。

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